北奥法律事務所

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2023年

どっちつかずの私達は、明日の盛岡市長に何を求めて誰を選ぶか~無党派層のための羅針盤を目指して~

日曜に実施される盛岡市長選ですが、金曜の岩手日報に、谷藤・内舘両陣営とも支持が拮抗しており(日報の表現は「競っている」)で、有権者の4割が態度未定との記事が出ていました。

盛岡タイムズのWeb記事も概ね同旨と思われ、他の情報筋からの実感としても、かなりギリギリの?相当な激戦ではと思われます。

日報調査では、50代は内舘氏・20~30代は谷藤氏が優勢と述べられていました。

若い世代が現職優勢というのは、安倍首相と同じ現象(幼少時から在任していたので、見知らぬ新人より親近感を持つ)ではと感じましたが、ともあれ、記事からは40代の無党派層(私も?)の動向で決着すると言わんばかりですので、なおのこと一票の重みを感じて投票に行きたいと思います。

私自身は下記のとおり各陣営のご本人又は有力支援者の方と面識はあるものの、それ以上の関わりを持っていない完全無党派層(蚊帳の外とも言いますが)であり、そのような意味で「投票直前まで悩みたい人」の一人です。

というわけで、今回は、事実上の決定権を持つ無党派層の参考になるよう(投票率が少しでも上がるよう)、この件について少し書くこととします。

どちらかの応援演説の類ではなく、無党派=どっちつかず(どっちもつけず)の立場から、無党派層のための参考になればという形で書きます。

以下、候補者お二人を「谷藤市長」「内舘さん」と書きますが、現職には肩書を付して記載したいのと、内舘さんはJC在籍中にお世話になり面識があることが理由であり、それ以上の他意はありません。

***

前置きとして、敢えて私自身と候補のお二人との接点(の有無)を書きます。

内舘さんは、私が盛岡JCに入会した平成17年に卒業された方(当時の肩書は、元理事長を指す「顧問」というものでした)で、当時、会員の1人として相応に親しくさせていただきましたが、その後は、JCやRC関係の行事でお会いする機会があればご挨拶する程度の関わりしかありません。

谷藤市長は、遠くから拝見した程度なら何度かありますが、面識はなくご挨拶できる機会にも恵まれず、相対して会話等した経験もありません。

いきさつは存じませんが、私が盛岡北RCに入会する以前からクラブの名誉会員となっているものの、私の入会後はクラブの例会等にいらしたことはないと思われ、その意味では内舘さんよりも遠い存在です。

反面、上記の理由から、私がRCで親しくさせていただいている方々は谷藤市長の支援者の方が多いと思われ、その点は、RCに限らずJC関係者でも、谷藤市長の支援者の方が多いのではとの印象を受けています。

内舘さんがこれまで出馬された過去の市長選の際、JCで同時代を過ごした「仲間」の方々は、ほとんど関わらなかったのではと思われますし、そのことと、従前、谷藤市長が自民系、内舘さんが野党系の候補者と目されてきたこととは、先後は分かりませんが、無関係ではないのだろうと思います。

ちなみに、お二人のどちらからも仕事をお世話(紹介等)いただいた経験は全くありません。

以下、本論です。

***

今回の市長選ですが、報道等されている候補者お二人の言動から感じる限りでの対立構図は、敢えて失礼?な表現も一部用いれば、次のようなものと理解しています。

①谷藤市長に飽きたか(交代を求めるか)、継続を求めるか。長年の重鎮にお任せする安定の市政と、半素人の挑戦者による混乱リスクも覚悟する市政のどちらを求めるか。

②有産階級が推戴する市長と無産階級が推戴する市長のどちらを求めるか。今の暮らしに概ね満足・幸せか、閉塞感・生きづらさ等を感じるか

③税金の使い道はインフラ整備重視か、個人(ヒト)への給付・補助重視か

wikiなどを見れば、谷藤市長が平成15年の就任時に「それまで危機に瀕していた盛岡市の財政に大鉈を振るい(緊縮財政や市庁舎移転凍結など支出削減)、財政状況を改善させた」ことが詳述されており、恐らく、それは大筋として正しいのだろうと思います。

少なくとも、この十数年、盛岡で巨額の市費を投じた(が維持費で火の車になっている)残念施設ができたとか、バラマキ行政をしているという類の話は聞いたことがありません。

私は、行政(政治家)が無駄な公共事業や利権絡みのバラマキ政策で巨額の債務を作って将来の世代にツケを強いる類の話が大嫌いで、カネの無駄遣いをせず役所の財政を健全にする政治家は、そうでない方より遙かに良いと思っていますので、その意味では谷藤市政に不満はなく、大筋で良い仕事をしていただいたのだろうと思っています。

ただ、私は平成16年10月に盛岡に戻ってきましたが、当時から現在まで、

谷藤市長が財政を大幅改善させ、市民を危機から救った

などという報道を見た記憶が全くありません。ですので、谷藤陣営がこの点を強調されているのをFBなどで拝見しても、ピンと来ないというのが実感としてはあります。

それが、善政の報道・宣伝を怠った地元メディア等のせいなのか、それとも上記の「谷藤市政の説明」自体に不正確な部分があるのか、私には分かりません。

ともあれ、市長ご就任間もない頃から現在まで盛岡に在住してきたフツーの住民の立場からは、谷藤市政に対しては

殊更、悪政だとは思わないが、善政なのかもよく分からない。この間、盛南開発は進んだと思うが、その当否も一概に判断しにくい。他の地区はあまり代わり映えを感じない(それが無為無策か税金節約なのかもよく分からない)、市長はあまり身近に感じないし、市民への血の通ったメッセージ発信を感じたこともほとんどない(が、それが問題なのか否かもよく分からない)、そのような意味で、市長がどのようなリーダーシップを市政に発揮されているのかも、よくわからない(市政は安定しているので、まとめ上手なのだろうけれど、それを発揮している姿が見えない・伝わらず、善し悪しも判断できない)

