八戸支部の出張と根城南部氏
珍しく青森地裁八戸支部に提訴した事件があり、訴状陳述のため行ってきました。
帰りはバスに乗り遅れて流しのタクシーに乗ったのですが、どこから来たかと聞かれて盛岡と答えたところ、郷土史に並々ならぬ思い入れをお持ちの運転手さんで、10分ほど「甲斐(鎌倉期)から始まり遠野(江戸期)に終わる根城南部氏の盛衰と、南部家跡目争いと九戸戦役を中心とする桃山時代の北東北の一大騒乱の物語」をノンストップで熱く語っておられました。
「すいません、二戸の人間なのでその話の大半は知ってるんです」という言葉が何度も頭の中をよぎりましたが、言い出せるはずもなく、やむなく延々と相づちを打っていたことは、申すまでもありません。
ところで、我が国の裁判所の大半は、城跡付近に好んで建てられていますが、八戸支部は、江戸期の八戸を統治した八戸南部氏(盛岡南部氏の兄弟筋)の居城跡ではなく、根城南部氏(鎌倉~桃山期に統治)の居城跡の近くに建てられています。
誰が、どのような理由でそのような選択をしたのか分かりませんが、二戸の人間が盛岡南部氏ではなく九戸氏をもって領主と仰ぐのと近い感覚があるのかもしれないなどと、興味深く感じました。
根城跡は現在、本丸等がある程度、復元されていますが、桃山期の遺構を考証して再現したのだそうで、九戸城と同時代の遺構を再現したということができます。
九戸城の再現は難しいでしょうし、すべきとも思いませんが、根城跡を訪れ風景に接することで、在りし日の九戸城や、そこに生き天下の大軍と戦った人々の姿を、多少なりとも感じることができるのかもしれません。
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