大雪事件と「善意発、無責任経由、破綻着」の列車

ほとんど知られていないことだと思いますが、大雪りばぁねっと事件の発端は、「自動車関連で国内有数の大企業たる某社が、山田町に被災地支援のためボイラーを無償提供したいと申し出たため、町当局が被災者・支援者向けの無料浴場の運営を思い立ち、当時、町内の不明者捜索などに熱心に活動していた大雪に白羽の矢を立てたこと(それに伴う巨額の建設資金や運営費用をノウハウ等のない大雪に任せ、岩手県も多額の補助金を了解したことが引き金となって次々に業務=補助金申請が拡大したこと)」と言って間違いないと思います。

もちろん「熱心に不明者捜索をしていたこと」と「浴場の建設や運営などの実務能力」は当然に結びつくものではありませんので、大雪に打診した山田町関係者の無策ないし無責任ぶりは大いに批判されるべきでしょう。

が、大雪事件によって不幸な目に遭った内部関係者を多少は存じている身としては、大雪側や山田町に限らず、支援者たる大企業も、ある意味、罪作りなことをしたものだ(相手が適切に対応できるかも見た上で、支援等を決めて欲しかった)と思わないでもありません。

悪く言えば「大企業の震災支援なる善意」が醜悪で残念な結論の端緒になったわけですが、そうした「善意発、無責任経由、破綻着の列車」という光景は「世帯主(受給者)が義援金・支援金を分配しなかったので不和になった家族」など、恐らく色々なところで見られた光景ではないかと思います。

支援が足りないとか行政或いは支援者に問題があるなどといった類の言説は、震災に限らず色々なところで目にしますが、そうした「大きな善意が無責任と破綻を生むサイクル(を再発させないこと)」についての調査研究は、ほとんど聞いたことがないように感じており、その点は残念に思います。

この事件を法的に処理するための幾つかの裁判手続などは現在も続いており、私も、行きがかり上やむを得ずお引き受けした超不採算仕事に今も追われています。

この事件では行政の対応が色々と批判されたものの、結局、住民訴訟(役所の関係者などに賠償を求める訴訟)が生じませんでした。補助金が絡む(ので、実質的な費用負担が国民に転嫁されている面がある)せいもあったかもしれませんが、震災による混乱と劣悪な条件の中で生じた出来事で、自治体関係者を責めるのは忍びない(何より、自治体関係者自身が不正利益を得たわけではない)という心情が強かったからなのかもしれません。

ただ、生じた結果の酷さに照らせば、「時と場合によって、役所はこんな酷い税金の使い方(使わせ方)をするものであること」を銘記し、裁量の縮小や活動の見える化、支援者を含む様々な第三者の関与(監視監督)などの仕組みを整えたり、運用を活性化させる(そのことにより、岡田氏のような巨額の税金等を預かる資格のない人間にカネや権限を与えて暴走するのを阻止する)必要があるのではと思います。

先日も、大雪事件のせいで人生を暗転させられた女性関係者の尋問があり、そうしたことを改めて感じました。