北奥法律事務所

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07月

「鶏とニンニクの聖地」岩手青森県境に、ブエノチキン・インスパイア系名物を

先日放送されたTV番組「ケンミンショー」で、沖縄で愛食される「ブエノチキン」という、鶏肉にニンニクを詰め酢に漬け込み丸焼きした商品が特集されていました

盛岡なら平船精肉店のローストチキンのイメージですが、ビールとの相性は、より高いように見えました。

鶏肉は沖縄県北の若鶏(他の原料の出所説明は無し)とのことですが、ニンニクと言えば青森県田子町(生産量も品質も日本一)、鶏肉も岩手県北が日本トップクラスの生産地だというのに、それを組み合わせた地域の名物を聞いたことがありません。

そこで、青岩県境の方々が次のような素材を持ち寄り、地域ならではの「ブエノ・インスパイア系チキン」を開発いただいてもよいのではと思われ、関係者のご尽力を期待したいものです。

・鶏→あべどり、菜彩鶏など(二戸及び周辺地域産)
・ニンニク→田子産
・醤油→ワダカン(十和田)?
・酢→ワダカンまたは津軽のりんご酢?

可能なら、現在、二戸ではホットな話題とされる「金田一温泉の再開発」の目玉商品にしていただいてもよいのかもしれません。ちょうどエリアのど真ん中ですし。

とりわけ、岩手青森県境(二戸と田子)は、かつて日本最大級の不法投棄被害に遭った場所ですので、それだけに両地域が協力して日本に明るい話題を提供することが期待されているのではと思っています。

余談ながら、盛岡北ロータリークラブでは、ホテルルイズが屋上バーベキューをはじめて以後、昨年まで毎回、8月例会はルイズで行っていたのですが、ルイズの廃業により、今年はレストランでの開催となりました。

今年は、私が8月例会の名目上の担当者だったので、あれこれ調べたのですが、市内(中心部など)でバーベキューが(平日夜に手ぶらで気軽に)できる商業施設というのは基本的に無いようで、残念に思います。

昔から「北上河畔や中津河畔に贅沢バーベキュー(今流行りのグランピング的な)ができる店舗があれば」と思っていますが、例えば、現在、工事中の木伏緑地などに、そうしたものを設けるのは難しいのでしょうか。

いっそ、盛南地区に移転し損なった市役所を盛岡駅南西に現在も広がるJRの敷地(盛岡中心部の最後の開発聖域?)に複合施設でも作って移転させ、跡地にそうしたものを作っても良いのでは?と思ったりもします。

久しぶりに再開した「京一郎とはるみシリーズ」で知多半島の大規模バーベキュー施設が取り上げられており、そうした余計なことばかり考えて拝見していました。

京アニ放火事件の被疑者の意識が戻らなかった場合(植物状態)の対処に関する法の不備?

先日の京都アニメーション社を巡る大惨事は、私も同社制作の某作品を拝見したこともあり、大変残念な思いを禁じ得ません。

この件では、犯人とされる人物が現在も重体とのことで「可能な状態になり次第逮捕」との報道もありますので、今後は回復等するのかもしれませんが、最初の報道の時点では、どうなるか分からないということでしたので、それを見たときは、仮に、この人物の意識が戻らず植物状態で生命のみが延命治療で保持できた場合、この御仁への処断はどのようになるのだろう?と思わざるを得ませんでした。

前提として、結果のあまりの重大さから、心神喪失認定などという展開でもない限り(裁判の際は被告人側は争点として提示するかもしれませんが、容易には認められないでしょう)、判決の結果は目に見えています。

しかし、意識不明のままでは公判(刑事裁判)を開くことはできませんので、意識が戻らない限り、延命治療を延々と(極論、数十年間も)という展開になる可能性もありますが、それでは被害者・遺族はもちろん国民一般の理解も得られないでしょう。

他方、不勉強で存じませんが、そのような場合に、いわば「死刑(絞首刑)の代替手段」として、この御仁について国が延命治療の中止を命じる(それによって死亡の結果を生じさせる)制度は現行法上、設けられていないのでは?と思われます。

