あの日から5年、そしてfacebookから垣間見る2つの社会

昨日(3月11日)は震災から5年目で、あのときと同じ金曜日でした。この年になると年月があっという間に過ぎてゆく感覚がありますが、今も、地震発生から翌日夕方の電気復旧までの時間については多くのことを覚えています。

あれから5年。私にとっても本当に色々なことがありました。

ただ、私に関しては、震災支援で何かを成し遂げたという類のものはほとんどなく、何をしたかと言われれば、5年間、月1、2回の頻度で丸1日かけて沿岸被災地の無料相談等に赴くなどの繰り返しだったというのが実情だと思います。

もちろん、そうした活動などを通じ、色々な問題意識を持つことはありましたが、残念ながら、私の力量不足のせいか、問題意識を多くの方に共有いただき物事の大きな改善を図るとか、それを通じて社会を切り開くとか、そうした大それた話に関わることは全くできていません。

むしろ、震災前の頃の方が、若さゆえの愚かさのせいか、そうした可能性が多少は自分にあるのではと素朴に(無謀に)信じていたのではないかとすら思っています。

正直なところ、震災そのものより、その前後で激変した我が国(や岩手)の町弁業界の環境変化の方に翻弄されてきたというのが率直な心情であり、そのことも、震災にシンボリックな負のイメージを抱いてしまうきっかけになっているのかもしれません。

私は、facebookで多くの方と「友達」になっていますが、震災の日に関しては、例年、県内の方と県外の方ではFBフィード上に表示される投稿にはっきりと違いが出ます。

端的に言えば、岩手の「友達」は今も多くの方が震災について触れますが、遠方の「友達」の方々は震災を話題にすることはほとんどなく普段どおりの投稿をしており、その点は震災から1年後の3月11日のときからはっきりとした傾向としてありました。

私の場合、フィード上に表示される投稿の比率が、盛岡で開業してから県内で知り合った地元(大半が盛岡)の方が6~7割、高校・大学や修習中などに知り合った県外の方が3~4割という感じなので、この日に限っては、まるで二種類の民族が国内に存在するかのように、そうした「投稿の違い」がはっきりと出ます。

東京や西日本などの方にとっては関心はかなり薄れているのだろうと残念に感じる面がないわけではありませんが、5年を経た今も県内の方々の投稿が震災一色になるという光景にも、それはそれで若干の違和感というか、必ずしも共感というか一体化できない「もやもや」した思いを感じる部分もあります。

もちろん、いわゆる復興の遅れも震災の風化も望ましいことではありませんし、沿岸被災地では今も急激な人口減少をはじめ様々な課題に直面していることも申すまでもなく、そうしたことに触れながら社会批判や関心喚起を訴えている投稿そのものを批判したいのではありません。

そうではなく、「facebookで投稿や情報発信をするのを好む人々」という層が、3月11日には、震災に触れずにはいられない岩手(被災県)の方々と、まるで震災そのものが無かったかのように普段どおりの日常を投稿している遠方の方々に二分化する光景を見せつけられると、ある種の無力感であるとか、社会の断絶といったものを感じざるを得ないような気がして、そのことに気が滅入る面があるからではないかと思っています。

私には、職業柄?反安倍政権などをFB上で公言する同業などのFB「友達」もいれば、逆に、右寄りの傾向を感じさせる「友達」の方もいますが、双方が対話や討論(ひいては調和や弁証法的止揚)をすることなく相互に一方的な主張に関する投稿(論者の投稿への「いいね」を含め)を繰り返している光景を垣間見ては、日々残念に感じています。

こうした例えは失礼かもしれませんが、岩手の人々と遠方の人々の震災を巡る投稿傾向の違いにも、思想信条や社会的立場を異にする人々が互いに交わることなくご自身の縄張りで自己主張している光景と、どことなく似たようなものを感じてしまう面があります。

ただ、そのようなことを述べていると「お前こそ、双方の人々とFB「友達」になっているのだから、震災絡みであれ、それ以外であれ、そうした人々をつなぐ役割を果たすことがお前の仕事ではないのか。それなのに愚痴ばかり言ってどうするのか」とお叱りを受けてしまいそうです。

まさにそのとおりで、3月11日という日は、被災者の方々とは違った意味で、私にとって、何かが止まり今も取り残されているような気持ちにさせられる、そんな無力感を強いられる日になっているのかもしれません。

もちろん、そうした後ろ向きな心情を抱いていることこそが、前に進んでいくためには最も克服しなければならないのだと、自分を叱咤しなければならないことは当然ではありますが。

本日、とあるご縁で「地域の小学6年生の卒業を祝う会」的な集まりに参加させていただいたのですが、大人が前を向いて笑顔で進んでいかなければ子供達が笑顔で育っていくことはできないだろうと、そうした思いを新たにしました。