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2019年

黄川田もと議員の知事選出馬で生じる旧小沢氏勢力のラグナロクと、三陸の中心で「防潮堤をぶっ壊す」と叫ぶ誰か

次回の岩手県知事選挙が告示まで3ヶ月を切ったものの、報道によれば達増知事を含め現時点で誰も出馬表明をしておらず、どうなることやらという記事を散見します。

青森県では現職が5選されたとのことで、まあ岩手も同じ展開になるのだろうとは思いますが、達増知事が初当選時に「原則2期」と仰っていたことや、この12年間、震災対応などで尽力されたことは窺われるものの、最近の報道などを見る限り、知事をさらに続けたいとの強い意欲(まだ途上の政策があるなどという発言)を拝見する機会がなく、或いは達増知事自身も辞めたい(国政に戻りたい)のではと感じる面もあります。

達増知事以外に泡沫候補しか出ない選挙なら、不要(無投票4選でも仕方がない)なのでしょうが、それでは民主政治が機能していないとの批判もあるでしょうから、私はいっそ、先日に参院選擁立の断念が決まったばかりの黄川田徹・もと衆院議員に知事選に出馬いただいた方がよいのではと思っています。

政治から引退なさるにはまだ年齢的にも早いでしょうし、今、達増知事以外で、知事選への出馬が現実的に可能で(期待でき)、かつ知事として一定以上の県民の支持(得票)を受けることができる方(知名度や相応の実績が認知されている方)といえば、黄川田氏以外にはいないのではと思われます。

それ以上に、黄川田氏が出馬した場合、達増知事が対決を選ぶのか、敢えて対決を回避し衆院選を選ぶのか(岩手一区なのか、それ以外なのか)、その点は、非常に興味深く感じます。

達増知事が「元祖・小沢チルドレン」であること、黄川田氏が小沢氏と袂を分かった状態にあることは、県民なら誰でも知っていることでしょうから、達増知事としては、以前に小沢氏から離反し自民党に接近した平野達男参院議員を「裏切りの政治」などと批判したように、闘争心を剥き出しにして対決に臨む、という展開になるかもしれません。

その場合、自前の候補者擁立に失敗した自民党岩手県連にとっても、黄川田氏は「達増知事に勝てるかも知れない唯一の候補」であり、黄川田氏が出馬したときは、自主投票などの名目をとりつつ、事実上、黄川田氏の支援勢力に廻る可能性が高いのではと思われます。

もちろん、黄川田氏の盟友的存在であり、黄川田氏が出馬するときは選挙の要となる階猛議員は、細野議員を意識してか「圧倒的与党としての自民党には絶対に行かない。自分なりの方法で非自民勢力の糾合を目指す」と掲げていますので、自民党岩手県連が黄川田氏を表立って支援するなどというのは迷惑千万でしょう。

他方で、圧倒的な集票力を持つ達増知事に黄川田氏が勝つためには、やはり自民党勢力の基礎票を手に入れることが必要です。

例えば、自民党側が表向きは「我々は候補を擁立できず自主投票に追い込まれました」と静かにしつつ、裏側では打倒・達増知事の実現のため、階氏・黄川田氏に平身低頭・三顧の礼を取り、自分達の姿を表に出さずに基礎票はしっかりと固め、無党派層向けに「震災で家族を失う悲劇に耐えて復興支援に長年従事した黄川田氏が知事になって陣頭指揮を執り内陸(県央・県南)と沿岸・県北の格差解消に努めることこそ、岩手が真に一つになる道だ」などとキャンペーンを張ることができれば、達増知事に勝つことも夢ではないと思います。

他方、そこまでの態勢を黄川田氏側が整えることができれば、賢明な達増知事は、敢えて、黄川田氏との対決を避けるかもしれません。

さすがに、黄川田氏・階氏陣営が露骨に自民党側と手を組む光景が現出してしまうと、達増知事も後には引けないでしょうが、少なくとも最初の時点では自民党の姿は絶対に出さないでしょうから、もし達増知事の本音が「衆院に戻りたい(そして、小沢氏の引退時には勢力の禅譲を受けたい)」というのであれば、かえって、黄川田氏の出馬を渡りに船として、衆院選の準備を始めるのかもしれません。

その場合、達増知事の向かう道は、恐らくは岩手1区でしょうし、達増知事としても「最も落とし前を付けるべき相手(旧小沢氏勢力仲間)」は、自身の後継である(はずの)階議員でしょうから、そうした展開になれば、お二人の宿命の対決が、ついに実現することになります。

それこそ、巷間ささやかれる衆参同一選などという展開になれば、今年中にその展開がやってくることになるかもしれません。

黄川田氏であれ階議員であれ、達増知事にとって十分に闘い甲斐のある相手でしょうからし、達増知事自身、小沢氏の後継者としての認知を受けるためにも政敵を選挙で倒すことを希望しているでしょうから、見応えのある「岩手の小沢チルドレンたちの最終決戦(ラグナロク)第1章」とでも言うべき光景が出現するのではと期待したいですが、黄川田氏の知事選出馬という「最初の一手」がなければ、何も始まりません。

裏を返せば、仮に、階議員が「達増知事とだけは闘いたくない」と考えておられるのでしたら、このまま延々と知事を務めていただいた方が都合がいいわけで、黄川田氏擁立の意見には反対の急先鋒になるのでしょう。

