壮大感動巨編「シンガポールの魂を救った日本人~田中舘秀三物語~」第2回 あらすじ案①現代編1~ふてくされた気持ちの中で
前回に企画構想を述べた、「世界遺産・シンガポール植物園を守った二戸人、田中舘秀三博士の物語」に関するシナリオ案の第1回です。映画化推進に賛同いただける方は、第10回の投稿で予定している構想案をぜひご覧下さい。
作成にあたっては、博士の業績を紹介したブログなど(先日、ブログで紹介されていた幾つかの書籍も入手しました。第9回の投稿で表示します)を参考にしていますが、映画(2時間程度のドラマ)として仕上げる必要や秀三博士と現地シンガポール人との関わりを重視するというコンセプトにしたこと、事実経過に関する私の理解力や文章構成力の問題などから、文献に基づく史実について若干の改変をさせていただいています。
あと、現代華人の人名に関する私の知識(引出し)が極めて薄弱のため、とってつけたように某銀河英雄小説の主要人物のお名前を拝借しています。さすがに世に出す際は同じ名前は無理でしょうから、その点はブログ限りということで、ご容赦下さい(本あらすじ案で作品化できるのなら、コーナー博士の著作に登場するタウケイの名をもとに創作するのがよいかもしれません)。
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物語は2006年の東京からはじまる。主人公・下斗米(しもとまい)千代は、2年前から日本では大手の一角を占める企業法務中心の法律事務所に勤務する若い弁護士である。
千代は、盛岡で小さな町弁事務所を営む父には、「自分は父の事務所は継がない。気鋭の渉外弁護士として名を上げた後、政界に打って出て首相に上り詰めてやる」と豪語しているが、実際のところは事務所のハードな仕事や競争に疲れ果て、先日は、修習生時代からの交際男性(検事)にまで「自分の職場で知り合った若い事務官と恋仲になり結婚することにした」と一方的にフラれてしまうという、公私とも残念な日々を過ごしていた。
ある日、千代は事務所の上司である英国人弁護士トーマスから、シンガポールの顧客企業の法務部門への半年間の出向を命じられる。当時はまだ日本の渉外事務所のアジア進出は盛んではなく、同期の仲間は英米の有名大学への留学や著名法律事務所に出向していた。シンガポールの顧客企業の出向などというのは事務所内でも前例がなく、出世コースから外れると感じざるを得なかった。
辞めて都内の町弁事務所に転職しようかなどと思いながらも、「その前にリゾート生活を楽しんでやる」などと軽い気持ちでシンガポールに赴任した千代を待っていたのは、出向先企業の上司で同国弁護士でもある、ヤン・ウェンリー(楊文里)による冷淡で過酷な業務命令だった。
来星から2週間ほど経過し、同国での生活にも多少は馴染んできた千代が、セントーサ島のビーチで遊んできた話を同僚と話していたところ、ヤンが不快感を露わにして席を立つ一幕があった。同僚は、ヤンの祖父が戦時中に抗日活動をして日本軍から拷問を受けたこと、親族を含む多くの華人が日本軍に虐殺され、セントーサ島のビーチに遺棄されたことなどから、今も日本に不信感を抱いており、セントーサを単なるリゾートにしか思っていない今どきの日本人に怒りを感じていることなどを教えてくれた。
もともと仕方なくシンガポールに来ただけの千代は、そうした過去の戦争の暗い歴史を何一つ学んでいなかったのだ。
それからほどなくして、出向先企業に激震が走る。中国系の大手企業による、敵対的買収工作が発覚したのだ。しかも、その買収を支援している中国の法律事務所には、千代の事務所のライバル事務所であり強欲な仕事ぶりで評判の悪い、日本の別の大手事務所が協力していることも伝わってきた。
買収防止策に懸命に取り組むヤンや同僚たち。しかし、誰よりもその中に入って成果を出したい千代に、ヤンは決して関与を命じようとしない。
レポートを提出しても相手にされず、蚊帳の外に追いやられて他の雑務に追われる千代は、せめてもの慰めに、父の実家である二戸市の名勝・馬仙峡(男神岩・女神岩)が白雪を纏って青空に映える姿を写した、小さな写真立てを執務席の上に置いた。これは、千代が子供の頃に何度か二戸を訪ねていた際に撮影したお気に入りの写真だった。
すると、その写真を見て動揺する男がいた。他ならぬヤンである。ヤンが千代に、その写真はどこか、どうしてそれを持っているのかと聞き、千代が答えると、ヤンなりに思うところがあったようだ。それまで食事などでも千代に全く関わろうとしなかったヤンは、その日の晩、話がしたいと言い、突然、千代を行きつけのホーカーズ(大衆食堂)に誘った。
そのときヤンが見せたのは、千代の写真と同じ「白雪を纏って青空に映える冬の馬仙峡」や昔の日本を描いたと思われる古ぼけた幾つかの水彩画、そして、日本人、アジア人、西洋人と思われる3人の男が談笑する姿を描いた鉛筆画のスケッチだった。
ヤンは、鉛筆画に描かれているアジア人が自分の祖父、ヤン・タイロン(楊泰隆)であり、日本人はヒデゾウ(秀三)という名の日本の学者で、もう一人の西洋人は、E・J・H・コーナーという英国人学者を指しているのだと告げた。
そして、秀三は祖父の大切な恩人であること、自分がこの水彩画と鉛筆画を持っている理由も伝えたいと述べ、ヤンが祖父や父から聞いたという出来事を訥々と語り始めた・・・
(以下、次号)