琉球王国と北奥政権の栄光と挫折、そして再起するものたち
以前の日記でご紹介した、JCC出版部「絵で解る琉球王国~歴史と人物~」という本について、琉球と北奥という2つの地域について考えたことを交えて、お伝えしたいと思います。
http://www.jcc-okinawa.net/books/
7月の那覇出張の際、夜の食事場所に困って国際通りを彷徨った挙げ句に、店先で案内をしていた民族衣装姿の美人女性の姿に惹かれて?、「首里天楼」という琉球舞踊を観覧できるお店に入りました。
http://www.suitenrou.com/
引用した運営企業のサイトでお分かりのとおり、店内が琉球王国時代の出来事や人物を描いた壁画で埋め尽くされていたのですが、会計の際、この本がカウンターに置いてあり、「今、沖縄で一番売れている本」といった宣伝文句が述べられていたので、ホンマかいなと思いつつ、琉球王国について少し勉強して見たいということで、深く考えずに購入しました。
本書は、琉球王国の歴史や文化に関するトピックを、素人向けに解りやすく絵柄付きで解説した本ですが、よく見ると、出版元が、このお店(首里天楼)の経営企業となっており、冒頭部分や同社のサイトで、沖縄(琉球)の歴史と文化の意義を伝えていくことが自社の理念であり、飲食店経営も出版事業も当該目的の達成のため行っているものである、という趣旨のことが述べられていました。
これを読んで、北奥(北東北)地域も、沖縄と同じく中央政府と異なる独自の歴史、文化を育み、「蝦夷の末裔」としての誇りを持って生きるべき「クニ」でありながら、そのような姿勢で、人々の心に広く訴えるような親しみやすい手法(飲食店であれ、一般向け書籍の出版であれ)で事業展開をしている企業が、当地に果たしてどれだけ存在するのだろうかと、感じずにはいられないものがありました。
伝統芸能舞踊付きの居酒屋なら、さんさであれ鬼剣舞であれ岩手でも幾らでもできそうですし(秋田では「なまはげ居酒屋」を都心などでやってますから、河童や座敷わらしが飛び入りしても良いでしょうし)、私自身は、以前から、「北東北の玄関」たる盛岡駅の付近に、そうした商業施設を作るべきではないかと思っています。
それこそ、三県の様々な郷土芸能などを集めて演目等を月替わりなどにすれば、毎月のように新幹線で訪れるリピーターも獲得できるかもしれませんし、郷土芸能に限定せず、「九戸政実武将隊のディナーショー」とかもあって良いと思います。いっそ、AKBに倣って、年末年始に月替わりの12チームの総選挙を行って、その結果をもとに入替をするなどというのも話題性があって良いと思います。
県内などで同種事業を営む(或いは、その志がある)方は、ぜひ、この会社さんにお話しを伺うなどして、岩手でも実践していただければと思っています。
ところで、本書を拝見して思ったのは、沖縄=縄文系の血が多く残っているというイメージが強いのですが、本書のイラストで載せられている歴代の琉球王の顔立ちが、必ずしも縄文系(彫りの深い濃い顔)ではなく、弥生系を思わせる平板な顔立ちの方も少なくないという点で、特に、琉球の基本原理というべき「万国清梁の鐘」を掲げた第一尚氏の尚泰久王や、第二尚氏の創始者・尚円王の絵は、弥生人そのものという感じがします。
そこで、自宅に戻ってからwikiなどで少し調べたところ、琉球王国の成立(第一尚氏による琉球統一)は1429年(足利義持~義教期)で、それに先立つ10世紀から12世紀頃(平安期)に農耕に従事する人々(弥生人)が沖縄に移住し、その後、ほどなく三山時代(3つの国家に分かれた時代)が生じ、琉球王国に統一されたという記載がありました。
それを読んで思ったのは、琉球(沖縄)に国家という概念をもたらし社会の規模(単位)を拡げたのは、平安期に九州から移住した弥生人たちで、その移住が無かったら、地元民というべき縄文系の琉球人は、北奥の蝦夷たちのように、国家を持たずに暮らしていたのかもしれない、言い換えれば、国家を作り組織(人々のまとまり)の単位を大きくしていく気質は、縄文系には乏しく弥生系にこそ富んでいるということなのかもしれないと思いました。
この本の登場人物達の肖像画は、出版企業の関係者の方が独自に描いたもののようで、その元ネタ(昔から伝わる肖像画など)があるのか分かりませんが、ざっと見た印象として、歴代の王族は弥生系のすっきりした顔立ちの方が多く、家臣の方が、沖縄っぽい縄文系の濃い顔立ちの方が多いような印象も受けました。
そうしたことも、弥生と縄文の関係や特質などを考える上で、参考になるかもしれません。
ところで、私が中学生くらいの頃、大河ドラマで、1年を半分に分けて、奥州藤原氏の興亡などを描いた「炎立つ」と、琉球王国が島津氏の侵攻を受けた時代を描いた「琉球の風」を連続して放送したことがありました。
恥ずかしながら、当時は沖縄に関心が薄く、受験期ということもあり、琉球の風はほとんど視なかったのですが、今にして思えば、どちらも、弥生人の子孫(の本流)が作った大和国家とは別の政体を我が国の辺境(但し、見方によっては東アジアの要というべき地)に作ったもので、しかも、北奥政権(安倍氏・清原氏から奥州藤原氏まで)も琉球王国も、土着勢力(縄文の血が濃い人々)と移住した弥生系人種とが混血ないし一体化する形で作られた勢力であること、双方とも、最初は勢力分立(安倍氏と清原氏、三山時代など)から始まり、やがて統一国家が形成されたことなど、類似点が多いことに気付かされます。
敢えて違いを言えば、奥州藤原氏の成立には大和政権が深く関わっているのに対し、琉球王国の成立には全く?関与していないこと、前者には他国との緊張関係は全くない(渤海やオホーツク方面との交易はあったようですが)のに対し、後者は中華帝国との強い関わり(大和政権との二重服属)が必要になった(反面、大和政権からの侵略には江戸幕府の成立まで無縁で済んだ)ことという点が、挙げられるかもしれません。
こうした違いを踏まえつつ、2つの政体が共に「大和政権に侵略される姿と時代に翻弄された人々の様々な想い」を描いたという点で、炎立つと琉球の風を同じ年に制作、放送した意義は大いにあったのだと想いますし、改めて、時間があれば琉球の風を視てみたいと思っています。
あと、余談ですが、私が訪れた那覇の居酒屋さんは、たかが2件とはいえ、いずれも日本酒が無く、泡盛や焼酎などしか提供していませんでした。私は、刺身などのお供には、日本酒(なるべく、端麗辛口の冷えた大吟醸。典型は南部美人です)が最適と感じており、その点は大いに残念に感じました。
ぜひ、岩手の酒造メーカーさん達も、「縄文つながり」などと称して積極的に沖縄に売り込んでいただければと思いますし、達増知事におかれても、ちょうど、知事さん同士が反自民路線?で共闘できる関係にもあるでしょうから、そうした観点も交えて、日本酒に限らず、首里城の修復に使用するための漆を浄法寺から調達して持参いただくなどして、岩手と沖縄の繋がりを深めるようご尽力いただければと思います。