安倍もと首相のご冥福を祈りつつ、原敬首相殺害事件や戦前社会との比較を考える
安倍もと首相の突然の悲報に対し、心より哀悼申し上げると共に、事件の全容解明と適切な法執行・責任追及を願っています。
私がこの報道を聞いた直後に感じたのは、戦前で言えば、原敬首相の襲撃(殺害)事件に似ているのではないか、という点でした。
原敬ファン(特にアンチ安倍氏)の方からはお叱りを受けそうな気もしますし、安倍政権の功罪については様々な見解があろうかと思いますが、安倍首相が現代日本で最も存在感のある政治家であること自体は衆目の一致するところでしょうから、存在感=被害者ご本人のインパクトの大きさという点では、戦前に殺害された少なからぬ首相・政治家の中では、原敬首相に準えることは、あながち間違っていないと思います。
今回の犯人の動機や背景の解明は捜査の進展を待つほかないのでしょうが、原敬殺害事件は、背後関係に様々な憶測があるものの、事実としての解明ができず、公式には、一介の駅員の暴発的犯行と認定されています。
今回も、仮に、背後関係が存在しない(解明できない)展開になった場合は、組織犯罪である五・一五事件や二・二六事件などよりも、原敬殺害事件に似ていると形容する余地は十分あろうかと思います。
戦後の事件との比較でも、今回の凶行が純個人的なものなのであれば(背後関係が存在しない・解明できない展開になったときは)、テロという形容よりも、秋葉原事件などのような「不遇感を抱えた個人による通り魔的な暴発」の系譜に位置づけられるように思われます。
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ところで、安倍首相(主に政権奪回後の第2次安倍政権)については「偉大な功績を残した」という発言が政府与党・経済界などから溢れていますが、アベノミクス(による経済成長・株高等)で財をなした首都圏や大企業などの方々はともかく、そうした恩恵に浴することのなかった田舎の庶民には、必ずしもピンとこない面はあります(故人を殊更に非難したいわけではありませんので、その点はご容赦下さい)。
言い換えれば、安倍政権下(民主党政権壊滅後)の約10年間に庶民の世界で主として生じたことは、富裕層と貧困層の二極化、勝ち組・負け組、上級国民・下級国民、或いはリア充・非リアなどという言葉に象徴される、国民の経済・生活の格差や意識の分断の進行ではなかったかと感じます(発端自体は、小泉政権期ないしそれ以前に求められるのかもしれませんし、民主党政権が解決に貢献したとも特段感じていませんが)。
今回の犯人も、まだ解明されていない点が多々あるにせよ、「リア充」からは遠くかけ離れた生活を送っていた御仁であることは間違いないように思われ、その点で、原敬首相の殺害犯人と似ている面はあります。
報道によれば、犯人は「自分は特定の宗教団体(現時点では実名が徹底的に伏されていますが、従前の報道からは、アレだろうと推測している方は多いだろうと思います)に個人的な恨みがあり、安倍首相が団体と繋がりが深いと思って犯行に及んだ」と述べている、とのことですが、それ自体が安倍首相に凶行に及ぶ理由になるのか?という違和感も含め、犯人の主観・意識とは別のところで、事件を生じさせた「見えざる力」があるのではという印象を受けてしまいます。
(この点は、直近の報道で、家族が宗教団体に搾取され家庭崩壊したことへの復讐として、団体と繋がりが深いとされる安倍首相を狙ったと犯人が供述していると述べられており、なるほどと思う面もありますが、その動機だけでこのような犯行を容易に実現できるとは思えず、その点でも見えざる力のようなものを感じざるを得ません。そうしたことも含め、政治家という職業ないし地位の恐ろしさ、難しさということに尽きるのかもしれませんが)。
安倍首相も、政権の主な功績が「政治や経済の長期安定」と評され、ご自身も岸信介首相の国家社会主義(政府が経済を統制して国民全体の福利を実現し、その求心力を足がかりにして国家目的の実現のため国民を動員する思想)に親和性を持っていたのではと感じられること、「働き方改革」など労働者保護・弱者保護の政策も行われていたことなどから、恐らくご本人の主観では「富裕層の優遇」は本意でなく、国民各層の福利を目指していたこと自体は間違いないのだろうとは思います。
(余談ながら、原敬首相も政友会の政策としての富裕層優遇との批判を強く受けましたが、ご本人は「国民各層の結集を通じた藩閥政治=明治レジームからの脱却」を目指していたのでしょうから、在任中にそれを果たすことができなかった点を含め、両者は似ている面はあります)
しかし、社会経済の実情ないし国民側の意識として、中流層の没落(分断)に伴い「負け組感」を強めている人々が増えたことは否めず、「そのような社会を生じさせたのに、今も強い影響力・存在感を放っている」ものを象徴する存在としての安倍首相に、結果として怨嗟の矛先が向かわれやすい状況にあったのかもしれない(そのような意味で、見えざる力が働いたのかもしれない)と感じる面はあります。
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ともあれ、私は安倍首相の悲報は原敬殺害事件に似ていると感じた直後から、今後、何が起こるのか、それは、原敬首相の死後に戦前社会に生じた出来事と類似することがあるのだろうか?という点に関心を持つようになり、昨晩は、wikiなどで、大正後期や昭和初期のことについて若干調べていました。
ご承知のとおり、その時代に日本で起きた最大の事件は昭和恐慌(世界恐慌)であり、それが、満州事変に始まる転落(暗い時代)の最大の原因と言われています。昭和恐慌の最大の被害地が東北などの農村とされていることも、忘れてはいけません。
また、この時期に政府が取り組んだことの一つに軍縮強化があり、当時の状況からは、それ自体は間違っていないと思いますが、結果として軍人の社会的没落をはじめ軍関係者の強い恨みを買ったと言われています。
そして、それが、昭和恐慌により没落した各層の恨み(社会変革=没落からの回復の期待など)と相俟って、回復期待(幻想?)を国民に抱かせることに成功した軍部への支持(戦争の時代)に繋がったというのが一般的な理解かと思います。
もちろん、今は「軍部」はありませんし、現在の自衛隊を当時の旧軍と同一視するのは適切でなければ現実的とも言えないと思います。
他方、軍縮ならぬ「国費からの支出の大幅な抑制が長年期待されている項目(これを放置すれば国家財政が破綻すると言われている事項)」は、現代社会にも間違いなく存在しています。
言うまでもなく、年金・医療など社会保障関係の財政支出です。また、アベノミクスは「国土強靱化」の名目のもと公共事業の復活という面も多分に持っていたかと思いますが、これを続けることができるのか?という局面も、これから生じてきそうな気がします。また、現在の日銀が抱えている状況も、金融に関する何らかの危機の導火線になるのかもしれません(金融は完全素人なので偉そうなことは言えませんが)。
ですので、仮に「昭和恐慌のような経済危機」と「社会保障費や各種の公共事業などの圧縮(現代の軍縮)」という二つの事象が今後、同時に生じることがあれば(政府が取り組まざるを得なくなれば)、不平勢力による大きな社会の混乱・動乱に繋がるかもしれない、という危惧は、持っておいてよいのではと感じています。
ともあれ、生者には自身の現場でできることがあること、形だけの追悼言葉をメディアやFBなどで延々と並べ立てるよりも国民各自がその危機に立ち向かうことこそが、安倍首相が望んでいることは、間違いないはずです。
長文になりましたが、故人のご冥福をお祈りしつつ、今後もできる限りのことはしていきたいと思います。
かの「アベノマスク」は今も手元にありますが、今後も、出番がくるまで大切にとっておこうと思います。