というのが正直なところで、そういう意味で、谷藤市政を殊更否定したいとは思わないものの、何らかの飽き(退屈さ、或いは距離の遠さ)を感じていないといったら嘘になると思っています(それは、市長だけでなく市議会・市役所を含む市政全般に言えることなのでしょうが)。

**

他方、内舘さんは(パンフ等に書かれているとおり)JC卒業直後(40歳頃)に一旦、家業を離れ?建設会社を起業し(具体的な事情は何も存じません)、相応の成功を収めた後、市長選の挑戦を続けてこられた方ですが、この間、市議など市政運営に従事された経験はないと思われ、そのような意味では、

政治的にはほとんど素人

と言って良いのではと思われますし、市役所のような大組織の運営に関与された経験もさほど無いのだろうと思います。

市議選がどうなるかは分かりませんが、概ね従前どおりの勢力図になるのであれば、谷藤市長支持派が多数になるのでしょうから、内舘市長誕生となれば、議会との対立や混乱という展開が生じる可能性は相応に高いのではと予測されます。

少なくとも、今回の市長選で内舘さんと連動する「内舘派市議候補」なるものはほとんど聞いたことがなく、市長選後に相応の会派がありうるのだとしても、まずは「ねじれ」になる可能性が濃厚と考えます。

当然、市民のカネを使う政策の多くは議会の承認がない限り無理ですから、議会で多数派を形成できない限り、目玉公約の幾つかは実現できないことになるでしょうし、多数派形成のための寝技的なことに内舘さんが長けているとは、失礼ながらあまり思えません(それは内舘さんの魅力でもあるというべきでしょうが)。

ですので、市政の混乱や停滞を望まない(現路線を粛々と続けて欲しい)方は、谷藤市長に投票するのでしょうし、多少の混乱が生じたとしても市政に新たな風を吹かせたい(或いは、多少の混乱自体を期待したい)という方は、内舘さんに投票するのだと思います。

***

また、今回の市長選が接戦となった(そのように報道された)のは、谷藤市長の多選・高齢批判(仕事自体への批判はあまり聞きません)や膨大な辻立ちと大通弁当企画で内舘さんが知名度を上げたことなどもさることながら

現在の物価高などによる生活苦や格差拡大

が、どうしても現職にはマイナスになりやすく、とりわけ、市内でも有数の名門資産家(一族)と理解されている谷藤市長は、そのような状況下では投票面で不利になる(対立候補が批判票の受皿になる)面は否めない思います。

私の仕事の関係でも、例えば、かつて膨大に受任していた債務整理の依頼者の方々の多くは、月収20万円以上(世帯で30万円以上)の方が多かったのですが、ここ5~10年ほどは、依頼者のかなりの割合が、生活保護受給者や低所得者の方ばかりとなり(当然、自己破産であり、中には50万円未満の債務しかないものの、返済の目処がなく破産するほかない方も珍しくありません)、また、メンタル面に何らかの問題を抱えている(ので、それに起因し低所得化等せざるを得なくなる)方の割合も増えている印象が否めません。

もちろん、それ(貧困や格差の拡大等)が谷藤市長のせいでないことは議論の余地がありませんが、そうした方にとっては(米国の貧困層がよく言われるように投票に行かない方も多いのでしょうが)、投票に赴くのであれば、投票行動が谷藤市長のような方への批判票(嫉妬票?)になりやすい面は否めないと思います。

他方、まがりなりにも現在の生活に相応の満足や希望を持って暮らしている方にとっては、谷藤市長は地方の成功者の鑑(目指すべき目標)といってよい存在であり、続投を希望される限りは支持する(引きずり下ろしたいとは思わない、対立候補は快く思わない)方向になりやすいと思います。

冒頭の日報記事には、太田・本宮・玉山地区が谷藤市長、松園・上田・中野地区は内舘さんを支持する住民が多い、と述べられていました。

太田・本宮は盛南開発の中心部であり、開発で潤った方もいるのかもしれませんが、新たに住宅を建てるなどして転居した方も多く、その方々は、新しく切り拓かれた街と共にご自身の明るい未来を感じているはずで、盛南開発の推進者でもある谷藤市長に支持が集まりやすいのだと思います。

他方、松園は、ニュータウン住民の高齢化等による課題先進地などと言われることが多く、中野も(内舘さんの膝元でもありますが)松園に似た昔々に開発された郊外で、課題状況は松園に似ているように思われ、お叱りを恐れずに言えば、

ラストベルト的な色合いを帯びている地域が、現職批判票として内舘さんに廻っているのでは、

という印象を受けます。

その意味で、今回の市長選は現在の盛岡が「(経済的に)豊かなまちか、そうでないか」を推し量るリトマス紙という面も持ちうるのかもしれません。

盛南地区や玉山は「合併の対価」として様々な公共事業が行われたと聞いたこともありますので、より多くの税金が投じられた地域とそうでない地域で支持が分かれただけの話かもしれませんが。