しかし、衆院議員としては引退した黄川田氏が次回の総選挙で再出馬というのも無理がある話でしょうから、政治の舞台で他に黄川田氏に活躍の場を提供することが難しい(私には思い当たりません)以上、知事選こそ黄川田氏の登場の舞台として最も相応しいことは、階議員も十分に理解されているのではないでしょうか。

階議員の人柄からも、ご自身の保身を黄川田氏の活躍(花道)に優先させるような方ではないでしょうから、現在の岩手政界の沈黙は、黄川田氏の知事選擁立に向けた「嵐の前の静けさ」と期待したいところです。

それこそ、黄川田氏の出馬会見に同席した階議員が達増知事に向かって「知事としての仕事はもう十分なさいました。あとは、総選挙で私と決着を付けましょう」くらいのことを仰っていただければ、男気という表現が当てはまるか分かりませんが、ある意味、しびれるような気がします。

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ところで、達増知事であれ黄川田氏であれどなたであれ、次の岩手県知事になる方には、ぜひとも考えていただきたい政策があります。

先日、カラ相談こと誰もこない振興局相談の担当で宮古に赴いた際、山田町に向かう海沿いの道路をドライブして唖然としたのですが、宮古市南部の海沿いの道路に沿って、巨大防潮堤が長城のように完成しており、無機質なコンクリートの壁が延々と続く姿は、まさに収容所群島そのものという光景でした。

数年前、法テラス気仙(大船渡)の相談担当をしていた最後の時期にも、そうした刑務所のような光景を目にして残念に感じていたのですが、こちらの方が遙かにスケールが巨大で、こんな場所にいたくない、一刻も早く通り過ぎてしまいたいと思わずにいられませんでした。

かつて、そこには、のどかで相応に美しい海岸の風景があっただけに、なおのこと、悲しさが募りました。

もちろん、防潮堤は嫌がらせのため作られたのではなく、そこで多くの人命や財産などが失われたことの証でしょうし、そこに暮らしている方々(防潮堤の内側たる道路沿いに、幾つかの人家なども拝見しています)には、命の危険に脅えずに済む暮らしの方が遙かに大事なのでしょうから、安易に防潮堤を否定したいわけではありません。

しかし、この光景が未来永劫続くのだとすれば、それは、どう考えても恥じ入るべきというか、大地への冒涜であると共に、三陸の「海と人が交わる誇りある暮らし」を続けてきた先人や子孫にも申し訳がないのでは、と思わざるを得ませんでした。

何より、あんな空間で生活を余儀なくされる人々、とりわけ子供がかわいそうだと思わずにはいられません。

やはり、たとえ困難な道であっても、刑務所或いはベルリンの壁のような防潮堤に頼るのではなく、50年、100年かかっても、海沿いには基本的に居住せず、業務等のため(津波が来れば待避できる形で)海沿いを利用するとの前提で、高台移転などを実施し、その上で、醜悪な防潮堤は全てぶっ壊すことが、震災後の時代を生きる現代岩手人には求められているのでは?と思わざるを得ませんでした。

ですので、次の知事には、「いずれ必ず防潮堤をぶっ壊す、ぶっ壊しても大丈夫な三陸をつくる!」と叫んでいただきたいと願ってやみません。

そうしたことを含め、今、議論されるべき多くの論点があるはずなのに、我々現役世代の大人達を筆頭に、日々の仕事や生活に追われているのか遊び呆けているのか分かりませんが、問題とすべきことを問題とせず、誰かが何かやってくれるさといった風潮が蔓延しているのが今の岩手の実情なのでは、などと偉そうなことを呟いてみたりもします。

そんな岩手をぶっ壊す、と叫んでくれるリーダーの登場を待ち望むこともまた、無責任な他力本願の極みなのかもしれませんが。

殺傷事件から考える、ひきこもり問題の解決のあり方

川崎市の無差別殺傷事件で、犯行中に自殺したとみられる被疑者(犯人)が長期のひきこもり状態だったとのニュースが取り上げられていますが、私も以前、長期間のひきこもり問題を抱えていた方に関する傷害事件に携わったことがあります。

詳細は差し控えますが(無差別系の事件ではありません)、他者と社会生活上の関係を築くことができない状態が長く続くと、家族など周囲の方を含め、残念な悪循環が様々な形で生まれる一方、破局的な事件が生じるまで第三者が解決に関与しない展開になりがちであることは確かだと思われます。

それだけに、早い段階で本人を「陽の当たる場所、暖かいと感じることができる場所」に連れ出し、その人なりの居場所や生きがいを社会内に見出すことができる程度に心を温める営みが、公的機関など第三者の関与のもとで行われるのが望ましいでしょうが、私の知る限り、そのような制度や営みなどというのは、ほぼ聞いたことがありません。

私が関与した事件でも、行政その他が自宅訪問その他の関与を行ったという話は全くなく、私が関わった後も、第三者の関与・支援という話は、限定的なものに止まりました。

また、私の関与(の原因となった件)を機にご本人を心療内科などの医師に診て貰った方がよいのではとご家族にお願いしましたが、医師からは治療対象ではなく来る必要はないと言われたとのことで、ひきこもり問題には、医療以外のアプローチが必要となる方も多いのかもしれません。

少なくとも私が関与した事件では、就労や人間関係の構築のトレーニングができる通所施設(サービス)のようなものを本人が早期に利用できれば、その後に深刻な対人トラブルを生じさせることもなかったのでは(簡単ではないにせよ、ご本人は、社会適応が全くできないタイプの人ではない)と感じる面はありました。