さらに言えば、仮に今回を機に強制的な延命治療の中止の制度を設けたとして、この御仁にそれを適用できるかという論点(遡及処罰の可否)もあるのではと思われます。

第三者の身として、今、この御仁をどうして欲しいと言える立場ではありませんが、上記の点について適切な説明や解決のあり方などに見識をお持ちの方は、ご教示いただければ幸いです。

また、以前に「延命治療の中止と法律家の関与」に関してブログに載せたことがあったのを思い出したので、亡くなられた方々のご冥福などをお祈りしつつ、ご参考までに再掲します。

余談ながら、この事件の発生日(朝)の岩手日報に大釜保育園の49歳の園長さんが病気で急逝されたとの訃報広告が掲載されていたのを見つけ、この方はガンライザーに何度も出演していたオオガマックスの方なのだろうかと、そちらもご冥福を祈らずにはいられませんでした。

オレオレ宴会の受益者たちの責任の取り方とその先にある被害救済と予防の道

先月、吉本興業に所属する芸人の方々が、特殊詐欺(振り込め詐欺・オレオレ詐欺)により違法に巨利を得ていた集団(反社会的勢力)の宴会に参加していた問題が発覚し、ご本人達が無期限謹慎に追い込まれるなど、今も社会問題として盛んに報道されています。

先日も、報酬を得た方々が、修正申告(による納税)を行うと共に、受益額を超える額について消費者被害の救済を行っている団体に寄付を行ったという趣旨の報道がなされていました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190713-00000350-oric-ent

ただ、この事件を巡る報道によれば、芸人さん達の関わりが発覚する以前に詐欺集団(犯行グループ)の摘発がなされたとのことですので、犯人らにより現に詐欺被害に遭った方々も、全員とまでは言えないにせよ、相当の人数が特定できていると思われます。

ですので、原資がどこから来たのかという観点(被害者救済)からすれば、彼ら(芸人さん)達が得た利益を道義的見地などにより放出するというのであれば、その放出先は、当該事件の被害者への支給を目的とした基金に組み入れて、被害弁償(配当)の原資とするのが最も望ましいはずです。

この点、仮に、本件詐欺集団が摘発された際、連中が稼いでいた収益(犯罪収益)として相応の金額の差押ができていれば、その金額(現預金など)について摘発時の権利者(犯罪集団の関係者)の形式的な権利を剥奪し、警察等が被害者らに債権届を申し出るよう促した後、預金保険機構を通じて配当を実施するという制度(犯罪利用預金口座等に係る資金による被害回復分配の支払等に関する法律。通称・振り込め詐欺等救済法)に基づき、被害者らへの分配(配当原資の限度での被害回復)が可能になっています。

ですので、もし本件でその手続がなされているのであれば、芸人さん達は、その手続に基づく配当原資(基金的なもの)にこそ寄付して自身が受益した事件の被害者の救済こそ実現すべきだと思いますし、そうした形で被害回復に貢献するのであれば、延々と強い非難を向け続けるのも酷ではないか(関与への非難はさておき、けじめをつけたものとして所属企業=供給サイドからの活動再開を認めた上で、今後の出演や人気等の持続可能性はご本人の今後の活動の内容も踏まえたTV局その他の利用者サイドや社会の評価に委ねるべき)と思われます。

本件を巡る報道では、この点(犯行グループの摘発時に犯罪収益の凍結などがされ被害回復の手続が図られているのか等)についての報道がなく、そこは残念に感じています。

なお、私の知る限り、現行の被害回復分配金の制度は、摘発時に犯罪収益の確保(差押)ができた場合にのみ運用されているかもしれないのですが、本件のように、犯人から何らかの形で受益した者が、その利益を放棄し分配金の原資として提供することが認められて良いはずで、仮に、その点について制度の不備があるのであれば、早急に改めていただきたいところです。

