庄内でも懲りることなくエセ歌人(象潟・庄内編2)
象潟・庄内方面への旅行の続き(2日目・3日目)です。
にかほ市内の宿泊先を出発し、どしゃ降りの中、地元出身の英雄を顕彰した白瀬南極探検隊記念館を拝見し、その後、道の駅象潟を経由して、主要目的地の一つである酒田に向かいました。
白瀬中尉が南極点踏破を断念した後、数十年を経て初めて南極点に到達した日本人(村山雅美隊長)は、田中舘愛橘博士の孫弟子なのだそうで、先日の岩手日報では、二戸の田中舘愛橘記念科学館が、南極観測隊を顕彰する企画を行っている旨の記事が掲載されていました。
白瀬記念館と愛橘記念館も、南極繋がりで様々な交流や企画を行い、自然への挑戦と畏敬の精神の涵養に努めていただければと思いました。
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酒田への途中、県境の名所「十六羅漢岩」に立ち寄りましたが、日本海の荒波に気を取られたせいか?勘違い(岩を仏像に見立てているのかと思っていました)で羅漢像を見ることなく海岸風景だけを堪能して立ち去りました。
荒磯に十六羅漢を見忘れる
名勝・二見岩付近も通過したのですが、道路から確認できることを知らず、見過ごしてばかりでトホホの連続です。
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酒田市に到着後は、最初に本間美術館を訪問しました。
栄華を極めた本間一族の美術館に相応しく、江戸期を代表する名匠達の作品(いずれも国宝級?)が一人一点ずつ厳選され展示されていたほか、2階では江戸期に活躍した女性画家の作品も展示されていました。
庭園(鶴舞園)と邸宅(清遠閣)も、大変美しく、満足して拝見しました。
私が東京で大変お世話になった兄弁は独立直後に本間ゴルフの民事再生に関与し、当時は頻繁に酒田にも出張していたそうです。
当時、江戸時代に流行したと言われる「本間様には~」の名文句を4回くらい?聞かされた記憶があり、その都度「先生、その言葉、昔から知ってます・・」と言いたいのを我慢して聞いていました。
というわけで、その先生に敬意を表して一句ならぬ一節?
本間様には及びもないが いつかなりたしプチブル弁
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その後、本間旧邸→山居倉庫→日和山公園を経て土門拳記念館に赴き、最後に2日目の宿泊地(湯野浜温泉)に向かいました。
土門拳記念館では、絵画と見まがうような印象的な構図で撮影された写真群に感銘を受けましたが、さっさと宿に行きゲームをやりたいなどと宣う同行者には、巨大な丸いものでもぶつけてやりたいと思わずにはいられませんでした。
魂と感性の刺激には、土門拳を
ゲーム中毒の輩には、怒モンケーンを
暑さで弛んだ身にも、怒モンケーンを
モンケーンが何のことか分からない方は、鋼鉄参謀や浅間山荘事件をお調べ下さい。
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翌日(3日目)は、最初に、加茂水族館を訪問しました。
同館をもって、ついに東北の主要水族館を踏破できましたので、記念の一句。
カモられる暗げな家族 列をなし
館内は決して大きくありませんが、日本随一とも言われるクラゲの展示が圧倒的な存在感を有しており、詳細な解説コーナーなども含め、オガールの遙か以前から、ここはピンホールマーケティングの聖地なのかもしれません。
個人的には、小粒のクラゲの大群が隊列をとっているように見えた展示が、
巨大な敵を~(撃てよ~撃てよ~撃てよ~)
というガンダムのオープニングテーマの画面(シャアザクが大量のザク群を率いている画面)によく似ていると感じて、印象に残りました。
また、目玉焼きに酷似したクラゲの展示もありましたが、私の実家にあった、「肩凝りなどを治すための吸引カップ(を身体に設置して装置を作動させたときの光景)」に似ているように感じました。
しびれるぜ 凝りに吸い付く目玉焼
あと、オマケに前夜の湯野浜温泉にて一句。
カニ喰えば疲れ花火を見忘れる
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その後は、鶴岡市内に移動し、致道博物館や藩校致道館、荘内神社(鶴岡城址)などを拝見した後、最後に、羽黒山五重塔と羽黒山神社(出羽三山神社)を拝見し、帰途につきました。
盛り沢山の旅行でしたが、時間の都合で断念した箇所も多く、再訪の機会を楽しみに待ちたいと思います。
鶴岡などを歩いて感じたことは、次回の投稿で述べることとします。