***

内舘さんは(JC理事長などを歴任されていますので相応の資産等をお持ちなのでしょうが)谷藤市長に比べれば、色々な意味で「大物」とは言い難く、言い換えれば、名実ともに挑戦者と呼ぶに相応しいと言えます。

ですので「ジャイアント・キリングの物語を見たい」という住民からは支持を受けやすいことは確かだと思います。

18年前=JC卒業時の内舘さんは、JCに集まってくる、将来の地域のリーダー候補生達の1人という印象で、失礼ながら、同世代の仲間内の方々から、自分達を代表する傑出したリーダーだと目されていたわけでもないと感じています。

他方、配布物や各種メディア等で拝見する現在の内舘さんの顔立ちは、当時と比べて全然違う、僭越ながら、とても精悍な顔立ちになったと思います。

もちろん、政治は顔(だけ)でするものではありませんし、現時点での政治家としての力量(市政への全般的な視野云々)では、谷藤市長の方に遙かに軍配があがると見るべきでしょうが、それでも、政治に物語性を求める方にとっては、今回の選挙は、内舘さんに入れてみたいと感じる面はあるかもしれません。

反面、谷藤陣営の方々からは

政治はおとぎ話じゃない、地域で様々な役割を受け持った人達の地道な努力で築かれているもので、谷藤市政(支援者である自分達)はそれを長年積み重ねてきたのだ、それを軽々しく考えるな

ということになるのでしょうし、それもまた大きな重みがあることは間違いありません。

ともあれ、FBなどで、両陣営の方々がご本人を取り巻いて撮影している写真を拝見していますが、谷藤市長を取り巻く方々は、それこそ数世代に亘り盛岡の街を支えてきた「まちの重鎮」や、現在、市内の社会経済を様々な形で支えている経営者の方などが多く含まれているように感じました。

他方、内舘さんを取り巻く方々は(著名映画監督さんと、盛岡市民ではない某さんだけは一目で分かりましたが)JC関係者もあまりお見かけせず、私は全く存じない(JCやRCなどで拝見したことがない)方が多いように感じました。

それ自体の当否を論じたいわけではありませんが、そうしたものを見ても、

谷藤市長の続投なら、長年まちを支えてきた人々が、引き続きその役割を担って安定した(悪く言えば、変わらない)まちづくりがなされるのであろうし、内舘さんの勝利なら、そうした方々の協力が得られない(得られにくい)という意味でも、色々と混乱や頓挫・停滞などが生じるのかもしれない、反面、もし内舘さん達がその苦難を乗り越えることができれば、全く新しいまちの可能性が見えてくることもあるのかもしれない、とも思います。

その意味でも、谷藤市長と内舘さんの対決は、ご本人が望むと望まざるとに関わらず、

プロが運営する安定の盛岡か、素人が挑む盛岡の変革か

という面があることは確かなのだろうと思います。

そのため、内舘さん陣営に「変革の実現を現実に支える政策や実務のプロ集団」がいれば良いのではと思いますが、そうした方がいるのか選挙運動を拝見した限りではよく分かりません。悪く言えば、辻立ち等の運動を皆で頑張りましたねと励まし合っているだけのようにも見えます。

その点は、政治や政策はきちんとしたプロが行うべきものだと思っている方から見れば、怖くて投票できないと感じさせる面はあると思いますし、仮に、内舘さんが勝利するのであれば、この点を重大な課題として取り組んでいただきたいと思います。

***

ところで、ここまで、公約の比較検討などを何も行ってきませんでした。

この点は、細かい話をする意味はあまりないのではと思っていますが(本稿をご覧になるエネルギーのある方なら、多少はご自身で比較検討されているでしょうし、市政の細かい様々な課題に関しては谷藤市長のサイト等の方が現実的かつ詳細で、内舘さんの公約等には実現可能性や実施する意義に疑問を感じるものも幾つかあると思っていますが、現職と新人の対決は、往々にしてそのようなものでしょう)、全体として、

谷藤市長は、割とインフラ整備を重視するのに対し、内舘さんは、割と個人(ヒト)への給付・補助を重視している

と思います。

例えば、前者が新興住宅地たる郊外地域への鉄道新駅整備を強調しているのに対し、後者が奨学金や高齢者・小規模事業者・起業者向けの各種支援を強調しているのが、その例ではと思います。

そのこと(インフラ重視かヒト重視か)は、往年の自民対民主の対決を見ているようであり、それこそ「民主党嫌い」の方にとっては、華々しい公約を多数掲げてほとんど実行できず短期間で混乱・失墜した鳩山由紀夫政権の影を、内舘さんに感じる面はあると思います。

そのリスクを忌避するか、敢えてリスクを求めるか、全て有権者次第ですが。

あまりにも長文になったので、そろそろ止めますが、前任の桑島市長のwikiを拝見したところ、谷藤市長の初当選時=平成15年のご年齢が53歳で、桑島市長が71歳であり、これは、現在の谷藤市長・内舘さんの年齢と酷似していることが分かりました。