また、この事件では被害者への分配金に用いるのが困難だという事情があるのなら、同種又は各種の犯罪被害について被害回復が困難な状況にある方を対象に一定の被害填補(給付)を行うことを目的とした基金を設けて、その基金に寄付し、最終的に本件又は同種事件の被害者の救済につなげるというのが、望ましいことだと思われます。

なお、そのような形で受領額(売上)をすべて放棄するのであれば、税務上も課税しないなどの措置が必要と言うべきでしょう。

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その上で、さらに「その先の話」として、以下のことも考えていただきたいところです。

今回は、社会内でも一定の影響力がある著名なお笑い芸人の方が、オレオレ宴会に参加し報酬を受け取るなどの事情を理由に、犯罪集団に便宜を図ったものとして強い非難を向けられ報酬も吐き出す(寄付する)ことを余儀なくされたわけですが、このように「違法に収益を得た経済犯罪の犯人が、違法収益を原資として、本来であれば利用できない経済的便益(商品購入、サービス利用)をするケース」は幾らでもあるわけで、今回の件にしても、犯行グループが宴会場として利用した会場(ホテル?)は会場費や飲食費などの収益を得ているはずです。

言い換えれば「犯罪者と何らかの商取引を行い、違法収益を原資として受益した」という点では、今回の芸人さん達だけが、他の取引先企業などと比べて特に異常なことをしたわけではありません。

敢えて違いがあるとすれば、今回の方々は頻繁にテレビ(公共電波)に出演するなどして一定の社会的影響力がある(それに先立ち犯罪などに無縁な存在として自身をプロデュースしてきた)という点になるのでしょうが、今回の件で彼らを非難する根拠を「犯罪者の違法収益から受益したこと」と捉えるのであれば、TV出演などしている有名人であるかどうかは本質的なことではないと言えます。

その点では、芸人さん達にこれだけバッシング報道が出るのであれば、本件で会場を提供したホテルにも抗議電話などが殺到してもおかしくないのではと思いますが、そのような報道を聞いたことがありません。

また、その会場(運営企業)が社会的に非難されて営業自粛を余儀なくされたとか、売上などを寄付したなどという話も聞きません(ネットで検索すると、会場だと名指しされる著名ホテルが出てきますが、そのホテルにそのような話が出ているなどという報道を聞きません)。

言うまでもなく、会場を提供したホテルも、社会的責任(CSR)の担い手という点では「お笑い芸人さん」達と異なるところはなく、芸人さんばかりが攻撃されてホテルなどは何のお咎めもなしというのは、かなりの違和感があるというか、恣意的なリンチのような気持ち悪さがあります(もちろん、会場となったホテルを大衆が攻撃せよと言いたいわけではありませんが)。

また、一般論として、この種の詐欺事件の犯人集団の構成員が自身が得た利益(犯罪収益による報酬)で過大な浪費をしたりギャンブルなどに明け暮れるという話は、この仕事をしていると相応に聞きますし、報道でも時々目にするのではと思います(悪銭身につかずを地で行くような光景と言えます)。

しかし、それらの浪費先(支出先)に対し、犯罪収益により不当に受益しているのだから受益額を吐き出して被害弁償に向けるべき、などという議論(立法提案)がなされているのを聞いたことがありません。

とりわけギャンブルに関しては、犯罪収益であれ借金の類であれ問題のある原資を用いる人が相当数いたり、ギャンブルの失敗で周囲に迷惑をかける人も珍しくないと言われているのに、元締め(運営企業)が獲得した利益を被害者救済に用いるなどという話がどこからも出てこないのは、残念なことだと思っています。

ですので、芸人さん達に限ることなく、会場(ホテル)であれギャンブル等であれ、犯罪行為(とりわけ組織犯罪)に基づく収益を原資としてサービス等の提供を行った者(企業)は、拠出者(購入者、サービス利用者)が犯罪収益を原資とすることに故意過失がある場合はもちろん、無過失であっても、受益(売上など)の程度が特に著しい(過大だ)と認められる場合には、一定の限度で収益を剥奪し被害弁償の原資(配当基金)とすることができる制度を設けるべきではないかと、昔から思っています。

