RPG小説または出会いの熱量の物語としてのオガールと、その先にある私たちの出番
5年以上前の話で恐縮ですが、猪谷千香「町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト」を読みました。
当時から一世を風靡し現在も進行中の「オガール紫波」を、立役者であり開設と運営の中核を担っている岡崎正信氏の軌跡を中心に物語風に描いた本ですが、私は岡崎さんの翌年に盛岡青年会議所に入会した関係で平成17~19年頃は何度かお会いする機会があり、いわば「オガール前史」時代の岡崎さんを若干は存じています。
その後は残念ながらお会いする機会がほぼなく、岡崎さんがJCを卒業する際の卒業式でご挨拶した程度の関わりに止まっていますが、幸い、facebookでは「友達」の承認をいただいたので、硬軟さまざまな投稿を日々興味深く拝見しています。
本書で描かれる「オガールの物語」は、紫波町の建設会社の子として高校まで地元で育ち、大卒後は都市再生機構で各地の開発事業で活躍していた岡崎さんが、必ずしもご自身の希望ではない形で帰郷し、地元での生き方を模索していたところから始まります。
そして、ほどなく、長年塩漬けにされていた町有地の開発について町役場の会合で相談を受け、その時点では誰にとっても「雲を掴む話」であった公民連携の手法による開発を提案し、町長の英断で推進に向けて様々な取組みか開始されるところから、一気に物語が進展していきます。
かくして、オガールの誕生から現在(直近)までの全体像や今後の展開などを、プロジェクトに寄与した多数の関係者の証言を通じて描き切ったのが、本書の骨子です。
その物語は、岡崎さん個人の努力と成長に加えて、まちづくり・デザイン・金融など、様々な分野の第一人者が「旅の仲間」のように次々と登場しては重要な役割を果たす姿が日替わりヒーローのように描かれ、最後に次の世代の育成で締めくくられているため、ちょっとした英雄譚を見ている感覚になります。
本書をRPGゲーム風に要約すれば次のようなものになるでしょうし、そうした読みやすさや引き込み力が本書の特徴であり魅力とも言えるでしょう。
「旅の勇者が故郷の小さな町に帰ってきました。町を治める王様は、勇者にある頼みごとをしたところ、勇者はたった一人で町の皆が驚くほどの成果をあげました。
王様は勇者に、その町が抱えた深刻な問題を相談しました。勇者は、隣の大きな町で意気投合した吟遊詩人を皮切りに、旅を通じて培った知恵や度胸を武器に、強い力を持った魔法使いや賢者など次々に優れた仲間を集め、独自の構想でその問題に取り組みました。
王様は国を挙げて勇者と仲間たちの闘いを支え、それまで町を不安に陥れていた脅威は、彼らの努力により町の良さを国中に広めるチャンスへと大化けしました。
今、その町には、新たな勇者たちが活躍の機会を求めて集まってきています。勇者たちと町の挑戦の物語は、まだ始まったばかりなのです。」
そうした意味で、本書は、都会(国=全国組織)から「お金を引っ張る」方法ではなく、まっとうな稼ぎ方を学んで実践したい人にとっては教科書的な本と言えるのかもしれません。
また、都会で何かを学んで帰郷(或いはIターン)したけれど、それを地元(現在の居住地域)で必ずしも生かせてない、という人にとっては福音書のような面もありそうです(見果てぬ夢の物語というべきかもしれませんが)。
そんなわけで、田舎のしがない町弁としての私が本書で描かれているような「都会と地元を行き来する人が担う地方自治の新しい物語」に、どうすれば、また、どのように関わることができるのか考えつつ読みました(残念ながら、いまだ何らの関与も実践もできていませんが)。
もちろん、このような「田舎のスマートな施設」は、いつの日か地元民が「シャレオツ疲れ」を起こして飽きられるリスクもあるのかもしれず、今も行われている様々なイベントをはじめ、ディズニーのようなコンテンツ更新や話題作りのため不断の努力の宿命を負った施設でもあるのでしょう。