だから同じ結果になるとは全く言えません(思いません)が、個人的には興味深い現象だと感じました。

***

また、今回の選挙を通じて改めて残念に感じたことは、

地方には、中央政治(国)におけるマスメディアのような、地元行政・地域政治の様々な論点(公約検証などを含む)を掘り起こして発信し住民の議論等を呼びかける地域メディアがなく、Web等を通じて、そのような試みをしようとする人もほとんどいない

という点です。

私がJCで真面目に活動していた時期は、首長の公約検証という話が流行しており、私もお手伝いしたこともありますが、そうした話が根付くことはなく、何年も前に潰えてしまいました。

私も、膨大な時間を投じて作成したレポートが、マニフェスト検証大会にお越しいただいた某知事に「ご苦労さん」の一言で片付けられ、残念な思いをしたこともありますので、他人に無理に勧めたいとは思いません。

が、例えば、谷藤市政に関しても、ウイルス禍の最中に

盛岡は全国の自治体でも、ワクチン接種の連絡(導入)が非常に遅れた

ことがあったはずで、そうしたことについて、検証等があっても良かったのではと残念に感じています。

ともあれ、色々なことを書きましたが、地方自治こそ民主政治(国民主権)の礎だと大学の憲法学で学んだ身としては、こうしたことも参考にしていただき、明日の投票に限らず、各人がそれぞれの持ち場で担っておられる地域社会の運営に活かしていただければ幸いです。

 

 

旗揚げの聖地で勝ちどきを願って

昨年末の話です。

私は駆け出しのイソ弁時代、大田区北部に住んでおり、自転車で行ける範囲の距離に洗足池がありましたが、諸事に追われ赴くことができずに終わってしまいました。

というわけで、20年前に行き損ねた近所の名所にようやく訪れ、余計なことも考えつつ一句

洗足池 ボクの専属どこへやら
風と雲 鏡に映す 先祖供養

洗足池には、源義家にゆかりがある千束八幡神社がありました。昨年は大河ドラマの関係で「武衛」が流行語になりましたが、佐藤浩市氏は「炎立つ」で源義家を演じていました。

旗揚げは今も昔も千束で

敷地内の神社の説明によれば、千束は、源平合戦の華の一つ、宇治川の先陣争い(名馬・池月と磨墨の物語)と深い繋がりがあるのだそうです(引用した、個人の方?のブログを参照)。
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/ikeduki-douzou/
https://www.yoritomo-japan.com/ikegami/senzoku-ikeduki.htm

年の瀬に勝ちどき願う池の月

ともあれ、今も昔も老いも若きも、何かと戦わなければならない社会ですが、お互い己にだけは負けないよう頑張っていきたいものです。

(R06.03追伸)

先日、とても喜ばしい知らせがありました。戦勝祈願の御利益をお求めの方は、千束八幡神社へぜひ。

顧問先とのやりとりと弁護士の不養生

先般、ある顧問先から破産管財手続中の不動産の購入に関する問い合わせ受けて、実務の一般的な見通しなどを説明しました。

当方は顧問契約を月額3300円からお引き受けしており、年2時間は電話・メールを含む相談に無料対応(超過時間は追加料金ですが柔軟な運用となっています)としていますので、

富裕層や大企業のような高額な顧問契約なんか出来ないけれど、年に1回~数回は弁護士に聞きたいこと・聞くべきことが生じる

という方には利用価値があると思いますが、他の同業の方々に比べるとさほど多くの申込を頂戴したわけでもなく、目立つ広告でも出した方が良いのかなぁと思いつつ何もできていない状態が延々続いています。

***

で、宣伝はこの辺にして、ここからが毎度の本題?です。

上記の有様ですので、何年もお世話になっている昼飯割引帳(昨年12月から本年3月末までの版)を、今年の4月1日に開いたところ

最終頁のグルメスタンプラリーの投函締切日が、前日(3月末)だった!

ということに気づきました。ちなみに、2月末までにはハンコを全部揃えて、郵送だけ忘れてました。

これぞ、ホントのエイプリルフール(4月1日のバカ)。

で、次号では同じ過ちは犯さないぞと固く決意し、4月の最新版も6月頃にはハンコを全部揃えていました。

が、昨日、パスポ終了。

で、昨日、今回のグルメスタンプラリーの投函締切日・・

というわけで、たった今気づいた我が身に捧げる一首。

俺バカと自分で言うバカ言わんバカ
二度あることは三度ありなむ

というわけで、ご祝儀・・ではなく慰めの顧問申込募集中!

なんて書いていると既存の顧問先の皆様にまで逃げられそうなので、止めておきましょうね・・・

ともあれ、一仕事終えたあとの戯言はほどほどに、普段は仕事に邁進しておりますので、ご容赦のほどを。

あと、本業では期限徒過(一発懲戒)したことはありませんので、念のため。

新人時代に、やらかした大センセイの尻拭い(後始末)を担当し大変な目に遭ったことはありますが・・

神も依代もやがて去りゆく社会の中で、君たちはどう生きるか。

先日、宮崎監督の最新(最後の?)映画を拝見してきました。

ラピュタのような爽快で分かりやすい冒険活劇を期待する方には不満が残るかもしれませんが、トトロ以降の宮崎作品の系譜に沿う文学的なメッセージを期待する方には満足できるもので、世間で広く言われる集大成としての演出表現や映像美なども含め、TVで見るよりも劇場でご覧になった方が良い作品だと思います。

