震災から1ヶ月後(H23.4)の被災地相談~宮古編~
先日から、震災直後の出来事などについて、旧HPの日記欄に投稿した文章を再掲していますが、先日の投稿に引き続き、震災後間もない時期に避難所相談などに従事した件について再掲します。
長たらしい文章ですが、それだけに当時の生々しい状態が再現されており、支援活動のあり方などを検討いただく上で、参考になる点はあると思います。
今回は、23年4月中旬に宮古の避難所相談を担当したときのことです。
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岩手弁護士会では、3月下旬から順次、内陸部(主に盛岡)で執務する弁護士がローテーションを組み、沿岸部に点在する避難所への無料相談事業を行っています(幸い、法テラスから申し訳程度ですが日当が出ます)。
4月中旬頃からは、日弁連を通じ、他県(主に北海道・青森・秋田・大阪・兵庫)の先生が応援に参加し、岩手会1名+他県3名が、岩手の弁護士が運転する自家用車に乗り現地2~4ヶ所に赴くという体制を取っており、5月末までこの体制が続くことになっています。
私自身は、家庭の事情により独身等の方々に比べて自由に身動きが取れない状況にあり大した貢献はできていませんが、それでも4月と5月で計5回、被災地への出張相談を担当しています。
この日は、私にとって4月3日の釜石以来2回目の避難所相談となり、神戸の弁護士さん1名、青森の弁護士さん2名と一緒に宮古の避難所に行きました。
終了後、岩手弁護士会のMLに相談結果を報告しましたが、相談内容以外は守秘義務が問われる内容でもありませんので、ここでもご紹介します。
1 指定避難所まで
この日は午後1時からの開始でしたが、弁護士会のルールで9時に盛岡駅前から出発となっていたため、11時過ぎに宮古市内に到着しました。
派遣先の避難所が、被災の様子が分かりにくい内陸方面にありましたので、県外の先生方にも被災現場を見ていただくべきと考え、宮古でも被害の大きい鍬ヶ崎地区に行き、そこから浄土ヶ浜を垣間見て、宮古駅に戻って昼食を取り避難所へ移動しました。
鍬ヶ崎の凄惨な光景は、その1週間前に宮古振興局の相談に来た際にも見ていましたが、若干片付けが進んだように感じました。また、浄土ヶ浜と国道を結ぶ橋からは、右手に壊滅した鍬ヶ崎地区、左手にいつもと変わらない穏やかで美しい三陸の海と断崖の光景が広がり、非常に対照的でした。
2 シーアリーナ
今回は宮古市民総合体育館(シーアリーナ)と宮古小学校の2ヶ所を派遣先として指定されており、弁護士会の対策本部の指示に基づき、シーアリーナで青森の先生お二人を下ろし、私と神戸の先生が宮古小に移動しました。シーアリーナでは、相談者が計11名で、他に雑談的に数名ほどの相談があったとのことでした。
避難所相談は現地で場所の選定をされている地元の弁護士さんや市役所等との協議で決まるのですが、一杯一杯とのことで、直前にならないと決まらず、現地でも十分には周知されていないことが常態化しているようです。
この日もシーアリーナでは開催予定の告知はされていたそうですが、あまり周知されていなかった様子で、相談者もまばらだったようです。
3 宮古小学校
到着直後、避難所になっている体育館の入口で利用者の顔役のような年配の方(配膳担当?)に、開口一番「弁護士相談が事前に連絡されていなかった」「前夜までに言ってくれれば、利用者に周知したのに」「今日は温泉の通所サービスの日で、皆、3時過ぎまで出払っている」と言われ、実際、利用者の多くが外出中で、閑散としていました。
宮古で執務している先生から「そのような場合はこちらへ」とメールでアドバイスを受けていたので、3時過ぎにまた戻る旨を伝えて、車で5分ほどの距離にある別の避難所(愛宕小学校)に移動し、3時頃、神戸の先生を残し、私一人で宮古小に戻りました。
ところが、戻った後も温泉から戻った方は高齢者が10名前後で、アナウンス等するも「相談しようムード」にならず(風呂上がりのせいか皆さん寝てました・・)、形としては1件のみに止まりました。
やむなく、岩手弁護士会で作成した様々な制度やアドバイスの要点を記載したチラシ(岩手弁護士会ニュース)の戸別配布等をしながら、気力のありそうな避難者の方に被災者生活再建支援法(家屋が被災した方に行政の支援金が支給される制度で今回は特に出番の多い法律)のアナウンスをしたところ、数名の方と雑談的に色々と質問を受けたりしました。
