田舎の町弁はアジアのお雇い外国人または山田長政たりうるか~シンガポール編③

シンガポール旅行ネタの3回目ですが、今回は名所レポートではなく旅行中に感じたことのうち、弁護士業界のことについて少しばかり書きます。次回は、ウォシュレットについて触れる予定です(まとめて載せるつもりでしたが、長文になったので2回に分けました)。

1日目午後のリバーサファリ観光の際はツアー参加者が当家だけだったため、ガイドさんと日本語で色々と話をしながら歩きました。

ノーラさんと名乗る華人系の50代くらいのお喋り好きな女性で、行きのバスの車内で、シンガポールの歴史とリー・クアンユー首相の功績、現在のシェンロン首相の施政と課題などを熱心に語っていました。なお「共働き先進国」たるシンガポールに相応しく?今回の旅行でも日本語ペラペラのツアーガイドさん達のほとんどが女性で、年齢層も若い方から60代くらいの方までバラバラでした。

15分くらい続いたノーラさんの講義に対し、私は「その話は中公新書の「物語シンガポールの歴史」で読みましたよ」と30回くらい言いたいのを堪え、その種の話に関心の薄い同行配偶者は愛想笑いで聞き流すという、需要と供給の若干のミスマッチを感じつつ、トランプ大統領はTPPを構築し中国の覇権拡大を阻止したい貴国にとっては大打撃ですよね、盟邦・台湾が戦場になる不安も噂されますが、どのように立ち向かうのでしょう、などと、あまり実のない雑談をしながら歩きました。

で、私が「リー首相はもとは弁護士ですよね、私も同様なんですよ。英語は喋れませんが」と話したところ、ノーラさんもリー首相の経歴のことは知っていて、それに付け加えて、「我国にも弁護士は沢山いて、食えないから数を減らせとか、近隣諸国に出稼ぎせざるを得ないという話になっている」と述べていました。

私は「日本も全く同じ状態なんですよ。だから、日本の弁護士は法的インフラ整備が未了の東南アジア諸国などにドシドシ進出して、法整備や実務構築のための仕事をすべきだと思っています。ただ、日弁連は無為無策にしか見えない上、我々の最大の難点は英語能力の不足であり、語学面で(アジア進出の競争相手として)アドバンテージのあるシンガポールの弁護士さんが羨ましくて仕方がないです」と答えました。

さすがに、それ以上、そのテーマで話が深まることはありませんでしたが、そうしたことを考えながら、ガイドさん達のような通訳さえ確保できれば、私のような日本の町弁が、現地の社会・文化を研究しつつ、日本社会が培った法文化を上手に東南アジア諸国に普及させる手伝いをすることもできるのではないか、その場合、アジアの先進国仲間というべきシンガポールの弁護士の協力も得て、両国などの制度を比較・改良しつつ輸入国に適合する制度を構築することもできるのではないか、などと思いました。

とりわけ、いわゆるインバウンド(来日外国人の急増)を通じアジアなどの方が日本の諸制度に関心を抱くようになってくれれば、日本の法制(社会運営システム)も取り入れよう→それに長けた人材に来て貰おう、という機運を高めることもできないわけではないと思います(そのためには、「コト消費」の質を高める努力を日本側が行うことも必要でしょうが)。

また、現在は「膨張する中国」との間で様々な分野での非軍事的対決が必要になっているところ、「インフラとしての法制度の輸出」という場面で、社会運営に関して概ね共通の価値観を持っているはずの日・台・韓・星(シンガポール)のアジア4先進国が協力して輸出事業に取り組めば、「非民主的な専制国家」たる中国と対抗していく(それを通じて、究極的には、香港をはじめ中国内で同じ価値観を共有する勢力の伸長に期待する)ということも考えてよいのかもしれません。

などと書くと「シンガポールなんて一党独裁の明るい北朝鮮じゃないか、どこが民主国家なんだ」と言われそうですが、過去については同国の特殊性に依るもので、現在は移行期にあると考えてもよいのでは(そうであればこそ同国の穏健的な民主政治の進展に日本は役割を発揮すべきでは)と考えます。

