広瀬議員事件を巡る「脱・人質司法?のいま」と政治部門=国民の役割と責任

広瀬もと議員の事件について、FB友達のAさんから「どうして逮捕されないのか、民間人が数百万円の横領などをすれば逮捕されるのではないか(政治家だから特別扱いされているのか)と知人が不満を述べている。見解を聞きたい」などと質問のメールをいただきました。

私も(前回書いたとおり)当初は逮捕になるのかなと思っていたクチですが、昨日の報道によれば被害弁償は済んでいるとのことですので、そうであればなおのこと、現在の取扱では逮捕せずに在宅で起訴するのが当然かと思います。

まして、報道されているとおり、(検察が客観証拠等をガッチリ押さえて本人も全面自白しているので)罪証隠滅のおそれがないのであれば、(言わずもがなでしょうが)逃亡のおそれもない本件は、弁護士の立場からすれば、逮捕すべきでない事案と言えるでしょう。

そのことと裁判での判決(刑罰)は別問題ですが、被害弁償済み+議員辞職+他の制裁(弁護士資格の喪失を含む)という事情からは、現在の裁判所の傾向からは、執行猶予の可能性が高いとは思います(悪質性を基礎付ける事情がもっと判明すれば実刑の可能性もありうると思われ、最後まで断言はすべきでないでしょうが)。

ただ、今回のように検察庁が逮捕を避けるという取扱は、ここ5年(~10年弱)ほどになって生じてきた傾向で、それ以前=山本譲司氏や辻本議員の時代には、問答無用で最初から逮捕していたはずです。

事案の経過を把握しているわけではありませんが、それらの事案では、逮捕と家宅捜索を同時に行っていたのではと思います(逮捕事案は、普通はそうします)。

現在、捜索差押が先行される例が多いと感じますが、逮捕しなくとも検察の目的は達成できる(人質司法への世界からの批判も避けたい)との判断がなされているのでしょうし、裁判所も客観証拠が相応にあれば有罪認定はする(ので無理に逮捕等しなくともよい)というメッセージを発し続けていると考えられていますので(保釈が昔より遙かに認められやすくなったのも、その流れの一環でしょう)、そうしたことも「逮捕しない司法」の流れを後押ししているのでしょう。

言い換えれば、過去と現在の違いは、近年に脱・人質司法が推進された(上記条件が満たされれば、敢えて逮捕等しない)という時代の変化というほかありません(私も、自身が業務で関わった範囲でも、今昔の取扱の違いを感じています)。

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ちなみに、今回と似た「民間の例」として、県内でも金融機関や各種団体等で時折、数百万円規模の横領事件が生じることがありますが(某弁護士会でもありました)、発覚後に全額弁済がされれば(懲戒免職等にもなります)、刑事告訴されず終了するのがほとんどです(告訴されても起訴猶予になりやすいでしょう)。

本件も、証拠が脆弱(関係者の供述に頼らないと有罪認定できない)とか、いわゆる裏金事件の池田佳隆議員で報道されたような「罪証隠滅に関する悪質な事情」があれば逮捕の可能性があったのでしょうが、広瀬氏の場合、有権者向けへの説明はともかく、検察向けには早い段階で全面自白し捜査に協力していたのでしょうから、現在の司法ではこのような取扱になるのだと思います。

反面、国民感情という観点からは、「逮捕など目に見える分かりやすい形で刑罰がされないと不満だ」という声が出やすいことは確かだと思います。

誤解を恐れずに言えば、辻本議員は、逮捕云々の形で「酷い目」に遭ったからこそ、禊ぎ云々がなされたとの印象を国民に与え、政治家としてのカムバックに繋げたと言えるのかもしれません。

結局、そうした「禊ぎ(或いはみせしめ)がないこと」により庶民が溜め込んだであろう不満のエネルギーは、自民党(岩手県連)が、選挙での国民・県民の投票行動という形で引き受けざるを得なくなるのだと思います。

言い換えれば、検察庁は、「そうした政治的不満のはけ口(溜飲)は、政治=選挙の世界でやってね=国民の皆さんは自分達で頑張ってね。検察は、刑事責任をとらせることだけに注力しますからね(政治に巻き込まないでね=検察に甘えないでね)」というスタンスを示しているのだろうと言えるでしょう。

そうであればこそ、自民党岩手県連は、第三者検証という形で、自分達の恥を敢えて晒す(世間の批判を引き受ける)作業をした方が、今後のご自身のために良いのでは?というのが、昨日の私の投稿の趣旨となります。

・・・といったご返事をお送りしたところ、御礼のご返事をいただいたので、折角だからとこちらにも投稿することとしました。

また、言うまでもないことですが、「検察庁に勧善懲悪を依存するのではなく、政治過程で決着を付けるべき責任」は、自民党をはじめ選挙に出る方々だけでなく、投票行動をはじめ様々な形で政治過程に関わるべき国民全体が負っていることだと思います。

残念な候補者を当選させないことはもちろん、当選後の健全・良好な「仕事への監視・監督」を含め、本件のような出来事を繰り返さないため、岩手の有権者としてできること・すべきことは多々あろうかと思います。

私も、このような文章を書くだけで無く、自分の立場で何ができるか・すべきか、今後も考えていきたいと思います。