相続人不存在や遺言悪用を巡る実情と、放置されたままの課題たち
相続人が存在しない相続財産の取扱について触れた記事を読みましたが、最後の方で、特別縁故者の悪用がありうると述べられていました。
ですが、特別縁故者は裁判所の審査が厳しく、1審が高額分与を認めても2審で覆される例も珍しくないので、実務の実情を多少とも知る者としては、悪用云々という実感はさほどありません。
私自身の経験・見聞だけで、そうした事案を2つ知っています。っていうか、うち1つは相続財産管理人(現行法では清算人)として今、モロに関わっており、1審の判断は杜撰すぎるが2審の判断も厳しすぎるとして、申立人の許可抗告を支援する意見書を昨年、作成して裁判所に提出しました。
その件では、先日、申立人の許可抗告を高裁が認める(ので、おって最高裁の判断が示される)という展開になり、事案の特殊性があるとはいえ、驚きの連続というべき展開になっています。
それはさておき、悪用云々をいうなら、各種遺言とりわけ死亡危急時遺言の方が遙かに悪用リスクが大きいと言うべきでしょう。
5年以上前の話ですが、地元の行政書士の方(兼以下自粛)の主導で、作成時のやりとりなどに照らして、どう考えても無理があると言いたくなる死亡危急遺言が作成された例があり、私は相続人から依頼を受けた代理人として遺言無効訴訟を提起し、膨大な立証作業の末、遺言無効を前提とした全面的な勝訴的和解を勝ち取ったことがあります。
その際は、その行政書士さんへの不法行為賠償請求も付けましたが(和解で終了なので裁判所は判断を示さず)、俺は地域のために長年身を粉にして頑張ってきたのにこんな裁判を起こすとは何事だと、本筋とは全然関係のない不満タラタラの反論書面が提出されたことが印象的でした。
彼が依頼者(多額の相続財産の全部包括受遺者として遺言書に表示された、被相続人の親族)への純然たる善意でそのような挙に及んだのか、そうでないのか、私には今も分かりません。
その際は、敢えて国も巻き込む形で提訴し、このような制度(運用状況)のままでよいのか(制度を適切に利用できない者に危険なオモチャを与えて放置すんな)と訴状等に書きまくったのですが、残念ながらメディア等から取り上げられることもなく、今も残念な制度のままの状態が続いています。
なお、記事本文に戻ると、相続人不存在は、現在の社会では、適切に管理等の申立がなされず放置される確率の方が遙かに高い(放置された潜在事案が社会に数多ある)と思われます。
冒頭の事件でも述べましたが、米国はいざしらず、日本は特別縁故者の要件が厳しく、遠縁親族や知人などが本人を不憫に思って管理者(清算人)選任申立を行っても、経済的には得るものがない(割に合わなすぎる)ことが多く、放置されやすいのですね。
本来は、何年も前からその対処が検討されるべきで、世間と政治(と司法関係者)の怠惰が問われるべきなのでは?と思わないでもありません。
それこそ、その事件の上告審(許可抗告審)で、最高裁が何らかの有意義なメッセージを発することを期待したいものです。