ちなみに、日弁連の機関誌「自由と正義」2015年7月号には、東南アジアに赴任し活躍する若い企業法務系の弁護士さん達のレポートが載せられており、シンガポールのレポートを担当された方(坂巻智香弁護士)が、同国で活動する日本法弁護士の実情を報告すると共に、同国内に滞在・永住する3万人以上の邦人について、個人としての多様な法的ニーズがありながら、それを満たすインフラ(現地邦人向けのリーガルサービスの担い手)が整備されていないと報告していました。

また、日本の法テラスのような無料相談・援助制度(組織)もないため坂巻弁護士が有志を募り現地邦人向けの無料相談を試行したところ、相談者より「このような法的支援は絶対に必要だと声を大にして言いたい」と告げられたとのことであり、対外輸出云々もさることながら、現地邦人支援のための実務整備という点でも、日弁連ひいては実働部隊となる町弁達の出番が急務ではないかと思いますし、それは同国だけに限った話でないことは考えるまでもないことだと思います。

私も、海外在住の県内ご出身の方が当事務所HPをもとにメールでアクセスされ、相談を受けたことがありますが、込み入った話だと「これ以上は面談しながら多くの資料などを拝見したやりとりでないと適切な説明ができない、まずは、貴国に滞在する日本人弁護士に相談してみて下さい、それでどうしても話が進まなければ、その際の相談結果を踏まえて、もう一度、アクセスして下さい」とお伝えした(せざるを得なかった)ことがありました。

ご承知のとおり、近年ではクレサラ問題がほぼ収束し、現在では都会から過疎地まで弁護士がやってきて「過払などのハイエナ化」しているような有様ですので、日弁連は、国内の過疎地よりも(それ以上に)海外で「日本人弁護士による、日本の法的サービスを必要とする方」のための支援制度の構築(人を派遣すればよいとか法律事務所=ハコモノを作ればよいなどという話でなく、制度の整備や運用などを含む)こそ早急に取り組むべきではと思いますが、私の知る限り、そうした動きを聞くことがほとんどありません。

在外者向けサービスは、インバウンド(日本への来訪・滞在外国人のための法的サービス)と共に、今の日弁連が早急に取り組むべきことの一つではないかと思いますし、各地弁護士会もそうしたものに声を上げていくべきではと思いますが、どうなんでしょうね(などと余計なことを言っているから、10年以上経っても、誰からも岩手弁護士会の役員をやれとすら言われないのかも知れませんが・・)

私は最初から人生の選択肢を盛岡での開業一本に絞っていたわけではなく、高校1年のときは欧州の片田舎でひっそりと暮らしたいと思っており、東京のイソ弁時代にも、自分が特別に必要とされるような出逢いがあれば東京などに骨を埋めてもよいと思っていました。

結局、人徳不足かそうした出逢いもなく、自分で決めたレールどおり淡々と岩手に戻ってきたものの、このまま盛岡で一生を終えるのが自分の生き方として納得できるのかという気持ちが無くなったわけではありません。

もはや渉外弁護士を目指すだけの研鑽の余力も意欲もありませんが、語学能力がなくとも現地の法と実務の整備のため役立てるような社会(いわば、現地側が「お雇い外国人」として日本の普通の町弁を必要とするような社会)が到来してくれるのなら、10年ほどその地に移り住み、「大東亜の本当の平和」を目指した先人の思いを引き継いで汗をかくことができれば、などと夢想する気持ちを少し感じつつ、パンダの姿を眺めていました。

ただ、供給過多と言われながら需給双方に改善の見込が乏しい現在の町弁業界が、国内で不要になり食えないので海外に活路を見出そうとする光景は、お雇い外国人というより、太平の時代が到来したため東南アジアで傭兵となる道に救いを求めた江戸初期の戦国浪人達になぞらえた方が賢明かもしれません(弁護士も、傭兵の類に変わりありませんし)。

それならそれで山田長政(アユタヤ王国の重臣に上り詰めた当時の出世頭)のように現地で大活躍できればよいのでしょうが、長政自身の最期と浪人達の末路のような死屍累々の山にならないことを願いたいものです。

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