小規模弁護士会という「地域法務の大企業」と田舎の町弁の未来の働き方

半年ほど前から、著名ブロガーのちきりんさんのブログを読むようになり、その関係で著書も読んでみたいと思って、10月頃に「マーケット感覚を身につけよう」を読み、正月は、文庫本化された「未来の働き方を考えよう」を読みました。今回は後者について少し書いてみようと思います。

本書は、20代で大企業に就職するなど従前の社会で典型的な生き方を選んだ(そこに収まった)方も、40代でそれまでの経験などを踏まえて個としての可能性をより追求する新たな生き方(職業人生)にチャレンジすべきという趣旨のことを、まさにそうした生き方を辿ったご自身の経験や詳細な社会分析を踏まえて語った本です。

平成25年に出版された本ですが、内容は全く陳腐化しておらず、賛否両論ありそうな記載も幾つか見受けられますが、多くの方にとって学ぶところの多い一冊だと思います。

私自身40代に突入して間もない上、25歳で弁護士になり、15年以上、東京と岩手で町弁として生き、「公」はさておき「私」の部分では一定の達成感もある一方で、弁護士業界自体が大増員などで非常に混沌とした状況にあり、弁護士として生きていく場合でも従前と異なる新たな生き方が求められている(そうでなければ生き残れない)という点で本書がターゲットにしている層そのものと言え、そうした点でも大いに参考になりました。

また、本書では、近時の家電大手の凋落や過去に生じた幾つかの伝統的な重厚長大型の大企業の凋落などを例に、大企業に依存する生き方はリスクが大きくなりつつあるという点が強調されているのですが、そこで描かれている大企業像は、地方の弁護士にとって見れば、地元の弁護士会の姿と重なる面が大きいように思いました。

少し具体的に言うと、岩手(なかんずく盛岡)では、私を含む若い世代の弁護士が訴訟などの仕事を受任したいと思えば、独自に自分の事務所の宣伝をするよりも、弁護士会(盛岡の相談センター)で行っている法律相談を担当するのが最も近道である(それだけ弁護士会の相談には強力な顧客吸引力があり、委任希望のご依頼が集まってくる)という面があります。

私は平成17年から事務所のWebサイトを開設しており、平成20年頃までは他にサイトを開設する事務所は県内にはなく、盛岡市に限っては平成23年頃からようやく他の先生も開設をするようになったのですが、岩手はネットで弁護士を探すという文化については需給とも「周回遅れ」の面があるせいか、かつては債務整理以外の相談依頼を受けることはさほど多くはありませんでした。

近年そうした文化がようやく普及し始めたのかなと感じた矢先、債務整理の需要が激減した上、ここ1、2年は市内の有力な先生もWeb上で熱心に宣伝をなさっているせいか、数年前と比べてもHPルートでの依頼を受ける機会はかなり少なくなったように感じます。

これに対し、弁護士会の法律相談は後述のとおり10年前に比べて担当回数が半減しましたが、毎回、概ね満員となっています(震災前の時期は他県と同様に有料相談が廃れそうな様相も呈していましたが、震災無料相談が導入されたことで、劇的に息を吹き返しました)。

もちろん、私が担当日に弁護士会に行くのも事務所で相談を受けるのも「小保内が担当する相談」という点では何ら違いがなく、むしろ、必要に応じ書籍等を確認して回答し時間なども融通が利く当事務所での相談の方が、利用者にとっては利便性が高いことは確かだと思います(私に限らずですが)。

また、岩手弁護士会(盛岡)の相談センターは、盛岡市内の弁護士が交代制で担当しているため、数年前は概ね1ヶ月に1回、新人が急増した現在は2ヶ月に1回程度の頻度で担当しているのですが、相談者にとっては「当たりはずれ」のリスクは否めません。

現に、これまで依頼を受けた方から何度か、法テラスや弁護士会の相談で、年配の弁護士から酷い対応を受けたとか若い弁護士が要領を得ない説明を受け、私と話をして初めて得心できたというお話をいただいたことは何度かあります(かくいう私自身が、逆のように言われることもあったかもしれません。そこは、私の研鑽の問題を別とすれば、相性というほかありませんが)。

それでもなお、多くの方が個々の事務所にアクセスするよりも弁護士会の相談センターの門を叩く方を選ぶのは、個々の弁護士(法律事務所)よりも「相談や仕事を頼みにいく先」として県民・中小企業にとって圧倒的なブランド力があると認知されているからなのだと思います。

そのような光景に接していると、県民(利用者)の多くは、弁護士会が実施する相談事業を、あたかも田舎の県立病院のような「地域で圧倒的な規模を持つ一個の大病院(への通院)」のような感覚で捉えているのかもしれない、という印象を受けます。

