地方の弁護士として生きることの光と影と、それぞれの道
先般、佐世保市で生じた痛ましい事件については、加害者の関係者を巡って生々しい報道がなされることが多々あり、それも同業者の方ということで、ネット上で流布されている記事(引用は差し控えました)を見ると、色々と考えさせられるものがあります。
少し具体的に言えば、私は、「大学卒業2年目で(奇跡的に)司法試験に合格し、東京で中小企業法務等を中心に4年半修行した後、出身県の主要都市(ちなみに盛岡は当時の人口30万弱、佐世保は25万とのこと。岩手と長崎の県人口も概ね同じ)で事務所を開業し、(東京時代に某先生から勧められていたので)すぐに地元の青年会議所に入会した」という人間なのですが、上記事件の関係者の方が、その部分に限って言えば、客観的には、これと似たような経歴をお持ちのようです。
ただ、私の場合はJC入会後の展開が上記の方とは大きく異なり、半年程度で兼業主夫(幽霊会員)の道に邁進(転落?)せざるを得ず、9年間も在籍したのに理事長どころか委員長すら拝命することなく終わりました(当然、ごく稀にJC関係の会合に出ても、大して居場所もなく隅でひっそりとしているという有様になってしまいました)。
そのせいか?、地域の有力企業さん方とは顧問云々の仕事上のご縁はほとんどなく、運良く親しくさせいてただく機会に恵まれたごく一部の方に多少のお世話になっている程度で、もとより「地域有数の規模の事務所」では微塵もありません。
それどころか、債務整理特需の終焉後は事務所の運転資金に汲々としつつ、名士どころか営業時間前後には自宅で雑多な家事等に追われながら、「書類仕事する時間が足りないんだけど」と愚痴を撒き散らす日々というのが正直なところです。
そのため、ある時点までは、記事の方のような「地方の大物弁護士への道」がありえたのかもしれないものの、10年ほど前に、そうした道にご縁のない分岐点を辿ったのだろうと感じたりすることもないでもありません。
といっても、こんな事件を引用するまでもなく、自分に明らかに適性のない道にご縁がないことを嘆くこともありません。せいぜい、(当時の中央大の宿命として)受験仲間の全員が初志を貫徹できるわけではないので、彼らに恥じない(なんだ、小保内は折角受かったのにこの有様か、と思われない)生き方が出来ればという程度の欲(執着?)で済んでいます。
この仕事に限らず、我々程度の年数を生きた方なら、同じ感覚をお持ちだと思いますが、
・Aを得た者は、Bを得ることができない(ことが多い)
・Aを得ることができなかった者が、結果としてBを手にする(ことがある)
・AもBも手にすると、恐るべき災厄まで付いてくる(ことがある)
・但し、その災厄を受けた者が、時に、特別な何かを創出することもある
ということを、多くの実例を含めた実感として、感じることがあります。
光強ければ影もまた濃しと言いますが、私に関しては、今のところ、華やかな舞台に関わらず日陰で静かに暮らすことで、結果的に対処困難な問題にもご縁が無くて済むという方向に、生き方の舵が切られているように感じないこともありません。