結局、前出の顔役の方から「4時過ぎに配膳開始になるので退去するように」と言われ、やむなく退散することにしました。
退去した4時半の時点まで、宮古小では壮年世代の方はほとんど外出して不在で、横になっている高齢者の方10~20名弱とお子さん数名という構図で、終始閑散とした感じでした。
避難所の入口には札幌市の職員の方(受付用の応援要員とのこと)が待機しており、「一番不足しているのは現地で人や物の配点のコーディネートができる人材なんですよね・・」と互いにため息を付き合うばかりでした。
岩手弁護士会の出張相談では、このように、せっかく現地に伺っても事前の広報等が行き届かず、弁護士4名・避難所2箇所で相談者が合計で10名前後に止まる日も少なくないようです。
言うなれば我々自身が「積み上がった支援物資」のような状態で、被災者だけでなく遠方から来ていただく弁護士さん方にも申し訳ないと感じています。
現地での広報等のコーディネートや適切な戦力投入のあり方などについて、弁護士会だけでなく、地元の方々にも対処法を検討いただければと思っています。
4 愛宕小学校
前記2の経緯から、1時半過ぎに何のアポイントもなく愛宕小に押しかけましたが、こちらは宮古小とは打って変わって到着直後から相談希望者が多数あり、私と神戸の先生で、合計11名の相談がありました。
再建法絡みがほとんどでしたが、生活・仕事の再建に絡む相談もあり、印象として宮古小やシーアリーナの方よりも活気があるように感じました。
宮古の先生のメールによれば、宮古小やシーアリーナが、宮古の中心部では特に被害が大きく、自宅その他を根こそぎ奪われた鍬ヶ崎近辺の方が入っているとのことで、これに対し、愛宕小の利用者が、多少は街並みが維持されている愛宕小周辺~市街地の方ということなら、その差が出たということかもしれません
弁護士会のルールで7時まで待機するように言われていましたが、5時半頃から避難者の食事時間となり、それ以後は相談希望の方もなく、そのまま終了となりました。
さすがに震災から1ヶ月半近くも経過したせいか、避難者・スタッフ向けの食事も大量に余っており、配膳場所のすぐ脇に開設したブースで空きっ腹で座っていたのを見かねたのか、「どうぞどうぞ」とスタッフ(ボランティア)の方に勧められ、遠慮無く頂戴しました。
ただ、シーアリーナに着くと、こちらでは、別室に移動したせいか、青森の先生方はそのまま待機されていたとのことで、汗顔の至りでした・・
5 雑感
3ヶ所とも、乳幼児(連れの家族)の姿はありませんでした。優先的に仮設住宅等に移動したということなのでしょうか?要介護の方がいる家庭も同様でしょうが、そうした配慮がされたということであれば、望ましいことかと思います。反面、今後の支援等の問題はあるかとは思いますが。
また、全般的に(特に宮古小とシーアリーナ)、1ヶ月半も避難所生活が続き、疲労の蓄積が顕著という印象です。「弁護士が対処を要する論点・紛争が顕在化するのはこれからだ」などと言われていますが、それ以前に避難者の方々が精根尽き果ててしまわないか心配です。
仮設であれ民間住宅等であれ、避難所生活の解消が何より優先されるべきではないかと思われます(反面、避難所生活なのでコミュニティが維持できているという指摘もあり、悩ましい問題も含まれていると思いますが)。
また、疲弊感の根本原因に、1ヶ月半も経過しているのに生活再建=仕事等の目処が立っていないという点も顕著に見られました(雑談等をしても、皆さん被災前はそれなりに仕事を持っていました)。
弁護士も、困っている住民の支援だけでなく地域に雇用と利潤(自立的な復興原資)をもたらしてくれる、産業・経済・企業等のサポートの方にも携わっていければと感じずにはいられませんでした。
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この日の避難所相談は、弁護士会の支援活動の問題点や課題について、色々と考えさせられることの多いものだったと思いますが、結局、さしたることもできず、改善というほどの事柄も生じないまま、現在に至っているように思われ、改めて私自身の力不足を痛感せざるを得ないところはあります。
最後に記した「産業・経済・企業等のサポート」も、弁護士会はもちろん、私個人としても特段のことはできておらず、今も皆さんにお力添えをお願いするほかないというほかない有様です。