街もりおかへの投稿(ドラマ「火怨」考)と「記事のバラ売り」
2年前(平成25年)の6月に、肴町の若大将ことSさんの依頼で、「街もりおか」という雑誌に寄稿させていただいたことがあります。聞くところでは、若い投稿者と読者を増やしたいとの編集長さんの方針で、Sさんが盛岡JCの関係者に声を掛けており、現在もJC関係者が必ず?一人は投稿し続けているのだそうです。
私は、小説やエッセイなどを読む習慣がなく、購読している日経新聞すら積ん読→数ヶ月をまとめて処理という日々になっていますので、残念ながら同誌を購読できる状況にはないのですが、JC関係者など知り合いの方が投稿された際には、それだけでも読んでみたいと思っています。
可能であれば、「街もりおか」も、ネット上に記事のタイトルと出だしの文章を載せて、閲覧料を支払えば、希望する記事を読むことができるような仕組みを作っていただきたいものです。新聞も有料で記事を配信していることを思えば、特段、珍しいものでもないでしょう。
特に、地元向けのタウン誌については「知り合いの書いたものなら読みたい。少額の対価なら問題なし」という層はそれなりにいるはずで、商売としても、成り立つのではないかと思います。
Sさんはパソコンやシステム関係の超人というのが私の認識ですので、ぜひ、その点についてのご尽力をお願いしたいところです。
というわけで、2年前に載せた文章を再掲しましたので、当時は見ていないという方は、ご覧いただければ幸いです。
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盛岡には、地元在住の作家さんが運営なさっている「街もりおか」という雑誌があるのですが、先日、ひょんなことから寄稿依頼を受けました。
下記に引用したネット記事のとおり、読書好きの中高年層が読み手の、硬派?なタウン誌とのことで、市内のいわゆる教養人の方々が、盛岡をテーマとして様々な寄稿をなさっているようです。
http://morioka.keizai.biz/headline/187/
引用記事によれば、新聞や全戸無償配布誌のように世間に広く流布しているわけでもないようですので「折角なので、書いたものをブログ等に載せてもよいですか」と尋ねたところ、「宣伝になるならOK」と快諾をいただきました。
というわけで、刊行されたばかりの「街もりおか」6月号に、下記の記事が掲載されていますので、私の駄文はさておき、市内でお買い求めの上、他の方々の投稿をぜひご覧になっていただければと思います。
ところで、私の投稿ですが、読む人によっては、「街もりおか」の発行人であり、盛岡を代表する作家でもある高橋克彦氏(大河ドラマ2作品の原作者)に対し挑戦的な物言いをしているように読めないこともありません。この辺は、強大な力を持った方に無謀な戦いを挑むのが二戸人のDNAということで、ご了承いただきたいところです。
ところで、この「街もりおか」ですが、ネットで少し検索した限りでは、雑誌自体のHPは設けられておらず、過去の記事などを閲覧することは困難のように見えます。
私は、数年前、日本の法曹界の黎明期の偉人であり、中央大学の創設者の一人でもある菊池武夫氏(盛岡市加賀野出身)に関する投稿を「街もりおか」で読んだことがあります。
このような記事は、例えば、ネットで冒頭部分を表示しさらに読みたい人が少額の購読料(10円とか50円とか)をネット上で簡単に支払って読むことができる、といった形で運営していただければ、読み手にも作り手にも持続可能なのではないかと思いました。
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~弁護士業務から歴史ドラマを考える~
先日、BSプレミアムで「火怨・北の英雄アテルイ伝」が放送されており、以前に原作を拝読して心揺さぶられた身としては、見逃すわけにはいかないとの思いで視聴した。が、壮大な戦闘シーンだけでなく、ストーリーの骨格部分でも原作とは大きな変更があり、不満の残る脚本となっていた。
私が最も疑問に感じたのは、「静かな暮らしを守る善良な蝦夷達」と「それを虐げる朝廷の官人や征服欲剥き出しの桓武帝」という単純な善と悪の対決の構図に描かれていること、何より、坂上田村麻呂が桓武帝の征服欲の手先として、その命令を遂行する道具になり果てたような人物像となっていた点である。
一般的な評価は言うに及ばず、原作でも、もう一人の主役というべき大人物に描かれていたと記憶するだけに、特に残念に感じた。
私には蝦夷征服の真実の姿を語るだけの能力はないが、「強欲で邪悪な朝廷勢力に主権を奪われ、搾取、虐待された可哀想な蝦夷」という単純な構図が歴史の姿であるかのように示されると、そこには違和感を拭えない。
逆に、当時の社会経済の変動の中で、奥州の大半が大和朝廷の統治を受け入れる何らかの合理的な事情が生じていたのかもしれないし、その状況を生かして現地勢力に介入し支持を獲得した賢明な官人や、大和勢力と交渉し生き抜いた蝦夷も存在したのではないかと思われる。
そうした人々の姿を表現せず単純な善悪の構図で気の毒な被征服民ばかりを描くのは、かえって蝦夷への冒涜になるではないか、また、桓武帝にも朝廷の権力闘争など様々な事情があり、それらを捨象し身勝手な悪の権化のように描いたのでは、滅ぼされた側も浮かばれないのではないかなどと、反発心すら抱いてしまうのである。
人や社会は、やむにやまれぬ事情の積み重ねで善行と悪行をモザイク状に繰り返しながら彷徨う存在であり、実在の人物や歴史を題材とする作品は、その重みを意識して表現していただきたいと感じている。
この点、私は弁護士をしており、職業柄、相手方が理不尽な行為や悪行に及んでいるので当方(依頼主)が救済されるべきだと主張したり、相手方やその代理人たる弁護士から同様の主張を受けることが日常茶飯事である。
しかし、善行も悪行も人生の断片を切り取った一局面に過ぎず、その点をわきまえず相手方を非難する主張にばかり終始したのでは、ジャッジ(裁判官等)の理解を得ることはできない。
関係当事者を巡る様々な事情を調査、俯瞰し、この場面に関しては当方に理があるのだと主張したり、双方に正義(尊重すべき利益)があり、やむなく対決するような紛争では、各人の正義を理解し穏当な着地点を見出せるかを考えて解決策を検討することが、強く要求されている。
歴史ドラマも弁護士業務も、実在の人物について公正な視点で具体的な事実を描くことにより特定のメッセージを発信するという点では、相通じるところがあり、良質な作品に接することで我々の業務にも活かしていければと願っている。
ところで、盛岡は、私の故郷である二戸地方の主(九戸政実公)と北東北の覇権を争った人々が作った都であり、盛岡市民には、戦国の終焉を視野に入れた壮大な都市誕生の物語として、九戸戦役への正しい知識、理解を持っていただきたいと感じている。
それと共に、敗亡の地に生まれ育ち、勝者の都で暮らしている身としては、政実公を美しく描くだけでなく、騙し討ちをしてまで滅ぼした側にも、やむを得ない事情や正義、苦渋の決断があったこと、そして、戦の後には何らかの価値が創出され、勝者も敗者も、それぞれの立場でより良い社会を築くために努力してきたであろう姿もまた、描いていただきたいと思わずにはいられない。
そのことが、現代を生きる二戸人と盛岡人とが、先人の思いを継承しつつ、互いに力を合わせて社会に新たな価値を創出していく原動力になると信じるからである。