弁護士会費の近未来と「大きな政府、小さな政府」

いわゆる司法改革に伴う弁護士の大増員政策については、肯否様々な評価があるところですが、若い弁護士が大量に増える一方で、全員が以前と同様の収入を得ることができるだけの仕事が確保されているわけではないということで、弁護士一人一人の仕事の質量も平均年収(所得)も下がっていることは、間違いないのではないかと思います。

ちなみに、「増員」について詳しくない方のため基礎的な情報を挙げておくと、平成2年頃までの司法試験の年間合格者(定員)は500名で、私が合格した平成9年は約750名、平成16年頃から1500名、平成20年頃から2000名前後となっています。

そして、裁判官・検察官の増員はほとんどなされていませんので、合格者が増えた分は、ほぼそのまま弁護士の増員につながっています。

弁護士の全体数も、平成12年に1万7000人だったものが、現在は約3万人ということで、上記の合格者数の急増から、老壮青の比率も相当にバランスが悪い(大雑把に言えば、45歳くらいが分水嶺で、それ以上の年齢層と40歳未満の年齢層で、大きな人数差がある)と言ってよいと思われます(少なくとも岩手に関しては、完全にそうした傾向があります。弁護士の性質上、年齢と経験年数が必ずしも噛み合わないという点にも留意すべきですが)。

ともあれ、弁護士数が急増した一方で、平成20年頃まで町弁業界では凄まじい需要があった債務整理問題は、一連の最高裁判決と立法改正等に伴い社会問題としては収束し、これに代わる特需等もないため、業界に一種の不況風が吹いており、弁護士の平均年収も大きく下がっていることは、確かだと思います(特需の一時期は、分相応を超えた年収になった人もそれなりにいたはずですので、その点は割り引いて考えるべきだとは思いますが)。

そして、日弁連をはじめ、業界内には、合格者数=新規弁護士数の抑制を求める声が力を増しており、こうした弁護士業界の魅力(収入的な)の低下や法科大学院政策の失敗ないし不人気(濫造と学費負担)などもあって、実質的な司法試験受験者数(或いは質)も減少・低下していくのではと思われますが、弁護士人口自体が急激な減少となることはないだろうと思われます。

そこで、「飢えた弁護士」達の標的の最有力候補とも目されているのが、月額で6万円以上が通例とされている(岩手も同様)、弁護士会費の減額問題です。

ただ、この件も、ブログの類では盛んに語られるものの、具体的に会費減額を旗印に会内の選挙云々(投票行動等)に取り組むという話(それこそ米国の茶会党のような話)は、不思議なほど聞いたことがありません。

そもそも、ブログ等で積極的に発言している方は、往々にしてアグレッシブ=弁護士として稼ぐ力を持っている方が多いので、問題を取り上げているご本人が、減額運動に精を出さなければならないほど窮迫していない(或いは暇でもない)ということなのかもしれません。

と同時に、「稼げない弁護士が弁護士会費の減額を求める」という図式が単純に成り立つのか、考えてみる必要があるように思います。

すなわち、弁護士にとって「稼ぐ力」とは、真っ当な力量を発揮すれば勝訴等の成果をあげて相応の成果・成功報酬をいただけるような、良質な仕事を継続的に獲得できる力を指すはずで、個人差はあるものの、専ら地上戦(人脈ネットワーク)で獲得する方もいれば、ネットなど(空中戦)を活用して顧客拡大を図る方もいるでしょう。

他方、こうした顧客獲得能力は、誰もが有するものではなく、人脈もないしHPなど独自宣伝する力もない、という弁護士にとっては、弁護士会の相談事業などに受注獲得のルートを依存せざるを得ず、そうした弁護士にとっては、事業体としての弁護士会自体が様々な事業を行って地域内で強大な顧客吸引能力を有する方が都合がいい、ということになると思われます。

そして、比較的所得が低い(その点で、会費減額にインセンティブがある)弁護士の層が、独力で顧客開拓を図る意欲等のある側か、逆=弁護士会等に依存したい側か、どちらが多いかと考えると、案外、後者の方が多いのかもしれないと思いますし、そうした弁護士にとっては、弁護士会が相応に会費を徴収し盛んに法律相談事業などを行って相談担当=受注獲得の機会を与えてくれた方がよい(その利益を失ってまで、会費減額=弁護士会の役割縮小を求めない)ということになると思います。

要するに、弁護士会の会費は、単に「増員したから会費を減らして欲しい」というほど単純な比例関係には立たず、むしろ、競争社会が本格的に生じているからこそ、「弱者たる弁護士を庇護=業務を供給する大きな弁護士会」を求める声も相応に出てくるであろうということで、事業体としての弁護士会の路線対立(大きな政府か小さな政府か)という問題と関わってくる事柄ではないかと思います。