事実、以上の文章は数年前に書いたのですが、この数年間で紫波町には学校跡地に新たな技能教育施設を作るとか、町役場跡に温泉施設を作るなどの話が持ち上がっており、岡崎さんが関わった町外の他の案件(盛岡市動物公園やバスセンター、二戸の金田一温泉など)も含め話題に事欠かない状態が続いており、スポーツ指導者としての活動もなさっていることも含め、庶民から見れば驚愕するほかないと言ってよいと思います。
そうした意味も含め、今後もオガールの努力から何かを学んでいければと思います。
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ここからは、現在=掲載時に加筆した文章です(これを書くのが遅れ、ようやく掲載できました)。
本書には、岡崎さんが最終的に目指す道が何であるのか窺わせるような記載はありませんが、私は読了直後=5年以上前、岡崎さんには米国の「シティマネージャー」のような路線を目指していただければと思っていました。
シティマネージャーとは、増田寛也・前岩手県知事が平成22年に出版した「地域主権の近未来図」(朝日選書)で紹介されていた米国の制度で、要するに「市長」という制度を止め、代わりに議会が「自治体の経営者」を選任する制度です。
いわば、議会が、市長に代わり「会社の代表取締役=雇われ社長」のような存在を選任する制度だそうで、米国では、小規模な自治体を中心に、かなり普及しているのだそうです。
岡崎さんが従事した「PPPエージェント」は、シティマネージャー業務の一端ないし先取りという面があるようにも思われ、これが各地に広まり実績が認められれば、やがて、日本でもシティマネージャーを導入してみたい、との機運が高まるかもしれません(同書でも埼玉県内で導入提案がなされた例の紹介があります)。
ただ、そのためには地方自治法の大改正が必要でしょうから、まずはPPPエージェントなど現行制度でも実現可能な手法で実績や担い手を増やすことで制度改正の機運を作る必要があるのでしょう。
そうした営みを中心に運営されていく新しい「地方自治のカタチ」に地元の町弁もお役に立つことができればと願ったりもしますが、現状では夢のまた夢なのかもしれません。
ともあれ、「自民党の憲法改正案(で指摘されている事項)は別段支持しないが、憲法改正或いはそれに類する制度改革はぜひ行って欲しい」という現在の世論は、地方制度を含め、議会(立法)・役所(行政)の制度や文化の大改革を期待していることは、間違いないはずです(それらが良好に改善されることがあれば、やがて司法も追随するのでしょう)。
最近は聞かなくなりましたが、数年前には盛んに報道された「地方議員などのがっかりニュース群」に照らしても、地方自治制度には「我々のまちには、こんな無駄な制度はいらない」とか「自分たちの独自のやり方で町をつくりたい」として、会社法のように、ある程度、自由に(自主自立的に)機関設計できることを期待する声があるのではと思っており、岡崎さん達の営みも、その一助になればと願っています。
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日本の地方制度は、中央官僚による統制を主導した大久保利通に由来すると評して過言ではないと思います。
彼ら=明治政府の先駆者達は、民衆や地元自治体よりも中央官僚(英才集団)による統制の方が、公共の福祉=社会全体のしあわせを実現できるとの強い自負を持ち、曲がりなりにもその努力を積み重ねてきたことが、現在も連綿と続く「民」や地元自治体などの「官」への依存心の根底にあると思います。
それだけに、まちの未来を自分達で創ることを標榜するオガールのPRG物語にとって、最後の敵=ラスボス大魔王とは、人々の依存心を喰らい続けて巨大化した大久保利通の影法師(血の記憶)なのかもしれません。
現下の社会情勢では、或いは、岡崎さんを選挙などの大舞台に担ごうとする動きも出てくるのかもしれませんが、そうしたことも含め、ぜひ、人々の範となる闘いを今後も硬軟交えつつ続けていただければ幸いに思っています。