いわゆる池田小事件を契機に心神喪失者等医療観察法が制定された(と言われる)ように、あまりにも犠牲の大きい今回の件を機に「支援法」に止まらない一定の強制措置も伴う「ひきこもり対策法」制定の動きが生じるかもしれないと感じていますが、幾つかのネット記事などで言及されているように、当事者にとって北風ではなく太陽となりうる施策を図っていただければと思っています。

この仕事の性質上、「その後」に全く関わっていませんので、あの方々は、今、どうなっているのか、どのような思いでこのニュースを眺めているのか、ふと思ったりしました。

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と、FBに書いて投稿したところ、他の方から、秋田県藤里町の取組みをご紹介いただきました。
http://fujisato-shakyo.jp/hikikomori

今回の事件のように暴力性向が進んでしまったように見受けられる方だと、若い頃に適切なフォローができないと現時点での対処に難しい面が伴うとは思いますが、ご本人に社会復帰の意思が十分あるケース(大半はそうだと思いますが)なら、藤里町が行っているような取組で、一定の成果を上げることができそうな気がします。

藤里町の現在も含め、健全な方向で議論や取組が深められることを願っています。

また、問題を抱えた方とのコミュニケーションに奮闘した経験をお持ちの方から、厳しいご意見もいただきましたが、すでに社会現象化して久しい状態を放置してよいのかという問題はあり、とりあえず、ちょっとだけでも太陽のもとに多少無理にでも引っ張り出してくる制度(担い手)は、あってよいのではと思っています。

少なくとも、限られた人間との不自然なコミュニケーションだけが続くのは望ましいことではなく、子供についてしばしば言われるように「家族以外の良識ある多くの他者と接触する機会」を持たせることが望ましいと思います。

言動が不安定で暴力リスクを感じる方をどこかに長期隔離するようなものは、昔に保安処分制度という形で散々議論されたように賛成できるものではありませんが、通所的なものなら、精神科の保護入院制度のように、親族などの希望に応じて、ある程度の(緩やかな?)義務づけはあってもよいのではと思ったりもします。

もちろん、そのためには、なるべく平穏に家から連れ出す必要があり、暴力リスクのある方だと最後は警察云々の出番になるかもしれませんが、可能であれば、民間(地元)の屈強かつ良識ある有志による説得、といったような営みがあれば有り難いのでは、と感じています。

ひきこもり支援(就労対策など)を民間の「善意」に丸投げするようなことになってしまうと、良心的な支援者が本人の職場放棄や社内トラブルなどを抱えて疲弊したり、中には搾取などの問題が生じることもあるでしょうから、担い手支援や公的関与など透明性の確保を図る工夫が必要かとは思いますが、そうしたことも視野に入れて、取り組みや制度が深化するのを願っています。

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余談ながら、川崎市の事件では、被疑者が家庭環境に恵まれず養育先となった家庭で自身が公立小学校、養育先の同世代のお子さんが標的となった小学校に進学したとのことで、そのことが犯行動機に影響している(要は、不遇な少年時代の代償を求める趣旨で、その小学校の通学児童を標的に選んだ)のではないかと推測されるものとなっています。

この仕事をしていると、犯罪行為に及ぶ人の中には、長期に亘り不遇な日々を余儀なくされた方が、まるでその日常ないし人生の代償(いわば、その人にとっての「ハレの日」)を求めるような形で、たまたま社会の隙を見つけたときに犯罪に流されてしまうという光景を垣間見ることがあります(私が刑事弁護人として関わったのは、主として、凶悪な殺傷ではなく窃盗絡みの事件ですが)。

ですので、社会が許容・容認或いは(可能なら)歓迎できる形で、不遇感を余儀なくされる日々を過ごした(過ごしている)方に、人々に迷惑を掛けないまっとうな形での「ハレの日」(一部の成人式のように、人によっては多少の違和感や見苦しさなどがあったとしても、そうしたものへの寛容さを含めて)を提供できるように、社会側に様々な工夫や努力が求められるのではと思っています。

盛岡市長選に関するJCアンケートと問われるべきこと

先日、facebook上で「盛岡JC(青年会議所)が盛岡市長選の公開討論会(本年8月予定)の準備として市政に関するアンケート調査を行っている」との投稿が流れていました。

この「盛岡JCが行う政治絡みのアンケート調査」は、私の認識違いでなければ、平成19年に盛岡JC(JC岩手ブロック)が増田寛也知事の要請に応えて「マニフェスト検証大会」を行った際、担当委員長さんの発案で始まったものですが、私も委員会の下っ端としてアンケートの作成に関わっており、後年には分析レポートまで作成したこともありました。

今回のアンケートは、回答者の属性に関する質問のほか、「重要だと思う政策課題を多数の選択肢から選ぶ」質問と自身の見解を問う個別の質問が2つという構成になっていますが、平成19年のアンケートの形式もほぼ同様であり、色々と懐かしさを禁じ得ません。

というわけで、折角なので、アンケート調査に回答することにしました。で、最後まで書いたところで、当時は無かった「1万円ギフトカードプレゼント」という告知を見つけたので、「ひょっとして俺もあたるかも、いや、こんなに立派なこと(自称)を書いたんだから、きっと当たるに違いない」とネジの外れた感覚に浸りつつ住所氏名も書いて送信ボタンを送りました。

が、そのあと、アンケート案内のページを見たところ・・

「アンケート調査期間 4月1日~4月30日」

と書いてあるではありませんか。

まさか、5月以後に送信した奴はギフトカードの(集計も)対象外??

