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明治村と江戸東京たてもの園が伝える大日本帝国の光と影、そして水沢三偉人のメッセージ~愛知編②~

愛知旅行編の2日目ですが、この日は丸一日「博物館明治村」で過ごしました。明治村に来たのは初めてですが、かねてから帝国ホテル旧館などを拝見したいと考えていたので、もう一つのメイン目的地「サツキとメイの家」ともども、思い切って行くことにしたものです。明治村は丸一日歩いても足りないほど広大で学ぶものも多く、大いに満足させられました。
http://www.meijimura.com/

私自身、帝国ホテル旧館があることくらいしか事前知識がなかったので、パンフを片手に説明掲示を読みながら歩きましたが、石川啄木が東京時代に家族と共に住んだという「本郷喜之床」なる建物が移築されていたのには、少し驚きました。

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当事務所は「啄木新婚の家」の目と鼻の先にあるほか、私自身、大まかに言えば岩手県北(二戸)→函館→東京→盛岡という人生を辿っていますので、啄木とは人生航路が妙に近いものがあります(詩才には恵まれませんでしたが、カネにだらしない人間にもならずに済んだとは思います)。

啄木一家が住んだのはこの建物の二階だそうですが、残念ながら二階は立ち入ることができず、その代わり開け放たれた障子から啄木の等身大パネルが顔を出していました。村内には「啄木くん」が明治の文化?を開設する掲示もあり、盛岡や函館の各種施設での雄姿を含め、まるで生前の放蕩生活のツケを払っているかのように、死後も半永久的に働かされている印象を受けないこともありません。

そんな「働き者の啄木くん」の姿に感じながら一句。

愛知まで 歌を詠まんと 出でにけり
とこしえに 出稼ぎせんとや 生まれけむ

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ところで、私は今年の6月に、「江戸東京たてもの園」を拝見したのですが、明治村と「たてもの園」は、共に「主に明治(或いは江戸末期)から大正期の本物の建物群を現地に移設して保存している施設」でありながら、その雰囲気はまるで逆と言って良いほど、対照的ではと感じました。
http://tatemonoen.jp/

少し具体的に述べると、明治村は、華やかな帝国ホテルを筆頭に、文明開化の象徴である鉄道(運行されているものの一つは品川・横浜間で活躍していた車両なのだそうです)、郵便、学校や病院、軍事施設など、大日本帝国の威信を感じさせるものを中心に、キリスト教会などを含め明治文化の多様性や開放性を感じさせる様々な施設群があり、掲示されている説明文なども、大久保利通が推進した殖産興業に関するものを含め、明治の先人の「列強に追いつき、追い越せ」の努力を肯定的に描写しているものが中心になっているように思います。

これに対し「たてもの園」は、いわゆる15年戦争(アジア・太平洋戦争=大東亜戦争)や関東大震災を想起させる建物が多く、明治村に比べると、全体として何となく「暗い」雰囲気が随所に漂っているように感じます。

その象徴は、何と言っても高橋是清邸であり、「2・26事件」で高橋蔵相が殺害された現場である二階の寝室は、今もそうした霊気ないし冷気を感じさせるものとなっています(携帯で撮影した写真がサイズオーバーとのことで、ご参考までに他の方のブログを貼り付けます)。
http://teitowalk.blog.jp/archives/24604881.html

また、大財閥・三井家の邸宅も移築されていますが、建物の雰囲気は、戦前の華族・財閥の栄華だけでなく、戦後の彼らの没落を否応なく感じさせるものとなっており、明治村に比べると、「暗い」感じを強く受けます。

私自身はこの邸宅を歩きながら、幼少期にテレビで視た、横溝正史シリーズの「悪魔が来たりて笛を吹く」の微かな記憶(映像)を思わずにはいられないところがありました(同作品は、敗戦直後の子爵邸で生じた連続殺人事件と、その原因となった旧華族のドロドロの人間模様を描いたものです)。

だからこそ、私自身は、「明治村」と「たてもの園」は、戦前の光と影をそれぞれ伝えるために生まれた一連一体の施設ではないかという印象を抱かずにはいられませんでしたし、そうした「大日本帝国」期の日本の姿を体感できる2つの施設は、現代の日本人にとって、ワンセットで訪れるべきものではないかと強く感じました。

ただ、商売っ気がほとんど感じられない「たてもの園」は言うに及ばず、明治村も「テーマパーク」という見地からすれば、これに類するディズニーや日光江戸村(昨年のGWに初めて行きました)と比べると、入場者数はもちろんコンテンツの充実度なども、観光客の立場から見ると大いに見劣りすると言わざるを得ません(飛騨牛の牛鍋を当時のままの店舗内で大変美味しくいただきましたが、それだけに知名度やPRの不足を残念に感じます)。

明治村内にも、明治期の和装姿の男性などが申し訳程度?に歩いておられるのを拝見しましたが、ディズニーらでは「キャスト」と呼ばれる仮装者らが園内を余すところなく闊歩し来場者に異世界に来たとの高揚感を盛り上げていることと比べると、せっかく「本物」の建物群を擁しているのに、ソフト面でそれを徹底活用するような試みがあまり見られないのは、残念なことではと感じました。

