松茸の呼吸で、すっぽかしの術に立ち向かう
昨年秋の話で恐縮ですが、とある事件で、関係者(通常の依頼者とは異なる立場の方)のご自宅に伺うことになりました。
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自動車で目的地到着
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第一の型「すっぽかし(無断不在)の術」炸裂!
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帰路の運転は怒りの全集中。水の呼吸で窒息しそう(今ココ)
それはさておき、その前日、とある依頼者の方から「山で採った」と仰る松茸数本を頂戴したことから、職員と山分けし、当方は自宅で土瓶蒸し風のお吸い物として美味しくいただきました。
その後に何も起きていませんので「実はヤバいタケだった」というオチはないと思いますし、それどころか、香りの凄さは過去最高レベルだったような気がします。
当方は毎年松茸を摂取できる身分ではありませんので、私の記憶では、松茸との再会は(永谷園のお吸い物の類を別とすれば)十年以上前に実家で「どなたかから頂戴した松茸」のお裾分けを1~2本、受け取り帰宅して以来かも、というのが実情です。
苦節20年以上の町弁人生ですが、恥ずかしながら?過去に依頼者の方から松茸を頂戴した記憶がなく、これが初めての経験と思われます(別に、皆さんにねだっているわけではありませんが・・)。
余談ながら、町弁をしていると来客の方(依頼者やご家族など)から焼き菓子などを有り難く頂戴することは珍しくありませんが、開業以来=盛岡では「オラの畑で採ったど~」的な生鮮品(野菜、魚など)を頂戴する機会は多くはなく、東京時代の方が、(ボスが山形出身で、上京して相談等される方が少なからずいたせいかもですが)佐藤錦やだだちゃ豆を筆頭に、生ものを頂戴する機会が多かったような気もします。
その点は、開業間もない頃は少し不思議に感じていたのですが、客層の所得水準(当然ながら法テラス利用者が多い)のせいか、東京よりも産地に近い場所(盛岡)の方がご自身にとって「商材(自身が生きるための糧=他者に贈答するものではない)」との意識になりやすいのか、それとも、単に、当方の客層に農業等に従事される方が多くはない、というだけのことなのか、今もよく分かりません。
ともあれ、前日にそうした「とてつもなく良い出来事」があったので、その代償として、翌日の不幸が生じたのかもしれません。
なお、繰り返しになりますが、皆さんねだっているわけではありませんので念のため・・(たぶん)