がーん(?)

というわけで、悔しまぎれに、設問4、5で書いたことを載せましたので、候補者の方々とお話しする機会のある方は、ぜひ、質問等の参考にしていただければ幸いです。

【盛岡の魅力とは】

古代から近世まで、時には中央政権の広域支配の拠点、時には衝突の舞台となり、近代は政府要人を輩出するなど、北日本固有の精神(続縄文文化)と中央政権の国策(弥生)が交わる最前線ないし結節点としての色合い(二面性)とそれに起因する成果を生じさせた歴史を持っていること

【盛岡市長立候予定者に聞きたいことは】

明治期から戦前頃まで、原敬や新渡戸稲造、旧制盛岡中学関係者をはじめ盛岡出身又は縁のある多くの人材が政・官・財・学・文の各界で活躍し勇名を轟かせましたが、戦後から現在まで、そのような話を聞くことは少なくなり、文化・スポーツ等では一定の著名人を輩出しているものの、とりわけ政官財の世界では盛岡出身者の際だった活躍を聞くことがあまりありません。

そのことに対して、時代の違いと理解するほかないのか、市長として、日本や世界で活躍できる人材の育成や支援について特に検討されていることがあるか、現に活躍されている方々と現在の市民(とりわけ若年世代)との架橋や市民への還元のあり方なども含め、ご自身のお考えをお知らせ下さい。

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と書いて送信・投稿した後になって「こうした、何とでも言える主尋問型の質問よりも、意地の悪い反対尋問型の質問を考えた方がよかったのかも」と少し思ったりもしましたが、どうなんでしょうね・・

 

野党合併論争と「階議員と達増知事が対決する日」

先般より、国民民主党(旧・民進党の中道派?の方々)と自由党(現在の小沢氏勢力)の合併が、岩手1区選出の階議員が反対する中で合意されたとの報道がなされています。
https://www.sankei.com/politics/news/190426/plt1904260009-n1.html

階議員は、もともと達増知事が岩手1区から知事選に出馬した際に達増氏の後継者として見出され、達増知事らの強力な支援のもと当選を続け、当初は、各所で小沢氏の応援演説をなさっていました(私も、弁護士会の会合など複数の場で聞いたことがあります)。

が、その後は民主党分裂騒動の際に小沢氏と袂を分かったのを振り出しに、民主党岩手支部の財産管理を巡り小沢氏勢力と訴訟闘争を余儀なくされたり選挙でも小沢氏勢力(希望党候補となった達増知事の奥方)と対決を経験するなどしており、その後に親分として担いだ細野議員に希望党騒動が生じたことも含め、旧民主党系の現職議員の中では激動の政治家人生を歩んだ方の一人と言えるでしょう。

報道では、支援者との協議次第では離党の可能性もありうるとのことですが、階議員が、今後、政治家としてどのような道を進まれるのだろうか、そして、それに対し周囲の政治状況がどのように反応するのかという点については、選挙区民ならずとも興味深く感じるところではと思います。

残念ながら、当方は事情通の類では全くありませんので、次のような劇的な展開になったら、大変おもしろ・・もとい、岩手1区内で政治や政策のあり方を巡り深い議論がなされるのでは妄想しないこともありません。

①階議員があくまで合併反対を貫き、同志と共に離党。

②参院選は、さしあたり無所属で「岩手の旧民進党勢力」の方々と共に黄川田氏を擁立。

③参院選は、野党票が割れて平野氏(自民系候補)が当選。

④それが自民党に事実上、恩を売った形となり、自民寄りの無所属議員として「将来の入党」を目指す。

⑤その延長で、細野氏と統一会派を結成。会派名「れいわ民主党」

⑥それらへの落とし前として、岩手の最強候補こと達増知事が、ついに次回の衆院選で岩手1区から「階議員への刺客」として出馬。

⑦自民党岩手県連もこれまで選挙で敗れ続けた達増知事を追い落とす千載一遇のチャンスとばかりに階議員の自民入党を了解・支援し、自民党候補となった階議員と野党系統一候補たる達増知事の一騎打ちが実現。なお、現職の高橋議員とは比例優遇または参院・県知事選出馬?などを通じて円満解決し、両者とも必勝の態勢を整える。

かくして、達増夫人との選挙戦(仮称・いわて保元の乱)に続く階議員と達増家の宿命の対決・第二幕の結果やいかに!

などという展開になってくれれば、少なくとも現時点では、どちらが勝つのか全く見通せませんので、1区であれ他の選挙区であれ「投票日前から結果が見えていて、投票所に行く気力も失せる選挙」ばかりが続く岩手の選挙史上、かつてない稀有な戦いが期待できるのではと、政治家の方々とはご縁のないノンポリ無党派層としては、野次馬根性を逞しうせずにはいられません。

ともあれ、選挙に身を委ねなければならない方々の大変さに敬意を表しつつ、国民主権の内実を高めるような質の高い営みがなされることを願っています。

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R01.5.19追記

先日の報道で、階議員が国民民主党を離党しつつ黄川田氏擁立は断念するとの報道があり、残念ながら?②が外れてしまいましたが、他勢力の支援が得られない中で予測される結果からすれば、現実的な判断と言わざるを得ないのでしょう。

ともあれ、階議員が小沢氏と袂を分かちつつ自民に与するわけでもない状態では、達増知事も落とし前の名分が立ちにくく、このままでは「階議員vs達増知事」という宿命?の対決は実現しそうにありません。

