忘れられる不祥事と風刺の文化
6月は首が回らない日々が続き、更新が遅れてすいません。
舛添知事の辞任表明とEU報道で、税金等を使った権力者の贅沢を巡る話が萎んでしまった感がありますが、国民は選挙のときだけ主権者と昔から言われているだけに、せっかくの参院選の機会なればこそ、こうした話題をきっかけに、政治資金などを巡る制度・運用の改善を求める良質な議論がなされて欲しいと感じます。
以前、FBで選挙絡みの投稿をした際、アンチ達増知事の方からコメントをいただいたのですが、私のように支援者でも積極的なアンチでもない「どっちつかずの正義」の信奉者からすれば、折角そうした表明をなさるのでしたら、立場ありきの言説に止めず、多少とも一ひねりあるお話をいただければと残念に思ったりしたものです。昔なら、
雲上で 知事はタラフク食ってるぞ 貧乏県の希望王国
などと狂歌の一つも詠まれたのかもしれないと思うと、今の「自由」な言論空間の方が、むしろ退化の道を進んでいるのではと感じる面はあります。
もちろん、「知事は激務だし健康第一だから、長距離の飛行機移動はファーストクラスで良いじゃないか。ただでさえ、ファースト(一郎)が好きなんだし」とか「自民党(の支持者)の方が富裕層が多く、FBリア充投稿の山をはじめ、遙かに贅沢してるんじゃないか」、「いやいや、FBグルメ投稿の類なら野党サイドこそ労働貴族のような人達が沢山いるんじゃないか」などというご主張があれば、それはそれでそうかもしれないとも思います。
が、そうであれば、なおのこと、政治批判をしたい方は風刺の腕を磨いていただき、心に染みわたるような一言を投げかけていただければと願っています。
FBの政治家や著名人の方の投稿に、「ヨイショの嵐」と言わんばかりの追従コメントの山や、その逆の立場ありきの悪口投稿などを拝見して残念な気分になることがあり、言論空間に磨きをかけたいという心意気がもっと盛んになっていただければ幸いです。
政治を巡っては、「悪口ではなく政策を」という言葉がしばしば語られますが、私自身は、悪口であれ政策であれ、よく学び、よく感じ、よく考えた上で、(時に果断に)語るべきなのだろうと思っています。
幕末を代表する「たった四杯で夜も眠れず」の狂歌を政策を語ったものだと述べる人はいないでしょうが、外圧に対応できない幕府の狼狽ぶりを当時の「日本国民」に知らしめ、幕府の権威失墜への共通認識=体制転覆の素地を作った言論という点では、盲目的に攘夷を口にするだけの「薄っぺらい自称志士の政策論」よりも遙かに国家と人民への影響を与えたと思います。
それと同じで、新聞に掲載される「各党の主張一覧」程度のことをオウム返しに繰り返すだけの「自称政策論」は、自身の立場を述べているだけ=安っぽい悪口と大差なく、本当に聞く(語る)べきは、聞き手の心に響く、突き刺さるような言葉を伴うものであるべきで、それが悪口(風刺)の形をとっていても、社会のあり方を前向きに考えるエネルギーとして生きてくるのではないかと思います。
そうした言葉を紡げる人間になれるよう研鑽につとめたいと思っていますが、私自身はご覧のとおり、恥ずかしながら未だ暗中模索の日々です。