庄内から神仏習合と古層の精神を考える(象潟・庄内編3)
今回と次回は、酒田・鶴岡を巡りながら感じたことを幾つか述べていきます。
鶴岡市中心部にある致道博物館の「文化財収納庫」には、庄内藩民が背負子の背中当てとして愛用した「ばんどり」と呼ばれる民芸品が多数、展示されていました。
インカ(ペルー・アンデス)やアイヌの民族衣装を彷彿とさせるように感じました。
山形は、日本海を通じて古代から大和政権=ヤマト文化との同化が進んだせいか、蝦夷・アイヌの文化の痕跡をほとんど聞いたことがありませんが、縄文(古モンゴロイド)の血の記憶は、この地にも流れているのかもしれません。
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最後に訪れた羽黒山の五重塔は、国宝9塔のうち「神社」と冠する施設内にある唯一の五重塔であり、我が国の神仏習合を象徴する施設の一つと言えるかもしれません。
江戸初期の羽黒山は天海上人の弟子が管理する寺院であり、その御仁の強力な指導のもと、比叡山のように藩領から独立した勢力として地域に君臨したのだそうです(ご本人は政争の末に失脚)。
修験道や古神道は「万物に神宿る」のアニミズムの系譜に属しますが、神仏習合もアニミズム(自然崇拝、多神教、多様性、多元主義)と親和性があり、日本では縄文文化がその根源にあると考えます。
山形がその聖地となっているのは、霊峰・名山に恵まれただけでなく、この地が縄文文化圏であることを示すものと言えるかもしれません。
アニミズムと対をなすのが一神教や原理主義であり、これらは科学的合理性を重視し自然よりも人類を優先する人間中心主義の傾向があり、弥生文化もその系譜に属すると理解しています。
以前、伊勢神宮に伺った際に、双方の違いなどを考えましたが、古神道の殿堂としての出羽三山は、弥生文化の象徴たる伊勢神宮と対置する存在として、双方の異同を比較するのも意義があるのかもしれません。
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羽黒山神社(三神合祭殿=本殿)では、巨大な建物の壮麗さも見事でしたが、それ以上に、本殿の目の前に池が配置されている光景に驚きました。
このような光景は初めて見ましたが、平等院鳳凰堂とその手前にある浄土庭園に、何か通じるものがあるようにも感じます。
意図的に作庭したのではなく、もともと池があったそうですが、これも神仏習合のなせる業なのでしょうか。
神社なのに、大きな鐘と立派な鐘楼もありました。私は神社仏閣には詳しくありませんが、鐘楼を備えた神社も現代ではほとんど聞いたことがないのではないでしょうか。
近くには、小規模な社殿が並び立つエリアもあり、上杉家廟所や男鹿半島の五社堂を彷彿とさせるものがありました。これらには、共通のバックグラウンドがあるのでしょうか?