しかし、選挙で厳しい戦いを勝ち上がることは政治家にとって何よりの求心力になるでしょうから、お二人がそれぞれ「影響力のある国政政治家」でありたいと希望なさるのであれば、そうした戦いが実現することこそ、お二人のために良いことなのでは?と思っています。

石川知裕君の健闘と北海道知事選の先にある「道民の魂」の深化を願って

明日に投票が行われる北海道知事選には、以前にも書いたことがありますが、私の高校1年時のクラスメートである石川知裕君が出馬されています。

彼にとっては申し分のない乾坤一擲の大舞台として健闘を大いに讃えたい一方で、様々な経緯から野党統一候補として擁立され、師匠格であり強い信頼関係で結ばれていた鈴木宗男氏や松山千春氏とも袂を分かった形で選挙戦を余儀なくされたこと、彼自身は本質的には野党色の強い方ではなく党派色のない「道民全体を代表したい」との意識の強い方であろうことなどから、心中いかばかりかと察せずにはいられません。

それはさておき、高校3年間、北海道のよそ者として全道各地から集まってきた若者を拝見する中で、「蝦夷の国」こと北東北との異同を感じたり考えるなどしてきた身としては、彼が「北海道独立宣言」なるスローガンを掲げていることには、強い関心を抱くと共に、議論の深まりを大いに願うところはあります。

今回の選挙戦は、与野党の党派対決という見方をするのなら、現政権が現在のところ大きな失政批判も受けずに運営していることなどから、世間の関心もさほど高まらないのもやむを得ない、という感じがしますが、北海道内の本質的な路線対立の闘いという見方をするのであれば、非常に意義のある選挙だと言えるはずです。

大前提として、私もさほど勉強したわけではありませんが、北海道は、極端な「札幌一強(富や権力、人口その他の札幌集中)社会」であることは間違いありません。隣の韓国は極端なソウル一極集中社会ですが、その点では日本で最も韓国に近い社会経済構造になっているのではないかと思います。

日本全体に「東京(首都圏、或いは大都市圏)的なるもの」と「非東京的なるもの」の路線や利害の対立があるように、北海道は「札幌的」な都市住民と「非札幌的」な田舎在住者との間で社会経済生活や意識などの分断・疎遠さがあり、両者は、あたかも「自分達は一つのクニ(北海道)の住民として、アイデンティティを共有しているのだろうか(そうしたものを共有しない、違うクニの住民同士になっているのでは)との様相を呈していると感じる面があります。

東北でも、震災後、猛スピードで一極集中(いわば「札幌化」)が進む仙台と他の地域とで、同種の現象が出てきているでしょうし、岩手でも、規模は遙かに小さいでしょうが「盛岡圏(や花北圏などの一部)とその他圏」との間で同じような分断が一定程度、生じているように感じます。

独立宣言なる石川候補のスローガンは、ご自身が足寄(十勝の田舎)の出身であり議員時代などに道東の農業等従事者の利害代弁を強く意識してきたことからも示されるように、北海道における田舎(地方)の人々の意識を代弁する面が強いように感じますし、そのことは、「ラストベルトの代弁者としてのトランプ氏」に類する面があるのかもしれません。

余談ながら?高校も「北海道の田舎の秀才が集まる高校(札幌や旭川の方は、南高・北高など地元のトップ校に進学されるので、ラ・サールには来ません)」で寮生活を過ごしていますので、その点でも道内の都市的なものよりも田舎的なものの方に親和性があると言えそうです。

これに対し、相手方の鈴木氏は、ご自身が東京出身(元都庁職員)という点もさることながら、破綻した北海道の田舎(夕張)を国家ないし東京的なるものの強い影響のもと(時に現場に様々な疲弊も生じさせつつ?)苦労して再建する事業に携わり、現在も中央政府=自民党政権の強い支援下で選挙選に従事されていることなどから、ご自身のお気持ちなどはどうあれ、否応なく「東京・札幌=都市的なもの」の価値観(バックグラウンド)を体現する候補としての色合いがあるように思われます。

要するに、鈴木氏vs石川氏という対決は、「北海道の都市的なものと田舎的なもの」という路線対立の意味合いがあるように思われるのですが、それは、北海道においては、「東京的なもの」との関係性をどのように捉えるかという点で、東北とはまた違った彫りの深さがあるように感じます。

高校時代、私の学年では東京方面の人は全くおらず、本州では北東北勢と関西方面の方しか見かけませんでしたが、道内から集まってきた面々を見て、この人達は標準語(ひいては東京的なるもの)にコンプレックスを持っており、北海道弁に愛着を示しながらも、それが、標準語よりも表だって言いにくい言語で、なるべく標準語で話さなければならないとの意識を持っているのではと感じるところがありました。

より露骨に言えば、彼らに「一番偉いのは(ここに東京の人がいないのに)標準語、次は北海道弁、関西弁は異世界なので良くも悪くも別格、東北弁は下位カースト」という無意識の姿勢があるのではと感じるところがありました。

少なくとも、関西勢は、声や態度の大きい人も僅かながらいたせいか、言語として弾圧されることはなく寮内で遠慮なく関西弁を通していたのですが、北東北勢は、私に限らず個人のキャラの問題もあったのか、肩身の狭い思いを余儀なくされ、「地元の言葉(訛り)では話しにくい」という雰囲気は明確にありました。