もとより、その「債権回収と配当」の主たる担い手となるべきは弁護士ですが、制度を整備して争いの余地を少なくしたり捜査機関が適切な協力をすることで弁護士の労力を軽減し、その代わり、さほど苦労しない事案では報酬も抑えて被害弁償の原資の極大化を図る、といった工夫がなされるべきだと思います。

そして、企業側(サービスの供給者)が「この人に便宜を図ると、後で収益を剥奪されるかもしれないから、申出には応じない(違法に贅沢はさせない)」との毅然とした対応をとることができれば、最終的には「悪いことをしても割に合わない」という形で犯罪予防につながる面も出てくるのではと思われます。

そうした取組がなく「有名人叩き」ばかりが目に付く光景は、被害者保護が主眼ではなく「バッシング(石投げ)のネタが見つかった有名人を攻撃し溜飲を下げたいだけ」という世間の嫉妬の構造らしきものが見え隠れして、残念に感じてしまいます。

単なる有名人叩きで終わるのではなく、被害者救済であれ受益者の責任であれ予防的なことであれ、真に取り組むべきことに繋げる姿勢が、もっと社会内に醸成されてくれればと願うほかありません。

いっそ、「オレオレ集団を騙して巨額の金銭を一味から奪い取り、それを被害者救済原資として提供する凄腕芸人」でも出現してくれればと思わないでもありませんが、それこそ有名人まかせの浅ましい考えということになりそうです。

冬の県北と今年のスキー

かなり前の話で恐縮ですが、2月上~中旬ころ、立て続けに二戸の裁判所に仕事がありました。当時、すでに盛岡は全く雪のない毎日晴天の日々でしたが、新幹線のトンネルを抜けて二戸に出ると、そこは地吹雪体験の世界でした。

ある期日の際は、帰りの新幹線に間に合わず、恐らく20年ぶりに銀河鉄道に乗りました。新幹線よりも遙かに秀逸な車窓風景を久しぶりに眺めながら、特急の車内で銀河英雄伝説を読み耽っていた高2の夏を懐かしく感じました。

君のせて銀河の歴史が一ページ

2月下旬になって急を要する仕事が片付き少し余裕ができたので、ようやくスキーに行くことができました。しかし、今年の盛岡圏は雪は降らず晴天ばかりの日々であったせいか、サラサラの粉雪には遠い状態で、

滑りぞめ今年もやっぱり春スキー

という有様でした。

今年は合計で3回のみのスキーで、1回目が岩手高原、2回目は雫石に行きましたが、現行のリフトの終点の先にある、昔のゴンドラ駅の跡のあたりは標高のせいか良質な雪が残っているようで、「ハイシーズンの週末だけでもゴンドラを運行し、そこまで行けるようにして欲しい」と思わずにはいられませんでした。

雫石には修習中に少しだけ行き、第1ゴンドラに乗ってメンズダウンヒルコースを若干滑走したことがありますが、第2ゴンドラ=レディスダウンヒルコースは行く機会がないまま終わってしまい、ゴンドラ自体も無くなってしまった今、あの頃に一度だけでも行っておくべきだったと悲しみを禁じ得ません。

山頂の粉雪恋し雫石  双頭龍も夢のまた夢

ともあれ、雪はグシャグシャ、地面も表出という絵に描いたような春スキー状態のゲレンデ下部を抜けて麓に戻ると、足元の雪まで陽光のため下山中に解けてしまったように見えました。そうした光景に春の訪れを感じつつ、某ジブリ映画にひっかけて一句。

雪しずく春の麓に着きし間に

その翌週(三週目)は、修習中に一度だけでも行きたいと思いながら、安比ばかり行きたがる修習仲間に引きずられ?一度も行けずに終わった夏油高原スキー場に、あれから20年を経て、ついに初めて行きました。

