義理に生きる日本人と、正義に生きる偏屈者
私の名前は「義和」ですが、亡父から、祖父が「義勝」と名付けようとしていたのを父が「義和」案を推して決まったという話を聞いたことがあります。
どうして「勝」ではなく「和」にしたのかという肝心の点を聞きそびれてしまったのですが、私自身は自分の名前を非常に気に入っています。
というのは、私にとって、「義」とは正義の義、「和」とは平和の和を指し、2つの言葉=理念は相対立するものの、だからこそ私の人格や生き方に決定的な役割を果たしていると感じるからです。
もとより、争いは正義を主張する者同士の間に起こるものであり、平和とは、暴力・抑圧による欺瞞の平和を別とすれば、正義と正義の衝突の後の相克と調和・止揚の先にこそ存するものです。
よって、正義と正義(光と影の双方を背負う者同士)の対立と調和という問題(ひいては対決と調和の双方を創出する営み)は、正義や平和を扱う全ての職業人にとって、要諦というべき事柄だと思います。
それが弁護士という職業の本質に関わることは申すまでもないことでしょうし、そのことを弁えず自派の利害ばかりに目を向けて他方の正義や調和に視野が及ばない者は、法律家としては良質な仕事をしているとは言い難いと思います。
そんなわけで、私は、自分の名前を他人様に説明する際は、「正義の義と、平和の和」と必ず述べています。
ところが、これまで他の方が私の名前を説明するのを聞いていると、「義理の義と、平和の和」と仰ることが非常に多くありました。
それを聞くと、その方にとって「正義」よりも「義理」の方が身近な(親和性がある)言葉・概念なのだろうと思わずにはいられませんでしたし、そうした方が多いため、正義という言葉・概念は、まだまだ日本人には馴染めない面があるのだろうとも感じました。
感覚的な話になりますが、義理は、一対一であれ多数であれ、対人関係を前提とした言葉であり、多くの方には「世間」(最近は「空気」と呼ばれる)という日本的な概念と非常に親和性のあるものと言ってよいと思います。
言い換えれば、世間(空気)や義理の根底には自分に身近な者で形成されたコミュニティ(帰属集団)による集団的な明示・黙示の意思決定を重視する思想(広義の集団主義)が存するはずです(このような考え方は、「菊と刀」などでも触れられているようです)。
他方、「正義」という概念には、「千万人といえど我行かん」という、自分が信じる理念のためなら徹底した孤独にも耐えて闘う覚悟も要求する面があり、個人主義に馴染むことは間違いありません(だからこそ相対立する正義が殺し合いをせず共存・調和できるよう、裁判や選挙などを通じた対決・決着のための法制度があると言えます)。
そもそも、正義という言葉(概念)は、日本よりも、中国(関羽でおなじみ)や西洋(いわゆる法の正義)の方で確立した概念だと思いますが、双方とも、日本よりも遥かに個人主義思想の強い風土だと思います。
そう考えると、義理よりも正義という言葉に馴染んでいる私は、日本人的ではない偏屈さの持ち主ということになるのかもしれませんし、そうした面も含め、この名が授けられた瞬間から、法律家という生き方が天職になったのかもと思うところはあります。
ただ、名付け親である私の父は、日本的な親父の最たる御仁で、およそ西洋或いは中国的な個人主義にはほど遠い、世間様と共に生きる人でしたので、人の世は実に不思議なものだと感じないでもありません。
或いは、父にとっては「義理の義と平和の和」だったのかもしれませんが、作者の意図はどうあれ、私は頑なに「正義の義と平和の和」として生き続けたいと思っています。