余談ながら、私は大学に進学し東京に出てきたとき「東北の人なのに全然訛ってないね」と何度も言われたことがありますが、良くも悪くも高校時代(100人部屋の高1寮)の経験が強く影響したのだと思っています。

で、何のためにこの話を書いたかと言えば、東北(とりわけ北東北)の民が、「長年に亘り中央政府とは異なる文化や歴史を紡いだ蝦夷のクニの末裔」という意識(プライド)を持ちやすく、それが東京的なるものとの距離感を持つ上で時に役立つ面があるのに対して、北海道は、良くも悪くも明治初期の移民・開拓政策を中心に出来上がった社会であり(それゆえに、最大母体であろう東北のアイデンティティが失われたのは、残念なことだと言わざるを得ないところはありますが)、東北よりも物心両面で東京的なるもの=中央政府との距離感が近く、悪く言えば「東京的なるもの」に依存・従属しやすい面があるように感じるのです。

であればこそ、「北海道独立宣言」という石川候補のスローガンは、そうした事情も踏まえて北海道のアイデンティティを改めて見つめ直し、その上で道民のプライドを再構成しようではないか、というメッセージのようにも読み取ることができますし、ご本人もさることながら、多くの道民(受け手)が、そのような観点で議論を活性化させることができれば、そのことは、今回の選挙で個別の争点として掲げられた事項(原発、IR、JRなど)に負けず劣らず意義のあることではないかと思っています。

北海道の出自やアイデンティティをどのように考えるかという問題は、江戸期から明治初期に北海道に進出した多くの和人を「困難な開拓を生き抜いた誇りある素晴らしい人々」と称賛すべきか「アイヌから土地と文化を奪った悪い奴ら」と糾弾すべきなのか、難しい面も有していると思います。

いわば、北海道は日本で唯一と言ってよい、米国、豪国などと同じ十字架を背負った土地であり、そうであればこそ、我が国で、北海道だけが体現、実現できる価値があるとも感じます。

道民ではない私には、選挙戦そのものについてコメントできる立場ではありませんが、結果はどうあれ石川君の「他の誰にも体現できない数奇な闘い」は、今後も数十年に亘り続いていくのでしょうから、それが社会にとって意義のあるものになると共に、ご自身やご家族のますますのご健勝を強く祈念しています。

割るぞうくんと雪の慕情

私の通勤用の駐車場は近所のご老公から賃借しているのですが、良心的な価格で有り難い反面、ご老公には除雪が無理とのことで、これまで豪雪時には駐車場全体が凄まじいボコボコ状態となり走行がままならず、開業直後にJAFのお世話になったのをはじめ、何度も何度も悲しい思いをしてきました。

そんな私がカチカチの駐車場を砕氷するため救世主のごとく現れた「割るぞうくん」。私は一昨年にその存在を知りましたが、最近は岩手日報などメディアでも紹介される機会が増えているようです。

去年欲しかった!
もっと前から欲しかった!
今年(年末)買った!

でも、今期、まだ雪が積もりません(今ココ)。

と、1月頃にFBで愚痴をこぼしていたのですが、結局、2月も3月も盛岡は全く豪雪がなく、ついに今回の冬は割るぞうくんの出番がないまま終わってしまいそうです・・

やむなく、八代亜紀氏に倣って、割るぞうくんのテーマ曲を作り雪乞いをすることにしました。皆さんもぜひ一緒に歌っていただければ幸いです。

******

心が忘れたあの日々も
膝が寒さを覚えてる

車の雪かきできなくて
エンジン無駄にふかしてた

堅い 割れない 堅い 割れない
ついに手にした 今は割りたい

雪ふれふれふれ もっとふれ
私も割るぞうくん 使いたい

雪ふれふれふれ もっとふれ
私の割るぞうくん 出番来い

一人で砕けた凍結路面を
なぜか粉々にしたくて

ボコボコだらけのこの道を
自分のことのように感じてた

きらい 寒い街 きらい 寒い街
ついに手にしたから 今は住みたい

雪ふれふれふれ もっとふれ
私も割るぞうくん 使いたい

雪ふれふれふれ もっとふれ
私の割るぞうくん 出番来い

******

幸い、割るぞうくんのメーカーの方からも好評を頂戴した?ようで、いつの日か、この替え歌をひっさげて本物のご出演により商品CMを全国展開していただければ、これに勝るよろこびはありません。

(R01.12.13追記)

公表時には一番の替え歌までしか作成していなかったのですが、歌いたいという奇特な方がおられればと、さきほど2番も作りましたので、ぜひ、最寄りのカラオケで熱唱していただければ幸いです。

(R02.12.28追記)

本作は私の替歌作品群の中でも特に上手くできたと感じている一作で、商品販促の効果はもちろん、雪国に住む誰もが、実感をもって熱唱できる作品だと自負しています(現に、昨夜も自転車で事務所に戻る際に粉雪を浴びながら歌ってました)。

改めて、歌詞について考えてみたのですが、原曲「雨の慕情」が「おんなの未練や執着」を唄った昭和的な曲だとすれば、この「雪の慕情」は、艱難辛苦を叩き割って自身の人生を切り開く「現代的な女性の生き様」を唄った曲だと言うことができそうに思います。

それだけに、この作品は世に出す価値があるのではと、手前味噌ながら感じており、先ほどもメーカーの社長さんに、

ぜひ、貴社から八代氏ご本人に、オファーしていただき、(いきなり全国CMはハードルが高いでしょうから)ユーチューブなどで歌っていただく(八代氏自身がゲシゲシと凍結路面を砕く映像つき)方向で、ご尽力いただけないか

と陳情したところです。

ついでに、出番がなくて当事務所内で寂しそうにしている割るぞうくんの写真を載せましたが、商品自体はもちろん、本作もいつか陽の当たる日がくれば、まだ1~2回しか出番が得られていない彼も浮かばれるだろうと願っているところです。

ちぃたん☆vsチータンの法廷闘争が来る日?

