バンカラ応援歌練習とナチス体験を近づけるもの、遠ざけるもの
日本の大学で「ナチス体験」なる講義(それを通じて、ファシズムのメカニズムや克服法などを学ぶ趣旨のもの)が行われているとの記事を拝見しました。スタンフォード大学で監獄実験があったという話は学生時代にも聞いたことがありますが、それに近い(ものの、そこまでハードではない)授業のように見受けられます。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56393
この記事を拝見して真っ先に思い浮かんだのは、中学校の入学直後に行われていた応援歌練習(1年次だけか、他の年もあったかは覚えていません)の光景でした。
他県(或いは二戸市立福岡中以外)の学校(公立中)にも同じようなものがあるのか存じませんが、当時の福中では、入学直後に1~2週間ほど、毎朝、各クラスに応援団員(上級生。確か2年の男子生徒が6~7名ほど)が現れて「お前ら立てェ~」の怒号から始まり、延々と「大声だせェ~」と怒鳴りながら全員で応援歌の練習(絶叫の強要)を行う、という風習がありました。
毎朝30分程度だったと思いますが、クラスの朝礼の直後?に先生(担任)が姿を消し、ほどなく応援団員らが猛ダッシュで教室内に乱入して延々と怒号に終始するので、リアルなまはげというか、小学校を卒業したばかりの面々には結構な衝撃(異世界感)を受けます。
また、毎回、何人かが「声が小さい、手振りが弱い」などと文句(難癖?)を付けられて団員に廊下に連行されて2~3分ほど怒号説教をされるという光景もあり、トラウマというか嫌な記憶だという方も相応にいるのだと思います。
ただ、正直なところ私は大声を出すのが全く苦にならず、そのせいか団員に連行(説教)された経験もほとんどなく、むしろ、絶叫できる爽快感と、連行の恐怖から逃げ切るドキドキ感、或いは、自分だけが連行から免れたある種の優越感?といった、さほど否定的ではない記憶しか残っていません(何度も連行された方にとっては、嫌な記憶しかないのでしょうけど)。
応援歌練習の目的(建前上の?)は、初夏の時期に行われる二戸地区の野球大会に全校生徒を動員し、応援団の指揮のもと全校生徒が応援歌やエール等を行う(絶叫する)ためであり、そうした練習の甲斐もあって?1年生は従順に絶叫(熱唱)し、その光景は相応に壮観ですし、試合が好調な展開で応援にも一体感があった場合などは、鳥肌が立つような感覚を抱いたこともあります。
尤も、3年生になると、応援団の恫喝を受けないせいか?ほとんど誰も応援(熱唱)をしなくなり全学年丸ごと単なる観客状態になるのですが、私自身は「隠れ絶叫好き」のため、みんな真面目にやればいいのに(一人だけだと絶叫できなくてつまらないじゃないか)と感じた記憶があります。
で、引用の文章に話を戻しますが、当然ながら、応援歌練習には「総統(団長やクラスに配置される団員など)に個人的な忠誠を誓わせる」などというものは存在せず、(団員による連行説教を一応別とすれば)集団で誰かを理不尽に攻撃・糾弾したり、まして何らかの悪行に向かわせるような行為も一切ありませんので、当然ながら「ファシズムだ」などと非難すべきものではありません。
しかし、この「装置(風習)」を悪用すればどうなのだろう、と思わないでもありません。
例えば、応援歌(エール)に、「何トカ中はゴキブリだ、ぶっ殺せ~」などとヘイトスピーチが入れば、完全に「ナチスの入口」になりそうですし、声や手振りが小さいなどと叱られた人を教室の壇上に上げて皆で糾弾するようなことをし始めたら、その後どのような展開がクラス内で生じるか、誰でも想像がつきそうな気もします。
常識的に考えられない前者はまだしも、後者については、例えば応援団の誰かがそうしたことをやりたいと言い出した場合に、果たして皆がそれに抵抗できるのか、どのような光景が出現するのか、空恐ろしくも興味深く感じてしまいます。
中学時代は誰もが何らかの不安や不満・鬱屈を抱えていますので、そうした方向に集団を誘導することは、一定の条件が揃えばさほど困難ではない(だからこそ、いじめ云々が後を絶たない)のだと思われ、余計に「悪用しようと思えばできないこともない風習」が中学校の最初の入口で設けられていたことに、ある種の薄気味悪さを感じないこともありません。
少なくとも、この風習(装置)にはそうした「怖さ」もあるのだとか、そうであればこそ、この「集団の力」が誤った方向に用いられることなく社会にプラスになるように生かしていかなければならない、などということを誰かに教わった記憶は私にはありません。
先生(教員)達は、この風習に対し表向き?はノータッチ(治外法権?無関心?)を貫いており、授業で応援歌練習の意義などについて、感銘を受けるような説明を受けた記憶も全くありません(初代応援団長をなさった方から、創設秘話などを伺ったことはあります)。
それでも、私が一応知る限り、応援歌練習(によって培われた何らかの集団無意識)が「暴走」することなく、誰かを攻撃するための装置として機能することがなかったのは、限られた期間のささやかな経験に過ぎなかったからなのか、我々が曲がりなりにも幸せな時代を送ることができた(ので、暴発を引き起こすガソリンそのものが無かった)からなのか、それとも、我々も知らず知らずのうちに人間の尊厳を大切にする教育をきちんと受けていたということなのか?その点は今もよく分かりません。
ともあれ、私は、子供の頃から「ひとりぼっち」で時間を過ごしすぎたせいか、人間の集団=暴力装置(の予備軍)というイメージ(不信感、不安感)が勝ちすぎ、どんな団体・集団に所属しても、「この人達は個人としては良い人ばかりなのに、群れるといずれは自分に悪意や敵意を向けてくるのだろう」という感覚を今も拭い去ることができません。
そんなメンタリティの中で「声量が大きいため応援歌練習に馴染んで絶叫を楽しんでいた自分(そうした時間も過ごしたこと)」はどのような意味を持ちうるのか考えさせられると共に、あの時間も「疑似ナチス体験」などと評したら怒られそうですが、各人が、引用記事や上記に述べたような価値とリスクを理解できるのであれば、それはそれで意義のある体験だったのかもしれない、と感じるところもあります。
少し検索したところ、そうした「バンカラ応援歌練習」は、岩手の高校にはそれなりに存在する(他県にはほとんどない)ようですが、私自身はそうした風習とは無縁の函館の私立高に進学したため、高校の光景については全く分かりません。
その種の経験をなさった「仲間」の方から、このような観点を踏まえたご自身のお考えを伺う機会もあれば有り難いなどと思ったりもします。
余談ながら、家庭持ちに成り果てた?現在はともかく、受験勉強と読書など(と山登り)で過ぎ去る大学時代を送った身としては、当時、リア充を弾劾する絶叫に心底加わってみたかったものです(笑)。