天竺から家庭の平穏と愛を祈る詩~ガンダーラだったら~

ウイルス禍に伴い、何日もご家族との予定外の濃厚接触が激増して不要不急の軋轢に悩まされている、という方が多数おられるかと思います。

逆に、一人暮らしをなさっている方は、一日中誰と話す機会もなく、逆の意味で残念な日々だと感じておられるかもしれません。

そんなときは、懐かしい名曲から作った替え歌で、モンキーマジックな日々を思い出し、心を癒やしていただければ幸いです。

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その家は 家事の多くを 放ったらかしてるよ
誰も皆やらないから 渋々こなしてた

そんなとき また後ろから 「ソレ違う」と言う声が
どうして自分でしないのだろう 教えて欲しい

それだったら だったら テメエでやりゃ いんじゃない
ダッターラ ダッターラ あんたやれ ダッターラ

甘い日々の思い出さえ 消えたと言うよ
旅立った人もいるが 切ないその背中

自由になったその暮らしは 素晴らしいユートピア?
あの頃に 夢見た家庭 まぼろしなのか

そうだったら だったら 踏ん張っても いんじゃない
ダッターラ ダッターラ 愛のくに? だったら・・

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なお、この替え歌はフィクションです。実在の家庭とは関係ありません(笑?)。

ところで、この歌詞は、もともと、前半(1番)が、名も無い家事を押しつけられたのに配偶者から文句を言われる夫婦の悲哀をやや滑稽気味に描いたもので(主役が男女どちらなのかは特定していません)、後半(2番)は、離婚した方々を意識して、前半よりもディープな歌詞にしてみました、というコンセプトで作っています。

が、この歌詞を読み返すと、それとは別に、「配偶者を亡くされた方が自宅で一人で家事をこなしていると、後ろから亡くなった方の声が聞こえてきた・・」という光景を描いているようにも見えます(そのような解釈が可能な歌詞になっています)。

そして、そのような見方をすれば、後半の歌詞も前半の延長で捉えることができますし、働かない配偶者に悪態をついているように見える前半の歌詞が、実は・・ということで、グッと切ないものに見えてきます。

そんなわけで、読み手のご判断で、色々な解釈をしていただければ幸いです。

また、ウイルス禍に振り回される家庭をテーマにした替え歌ですが、時折、受任中の事件の関係者の方々に「だったら自分でやればいいのに・・」と余計な一言が思い浮かぶ身のせいか、ある意味、私の本業に通じる面もあるかもしれません(これも、また余計な一言ではありますが・・)