最近、カワウソのゆるキャラを巡って関係者が紛糾状態にあるという報道が繰り返されていますが、1月中旬に「解任」の記事が出た直後、「じゃじゃ麺を擁する盛岡の人々は、何かコメントをしなくてよいのか」などと思ってFBに下記の戯言を掲載したことがあります。

先日のニュースでは、事の発端(舞台)となった高知県須崎市が、ちぃたん☆の運営会社(芸能事務所)に対し、市が権利を有する「しんじょう君」に関する権利侵害を理由に使用停止の仮処分を申し立てたとのことで、事態はさらに泥沼化しているようです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190222-00000138-spnannex-ent

請求の当否などは分かりかねますが、「ゆるキャラ」の元祖と言われる「ひこにゃん」では自治体と制作者との間で熾烈な法廷闘争が繰り広げられ判決もなされたと記憶しており、そうした展開もありうるかもしれません。

この種の事柄は、官製キャラクター商法と評してもよいのかもしれませんが、制作者と利用者との間の信頼関係が十分でないとか利用者側に多数の関係者が生じ思惑もバラバラである(適切な協議や統一がされていない)とか、一部の関係者に非常に無責任な姿勢があり、それに便乗し事態を悪化させる者が新たに生じて混迷を深めるといったパターンはよく見られるような気がします。

消費者(そのキャラクターを楽しむ側)であれば、「ゆるいから良いのだ」ということになるかもしれませんが、提供者側が「ゆるい」のでは無責任等の言い換えに過ぎないとの誹りを受けてしまうでしょうから、そうした話を全く聞かない熊本や船橋の方などをはじめ、キャラクタービジネスの権利管理や活用に長けた方々から学ぶ姿勢を大事にしていただければ良いのではと思います。

キャラクター商法に限らず大雪りばぁねっとのようなケースも含め、官民連携で行われる事業は「官の無責任」と「民の濫用」で惨憺たる事態に陥るリスクを内包していますので、公金や公共財を扱う資格のない者に物事を委ねることのないよう、適切な監視や監督がなされる仕組みの構築や運用に意を注いでいただきたいものです。

【虚構新報いわて支局速報 31.1.17】

お騒がせ中のゆるキャラ「ちぃたん☆」に対し、盛岡市商工観光部が、じゃじゃ麺の締めのスープである「チータン」との誤認混同を招きかねないなどとして、不正競争防止法違反を理由に名称の変更を求めていることが分かった。

17日に記者会見したタニフジ市長(仮称)は「チータンはじゃじゃ麺と共に市民が長年愛してきた宝。勝手に名前を使うのは盛岡ブランドへの重大な侵害だ」と憤る。

「ちぃたん☆」の運営会社は取材に対し盛岡市の要求に応じるつもりはないとした上で「今度は、チータンをたっぷり注いだ皿回しにちぃたん☆がチャレンジする動画を投稿する予定です」と回答。

これに対し、タニフジ市長も「そんな暇があるなら白龍で皿洗いでもさせて欲しい。当市も、ゆるキャラ『元祖ちぃたん★』を作って世界に伝えたい」と応酬し、両者の対立は深まるばかり。

一番かわいそうなのは、昔から人間のエゴに翻弄され今や絶滅したとされるニホンカワウソかもしれない。

そして事務所の維持のための徹夜仕事は続く

前回の投稿は単なるご挨拶でしたので、今回が実質的に本年の初めての投稿となります。

昨年も細々とした仕事に追われ、ブログの更新をなかなか行うことができず、12月は恥ずかしながら投稿ゼロの状態になってしまいました。

せめて、年末に平成30年の総括的な投稿をしたかったのですが、仕事納め直後も私事に色々と追われ、投稿できずに終わってしまいました。

その上、1月中~下旬に風邪をひき、欠勤せずには済んだものの10日ほど37~39度の状態が続き(結局、病院で薬の処方を受けた途端に収まりました。いつも、治りかけになってようやく病院に行ってます)、深夜・土日残業が困難で、結局、1月もブログは新年のご挨拶しか掲載できませんでした。

もちろん、裏を返せばそれだけ多くの仕事をいただき、事務所を持続可能な状態にできているものに他ならないというべきで、そのこと自体はご依頼をいただいている皆様に感謝申し上げるほかないのですが、以前は、そのような状況の中でもブログの更新など「あれも、これもできたのでは」と思うところがあります。

端的に申せば、昨年は、これまでになく「昔ほど無理ができなくなってきたのかも」と感じる面がありました。以前は、事務所で深夜から明け方に書類仕事をして朝に僅かな就寝を経て通常業務に臨む生活を繰り返していたのですが(反面、翌日や土日に睡眠負債を取り戻す生活を強いられました)、昨年の後半から、そうした生活をあまり行うことができなくなってきました。

代わって、昨年末には、夕食後、夜のうちに体力が尽きて就寝し早朝に起床して事務所で1~2時間ほど仕事し8時半に一旦帰宅し朝の兼業主夫労働を終えて出勤するという、これまで全く経験のない生活パターンが出現しました。