以下、ネタバレを避けつつ、未見・既見の双方に向けた、「Web上、まだ誰も言っていない(かもしれない)考察」を含めた感想を書きます。

ここでは、小難しいことを色々と書きますが、最初に述べておくと、監督は、あくまで、この作品を

子供達が、自身の内的世界(子供心の空想等)を大事にしつつ、最終的には社会に前向きに向き合い、社会内で自分らしさを発揮し活躍すること

を願って作ったものである(そのメッセージがメインである)ことは間違いないと思います。

が、爽快な活劇ではなく全般的に不穏で文学的な空気が漂い、後記のとおり、現実社会での大きなテーマを様々な隠喩を用いて問うものとなっており、私自身は従前の作品より文学・思想としてのテーマ性が強調されているように感じました。

***

この作品が前半部分と中~後半部分に分かれている、という程度のことは、ここで書いても叱られないと思いますが、前半部分の多くが、よく言えば穏やかで落ち着いた、悪く言えば間延びした印象を受けるもの(あの映画の第三村のような感じ)となっています。

ただ、非常にセリフ・説明が少なく、言いたいことは映像表現で読み取って下さいと言わんばかりのシーンが続く上、全般的に不穏な空気が漂っているので、私は、この前半パートは

盛岡を舞台とする芥川賞作品の映画「影裏」

に、雰囲気が似ている感じがしましたし、「この作品は純文学です」と随所で述べているように思いました(なので、小さな子供はここで脱落するかも・・と少し思いましたが)。

そして、前半の最後、ある登場人物が、なぜそんなことをしてるの?という行動を始めてから(及び主人公があるモノに接してから)物語が一気に動き出すのですが、私は、これを見た瞬間

この作品の元ネタって、○○(仮称・古典A)なのでは

と思いましたし、その後(中盤~後半の展開)も、その印象どおりと言ってよい流れになりました。

(本文では名称を省略します。日本人なら誰もが知っているはずですが、ほとんど誰も読んだことがないアレです。知りたい方は、末尾を見て下さい)

ですので、事務所に戻ってから真っ先に映画名と古典Aで検索したところ、予想どおり、同種の感想を書いていた人が多数いました(他に、元ネタとされる外国小説?もあるようですが、私は全く存じません)。

***

ただ、古典Aが元ネタだと言うだけでは、この映画が詰まるところ何を言いたい作品だったのか、何の説明にもなりません。

この点、先日、小説「君たちはどう生きるか」について、思想家の浅羽通明氏が、

これは、近代から戦前までの世界を覆った二つの潮流のいずれを戦前日本が選択すべきかという思考実験を、知的エリートたる若者達に問うた作品である。

すなわち、仏革命思想に起因するボナパルティズム(中世ヒエラルキーを否定し、民衆の熱量で指導者を推戴し社会を再構築する思想=下からの支配)の延長又は変異体としてのファシズムと、共産主義(知的エリートの叡智を結集し、社会的不合理を是正する理想社会を構築しようとする思想=上からの支配)のどちらを世界が選択すべきかという知的闘争を描いた物語なのだ。

と論じていたことを、ブログでも紹介しました(引用記事)。
思想や情念が対立する社会の中で、君たちはどう生きるか | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

その話を宮崎監督がご存知だったか(原典たる吉野氏作品に対し、そのような解釈をしていたか)は全く不明ですが、私は、この映画の制作が発表されたときから、少なくとも、

君たちはどう生きるかというタイトルを冠する以上、監督は、原典に何らかの思想性があることを熟知した上で、ご自身なりの思想的テーマを必ず掲げようとするはずだ

と思っており、それを見抜きたい、というのが私の本作の鑑賞目的でした。

***

で、最後まで拝見した上で、私が結論として思ったのは

この作品は、国体すなわち天皇制の存続(象徴天皇制の終焉)をテーマとしているのでは?

というものです。

これも、抽象的なことしか書けませんが、私は、ラストシーン(直前を含む)は、単に、

あの出来事が終わった

ことを示すだけでなく、現代を生きる我々にとって天皇制を続けることができるか(続けてよいのか)を問うメッセージが含まれているのではないか、というのが、私の解釈となります。

なぜなら、この物語では、

「世界の安定や安寧を守るための存在」

が登場しますが、これは、日本においては、天皇以外にはあり得ません。

そして、この物語では

「その立場を引き継がされるかもしれない人達」

が登場しますが(敢えて複数にしています。既見の方は、ぜひお考え下さい)、それって、将来、天皇の立場を引き継ぐことを宿命づけられた方々(現実の特定のどなたかではなく、一般名詞としての)の隠喩ではないでしょうか。

そして、現代を生きる我々は、天皇が、(敢えて戦前の言葉を使えば)崇高で神聖不可侵な権威(現人神)としての意味を持つ存在であると同時に、

社会(国民総意・国民統合)のため様々な役割を強いられる、気の毒な依代(人柱)

という面が否めないことを、よく分かっているはずです。

そのことと、本作の後半に描かれた主人公と主要人物を巡る葛藤ないし対決は、どことなく親和性があるように思われるのです。

そのような観点から本作を改めて思い返すと

我々日本人が、天皇制を続けることができるか・続けるべきなのかという、現代日本で最も重く、誰もが直視せず先送りしようとするテーマに取り組んだ作品なのではないか

という印象を受けますし、主人公が最後に行った選択も、現代日本人からは、当否云々はさておき非常に重いもののように感じる面もあります。

それゆえ、上記の浅羽氏の解釈に照らせば、本作は原典=吉野本に勝るとも劣らぬ、現代に相応しい重い思想的テーマを扱い、描ききった力作なのでは、ということができそうに感じました。