例えば、江戸村のように様々な明治人を物語風に造形して闊歩させたり、ディズニーのパレードや江戸村の花魁道中に対抗して、鹿鳴館風の仮装パレードかバッキンガム宮殿風の壮麗な閲兵式なども考えてもよいのではと思うのですが、どうなのでしょうか(建物内でのパフォーマンスは、本物ゆえの制約があるのかもしれませんが)。

また、ぜんぜん「江戸」になっていない江戸東京たてもの園は言うに及ばず、「明治村」という名称も、集客(特に、海外向け)という点では、とてもセンスがないように感じてしまいます。

「明治」や「昭和」は所詮、国内でしか通用しない概念ですし、まして、明治どころか昭和すら遠くなりにけりの現代ですから、元号ではなく、この空間を象徴するキーワードである「大日本帝国」という言葉を全面に押し出してよいのではと思います。

例えば、明治村には「大日本帝国物語~栄光の明治編~」、たてもの園には「同~鎮魂の昭和編~」などという、サブタイトル(キャッチフレーズ)でも付して世界に売り出してはいかがでしょうか。

大日本帝国と称すれば隣国から無用の反発を受けるなどと批判する人もいるかもしれませんが、戦前の光と影の双方に向き合い、それを学ぶための施設だということを説明できれば特段の問題はないと思いますし、日本の近現代の足跡を世界に理解を求めるという意味でも、何より、未だ「大日本帝国」という存在を消化、清算できていない現代日本人がこれと向き合う契機にするという意味でも、「大日本帝国の光と影を学ぶ場所」というコンセプトを、両施設は全面的に打ち出して良いのではと思います。

その上で、単なる学習施設にすることなく、十分な集客力と感銘力のある学習と娯楽の双方の機能をセンスよく兼ね備えたコンテンツの構築を考えていただきたいところです。そうした意味では、オガール紫波に代表される民営による公共サービスの新たな形(稼ぐインフラ)が模索されていることが、そうした施設の運営のあり方を考える上で、参考になりそうな気がします。

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ところで、岩手にも、「大日本帝国の光と影」を強く感じることができる施設があることを知っている人は、県民といえど多くはありません。

奥州市(旧・水沢市)は、地元で輩出した幕末の蘭学者・高野長英(蛮社の獄で死亡)、後藤新平(明治後期~大正期の政治家で台湾統治や関東大震災の復興政策の従事等が有名)、斎藤実(軍人、政治家。昭和初期の首相で親米軍縮派の巨頭)の3人を、「水沢三偉人」として記念館を建てて顕彰しており、3つの記念館を順番に廻ると、幕府がどのようにして終わり、明治日本が何を追い求め、どうして破綻したのかということが、それなりに分かるものとなっています(私は5年ほど前に一度だけですが訪れたことがあります)。

だからこそ、後藤新平記念館は「明治村」に、斎藤実記念館は「たてもの園」に似ており、特に、高橋是清邸を訪れた岩手人は、斎藤実(内大臣)が高橋蔵相と共に2・26事件で凶弾に倒れたことも想起せずにはいられないのではないかと思います。後藤記念館の「華やかさ」と斎藤記念館の「暗さ」という点でも、両者のパラレルさを感じずにはいられないところがあります。

「たてもの園」のハイライトが高橋是清邸であるように、斎藤記念館も、2・26事件の原因(軍部台頭の背景の一つとなった、昭和恐慌と東北の困窮)と顛末を描いたところで終わっています。

そのことを踏まえて「そのあと」すなわち大戦で国家・国民・海外に生じた惨禍と教訓を現代人に伝える施設等がどれほど存するのかと考えると、靖国神社の遊就館(5年ほど前に拝見しました)や広島・長崎の原爆資料館など(残念ながら未見です)が思いつく程度で、国民や外国人観光客から広く「一生に一度は行くべきだ」と共通認識を得られているような著名なものはあまり存在していないのではないか(少なくとも、「体感」できるものは原爆ドームなど広島・長崎の現存施設くらいでは)と、残念に感じました。

また、「明治の前(幕府の終焉)」という点でも、水沢の高野長英記念館に匹敵する学習施設が国内にどれだけあるのだろうかと考えると、私の知識不足かもしれませんが、あまり思いつくものがなく(萩にはまだ来訪の機会に恵まれていません)、その点も寂しいような気がします。

大河ドラマ「花燃ゆ」では吉田松陰を指して「維新はこの男から始まった」というキャッチフレーズが使われていましたが、高野長英記念館を一通り廻れば「維新(幕府の終焉)は、本当はこの男から始まった」と思わずにはいられなくなる面はあります。

そうしたことも含め、近現代の光と影や来し方・行く末、教訓などを現代人が正しく(欲を言えば、広義に「楽しく」)学ぶことができる営みがもっと盛んになされればよいのではという思いを、明治村を拝見しながら新たにした次第です。

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