次期日弁連会長(たぶん)にボロ負けした若僧が、18年後に一矢報いた?話~第3話~
恐らく次期日弁連会長に選出されるであろう山岸良太弁護士と駆け出し時代の私が間接的に対決していたことに触れた話の第3話(山岸先生へのこだわり編)です。
**********
ところで、既述のとおり私はこの事件では一度も出廷したことがなく、当然ながら、当時、山岸先生たちにお会いしたこともありません。
ただ、まだ法律事務所のHPなどもほとんど無い時代、敵方の弁護士さん達の人となりを知りたいと思っていたところ、日経BP社が平成11年に刊行した「ビジネス弁護士2000」という本に、森綜所属の有力弁護士として山岸先生たちの写真や説明文が載っていました。
山岸先生以外の「森綜ドリームチーム」の方々は、皆さん東大出身らしく?無愛想であったり優等生的な雰囲気の写真で、見ていてあまり気にもなりませんでした。
ところが、山岸先生に関しては、割と若い写真(40歳前後?)で口元に不敵な笑みを浮かべ強い自信や自負が感じられる表情であり、私は敵方の一兵卒という立場だったせいか、「この先生は他の先生達と違って人を喰わんばかりの憎々しいほどニヤリとした表情をしている」と、なぜか記憶に残りました。
この本は今も所持していますので、若い頃の憎々しい?山岸先生を見たいという奇特な方は、ご遠慮なく当事務所までご来所ください。
私はこの写真を見て、その事件で生じた圧倒的な勝敗の差もあって「俺達は天下の森綜だ、貴様のような小物が俺達に勝てるなどと身の程知らずなことを思うなよ」と傲然と言い放たれているように思いましたし、そうした傲然さこそ、かの久保利先生を筆頭にガチンコ企業紛争最強伝説などと称される森綜らしい姿だと感じる面もありました。
α社事件の起案に追われていた頃、私が大変お世話になった業界人としては非常に優れた先生(私と違って、ご本人がその気なら森綜に就職しパートナーになることも間違いなくできた方)から、「森綜と一度闘ったことがあるが、時には、勝つためにえげつないやり方をとってくることがある」と言われたことがあり、そのことで余計に予断偏見が入った面があるかもしれません。
だからこそ、当時の私は、この山岸先生の写真を拝見しつつ、負けっぱなしでたまるか、絶対に一矢報いてやるとの気持ちで?深夜土日の事務所で一人さびしく牛丼や立ち食い蕎麦を喰らいながら、報われない起案に延々と明け暮れていた次第です。
その顛末は前回に述べたとおりですが、それから10年以上を経て、すっかり「大がかりな企業法務にはご縁のない田舎のしがない町弁」になり果てた私の前に届いた日弁連機関誌「自由と正義」で、山岸先生のお名前や顔写真をお見かけする機会が増えました。
そこに表示され、言葉を紡いでいる山岸先生は、あの「ビジネス弁護士2000」に写っていた「優秀だが傲然として少し感じの悪そうなビジネス弁護士」ではなく、人権擁護などの日弁連の典型的な会務活動に熱心に従事されている「真面目で誠実そうな、いかにも日弁連的な大物弁護士」の姿でした。
しかし、私はα社事件の敗北感と「ビジネス弁護士2000」の写真のイメージが強すぎ、「自由と正義」に写った姿はこの先生の本当の姿なのか、何か裏があるのではなどという猜疑心?から自由になることができませんでした。
だからこそ、19年の時を経てS先生から「懇談会に来て欲しい」と言われた瞬間、「ついに山岸先生のご尊顔を拝する機会に恵まれた。この人は聖人君子のような人権擁護の担い手なのか、B氏を非情に追放したα社事件のように?えげつない勝利でも平気で分捕ろうとする強欲な方なのか、どっちが本当か見極めてやりたい」との考えが頭をよぎりました。
α社事件に関わったことで何年経っても捨てられずにいた胸のつかえも含め、それが、今回の山岸先生の懇談会に参加した、私の真の?目的だったのです。
(以下、次号)