司法革命の前夜?

最近、「弁護士の急増に需要が追いついておらず、弁護士の収入が大幅に低下している。かつては羨むような年収があったのに、今や憐れむような額しか得ていない」という記事をネット上でよく見かけますが、業界人にとっては、何年も前から公知の事実です。

この話は、この1、2年で一般の方々にも知られるようになってきたと思われますが、私自身、当事務所の運転資金の負担が軽くない上、ここ数年は作業量に比して利益率の低い仕事が増える一方で、残念ながらその例に漏れません。幸い、どうにか食べていけるだけの収入はいただいているほか、過去の蓄えもありますので、横領等の問題には直面しなくて済んでいますが。

このことは、以前にも触れたとおり、債務整理特需の後は町弁の実需が大幅に減ることが優に予測されるのに、弁護士の供給増を推進した方々が、それを見越した需要喚起や新業態進出などの実効的な対策(特に、相当の収益性を図ることができる仕事の確保や創出に関する対策)を取ろうとせず、業界側(弁護士会や個々の弁護士等)も同様の努力を怠ったことが主たる要因だと思います。

ともあれ、現在の町弁の収入が10年~数年前と比べて劇的に低下し、残念ながら同世代の給与所得者一般よりも大幅に少ない方も相当に生じてきていることは間違いないと思われます(反面、私がなりたての頃に存在した「若い町弁の過労問題」とは無縁の方も多く生じているのだろうとは思いますが)。

先日、日経新聞で、全共闘運動をしていた団塊世代が先鋭化せずに企業社会に溶け込んだことについて、その世代の学者の方が、当時の日本が豊か(高度成長期)で、学生運動をしていた面々がアルバイトを始めると、びっくりする金額が貰えたので、統制色の強い学生運動ではなく自由で経済的にも恵まれた世界を選んだのだと述べているのを見つけました。

記事では、「いま、デモをするアラブや欧州の若者を見ていると、若いときの自分たちと重なる。働いても人生が良くならないと思うと過激になる。私達は(経済成長の時代に育ったので)そうはならなかった。全体として幸運な世代だった」と締め括られていました

それとの対比で言えば、私が弁護士になった平成10年代前半は、町弁が経済的に恵まれており、私自身、正直に申せば、若いうちから(私の金銭感覚で)「びっくりする金額を頂戴した」ことも多少はありましたが、残念ながら、現在の若手は、そうした機会に恵まれず、働いても人生が良くならないと感じる弁護士が急増しているのではないかと思います。

現在のところ、若い弁護士さん達が「過激」な行動に出ているのを見たことがないのですが、そう遠くないうちに、高額な弁護士会費の減額や、会費の使い道とされる、「弁護士会の人権擁護運動」(それに従事する弁護士会事務局の人件費などを含め)の縮減を求める声が、若い世代から本格的に生じてくるのではと感じる弁護士は少なくないでしょう。私の知る限りでも、仕事に結びつかない会務に若い世代が集まらないという話をよく聞くことがあります。

この点、弁護士会の内輪もめで終わる話なら、業界外の方にはあまり興味のない話ということになるかもしれませんが、弁護士業界を超えた社会全体に波及する形で、自分の待遇に不満を持つ若い世代が「過激行動」を起こすか否かについては、関心を持ってもよいのではと思います。

上記の日経の記事で発言されていた先生は、団塊世代の10歳上の「学生運動のセクトの指導者世代」は、軍隊のような上意下達で、禁欲的かつ原理主義だと仰っていました。ただ、「若く貧しい弁護士を惹きつける原理主義」なるものが、今の業界に存在するかと言われれば、ピンと来ません。

むしろ、私(50期代)よりも10~20期くらい上の世代の方々の中に、私のようなノンポリからすれば一種の原理主義ではと感じるような、「弁護士会の人権活動」に熱心・禁欲的に取り組む方が多いように思います。また、私の同世代や少し若い世代の方にも、そうしたものに熱心に取り組んでいる方は何人かは存じています。

これに対し、若い世代の多数派は、そうした方に同調・依存するより、「カネにならない人権活動に熱心に取り組むことができるのは、裏を返せば、本業で働かなくても弁護士を続けていける(生活できる)何らかの利権に浴しているのではないか。そうした利権を剥奪・破壊して、自分の側にカネが廻るようにしたい」と希望していくかもしれないと感じるところはあります。

少なくとも、私のように、今や零細事務所の運転資金に汲々として、「人権運動」に手を出す余裕もない身からすれば、そうしたものに精力的に取り組むことができる方は、私が直面している金銭的な負担とは縁遠い世界を生きることができているのでしょうから、その点は羨ましく感じるところはあります。運転資金の負担がない代わりに生活費レベルの売上すら事欠くような若手にも、同じような感覚が生じるのは避けがたいところはあるでしょう。

ただ、仮に、そうした「いわゆる人権運動に取り組む弁護士さん達の背後にある利権的なものへのバッシング」のようなものが生じたとしても、それを具体的にどのように実現するかと問われれば、私も全く智恵が浮かびません。せいぜい、立法的・政治的手段くらいですが、それは司法の主たる出番ではないですし、その気運も高いとは言えないでしょう。

