枢機卿達の根比べと「日本国天皇を選挙で選ぶ日」

毎度ながらの同居家族のご下命により、映画「教皇選挙」を鑑賞してきました。
https://cclv-movie.jp/

アカデミー賞の有力候補なのだそうで、圧倒的な映像美は言うに及ばず、音楽を含めた「緊張感溢れる映像空間を途切れさせずに作り続ける力」は、他の追随を許さない極めて高度な技量だと感じました。

ただ、「やむにやまれぬ正義と正義の対決(や陰惨な弊害)の中で着地点を探す物語」という印象は乏しく、そうした作品を好む人にとっては、ストーリーの骨格にやや退屈な印象を感じるかもしれません。

鑑賞後、過去にも似たような骨格の物語をどこかで見ているのでは?という既視感を強く抱いたのですが、それは、本作が老舗の巨大企業のワンマン経営者の急逝に伴う後継者選出の物語として王道というべき構成になっていることの裏返しなのでしょう。

また、謎解き的なエンタメ作品を好む方にとっては最後まで楽しめることは間違いないと思います。

本作の映像美の中で屈指のシーンの一つに、終盤で、百名以上の枢機卿たちが雨天の中を白い傘を差して歩いて行く姿を上空から撮影した光景があるのですが、ゆっくりと流れるその光景を見ていると、あれ?と気づいたことがありました。

後でWebで若干検索したところ、同じことに気づいた方が沢山いることは分かりましたが、私が得心できる解釈・説明をしているものは見当たりませんでした。

私はその光景の意味は、沢山の枢機卿の中から教皇はたった一人だけ選ばれ、その御仁は、他の人々が身を守ることができる状況にあっても、自分だけは厳しさに身を晒して相対しなければならないという、教皇ひいては頂点に立つ者の孤独や疎外或いはそれらを前提とした唯一性を指すのではと解釈しました。

(あれが特定の登場人物を指すのではと推測する投稿もあるようですが、私が見た限り、特定の誰かを指すような描き方はされていなかったように思いました)

それが何であるかはここでは書きませんので、関心のある方は、ご自身でお確かめ下さい。

そういえば、ハリー・ポッターでは、レオン等で強烈な悪役を演じていた御仁が一転して善良な役柄を演じていたので初見時には少し驚きましたが、本作も、そういう意味での楽しみ方があるように思います。

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ちなみに、現実世界では前教皇・ベネディクト16世は85歳で退位し現在のフランシスコ教皇(1世)が選出されましたが、東洋の島国でも教皇に匹敵する国民統合の権威的存在が数年前に85歳で退位し、現在はご子息が神の依代としての役割を果たしておられます。

我国が将来も血族世襲による天皇制を今後も維持できる(する)のか、色々な意味で予断を許さない状況が続いていますが、我国にも、国民統合の象徴となる存在を特別な地位を持つ人々による間接選挙で選出するほかない時代が来る日があるのか。

言い換えれば、現行の皇室を維持存続できなくなったとき、果たして我々は「国民統合の象徴」となる存在を引き続き必要とするのか、その場合、その存在(御仁)は即位するにあたり、どのような手続を経るべきだと思うのか。

鑑賞後、或いは、そうした思考実験をなさってみるのも、一つの楽しみ方なのかもしれません。