まあ、私がそう思いたいだけなのかもしれませんが。

***

ちなみに、本作では擬人化された生物による様々な醜悪ないし滑稽な場面が描かれていますが、これも、戦中(戦後も?)日本の隠喩だと捉えれば、

実社会パートで当時の美しい日本を描きつつ、背後にある(日本人の)醜悪さも擬人化の手法で描いた作品

と解釈することができるでしょう。

この文章では、主人公が前半で行った「彼はなんでそんなことしたの?」という場面についての解釈などは何も触れていませんし、あのシーンが上記の解釈と関係するのかそうでないのかも分かりません。

というわけで、上記の妄想とは異なる説得的な作品の解釈がありましたら、ぜひ伺ってみたいものです。

君たちはどう生きるか。

ご覧になった皆さんの心には、何が残りましたか?

ちなみに、我々が天皇制を続けることができるか、というテーマでは、昨年末に安倍首相の国葬を題材に大長文を投稿したこともあり、興味のある方は、こちらもご覧いただければ幸いです。
安倍首相の国葬を巡る「天皇制の終わりと権威分立社会の始まり」(第4回) | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

(追伸)
この投稿を掲載した後、旧ツィッターで「君たちはどう生きるか 天皇」と検索したところ、本作品と天皇(制)との関係性を指摘した投稿が幾つかあるのを拝見しました。映画を拝見した直後には、同じ文言で検索しても記事は全く出てこなかったので、Web上で誰も言っていないと書きましたが、案外そうではありませんでしたね・・

ただ、現代における天皇制の存続との関係性を論じた投稿は見当たりませんでしたので、その点は、私の解釈にオリジナリティがあるかも?です。

ともあれ、リアルな世界でこうした議論を交わせる相手に恵まれない日々を送っていますので、自分が考えたキーワードで検索し、同種のことを投稿されている方を発見したときは、多少とも嬉しくなりますね。

まぼろしの稚児と持て余されたビアガーデン 

先日、久しぶりに滝沢総合公園にお邪魔しました。で、二度と戻らない様々な過去に思いを巡らし一首。

この街の裏見の滝がうつすのは
稚児のまほろば 夏のまぼろし

その後、滝沢市役所の向かいに数年前に建築された官民複合施設で少しばかり涼んでいきました。

施設の2階には、持て余され放置されている感じの空間がありますが、この時期ならビアガーデンに活用しても良いのではと思いました。

その日は滝沢市議選の投開票日でしたが、眼前の市役所を酒肴代わりに市民が市政や暮らしを語り合う・・などという光景があっても良いのではないでしょうか。

向かいで残業する職員には有り難くない光景かもしれませんが、職員自身の憩いの場になるかもですし。

市議選には昔々仕事でお世話になった方も出馬されており、翌日の記事で無事に当選されていたことが分かりました。またお会いできる機会があるか分かりませんが、ご健闘とご活躍をお祈りしています。

 

さんさ踊りを楽しむ人々と、里から消えてゆく者の今昔

盛岡市は1日から4日まで「さんさ踊り」が絶賛開催中ですが、当家は、地域に背を向けて生きる残念家族のせいか?何年も前から単なる平日と化しています。

ただ、10年以上前、盛岡青年会議所の会員(さんさ担当委員会のヒラ委員)として、一日だけパレードに参加したことがあります。

といっても、踊りも太鼓もできませんので、JCの山車の曳き手の一人として加わっただけですが、それでも雰囲気に圧倒され、大変楽しかったことを覚えています。

JC入会直後には(修習生のときは参加したくてもできなかったので)

これで今日から俺も、さんさメンバーだ!

といきり立って専用のオレンジ色の浴衣セットを購入したのですが、その年の7月に重大事件の受任でかかりきりになったのをはじめ、練習に参加する余裕もチラ見で習得するセンスもなく、9年も在籍したのに上記のたった1回だけ、袖を通すに止まりました。

それでもゼロ回よりは遙かにマシで、おかげさまで、ささやかながら心残りせずに卒業できましたが。

この浴衣セット、恥ずかしながら、現在も当事務所のロッカーの片隅に埋もれています。

卒業するとき、もったいないので欲しい後輩がいれば、売却・・・もとい贈与したいと思ったのですが、そうした話ができる方もなく、残念ながら上記の有様が続いており、どうしたものやらというのが正直なところです。

***

ところで、先日、市内中心部で長年に亘りデザイナーズブランド衣料の販売に従事されていた方(盛岡市民の多くが、あれか!と分かるファッションビルの経営者だった方)から、刀折れ矢尽きたとして後始末のご依頼を受け、先般、一苦労の末に法的手続を行いました。

経営者の方に倒産に至る経緯の概略を伺いましたが、震災やウイルス禍などもさることながら、某地銀の勧めで多額の借入をしてビルを建てた矢先にイオンの進出で大ダメージを受け、それが命取りになったとのことでした。