また、弁護士業務の特質として、現時点でペイしない仕事が、時代の流れや技術革新等により、突如として金脈の様相を呈することもあり得ることで、債務整理特需こそ、かつてサラ金対応が「ブル弁」の方々に忌避されていたことに照らせば、その典型と言えるでしょう(ただ、債務整理特需の特質として、高利金融の被害救済などに熱心に取り組んでいた方々は、その母体(左派系勢力との結びつきが強いこと)が影響しているのかどうかは分かりませんが、筆頭格である宇都宮先生をはじめ、誰一人として「大企業化」路線を取ろうとせず、そうした人権運動とは無縁の方々が、宣伝路線を突っ走り、「過払大手」などと称される現在の光景を築いたという異様な様相を呈しましたが)。

岩手でも、若い先生が震災絡みなど幾つかの分野でボランティア的な会務に熱心に携わっており、そうした光景を見ても、「人権活動」を若手が敵視するような流れが俄に生じることは考えにくいというべきなのでしょう。

そう考えていくと、結局、「分けるパイが増えずに人数だけが膨れあがった」町弁業界では、明治維新のような「上級武士(確たる社会的・経済的基盤を持つベテラン・中堅の方々)の特権やその根底にある幕藩体制(弁護士会ないし業界のシステム、慣行)に不満を持つ貧困下級志士(そうした基盤へのパイプに接点のない若い弁護士)が、下克上を狙って体制の転覆を図る」という事態は実現されず、上級武士の利権?に上手に入り込むことができた人や隙間産業に活路を見出した方だけが生き残り、その他は、(江戸に集まった田舎の次男三男が安価な労働力として使い捨てられたと言われるように)、死屍累々の山ということになるのかもしれません。

この点、明治維新の出発点(旗印)は、下級武士の不満ではなく、対外的な国家の危機(に起因する尊皇攘夷運動)であり、下級武士の不満はエンジンではなくガソリンのような位置づけになると思います。そのように考えると、まだ、現在の司法業界には、本当の意味での黒船(体制の抜本的変革を促すような危機意識を煽る存在)は出現していないと感じますし、尊皇論(抜本的変革を正当化する理論)や雄藩(新たな体制、理念の受け皿となる力量や影響力を持つ社会的存在)に当たるものも見あたりません。

もちろん、これまでの弁護士は殿様商売でサービス意識が足りないといった批判をする方は多く見かけますが、それは、現在の体制(司法=紛争解決・処理の制度)自体の抜本的変革を促す言説ではないので、「革命の論理」にはなりません(いわば、これまでの幕府・上級武士には奢りがあるので謙虚にせよ(外様・下級武士の意見も聞け)というレベルのもので、幕藩体制そのものを否定する論理ではないでしょう)。

そうではなく、現在のベテラン・中堅の多くが有する「現在の司法制度に関する知識やノウハウ(いわば、幕藩体制を支える知識やノウハウ)」を不要・無力化してしまうような、新しい司法制度(裁判所等の紛争解決のあり方、弁護士の関わり方)の導入を説得的に提唱する人物が登場し、かつ、それが、新時代に相応しい司法として社会の支持を受けることがあれば、そのときが本当の司法革命となり、その際は、現在の状況に不満のある若手は、自分達が時代の主役になれると信じて、諸手をあげてそれに殺到することでしょう。その際、一部では凄惨な光景も生じるかもしれませんが。

「ガソリン」が蓄積されつつある現在、そうした「革命の錦の御旗」ひいてはそうしたものを掲げて、ガソリンを利用して大きな物事を成し遂げようとする人物が登場するのか、それとも、会費減額のようなクーデターのレベルに止まる運動で終わり、むしろ業界がエネルギーの行き場を失い沈滞や混迷を深めるのか、私には全く分かりません。

或いは、「司法の国」の食えない民衆(若手弁護士)が異国に渡り(政治部門などに進出し)、異国の軍隊を率いて祖国を攻撃する(国民全体の利益になるか否かに関係なく、司法界の既得権益層に不利になる報復的な法改正などを行う)という展開もあり得るのかも知れません。

ただ、少なくとも、現在の弁護士会の「人権活動」の幾つかは、同じ結論を支持する政治的立場の方々はともかく、無党派層を含む国民のマジョリティにとって、ゼロではないにせよ、さほど社会的価値を認められていないように感じており、そうしたものを見る限り、若手の不満のはけ口が、そうしたものに向かったり、弁護士業界に関しては、そのことが何らかの内部抗争の素地になることが、あり得ないことではないと思っています。

個人的には、現在、様々な形でうごめいている憲法改正等を巡る動きや日本国の人口減少、或いはアジア諸国の隆盛・勃興などが、それ(司法革命など)と関係してくるのだろうか、もしするのであれば、その結論の当否はさておき現象自体は興味深いなどと感じるのですが、ともあれ、私自身は何とか業界人として生きながらえて、そうした光景を見守っていきたいと願っています。