次期日弁連会長(たぶん)にボロ負けした若僧が、18年後に一矢報いた?話~第1話~
先日、次回の日弁連会長選挙に立候補を予定されている山岸良太弁護士が、選挙運動の一環として岩手弁護士会の会員を対象に行った懇談会に参加してきました。
山岸先生は第二東京弁護士会の会長をはじめ日弁連などの要職を歴任されてきた方で、いわゆる主流派と呼ばれる方々が擁立した候補であり、来年2月頃?の選挙に当選して、次期=令和2年及び3年度の日弁連会長をつとめる可能性が非常に高いと思われます(私に認識違いがあれば、ご指摘ください)。
ちなみに、日弁連会長選は、昔から主流派と非主流派の対立があり、次回の選挙も対立候補の方が出馬されるとのことですが、非主流派が勝ったのは、民主党政権の時期に「反主流旋風」を受けて宇都宮健児弁護士が当選された1回だけだと聞いており、あとは、主流派=長年、単位会(自身の所属会)や日弁連(本山)で重職を歴任されてきた方々から選出されるのが通例となっています。
で、役職に長年縁の無い岩手弁護士会きっての窓際族たる私が、なんでそんな行事に参加したのかと言えば、10年ほど前に私が破産管財人を手がけた県南の規模の大きい企業さんの申立代理人を担当されていたS先生(東京のビジネス弁護士さんで、選対の中心とのこと)から電話で呼出・・・もといお声がけいただき、その事件で大変勉強になった(スケールが大きく裁判所から過分な報酬もいただいた)こともあって、めんどくさいから行かない、では忘恩の輩になってしまいそうだ、というのが直接のきっかけなのですが、実は、もう一つ、隠された?理由がありました。
平成12年に東京で弁護士登録したばかりの私は、実は2~3年ほど、山岸先生率いる「天下の森綜合法律事務所の企業法務エース級チーム」の方々と、典型的な企業支配権紛争事案で対決したことがあります。
などと書いても誰も信じてくれないでしょうから、17年以上も前の話なので時効でご容赦下さいということで、差し支えのない?範囲で補足します。
あれこれ書いたところ、全4話の大作になってしまいましたが、昔話に興味はないよ、という方は今回の懇談会について触れた第4話まで飛ばしていただいてもよいかもしれません。
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時は平成10年頃、世界規模で業務展開し本社の従業員は数百人・グループ全体では数千人規模?を擁するα社で、経営の中心を担っていたA氏と、A氏のもとで後継候補として修行中であったB氏との間で不和が生じ、経営を掌握するA氏がB氏を会社から放逐するという事態が生じました。
自身の経営陣復帰(と将来の継承など)を希望するB氏は、企業法務で著名な某先生に依頼したのですが、私の勤務先のボスは某先生と盟友関係にあり、顧問格としてその事件に参画していました。
これに対し、A氏が自身を当事者とする紛争の代理人として依頼したのが、このようなガチガチの企業紛争の対決力では日本トップクラスとも呼ばれる森綜合法律事務所(現在は、もう少し長い名前になっています)であり、4名の弁護士さんが対応していましたが、その筆頭格(期が一番上)の方が、山岸良太先生でした。
ちなみに、4名の方とも、当時(現在も?)日経新聞が行うビジネス弁護士ランキングの類でトップクラスに入っている方々で、支配権紛争のエース級が集結したドリームチームと評しても過言ではありませんでした。
最終的に、10件以上?の訴訟等が生じるのですが、紛争の核心は、B氏の父とA氏が若い頃に約束した「α社を共同して経営する」旨の約束(株主間契約)であり、その中には互いの子を入社させ後継者とするような定めがあったため、B氏は、A氏によるB氏の放逐が合意違反だとして様々な法的救済を求め、会社法関係を中心に多様な訴訟が生じたのです。
(以下、次号)