演説きたりて弁骨枯る
日本の民事裁判(法廷)は、事案の争点に即した良質な主張書面を提出することが大事で、法廷で長々と自身の主張を述べることは求められていないのですが、民事訴訟法の本来の原則が口頭重視ということもあり、市民運動的なものが絡む事案やメディアの注目度が高い事案では、当事者(主に原告)が意見陳述を求めることがあります。
通常は当事者ご本人が意見を5~10分ほど述べ、実施されるのも第1回期日(と結審時)くらいというのが、普通の弁護士の感覚と思われます。もちろん、ご家族が非業の死を遂げたケースのように当事者に裁判官に思いの丈を伝えたい強いお気持ちがある事案(そのような心情がもっともだと思えるほどの事情のある事案)では、その種のやりとりがなされることは十分に意義があることだと思います。
が、先日結審した某大型事件(当方は被告)では、原告数が非常に多いせいもあるのか、尋問の期日を除き、ほとんど全部の期日、ご本人(期日ごとに毎回交代)と代理人の一方又は双方が意見陳述を求め、結審の際も代理人が5分ほど陳述なさっていました。
毎回、対岸でじっと聞かなければならない身としては、机上の訴訟記録に視線を向けて「皆さん(特に代理人)には他に主張立証や検討すべき事柄があるのでは」と感じる面もないわけではありませんが、演説自体は訴訟の本質・争点に照らした内容の当否はともかく自信と熱意にあふれた威風堂々としたもので、そうした「多くの人を巻き込んで起こす事件」を担当される弁護士さんにとっては、その種のパフォーマンス能力(や当事者のための舞台づくり)も不可欠なのかもしれません。
それらを毎回認める裁判所も相応のお考えがあってのことでしょうし、こんな法廷(指揮)もあるのかと興味深く感じましたが、この種の訴訟を受任したこと自体が初めてということもあり、謙虚な?姿勢を大切に拝見し続けたというのが正直なところです。
結審の少し前、書記官から「被告もご希望ならどうぞ」との連絡を受けたのですが、「依頼主からそこまでの料金を貰っていません」と、丁重にお断りしました。さすがに「タイムチャージ計算で当事務所はじまって以来の大赤字事件なので、そこまでコキ使われるのは嫌です」とは言いませんでしたが。
で、依頼主(ご担当)へのメールで、その話をお伝えすると共に、
「もし私にも演説して欲しいとのことでしたら、お申し出ください(どうせ演説するなら御社トップの方に・・おっと誰か来たようです)」
と軽妙なトークをかましたのですが、ご担当からは、一言、
「演説→不要です」と、簡潔なコメントをいただきました。
負けたら地域の重要産業に大変な混乱が生じますので、責任重大なのですが、来たるべき判決期日では、当方の希望するご判断をいただき「○○功なりて弁骨枯る」と軽口の一つも叩いて我が身を慰めたいものです。
余談ですが、原告代理人の若い先生は、久保利先生のネクタイに対抗するのだろうかと思わずにはいられない真っ青なスーツをお召しになることが多く、拝見する都度、「海が絡む事件だから、それを勝負服にしたのですか」とお尋ねしたい衝動に駆られるのですが、残念ながら今回も聞きそびれてしまいました(さすがに「ブルー卿と呼ばれることはありませんか?」などと聞くことはできないでしょうけど・・)。
その事件では、岩手の平和のため?経済的に報われない悲哀にもめげずに頑張っているところではありますが、そんな背中を誰かにご覧いただいているのか、幸い、今年は過分な報酬をいただける事案(と数年かかった事件の報酬をようやく頂戴した事案)も幾つかあり、どうにか年越しができそうです。