岩手教育会館の建替と「歴史まちづくり法」
盛岡城址(岩手公園)の袂にある岩手教育会館(7階建)が、3年後を目処に4階建の建物に生まれ変わるという報道がありました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20140319_3
盛岡では、古くより盛岡城(石垣)から岩手山を望む眺望を誇りとする市民感情があり、景観法(平成16年制定)が作られる遥か以前(昭和59年頃)から、「盛岡城址の石垣の上から岩手山を結んだ線よりも高い位置まで建物を立てるのは禁止」というガイドラインを作成していたそうで、実際、その後に、少し離れた中央通に計画された商業ビルが、市の強力な「行政指導」で高さ制限を受けたという例もあったと聞いています。
ただ、その話については、「盛岡城の石垣(二の丸~本丸)の真正面(岩手山が見える北東面)には、産業会館(サンビル)、教育会館、農林会館の3つの巨大建物がドデンと居座っており、それらのせいで岩手山の眺望がちっとも見えないじゃないか」と思わざるを得ないところがあります。
少し調べてみると、この「岩手山眺望阻害三兄弟」などと言ってみたくなる3つの建物は、いずれも昭和30~40年代に竣工された建物なのだそうで、反対運動的なものがあったかどうかは知りませんが、少なくとも、当時は、法令上の規制は言うに及ばず、行政指導すら無かったのでしょうから、その意味では、非難できる筋合いでもないのだろうと思います(時系列的に見れば、この三兄弟の出現が、上記のガイドラインの登場に一役買っているかもしれませんが)。
他方、上記のガイドラインは、現在、景観法に基づき盛岡市が平成21年に策定した景観計画に引き継がれており、法律上の明確な根拠がありますので、これに沿った形で教育会館が建て替えられることについては、上記の眺望(景観)に価値を感じる者の一人として、率直に歓迎したいと思っています。
折角なので、サンビルと農林会館も、余勢を駆って建替(或いは移転)を検討されてはいかがでしょうかと思ったりもします。ちょうど、岩手山の眺望問題をさほど考えなくてもよさそうな東側の岩手医大が移転することから、そちらに「新・産業農林会館」を、飲食店舗などを交えた複合施設として作っていただいてもよいのではと思わないでもありません。
ところで、教育会館の建替にあたっては、景観等の観点から、もう一つ、指摘しならない事柄があり、このことは、とりわけ盛岡市民の方々には、よく考えていただきたいことだと思っています。
平成20年に、城跡など歴史的な名所・旧跡を残した風景の保全やまちづくりの活用への支援等を目的として、「歴史まちづくり法」という法律が制定されています(正式名称は、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律)。
法律の内容や活用状況は、以下に引用した国交省サイト(パンフレット等)をご覧いただければと思いますが、代表例として金沢城趾とその周辺地域の整備や保全などが掲げられており、金沢市を手本として城下町整備をすべきと思われる盛岡城趾及びその周辺地域についても、この法律の適用を受け、景観の保全や充実化に取り組んでよいのではないかと思われます。
http://www.mlit.go.jp/toshi/rekimachi/toshi_history_tk_000003.html
そして、教育会館の建て替え(新会館の建築)にあたっても、「盛岡城址に隣接する主要建築物」としての教育会館のあり方・位置づけを再検討いただき、デザイン等はもちろん、会館の機能等のあり方も含めて(言うなれば、佐藤可士和氏的な発想で)、石垣等と調和し歴史的な風致の向上を強く支えるような会館を造っていただきたいと思いますし、場合によっては、そのプロセスには、会館の施工主や市役所以外の方(歴史的景観の保全等に知見等のある専門家や住民等)が関与してもよいのではと思ったりもします。
例えば、藩校(明義堂・作人館)の写真や図面等が残っているのであれば、その意匠をデザインに取り入れるのが、「教育会館」に相応しいと思わないでもありませんが、いかがでしょう。
残念ながら?、盛岡市は、まだこの法令に基づく「歴史的風致維持向上計画」の認定申請をしていないようですので、ぜひ、地元の各種団体等(某「明るく豊かな社会を作ることを目的とした団体」など)におかれては、そうしたことにも取り組んでいただければ幸いに思いますし、住民一般にも、この点に関心を寄せていただければと思っています。