「古き良き中央大」を作り上げたものとロースクールの現在

先日、中央大の学員時報(OB向け新聞)が届いたのですが、「戦前の法曹界は中央よりも明治の方が多くの人材を輩出していた。それが逆転した(中央が東大よりも司法試験合格者数が多い時代が一定期間続いた)大きな原因は、学費が安かったからだ」と仰る、当時を経験された大物OB(弁護士)の方の投稿が載っていました(裏付けは調べていませんので、本当に明治大の方が合格者数が多い時代があったのかは存じません)。

また、投稿から察するに、当時の中央大は戦略的に(司法試験合格者増を狙って)学費を安くしたのではなく、たまたま戦争で建物が焼けずに済んだ(明治等は焼けて建て直しのため学費が高くなったそうです)という話ではないかと思われます。

実際、私が入学した頃まで、中央大の大学当局は司法試験受験生の面倒なんてほとんど見ておらず、見ていたのは「OB支援付き受験サークル」とでもいうべき各研究室でした(大学が本腰を入れるようになったのは、平成5~10年前後からというのが一般的な見方だと思います)。

あと、戦争で失業した若い優秀な軍人さん(陸士・海兵等出身者)が東大等への進学をGHQに制限されたことも大きい(失業した高級将校が学費の安い中央に殺到した)という話も書かれていましたが、その点は、鹿児島ラ・サールが超進学校となった経緯に関する噂話(公職追放された東大等の先生を受け入れてスパルタ教育?をしたとか)と似ていると感じました。

ちなみに、私は函館ラ・サール(地方では平凡なレベルの進学校)の出身なので姉妹校などと畏れ多くて言えませんが、高校時代に上記のような話を聞いたことがあり、ラ・サール会は函館の方に先に学校を作りたかったのに軍に反対されて出来なかったので、そうなっていれば函館の方が超進学校になったんじゃないかなどと、負け惜しみ?じみた話も聞きましたが、それだと私は入れなかったので、鹿児島に出来てくれて助かったと思ったりしたものです。

そういえば、私が東京時代にお仕えした先生(中央OB)も、海軍経理学校(中曽根首相の出身校)のご出身だと聞かされていました。

で、冒頭の投稿をされていた大先生は、そうした話に続けて「中央が多摩に移転したのは間違いだった、優秀な学者さんを集めて都心への再移転を目指すべき」と締めくくっておられるのですが、その当否はさておき、冒頭の話に加え、あまりにも学費が高いと批判されているロースクール制度のことを考えれば、「中央ロースクールは学費を他大学の数分の1にして(大学に金がないので)学者さんは3流ばかりになっても仕方がないから安さに惹かれて集まってくる(選抜される)優秀な学生さんの自主学習で、司法試験合格者数1位を取り戻そう」と締めくくった方が、文章の筋道が立つのではと思われます。

ただ、さすがに、そのように書くと「大人の事情」に抵触するでしょうから、そのことを意識されたのかそうでないのかは分かりませんが、上記のような締めくくり方になったのかなと思ったりもしたのでした。

余談ながら、私自身は中央大の真法会答練制度という、努力と運と適性さえあれば、ほとんど金をかけずに合格できるシステム(とりわけ、室員は合格後は修習開始まで奴隷と化す?のと引き換えに一貫して無料で受講できました)の恩恵に与った最後の世代です(当時は予備校の全盛期で、すでに現役大学生には知名度不足となっていた真法答練は平成10年に終了を余儀なくされました)。

そのせいか「司法試験に合格するために多額の学費を投じなければならない(しかも講義が試験勉強にはあまり直結していないらしい?)」システムに変貌してしまったという話を聞くと、余計に、搾取じみたもの(何らかの不正義)を感じずにはいられないところがあります。

今も若い方々には大したことはできていませんが、せめて相手方代理人などで対峙し、残念な主張立証を感じたときなどは、徹底的に法論理を駆使してトラウマになるくらい完膚無きまでにやっつけて、ではなくて(そんな力量もありませんし)、懇切丁寧に私なりの法律論を説明してOJT的な学びの機会を持っていただこうという姿勢で、反論書面などを書くように心がけているつもりです。