こちらの雪も、ほぼ春スキー状態にはなっていましたが、それでもまずまず快適に滑走でき、ようやく宿願を果たすことができました。

帰路には、思うところあって北上パル(イオン)の「ドムドムバーガー」に立ち寄りました。子供の頃の休日は盛岡には縁が薄く、映画などは八戸に来ることが多かったのですが、当時、本八戸駅にあったドムドムバーガーでマヨネーズたっぷりのテリヤキバーガーを食べて帰ることが何度かあったと記憶しており、久しぶりに食べてみたいと思って立ち寄ったのですが、30~35年ぶり?にいただいたテリヤキバーガーは、思ったほどマヨネーズたっぷりではないようにも感じ、「思い出の味」は追憶の彼方といったところです。

できれば、その次の週にも、修習以来ご無沙汰になっている下倉スキー場に行きたかったのですが、寝坊で行けず来年に持ち越しとなり、昼から仕事に明け暮れるいつもの日々となり、その点は残念でした。

私はゴルフやテニスその他の「大人の社交スポーツ」を全く嗜むことができず、無雪期の唯一の嗜み(生き甲斐?)である登山(トレッキング)も仕事に追われて15年ほどご無沙汰になっているため、せめて、スキーだけでも死ぬまで続けていきたいと思っていますが、残念ながら現在のところ、家族(の一部)以外に同行して下さる方がおらず、どうにかならないものかと思っています。

ふたつの「もりおか」と地域のアイデンティティ

盛岡には「杜稜」と称する施設や団体などが幾つかあり、この古めかしい中国語は訓読みで「もりおか」になるため、盛岡を表す雅語として古くから親しまれており、企業名などを含め、市内で多く使われています。

他方で、先日の地元のネット記事で初めて知ったのですが、中ノ橋・肴町周辺のエリアは「杜稜地区」と称されているのだそうで、その地区に杜稜小学校もありますので、定義が混乱しているというか(「河南地区」とどう違うのでしょう?)、遠方出身のヨソ者には内実が非常に分かりにくい言葉だと感じています。

肴町周辺エリアが杜稜なる名乗りの発祥だという歴史でもあるのでしたら、ぜひご教示いただきたいのですが、或いは、過去の一時期に、そうした「流行り雅語」に飛びついた方々が市内にいて、それぞれが勝手に「杜稜」を名乗った状態が続いて現在に至っただけなのではと想像しないこともありません。

ちなみに、岩手県庁の公務員の方など(外郭団体を含む)が住宅ローン等の際に利用する公務員の互助組織たる金融機関は「杜稜信用組合」というのですが、これは盛岡信用組合と名乗っているものに他ならないので、盛岡以外の出身の県職員等の方々は、名称変更運動をしなくてもよいのかなぁ(アイデンティティを考えれば、岩手公園などよりも遙かに名称変更の必要があるのでは?)と感じないでもありません。

個人的には、「岩手信用組合」だとつまらないので、当県が南部と伊達の混成県であることを踏まえて「ナンダ信用組合」とでも名乗っていただければ、全国の皆さんの関心を惹きつけることができそうな気がします。

かなり前のことですが「杜稜地区」に関する記事を見つけたので、毎度ながら下らないことを考えて投稿させていただいた次第です。
http://www.morioka-times.com/news/2018/1809/28/18092801.htm

負けるな牛丼の友

かなり前の話で恐縮ですが、歌人としての活躍を期待されながら、若くして命を絶ってしまった方を紹介する記事を読んだことがあります。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/480831/
https://www.hikipos.info/entry/2019/03/28/070000

一般企業で就労するのが難しい方とのことで、非正規従業員として就労しながら短歌を発表していたそうですが、拝見すると啄木っぽい雰囲気もあり、残念に思います。

私も、大学卒業後はS法会の先輩に紹介いただいた「公立中学校の警備員のバイト」を終えた朝方に、S家の豚汁牛丼セットでぜいたく気分を味わって帰宅するも、腹が・・・という生活をしていました。