また、そのように感じるだけに、激増による競争の深刻化と「利用者が自ら弁護士(受注者)を調べて選ぶ文化の未成熟」という2つの事象の組合せによる結果として、個々の弁護士(町弁)が、仕事の供給源たる「地域の大企業」としての弁護士会に対し、ますます依存度を深めていくのではないかと感じるところがあります。

とりわけ「若い弁護士が会務を一生懸命行うと、要職を歴任し豊富な人脈を有するベテランの先生から引き立てられ、様々な仕事・チャンスを紹介して貰える」ということは昔から言われていることで、そうした文化(ひいては弁護士会への依存)という傾向は、今後むしろ強まっていく面はあるのかもしれないと感じるところはあります。

恥ずかしながら、私の場合、東京時代から会務など(東京の場合、弁護士会とは別に派閥云々もありますが)への関わりが薄かった上、岩手に移転後は、債務整理特需の全盛期+家庭の事情で弁護士会の会合・飲み会に足が遠のいていたところ、いつの間にか、すっかり窓際族で定着してしまった感があり、最近は、私よりも何年も後に弁護士になった方が、遥かに「弁護士会の重鎮」として活躍されているようです。

もともとそうしたキャラではあるのですが、上記の事情から、事務所経営者としては、遅まきながら会務に積極的に関わらないと事務所の存立そのものも危ういかもしれないと、恐怖を感じるところはあります。

但し「弁護士の盛岡一極集中」という岩手の特殊性の裏返しとして、盛岡以外の他の地域で開業されている方はもともと弁護士会に仕事の供給を依存する必要が乏しく裁判所からダイレクトに受注する面も大きいので、以上に述べたことは盛岡=県庁所在地に限った現象というべきかもしれません。

ちなみに、本書98頁では「大組織に(幹部候補生として)就職することは、これだけ良いことずくめだったが、今やそのメリットは毀損されている」として、高給や安定、キャリア形成のチャンスなどが上記のメリットとして説明され、他方で「大企業を辞める人が重視する価値」として、様々な自由や「組織の序列、くだらない形式的な仕事」に人生を奪われないことなどが挙げられていますが、それらは、地方の弁護士における「一匹狼でいるより弁護士会に積極的に関わるメリット、敢えて関わらないメリット」と、重なるような気がします。

ちきりんさんのブログでは「大企業に依存する社会・人生」の減退ないし終焉・脱却(とこれに伴う個の復権)が現在の社会のトレンドになっているということが繰り返し強調されているのですが、地方の弁護士会は「周回遅れ業界」に相応しく?これまでは「個」が中心ないし基本であったものが、かえって弁護士会が地域の大企業(受注と供給の受け皿)としての性質をますます強めている(個々の弁護士の依存の度合いが深まる)かもしれない感じ、それを前提に、組織での出世に微塵も向いていない私が何に活路を求めていくべきか、悩んでいるというのが正直なところです。

基本的には、もはや後戻りは困難として弁護士会に依存しない形での仕事の獲得に力を入れたいのですが、地方の弁護士業界の「市場化」はまだまだ文化としては未成熟との感は否めず、そういう意味では周回遅れの宿命を負った業界で、伝統的な手法に依存せざるを得ない面は強く感じます。

もともと、我が国は、「平家、海軍、国際派」は出世できず、「源氏、陸軍、国内(内務)派」が主流を占める社会とされ、異質な他者(国外)と自由に幅広く接するよりも、同質的な身内を秩序で固めていく方が好ましいとされてきた組織ないし社会の文化があります(岩手弁護士会に関しても、そうした傾向を感じる面は率直に言ってあります)。

ちきりんさんは前者そのものといった感がありますが、私は、キャラは地味(後者)なのに生き方や志向は前者派という感は否めず、そうした「生き方の分裂」が生じているせいか、どこに行っても集団内の路線(多数派)との関係で不適合が生じたり「場の空気」に馴染めず内部で厄介者扱いされてしまう面があるように思います。

現代の急激な社会の変化の中で、そうした日本の風潮が多少でも変わるか、それとも、やっぱり「平家」は社会の閉塞感が高まっているときに一時的にもてはやされても短期間で退潮していくのか、また、変容の源とされる情報通信技術(コミュニケーション技術)の変革(IT革命)が日本社会の中で本当に「革命」と言えるか、それとも単なるクーデター=体制内権力者の交替の手段に止まるのかという視点も交えながら、弁護士会ひいては遠からず大変容を余儀なくされるであろう弁護士業界と向き合っていきたいと思っています。