私は市内中心部の著名物販店の破産申立をお引き受けしたこともありますが、このような話は、震災前に倒産事件や破産管財人を多数お引き受けしていた頃によく聞いた話です。

さんさのパレードの中で、沢山の人員を擁し、ひときわ大きな存在感をもって参加している団体としてイオンチームがありますが、上記のような話に多く接してきた身としては、イオンに限らず地元の大企業の方や学生さん達が参加者の中心になっている(反面、地元の小規模事業者などの参加は多くない?)さんさの光景に、複雑な印象を受けてしまう面もあります。

上記の社長さんは「儲かっていたときは借りてくれと頼んできたのに経営が傾いた途端に貸し剥がしのような対応や罵声を延々浴びせてきた地元銀行の担当者に、非常に悔しい思いをさせられた」と仰っていましたが、その銀行さんもパレードの主力団体の一つとして参加・活躍されています。

三ツ石神社の鬼の姿は見えなくなったかもしれませんが、今も街の片隅には様々な悲しみや怨嗟の声がどこかに吸い込まれ、やがて、パレードを楽しむ皆さんに復讐するかのように、幽鬼を呼び寄せることもあるのかもしれません。

・・・などという不穏な話はさておき、皆さんは、今のうちに祭りにいらして楽しんでいただければと思います。

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私は、さんさ踊りの由来とされる「三ツ石神社の鬼の物語」とは、弥生人がこの地に進出した際、先住民たる縄文人(蝦夷の祖先たる山の民)と衝突した物語が原型なのでは?と想像しています。

そのように考えれば、現在のさんさを取り巻く光景も、ある意味、先住民が人里から排除され移住者に取って代わられていった残念な歴史の繰り返しが含まれているのかもしれません。

などとFBで書いたところ、地元の方から、時代が違う、三ツ石神社の手形はサイズが大きすぎるから、薬品を塗ったものか、昔々この地に辿り着いたロシア=北方大陸系住民じゃないかとのコメントを頂戴しました。

Webでチラ見した限りでも、この点はきちんとした調査等がなされていないようでもあり、ぜひ本格的な識者による調査研究を期待したいものです。

盛岡北RC幹事卓話と小規模RCの運営に関する持続可能性

7月から1年間、盛岡北ロータリークラブの幹事を拝命しており、本日、幹事の立場で卓話を担当しました。

私は、RCやJCなどにありがちな美辞麗句を威風堂々と演説する能力が微塵もありませんので、何を話せば良いのやらと困りましたが、先日、入会以来はじめて予算書や決算書をまともに拝見する機会があり、色々と問題点があるように感じたので、

~当クラブの不都合な真実と、これからの運営の話をしよう~

という不穏なタイトルで、会員の皆さんに心底嫌がられそうな話(要するに、現在のクラブの収支分析と改善点の指摘など)をしました。

聞き手に歓迎されないような内容も含まれているせいか、開会時には私の姿がなく、幹事席に熊のぬいぐるみが置いているかも・・と思いましたが、卓話自体は無事に終えることができました。

残念ながら、実践につながる見込みは期待薄ですが・・

大規模クラブなどの方には無用の話ですが、現在の地方のRCは、30~40人規模のクラブが非常に多いようであり、お時間のあるロータリアンの方は、当クラブにMU(訪問)に来ていただければ、多少とも参考にしていただける面があったかもしれません。

私は人前で即興の話をするのが苦手で、必ずレジュメを用意していますが、写真のニボジローのように?爆盛で膨れあがってしまい、RC卓話では半分も話せずに終わってしまうのが通例です。

二郎系のような病みつき力は無理でも、何か良好な後味を持ち帰っていただけるようなお話ができれば良いのですが。

学園祭に頑張る人々の今昔と、幾年経てもやる気の無い奴に付ける薬

2週間ほど前の話ですが、今年もやむを得ず恒例の函館出張に赴きました。

今回は五稜郭電停前に昔から建っているホテルに宿泊しましたが、朝食の食べ過ぎで、昼に会場で札幌イケ麺を食べられなくなり一句

動員で法華のホッケもフライング

それはさておき、訪問先では学園祭が開催されており、とある事情で生徒さん達の様々な演奏パフォーマンスを拝見しました。

35年前には同じ壇上で学ラン姿で「女子高に向かって走るぅ~」などと歌っていた御仁がいましたが、長じて激動の人生となり、その隣で演奏の真似?をしていた御仁の一人は、海外で長年スーパードクターとして活躍されているそうです。

今回、壇上で頑張っていた皆さんにも、ぜひ将来のご活躍を祈念したいものです。

同級生などが駆けつけて盛り上げていたものの、土曜で雨天だったからかもしれませんが、体育館内の聴衆は多いとは言えず、もう少し集客に智慧を用いてよいのではと思いました(日曜は、校内の別ステージで行い、観客も増えて大賑わいしてましたが)。

例えば、市内の女子高生などにゲスト出演で2~3曲歌って貰えれば(ツインボーカルとかも含め)、恵まれない全校生徒が集まって来るでしょうし、ゲスト出演する女性の仲間(同級生など)も応援で沢山やってきてくれそうな気もします。

昔、この学園祭では大がかりな女装コンテストなるものをやっていました。

それを行う必要があるとは思いませんが、どうせやるのなら、かつて一世を風靡した「シャズナ」のように、女の子に好評を博するような本格的な女装を容姿秀麗な生徒さんに施し歌って貰うのも良いかもしれません。