ぼく浪人 今年も落ちる秋がきて
牛丼屋にて牛丼食べる

銀座のイソ弁時代の夕食は、新橋駅近くのY家が利用頻度の最も多い場所で、事務所に戻って書類を見返した途端に腹が・・・という有様は変わらずでした。イソ弁も非正規のようなものと言ったら怒られそうですが(当時は分不相応の給与をいただき、おかげさまで開業できましたので)、ネオン街に消えていく皆さんとはついにご縁がありませんでした。

ぼくイソ弁 起案に追われる夜がきて
牛丼屋にて牛丼食べる

震災から数年経ち、昔と異なり胃は丈夫になりましたが、町弁冬の時代(或いは業界内格差)の影響で、1年ほど昼はスーパーの半額おにぎりとカップ麺に依存していました。現在は、某パスポートのお陰もあり、多少は食生活は改善しています。

ぼく町弁 運転資金がひもじくて
冷凍おにぎりチンして食べる

そんなわけで、この業界を目指す皆さんに向けて最後に一言。

法学の友よ、負けるな 
ぼくもいま事件に右往左往している

JR福知山線事故の刑事裁判で議論されなかった重大論点と、就労者の尊厳のいま

先日、H17に発生したJR福知山線の車両転覆事故に伴う大惨事について歴代社長が検察審査会により強制起訴され無罪となった最高裁決定(最決H29.6.12)が、判例タイムズ1457号に掲載されているのを見ました。

判決(決定)によれば、刑事裁判では、社長らが本件現場(カーブ地点)に自動停止装置を設置(指示)しなかったことが過失(業務上過失致死傷罪の成立を基礎づける注意義務違反)と言えるかが問われ、最高裁は、社長らには事前に指示すべき義務(刑事責任を問うだけの過失)はなかったと判断しています。

ただ、私はこの事件に不勉強でよく存じませんが、この事故に関する報道が盛んになされていた当時、JR西が運転士ら従業員に対し、日勤教育などと称する心身の健康を害するような抑圧行為を組織的に行っており、本件運転士も本件運転時にそれにより強いストレスを抱えていた(ので無理に遅れを取り戻そうとした)ことが、大幅な速度超過の原因だと言われていたような記憶があります。

決定文や判タ解説を見る限り、その問題が刑事裁判で問われていたようには見えないのですが、どうなんでしょうか。

少しだけWeb検索したところ、本件事故とは別にJRの従業員さん達が日勤教育について慰謝料等を請求した訴訟の記事が出ていましたが、本件で日勤教育などの就労環境上の問題が事故原因として争点となった訴訟等があるのかは見つかりませんでした。

もともと当然に有罪と言える事案ではなく、だからこそ事故の原因となった会社内の様々な問題を社会に問うべき面の大きい裁判だったのでしょうから(被告人の負担云々の議論は措くとして)、どうせなら「運転士の心身不調(による操作ミス)を誘発した(それを阻止すべき義務を怠った)関係者の過失」(体調等を管理すべき直接の上司などのほか、運転士の不調の原因となった悪習?に帰責性のある立場の方々の過失責任)も、民事を含め何らかの形で裁判所の審査の対象としてもよかったのではと思わないでもありません。

この件に限らず「モーレツ企業での末端従業員に対する過酷待遇(組織的なパワハラ行為?)」というのは、社会問題を生じさせた一部の企業を典型に、かつて日本社会で少なからず見られた光景かとは思いますが、そうであればこそ、こうした風習が個人の尊厳への重大な侵害になりうるものであることを裁判所が明確に宣言する機会があればよかったのではと感じています。

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ところで、少し前、伝聞ではありますが、次のような話を聞いたことがあります。

「盛岡市内のA先生の事務所では、職員が、ほとんど毎日、昼の時間に裁判所と弁護士会(サンビル)に赴くことになっている。これは、弁護士会や裁判所に設置されているポスト(書類入れ)に交付書類がないか確認するためというものだが、現在は急いで(その日のうちに)取りに行くべき書類がポストに挿入されることは滅多になく(そもそもポストが空の日の方も多い)、何のために行くのか疑問を感じつつも仕方なく往復している。なお、先生(弁護士)は、裁判所や弁護士会に行っても、自ら書類を取ることはない。」

