はじめての被災地相談(H23.4再掲~釜石市北部の激甚被害エリアでの避難所相談)

先日から震災直後などに旧HPに掲載した文章を再掲していますが、折角なので、震災から間もない時期(4月や5月)に避難所の相談に赴いた際の文章も載せることにしました。

今回は、その1回目(甚大な被害が生じた釜石市の鵜住居防災センターから内陸部に入ったところにある、同市北部の栗林小学校での避難所相談)について記載したものを再掲します。

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岩手弁護士会では、3月下旬頃から避難所への出張法律相談を開始しましたが、この日、私もはじめての避難所相談を担当することになりました。派遣先は釜石市の栗林小学校で、もう1名の盛岡のO先生が運転する車で、一緒に行きました。

釜石市に到着すると、先に釜石駅前の行政施設に立ち寄りましたが、釜石駅前周辺が津波の到達の有無を分けた分水嶺になっており、神戸の警察官が交通整理をしていたり、大阪府のバスが駐車していたり、中東系の団体が炊き出し支援をしていたりと、被災地ムードで溢れていました。

その後、被災した釜石市の中心部を横切って北上し、栗林地区に向かいました。釜石市の商店街(駅から海側のエリア)は、1階部分が津波で壊滅し、少なからぬ建物が倒壊等の被害を受けており、はじめて被災状況を目の当たりにしたこともあって、悲しいやら悔しいやら無力感で一杯になりました。

釜石は約3年前に筆界調査委員の仕事で中心部のホテル(のレストラン)などに来たことがあり、自分が訪れたことのある、以前の状態を知っている場所が壊滅しているのを目の当たりにすると、本当に苦しい気持ちになりました。

中心部から一山超えて北上すると、地区全体が丸ごと津波で壊滅したエリアが点在しており、さらに暗澹たる気持ちになりました。

そうして栗林小学校に到着し、2部屋を相談場所として提供していただき、O先生と二手に分かれて相談(13時から19時まで)を開始しました。

この日は、弁護士が来訪したのが初めてということもあったと思いますが、その後の相談会(おって掲載する4/25、4/28、5/16を参照)と異なり、ひっきりなしに相談希望の方がいらっしゃいました。私の方は合計で13件ほど、O先生に至っては5分程度で終わったものも含め、20件以上あったとのことでした。

大半は「自宅が流されたが行政の支援はないのか」などという類のものでしたので、阪神淡路大震災を機に制定された、被災者再建支援法のスキームを説明し、おって行政の受付開始を待って下さい(審査後に問題が生じた場合には、再度ご相談下さい)と述べる程度に止まるものも少なくありませんでした。

ただ、債務関係の相談や相続、中にはご両親を亡くしたお子さんの問題(お母さんの姉妹の方が一緒にいらして今後の養育などの話をされていきました)など、弁護士の力の及びにくい領域で難しい問題が多々生じていることを感じさせられることも少なくありませんでした。

相談結果については岩手弁護士会でデータ化して集計しており、現行法では救済し難い問題も少なくないため、政策や立法などの資料として生かしていただければと思っています(※後日、日弁連に提供し、整理・分析等を委託することになりました。ただ、本当に活用されたと言えるかは疑問符ですが・・)。

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ところで、上記の末尾にある「相談結果のデータ化」については、そうしたものを集約して相談回答集的なものを作ってはどうかという話があり、私は賛同し相談と回答例を分野などに類型化してまとめる作業を多少はしていたのですが、結局、そうした作業はしない(できない)という話になり、立ち消えになってしまいました。

私自身は、多数の相談事例の整理、分類は得意としているので、そうしたものを作って被災地などに広く伝えていれば、多くの被災者・関係者にとって、少なくとも「とっかかり」として利用できた面はあったのではないかと、残念に思っています。