啄木新婚の家やバス停に立ち寄ったことのある方なら、その北側(岩手山側)に、スギの一種とみられる一本の巨木が屹立する光景をご覧になったことがあるかもしれません。
この巨木は、啄木新婚の家と岩手山の間で両者の光景を引き締める役割を担っており、私は、当事務所を開設した直後から、この威風堂々たる巨木が好きで、「中央通三丁目のマザーツリー」と呼んできました。
この巨木が生えている場所は、中央通三丁目から長田町界隈の中では、最も古い歴史のある(らしい)邸宅であり、啄木新婚の家の往時の貸主だった(現在は同所は盛岡市が所有しているはずです)ほか、昔々は、この界隈の大半の土地を所有する大地主であり名家だったとも聞いています。
しかし、数年前、この邸宅の最後のご当主が亡くなり、相続人もなく家が絶えてしまい、様々な経過を経て、先般、ついに邸宅は人手(不動産業者)に渡りました。
そして、この巨木も、昨年末に邸宅と共に歴史の彼方に消えてしまいました。
どうして、そのようなこと(この木の持ち主のこと)を私が知っているかと言えば、その話に本業で少しだけ関わったことによるものです。
ですので、あまりペラペラと書いてよい話でもないのですが、この巨木へのレクイエムとして、ご容赦いただければと思います。
長寿の末に老衰で亡くなられた最後のご当主は、某英伝の(実質)最後の皇帝と異なり、放蕩には全くご縁のない生き方を何十年も続けていましたが、様々な残念な事情が重なり、後継者を得ることなく旅立たれたそうです。
私は、何年も前、ご当主が亡くなられた直後に、ご当主と一定の関わりがあり、この邸宅を何とか残したいという気持ちを持った方(現在は遠方にお住まいの方)から相談を受け、少しだけその件に関わりました。
その方は、何年ないし何十年も前に、ご当主などと相応の協議をなさっていれば、或いは、邸宅などの管理を引き継ぐこともあり得たのではと思われましたが(相応の事情のある方でした)、現行法の壁が大きく、その方のご希望に沿うことはできませんでした(或いは、旧民法なら、私の主張が認められる余地がありえたかもしれません)。
私自身、当事務所を開設した(盛岡に戻ってきた)ばかりの頃=15年ほど前、最後のご当主に一度だけお目にかかったことがあり(一時的な駐車場として短期間借りた区画が、ご当主が所有する土地だったようで、玄関で挨拶させていただきました)、そうしたことも含め、この界隈を代表する一族が、後継者を得られずこの地から絶えてしまったことに、寂しさを禁じ得ない面があります。
そうしたこともあり、この巨木の最期を垣間見た際、銀英伝を訳も無く思い出し、「あぁ、この地の黄金樹(ゴールデンバウム)がついに倒れた」と思わざるを得ませんでした。
もしかすると、この巨木は、この一族と共に当地の守り神のような役割を果たしていたのかもしれません。
別に、呪詛を唱えたいわけではありませんが、半月ほど前に撮影した在りし日の巨木の最期の姿を眺めつつ、せめて、このマザーツリーが成仏してくれることを願わずにはいられません。
今冬、盛岡は数年以上ぶりに、度重なる大寒波の猛吹雪を浴びています。降雪は、この巨木の死後間もない頃から始まりました。
或いは、この雪は、この巨木と一族の涙が、形を変えた姿なのかもしれません。