壮大感動巨編「シンガポールの魂を救った日本人~田中舘秀三物語~」第4回 あらすじ案③大戦編2~奇跡の楽園と殺意
映画化を目指す連載企画「世界遺産・シンガポール植物園を守った二戸人、田中舘秀三博士の物語」のシナリオ案の第3回です。
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秀三の前に現れた男は、リー・クアンユー(李光耀)と名乗り、日本軍政の協力者として報道や翻訳などの業務に従事していること、自分の友人が過去に植物園で働いており、一旦は仕事を離れていたが、以前の仕事に戻りたいと考えているので雇って欲しいこと、但し、待遇は問わない代わりに、今は怪我をしているので、しばらくは園内の人目に付かない場所で寝泊まりさせて欲しいこと、回復後も目立たない場所で仕事をさせて欲しいことなどを申し出てきた。
秀三は、リーの真意を察し、あえて質問をせず、次のように話した。
自分は愛国者であり、誰よりも天皇陛下を崇敬する者である。しかし、軍の馬鹿どもは、偉大な生物学者であり心から学問と平和を愛する陛下のご心中を理解することなく、愚かな戦争を起こしてアジアの人々と文化・学術資産に多大な迷惑を掛けている。
自分は、シンガポール陥落に伴う戦災の混乱から人類共通の宝である文化財や学術資産を守らなければならぬとの思いで、単身この地にやってきたのだ。だから、この目的を達成するためには、軍の意向に反することを行うことも厭わないし、危ない橋を渡る覚悟も持っている、と。
また、秀三は、今、軍の馬鹿どもによる華人への殺戮の嵐が吹き荒れていることは自分も知っている、間違ったことであることはよく分かっているが、自分にはそれを止める力がなく悔しく思っている、だからせめて、植物園や博物館などを守ることを通じて、できることをしたい、とも告げた。
リーも、秀三の言葉もさることながら、様子から通じるものがあったのだろう。自分は表向きは日本の協力者として従事しつつ、実際は市内の抗日華人を支援する活動に従事していることを明かした。
そして、今、助けを求めている男の名はヤン・タイロン(楊泰隆)といい、もとは植物園のスタッフだったが、降伏前から抗日運動に身を投じて活動し、先日、軍に捕まって拷問を受けていたものの、逃げ出してリーに保護され、匿われているのだという。
秀三はヤンの身柄保護を約束し、日中は身を隠しながら植物園のジャングルなどの管理を担当させて、夜は私設秘書のように自分の話し相手として重宝するようになった。
これは、ヤンに会ってみると、ことのほか植物学や園内・島内の植物への知識が豊富で、シンガポール社会への理解も深く、火山や地質の専門家で植物にはさほど明るくない秀三にとって、英国人学者らに匹敵するほど学ぶところが大きい面があったからだった。
そして、コーナーらにも抗日運動関与の点を伏せつつ、ヤンの植物学への知見を研究に生かして欲しいと説明し、3人の間には民族を超えた友情が芽生えるようになった。秀三の運営も軌道に乗り、秀三が管理する植物園や博物館は圧政下の市内におけるユートピアのような様相を呈しつつあった。
秀三が一時帰国して戻った際に、「コーナー君の著作(東南アジアの植物を紹介したもの。当時の一級資料)を天皇陛下に献上して感謝の言葉を賜った」と説明する出来事もあり、秀三の方針のもと、秀三たち日本人、英国人ら研究者、ヤンら現地スタッフが、ほとんど対等な立場で良好な関係を形成していた。
やがて、リーからは、ヤンに限らず、時折、日本軍の追求(拘束手配)から逃走中の抗日華僑を一時的に匿って欲しいなどの要請が秀三のもとに寄せられるようになり、園内では秀三の了解のもとヤンがその対応をするようになっていた。
その頃、華人への虐殺行為に止まらず様々な抑圧政策を指揮していた辻参謀は、植物園などに不穏な様子があるのではないかと感じていた。端的には、秀三が抗日分子と通じているのではと疑っていたのだ。もちろん、そのような行動は、辻にとって国家への反逆行為に他ならず、絶対に許すべきものではない。
しかし、秀三が、曲がりなりにも山下司令官から辞令を受けた日本人高級官吏という手前、証拠なしに粛清することはできない。一度は、口実を作って園内に踏み込むも、様子を察したヤンの気転と、それに連動して秀三が大東亜のあり方を巡って辻と議論を繰り広げた「時間稼ぎ」で危機を乗り切るということもあった。
やむなく、秀三の素性や来島した経緯などを調査し、派遣元から打ち切らせる方向で画策するようになった辻。すると、焦る辻の様子を察した部下が、独断で秀三の暗殺を目論み、トライショー(人力車)で移動中の秀三を狙撃した。
(以下、次号)