一ノ倉邸を「蝦夷の末裔を顕彰する梅の名所」に

半年以上前の話で恐縮ですが、昨年の盛岡で紅葉が始まる頃、市内の名所の一つである、一ノ倉邸に初めて伺いました。

明治の大物政治家の手による作庭とはいえ、かつてこの地にあった蝦夷の末裔こと安倍氏の居城・厨川柵の面影を感じさせる庭園にて、今も昔も非業の死を余儀なくされた政治指導者の方々のことを思って一首。

貞任も晋三もまた安倍の業
御霊に添える梅の花びら

この建物の主であり原敬の盟友として国会議員や東京府知事などを歴任した阿部浩は、安倍氏の末裔を称すると共に、安倍宗任の故事に倣って、邸宅を「吾郷楳荘(吾郷梅荘)」と名付けました。

なお、なぜ「梅荘」ではなく「楳荘」なのかは、掲示に記載がなく(見落とし?)分かりません(原敬の「一山」のようなものでしょうか)。

その後、遺族から一ノ倉氏なる御仁に譲渡され、その後、保存運動を通じて盛岡市が取得したため、この地は「一ノ倉邸」の名称で呼ばれていますが、建物内は阿部浩らを顕彰する説明ばかりで、肝心?の一ノ倉氏が何者なのか、説明が全くありません。

一ノ倉氏を顕彰するつもりがないのなら、盛岡市(市長・市議会)は、「一ノ倉邸」ではなく、本来の名称である「吾郷楳荘」に戻した方が、日本や世界にこの地をPRする上で、遥かに有益なのではと思われるのですが、どうでしょう。

さらに言えば、そうした建主の命名からは、この地には、往時には見応えのある梅の木が間違いなくあったはずです。

が、現在の一ノ倉邸であれこれ調べても、梅の木(梅の花)があるのか判然としません。

近時、盛岡に限らず、色々なところで桜の苗木を植えて数十年後を楽しみに育てる営みが多くの地で行われていますが、梅に関しては、とりわけ岩手では、ほとんど聞いたことがなく、残念に思っています。

盛岡市民(市長・市議会云々)に一ノ倉邸を大切に思う気持ちがあるのなら、まずは梅の植栽をなさるべきではと思うのですが、どうでしょう。

ともあれ、紅葉に関しては来週あたりがピークと思われ、お時間のある方は、狭い道にご留意の上、お越し下さい。

(追記)
元ネタ(故事など)をご存知でない方は、色々と検索いただければ幸いですが、なんだかんだでwikiが一番まとまっているように思います

一ノ倉氏については、ようやくこの記事を見つけました。地域の名士さんのご一族だったようですね。
https://mosu3.blog.fc2.com/blog-entry-207.html

(昨秋の訪問時の写真を掲載しようとしたのですが、どういうわけか上手くいかなかったので、今年3月の写真を添えました)