政治家・公務員の責任追及制度に見る「国と自治体の格差」と是正への道
住民訴訟で自治体の首長に巨額賠償が課された場合(例えば、豊洲市場問題で都民が石原知事に対し「都の損失を補填せよ」と訴えて勝訴した場合をイメージして下さい)において、近年、地方議会が「首長の過失の程度は重くないのに、巨額の損失を肩代わりさせられるのは気の毒だ」として免責(自治体の首長に対する賠償請求権の放棄)の議決をすることが増えているとされ、平成24年には一定の場合に放棄を容認した最高裁判決なども出されています。
そうした事情を踏まえ、政府が地方議会による免責の議決に一定の歯止めをかける制度を設けるとの報道が出ていますが、政府=国が住民訴訟を強化する制度を推進する光景自体は私も特に異論ありませんし、至極まっとうなもののように見える一方、妙な滑稽感を抱く面があります。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20170309-OYT1T50058.html?from=ytop_top
というのは、民が官に対し公金の使途の是正を求める制度について勉強している方ならご存知だと思いますが、自治体による公金濫用(公用財産の毀損)に対しては住民が首長など関係者の賠償責任を問う制度(住民訴訟)はあるものの、国による公金濫用等に対しては、そのような制度(国民訴訟)は我国には設けられていません(外国はどうなんでしょうね)。
いわば、石原知事や当時の東京都の担当者などは豊洲問題で訴えられるリスクを負っているのに対し、例えば、森友学園事件で「埋設廃棄物の撤去費用8億円の見積が虚偽と判明し、公有財産を不当に廉価に売却したものであることが確定した上、そのことについて安倍首相や麻生財務相、担当のお役人さんなどに任務懈怠責任が認められる場合」でも、国民が賠償責任の追及を求めて提訴することはできません。
ですので、このような報道には「安全な場所に身を置く者(国関係者)が、自分がリスクを取らない状態を続けつつ、危険な場所に身を置く者(自治体関係者)にばかり、「ちゃんとやれ」と言い続けている」ようなアンフェアな印象を感じる面があるのです。
もちろん、そうした制度に消極的な見解の方からは、濫訴防止など法技術的な様々なご主張をなさるのではと思いますが、根本的には、この国の地方と中央(国家)の関係がどのようなものとして統治機構が構築されているのかという問題に行き着くのではと思わないこともありません。
ちなみに、日弁連は10年以上前から、そうした公金是正訴訟制度の導入を求めていますが、およそ世間の話題になった記憶もありません。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2005_41.pdf
いっそ、石原知事であれ他の知事さんや市町村長さんなどが「俺たちばっかリスクを負うのは嫌だ」と世間に向かって導入の声を上げていただくとか、日弁連も、本気で導入したい気持ちがあるなら、そうした「敵の敵」と連帯する努力をするとか、考えてもよいのでは?などと野次馬的に思ったりもします。
それこそ、野党系知事の雄?というべき達増知事は、前任者と異なり全国では全く知名度がないのではと残念に思いますが、「レガシー」として?そうした運動も考えていただきたいものです。
ともあれ、お人好しの身としては、国のお偉いさんの方々も住民訴訟制度を強化、拡充することを通じて最終的に国民訴訟の導入への機運の醸成(国任せではなく国民自身の力で導入を成し遂げる努力をすること)をはじめとする内実ある国民主権の実現に繋げたいという遠大なお気持ちがあるのだと善解したいものです。