そういう意味で、会費減額を主張される方の多くは、弁護士会に依存しなくとも弁護士としての生存ないし成功を収める力を持つ、弁護士会の役割縮小(小さな政府)を指向する方々ではないかという印象を受けるところがあります。

また、このような意味で弱者的立場にある若手の多くは、若いうちは自らは会費を負担せず勤務先が庇護する(或いは、会費自体は自己負担だったとしても、それに代替する形で所属先事務所等から何らかの経済的便宜を受ける)ことが多いでしょうから、なおのこと、「小さな政府よりも大きな政府」を指向しやすいのではないかと感じるところはあります。

ただ、仮に、そのような見立てが正しい=結果として弁護士会の会費が維持されたままという流れになるのであれば、なおのこと、相談事業などについては、その質(弁護士側にとっては顧客吸収力、利用者にとっては担当弁護士の力量等)が問われることになるでしょうが、この点は、少なくとも田舎弁護士たる私の認識としては、まだまだ発展途上という印象が否めません。

例えば、このブログでも何度か触れたことがありますが、震災後、岩手では、被災地出張相談や弁護士会の電話相談などが多数行われているところ、その全部がという訳でないものの、ほとんど相談者がない状態が続いているのに延々と続けられているというものも幾つか見られます。

担当弁護士の日当も低く抑えられているので、予算の垂れ流しというほどでもないと思いますが、それでも、会計検査院のようなところが監査をすれば、クレームが出るのではと思う事業もありますし、金銭面以上に、「往復4、5時間をかけて内陸から沿岸に相談に行ったのに、ゼロ~1件程度の相談件数のみだった」という話が延々続くと、震災の数年前位までは、8~10件の相談を矢継ぎ早にこなす(そのことで弁護士としての力を付けていく)のが当たり前という光景を知っている身としては、担当する若い弁護士さん達の心を何らかの形で蝕むのではないかと不安に感じるところがあります。

余談ながら、私も現在は月1回、法テラス気仙に行っていますが、こちらは法テラスの宣伝力(税金ですよね)の賜物か、平均3~4件の相談(来客)があり、もう少し開催頻度(担当者数)を減らしてもよいのではと思わないでもありませんが、まぁ許容範囲だとは思っています(受任件数はごく僅かですので、私にとっては大赤字事業ですが、これはやむを得ないというべきなのでしょう)。

ともあれ、そうした観点からも、今後も高額な会費を維持し続けるのであれば、岩手会のような規模では無理かもしれませんが、相応の規模の弁護士会などでは、相談事業などをマネジメントする専門家を採用又は業務委託するなどして、弁護士会の事業のレベルアップを図っていただきたいと思います。

以上に対し、東京などでは、弁護士会に依存せずCM等で顧客を大量に獲得し、若い弁護士を大量に採用し仕事を供給し、地方にまで触手を拡げている事務所も生じており、中には、内実も伴わずに専門性を標榜しているのではなどと批判されているところもあります。

仮に、そうした事務所が力をつけ、弁護士会に依存せずとも適正に仕事を供給するルートとして若い弁護士に認知・支持されるような事態にでもなれば、「小さな弁護士会」を指向する大きな力が働くということもあるかもしれません。

ただ、そのような展開になる前に、そうした事務所自体が今後も維持できるのかという話もありうるのかもしれませんが。

また、社会人・他業経験者など、相応の経験・年齢を積んだ後に弁護士となった方なども、ご自身が積み上げたルートによる顧客獲得の力をお持ちでしょうから、そうした方が今後どれだけ増えるのかという点にも注目してよいのかもしれません。

さらに言えば、企業・団体に就職する方など、自営業ではない(法律相談事業の参加など受注獲得等を弁護士会に依存する必要が微塵もない)弁護士が増えてくれば、会費の減額圧力が強まることは確かではないかと思います。

ただ、このような「新たな弁護士像」路線に進む方々にとっては、社会内での弁護士会のプレゼンスの拡大が望ましいという面もあるはずで、自身の会費負担の減額のみ求める=会費の細分化=相談事業や裁判所受託業務の配点(さらには委員会等の参加資格)などの別料金制を主張することになるのではと思いますが。

ともあれ、どのような形になるかはともかく、ここ10~20年のうちに弁護士会という組織が何らかの大きな変容ないし揺さぶりを経験することになることだけは、間違いないだろうと思います。

その際、「大きな政府(弁護士会)か小さな政府か」と、「分権(各地弁護士会の割拠独立の維持)か集権(日弁連や大規模会等への実質的な権限集中)か」というのが、基本的な視点の一つになるでしょうから(他にも、「弁護士会が人権云々を標榜して行う、政治的・党派的色彩を伴う活動を多額の資金(会費)を投じて行うことの当否」という論点があることは申すまでもありませんが)、そうしたことも踏まえて、物事の成り行きを静かに見守っていきたいと思っています。