盛岡の若き「女猛者」たちの多様性と諸民族の尊厳を巡る課題と役割~猛者踊りの風景から~
5月上旬の話で恐縮ですが、昼前に裁判所から事務所に戻る際、盛岡一高の「猛者踊り(旧・D人踊り)」の方々が中央通りを練り歩く光景に出くわしました(行事そのものをご存知ない方は、こちらのサイトで確認して下さい)。
http://www.morioka-times.com/news/2009/0905/13/09051205.htm
ただ、男性陣は様々な色でカラフルに仮装・塗装して多様なD人姿を誇示しているのに対し、女性陣がいずれも学生服の上に園児服を羽織るスタイルで、それ自体の印象も残念感が漂う上、各人の個性(多様性)もせいぜい園児服に縫い付けたアップリケで違いを見せている程度のように感じ、その点は少し残念に思いました。
他の仮装に扮する女学生がいても良いのではと思って少し検索したところ、過去にはチャイナ服などに扮する方も若干は見られたようです(今回も、私が発見できなかっただけかもしれません)。
別に女子高生の仮装に関心があるわけではありませんが、園児服姿の女学生集団が練り歩く光景はイマイチ感は否めず(少なくとも、男性陣とは落差を感じます)、皆が同じ姿にするなら蝦夷風のオリジナル民族衣装を考案するとか、年度ごとに変えてみるとか、岩手人らしさを伴った何らかの華のある工夫を検討していただきたいところです。
出身者ではありませんので意見できる立場ではありませんし、批判する趣旨ではないのですが、全員が同じ扮装(しかもぱっとしない園児服)でアップリケでしか個性を示せないのは、若いサラリーマンの画一的なスーツと安物ネクタイみたいな感じで、かえって残念な印象を受けてしまうので、受験勉強で仮装どころではないのかもしれませんが、伝統を大切にしつつ、男女とも多様な個性を表現する文化を育んでいただければと思いました。
余談ながら、私の高校1年の同級生で数年前は時の人になった元国会議員の方(現在は捲土重来に向け奮闘中とのこと)は、高校2年の学園祭に「妖怪人間ベラ」に扮していたそうで、緑一色の姿をチラ見したような記憶があります。
仮装する一高生の皆さんも、いずれ多様な飛躍を遂げていただければと思います。
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と、こんな話を以前(当日)にFBに書いて投稿したところ、多くの一高OBや父兄の方々から多数の有り難いコメントを頂戴しました。
特に、私が盛岡JCに在籍していた頃に宴会で活躍されていた「仮装の二大巨頭」というべき二人の方から熱いコメントをいただき、そのお二人のルーツがD人踊りにあることが分かったように思われ、それだけでも投稿した甲斐がありました。
とりわけ、某先生は、ぜひ全身に黄金色を纏ったお姿で在校生諸君の前に再降臨いただき、如来のごとく崇敬の念を集めていただければと願わずにはいられません。
また、女生徒の園児服も、それなりの理由や物語があるとのコメントを多数いただきました。街中でチラ見するだけでは分からないことも、行事の全部を拝見できればその意義が分かるということなのでしょう。
一高OBの皆さんには申すまでもないことだとは思いますが、D人であれ猛者であれ、その趣旨は、県内の英才が参集する一高生が「ひ弱な優等生」ではなく野性味あるエネルギーを涵養していることを表現するという点にあるのだと思います。
それだけに、過去の取組みの意義はさておくとしても、園児が猛者(野性味あるエネルギーの表現)なのか?という点は街でチラ見するだけの一般人には些か分かりにくさが否めず、「女性猛者の表現のあり方」について、さらに皆さんの議論を深めていただければ幸いです。
それと共に、在校生の方々には、中止・名称変更論争の原因にもなった世界の諸民族の事情などにも理解、認識を深めていただき、いずれは盛岡であれ世界の遠いどこかであれ、人類一人一人の尊厳を高めるための役割をご自身の現場で発揮していただくよう願っています。