以前も、深夜に事務所に戻って1~2時間後に力尽きることは多々ありましたので、必ずしも「時間外労働」が激減したわけではないのですが、それでも以前に比べて長時間労働・深夜労働ができなくなってきているかもと感じる面があります。

これまで、日ペンならぬ「永遠の20代、自称・4代目小保内義和」という感覚で生きてきたのですが、いよいよそのように強弁することが難しくなり始めたのかもしれません。

ただ、これまで「当事務所は、人が遊んでいる時間や寝ている時間に私が働き続けることによってのみ運転資金が確保でき存立できる」という実感のもとで生きてきましたので、私が「老い」を受け入れ、人並みの就労時間で仕事を止めて「楽しい余暇」を日常的に過ごしても構わないなどと思い始めた途端、すべてが破綻するのではないかという恐怖心があります。

もちろん、ワークライフバランスなどという絵空事?はさておき、仕事の能率などをあげて、本業以外にもより様々な経験を得ることこそ弁護士にとって必要という気持ちもありますが、「余計な作業を割愛し効率よく仕事をしたい」と思っても、裁判官を筆頭に様々な方から「あれも、これも、それも、どれも」と山のように追加作業が降りかかってくるのが町弁の避けがたい現実であり、自身の能力等の不足を嘆きつつも地道に研鑽を重ねるほかないのでしょう。

日々、運転資金の負担を抱えて小規模な企業を経営する方々は、皆、同じような思いを抱えておられるのかもしれませんが、ともあれ、当方もまだまだ多少の無理が利く程度の気力や体力はあるでしょうから、本年も皆様に頼りにしていただけるよう、挫けることなく頑張っていこうと思います。

と、ここまでは1月中に書いていたのですが、1月下旬に風邪が直った後、突如として、徹夜仕事が可能な体力が戻ってきて、完徹(全く睡眠せず)とまではいかなくとも、半徹(1~2時間ほどの仮眠)で乗り切るという生活が復活してきました。

恐らく、風邪とその治療を通じて体内の何か悪いものを吐き出すことができたのではないかと感じていますが、ともあれ、徹夜仕事ができると「俺もまだまだ捨てたもんじゃない」と感じてしまう面はあります。

まあ、徹夜(深夜~明け方の長時間起案)を余儀なくされるのは、その多くが限られた報酬で膨大な作業を強いられる不採算事案ですので、ある種のマゾヒズムや屈折した達成感に浸っているのかもしれませんが。

風邪の際に「お薬手帳」を見たところ、ここ10年ほど、概ね3年おきに風邪が本格化し病院の処方薬に頼っていることが分かり、今後も2~3年ほどで「溜まった疲れを吐き出すための風邪」がやってくるのでしょう。

ちなみに、今回のタイトルは、平成22年の弁護士白書で日弁連公害対策環境保全委員会が掲載した同委員会の活動報告「そしていのちを守る戦いは続く」から拝借したものです。

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追記。平成24年末に、旧ブログにこのような記事を載せていたのに気づいたので、ついでに再掲しました。

【仕事納めの夜に】 12.28

若い頃は仕事納め直後から正月にかけての時期に、1年の溜まった疲れが吹き出すように風邪を引くことがよくありました。

現在は、妻の実家への帰省などの年中行事の都合上、最も風邪を引くことが許されない時期に様変わりしたせいか、その前後の時期に病を得ることが増えたような気がします。

そんなことや色々なことに思い巡らせながら丑三つ時に辿り着いた一首。

イブに風邪 治す矢先に事務所泊 椅子で寝る背を看る月も無く

今年の業務は本日までで、翌日には否応なしに出発となる予定です。本年は、修習生時代に親しくさせていただいた方に関する悲報に接するなど、前年等に引き続き大きな喪失感を伴う年となりました。来年は、社会に限らず身近なところでも、再生や芽吹きを感じることができる年であればと願っています。

平成31年の年頭のご挨拶

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨年も、地域の中小企業や個人の方々の様々な法的問題の対処、解決に従事しましたが、争点が多岐に亘る建築関係の訴訟や担保権付不動産の処分に関して難しい法律上の争点に加え多数の利害関係者の調整が必要となった事案など、苦心の末に良好又は穏当な成果を挙げることができた受任事件が幾つもありました。

本年も交通事故や家庭内の問題、債務整理など日常的に取り扱う類型から行政の重要な経済政策が争われている訴訟など規模の大きい事件まで、個々の受任事件に懸命に取り組むことなどを通じて、ささやかながらも社会のお役に立てればと願っております。

皆様におかれましても、変わらぬご愛顧のほどお願い申し上げます。

ところで、31日の夜から1日未明にかけて、「エクソシスト7」と「8及び9」というタイトルが付された夢を見ました。

人類が世界各地で悪魔に敗北し多くの人々が禍々しい姿に転じて闇夜で狂宴を繰り広げる中、最後にマコーレ・カルキン風(ホーム・アローンより)の少年が巨大な魔女と対峙し何某かの対話(議論)を繰り広げた末、魔女が悪魔達を引き連れて去り、人々が元の姿に戻っていくと共に闇夜に天から光がさして終幕を迎える、というものでした。

法的紛争も時には禍々しい何かが憑依したような様相を呈することもありますので、そうした状態の解決に今後も多少なりとも役立つことができればと思っています。

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