私自身は、それを聞いて「なんて無意味で不合理なことをさせているのだろう、それって日勤教育とか身分制社会などと言われても仕方ないのでは?」と思わざるを得ませんでした。

ちなみに、当事務所では必要やむを得ない事情がない限り、職員に弁護士会や裁判所に書類を取りに(出しに)行くよう指示するということはしていません。事務所がこの2つの施設から遠い(自転車で10分、歩くと20分以上?)ということもあり、基本的に、私がこれらに行くときに、ついでにポストに寄って取っており、職員に出動を頼むのは、ごく希です(裁判所は私が頻繁に行くのでほとんどありませんが、弁護士会はあまり行く機会がなく、急ぎの用事があるときなどにお願いしています)。

もちろん「そんな無意味なことに時間を使う暇があれば、事務所内にもっとやるべき(やって欲しい)ことがある」という、ごく当たり前?の発想に基づくものですし、私も職員も皆、細々した仕事で相応に一杯一杯で、「しなくてもよい仕事(と称する無駄な行為)」に時間を浪費する暇(させる余裕)はありません。

ですので、「だったら、その先生(事務所)に無用で不合理な仕事を命じるのを改めよ(やりがいのある仕事を命じて欲しい)などと、団交申立など(ついでに記者会見も)をなさってはどうか」と戯言?の一つも言いたくなったのですが、そのあと、「あっ」と思い返したことがありました。

私が司法修習生のときにお世話になったB先生の事務所でも、その事務所の職員(事務員)さんが同じようなことを仰っていた(なさっていた)ことを思い出したのです。

ちなみに、B先生は県内の著名企業の顧問などをなさっている大ベテランのせいか、当時はさほど忙しく仕事をなさっているようには見受けられず、事務員さんも日中はかなり暇を持て余している感じがあり(私も雑談のお相手をするのが大変だった・・という記憶が微かにあります)、上記の「毎日のお使い」を嫌々しているという印象は全くありませんでした。

ただ、私がお世話になっている間は、その事務員さんに代わりに行ってくれる?と言われたことは時々あり、私も(修習生としてさほど起案などを命じられていなかったという負い目?もあって)無為徒食の日々を過ごすくらいなら、その程度のことはしなくてはと思って、昼食のついでもあり、ある意味、喜々として引き受けていたような気もします(他にも個人的な理由があったかもしれませんが・・)。

ですので、完全な想像になりますが、ひょっとしたら、盛岡のベテランの方々(A先生もB先生も、私が修習生になる前から長年仕事をなさっている大ベテランの方々です)には「事務職員に、昼になると裁判所や弁護士会に書類の提出や受取のお使いをさせる文化」が、かなり以前(数十年前)からあったのかもしれません。

そして、A先生は、(少なくとも先生や事務所の主観では)それを今も続けているだけに過ぎない(殊更に、無駄な仕事を強要して就労者の尊厳を害しているという認識は持っていない)のかもしれません。さらに言えば、もしかしたら、冒頭の話に登場したA先生の職員さんも、さほど仕事を抱えているわけでもなく、その「毎日の昼のお使い」があることが事務所で就労する上での存在意義になっている面もある、などという話もあるかもしれません。

そうであれば、「そんなの日勤教育じゃないか」などと一方的に非難することができるのか、という話につながってきそうな気もします。

ただ、「就労対策の一環として、本来は必要がない軽作業をさせている」といった類の話なのであれば、その方が障害を持っているなど相応にやむを得ない事情があれば致し方ないのかもしれませんが、そうでなければ、最近流行りの生産性云々の話を持ち出すまでもなく、「就労者の尊厳」という観点から、そのような光景は決して望ましいものではないのであって、労使双方が真摯に「各人のあるべき仕事のあり方(仕事の創出のあり方)」を考え、実践を積み上げることが求められていると思います。

本当は、そうしたことなども地元の先生方などとお話できる機会があればと思わないでもありませんが、諸々の理由で夢のまた夢、ということになりそうです。