西田敏行氏が体現した大河ドラマの真骨頂と託されたもの

急逝された西田敏行氏に関しては、各人が、ご自身なりの代表的光景を思い浮かべて故人の名演を偲んでおられることと思いますが、私が真っ先に思い返すのは、

大河ドラマ「八重の桜」で、幕命に従い京都守護職に赴こうとする綾野剛氏こと容保公を、必死で制止せんと対峙し激論を交わす宿老・西郷頼母

の光景です。

頼母こと西田氏は、重臣達が誠実さに溢れた容保公に恭順する中、たった一人で

現下の情勢下で京都に行くと、天下の政争に巻き込まれ、いずれ会津は滅びる、そのような暴挙に及ぶのは藩主といえど許されぬ

と切腹覚悟で猛抗議を行います。

これに対し綾野氏こと容保公も

そのような状況だからこそ、会津が引き受けねばならぬ、藩主がそれを嫌がるなら藩主を引きずり下ろしてでも藩士が一丸となって将軍を支えよというのが、藩祖(家光の弟・保科正之)が定めた会津藩の根本的存在意義ではないのか

と一歩も譲らず、さりとて頼母を罰することもなく、会津を託し覚悟を決めて京都に旅立っていきました。

近時のTV番組では「大河随一のシーン」として、ケン政宗が勝新秀吉と対峙する場面が多く取り上げられますし、近時では「麒麟が来る」で、若き信長と幼少期の竹千代が父・松平広忠の殺害を平然と語りながら戦国の厳しさを確認しあう光景も珠玉のものでした。

が、私自身は、上記の会津の二人の対決シーンこそが、この国で現実に生じた深刻な正義と正義の衝突を描き、現在と将来の我が国のあり方を国民に考えさせることを目的としているのであろう、大河ドラマの象徴・真骨頂であり最高峰だと思っています。

とりわけ、八重の桜は震災を機に福島支援のため制作された番組であり、福島の原発被害を抜きに考えることはできません。

その視座からは、「天下に関わると会津が滅びる」と訴える西田頼母の姿は、

国策に恭順し原発に関わったからこんな酷い目に遭ったじゃないか、それでいいのか

と叫んでいるようにも見えますし、大河初出演であろう綾野容保公の迫真の姿も、

保科公の会津藩や秀吉侵略後に東北支配の砦として福島を支配した蒲生氏郷などは言うに及ばず、倭の五王の時代から奈良期頃までの数百年に亘り、福島(磐城国)こそがヤマト国家の東端であり奥州征服の牙城・拠点であったこと、その後も北東北より遙かに東京・関東との心理的距離が近い存在であり続けたことなどから、

原発に限らず、首都東京や国家全体を支え続けてきたことこそが福島の矜持であり、他の地域には容易に真似できない重要な役割だ

と熱く反論しているようにも見えてきます(それは、西田氏自身の生き様・俳優として歩んだ道と重なるとも言えるでしょう)。

この二つの正義の衝突が、今も我々日本国民に託された宿題であることは申すまでもありませんし、そうであればこそ、このシーンをご覧になった方々には、二人の凄まじい熱量・緊張感から、そうしたことも感じていただければと思っています。

昔ほどTV等を拝見する余裕がなく、今の役者さん達のことはあまり存じませんが、これからも、そうした奥の深いメッセージを人々に伝えることができる役者さんや作品が多く世に出ていただければと願う次第です。

東北人の一人として、西田敏行氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

(追記)

以上の内容をFBに投稿したところ、少し上の世代の方から、

西郷頼母を敏行氏以上に演じられる役者はもう出ないのではないか、白虎隊の隊員が「薩長ごとき一人で10人は斬って」と息巻くところ「戦はそんな甘いものどはない!向こうも一人で10人斬るつもりで来ているのだ!」と諌めているシーンは、戦争は敵味方問わず人が死ぬのだ、だから戦争はやっちゃいかんのだ、という敏行氏の気持ちが伝わり、忘れられない

とのコメントをいただき、私も胸が熱くなりました。

役者とは言葉や役割をなぞる仕事なのではなく、それらに込められた精神を体現すべき、また体現できる存在だと感じさせてくれる、稀代の名優でした。

私は、「もしもピアノが~」が物心ついた頃に最初に覚えた曲で、本日は脳内熱唱しまくりの状態です。色々と感謝したいと改めて感じています。