去年はウイルス禍のため生徒・家族のみの入場となり文句を言っていた輩もいたそうなので、そうした努力・交渉の経験も積んで、将来に活かしてよいのではと思いました。

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そもそも、今回の出張は、諸事情により特製手ぬぐいとカモ○の玉子と南部煎餅の販売に従事するのが目的となっていました。

私は適性を欠く仕事には無能力なので、他の皆さんのご尽力を拝見していただけですが。

ただ、当方の同級生の親御さんだと仰るご婦人から突如ご挨拶され、

あなたが書いた文章が、PTA誌の同種投稿の中で一番面白かった、ウチの子にも読めと言ったのよ、

と仰っていただいたので、言論の自由に限らず何かと恵まれない日々を送る身には、それだけでも行った甲斐がありました。

梅雨明け直前ですが、暑さの影響もあり、隣のブースでは秋田名物のアイスが大行列で飛ぶようにババ売れ・・もとい、バカ売れしていました。

岩手の商品群は、結局、

カモ○の玉子は紅白セットだから合格祈願!

などというお母さん達の力業と全国各地の来訪者の応援購入(バーター)のお陰で、食べ物だけは、どうにか売り切ったそうです。

岩手も、花巻のグルグル巻ソフトは無理かもしれませんが、可能なら、来年は県内各地で流行っている何とかジェラートを仕入れるなど、「冷やし系」で勝負した方が良いかもしれません。

ただ、ママアイスも冷夏の年に大変な目に遭った話もあるのだそうで、商売は運次第なのでしょうが。

他の全国各地のブースは、色々と宣伝文句を書いてブースに貼っていたので、かもめの玉子や南部煎餅も、

お子さんへの差入に最適!
テストのご褒美はコレだ!
ホワイトチョコに包まれるゥ~

などと書いてアピールすれば良いのではと思いました。

ただ、

義務自習時間中のお供に!

と張り出したら、寮からクレームを受け、ヘラヘラ顔で詫びを入れる羽目になるかもですが。

数年前に来た際は一日中牛タンを焼いており、今年は取りやめになりましたが、南東北の方々もジュース販売に(仕入れすぎで?)苦心していたようで、来年は「その場で飲食できる系」が復活するのかもしれません。

ともあれ、従事された皆様はお疲れさまでした。来る度に今回が最後と同行者には伝えていますが、どうなることやらです。

求人に関する「えせ無料広告」勧誘被害と業者側による逸脱行為

5年以上前から、小規模企業に対し、インターネットで求人広告を掲載する勧誘を行い、あたかも無料掲載(成功報酬制)であるかのように装いつつ、

無料掲載は最初の短期間だけで、その期間を経過すると、高額な有料掲載に自動更新する契約であり、お宅はハンコを押した。よって数十万円払え。

という請求を全国規模で行う悪徳業者が多数出現し、安易に応じてしまった多くの事業主が泣かされるという事態が膨大に生じていました。

当方も、2~3件ほどのご依頼を受け、いずれも

「悪徳商法だから一切払わない」

などと抗戦したところ、運良く?ゼロ和解できたり、膠着状態でそのままとなったり、当方が了解可能な少額な解決金で決着するなどの経験をしたことがあります。

私の経験は何年も前になりますが、この問題は今も全国で続いているのだそうで、私も名前だけ参加している同業者の情報交換MLでは、今も活発な意見交換がされています。

2~3年前だと思いますが、悪徳業者と名指しされた業者が、(恐らくは対決姿勢を示して支払っていないのであろう)歯科医院に対し、「虫歯などの酷い画像を付けた負の広告」を出してくるという挙に及んでいるとの投稿が、そのMLで送信されたことがあります。

そのため、そんな馬鹿なことをする奴もいるのかと思って見てみたところ、本当にそのような表示が出ていました。

以前、闇金が

(刑罰金利を前提とした悪徳融資の)返済をしなかった女性について、事前に送信させた裸の写真をネット上で掲載している

との報道を見たこともありますが、それに類するような、なんとも酷い話だと思いました(当然、名誉毀損等として対処されるべきと言えます)。

ここ2~3年は、その種のご相談を受けることがなくなったので、沈静化に向かっているのかもしれませんが、現在の方が人手不足は深刻化していると言われていますので、形を変えて再燃するかもしれません。

根本的には、消費者契約法などの改正(小規模事業者向けの悪徳勧誘行為に対するクーリングオフなどの大幅拡大)が必要であり、かつての通信機器リース商法やホームページ詐欺などをはじめ、何年も前から必要性が叫ばれてきた問題ですが、誰も積極的な立法に動いているように見えず、その点は残念です。

それこそ、近年急増している弁護士出身の国会議員の方々などには、こうした問題にこそ率先して取り組んでいただきたいものです(弁政連岩手支部とかも、県議さんとかと宴会している場合じゃないと思うのですが、何をしているのでしょうね・・まあ、名ばかり理事ですが)。

こうした事案一つとっても、事業者の皆さんには安易なWebや電話等の勧誘に応じないようご注意いただきたいと思いますし、弁護士には「手遅れ」になる前に、「こんな話が来てるんだけど、ハンコ押して大丈夫か」などという形で、迅速な相談を心がけていただきたいです。

 

中央大学岩手支部OB会と刑事事件に関心を示す方々

先日は、中央大卒業生の岩手支部の総会があり、参加(諸事情で懇親会のみ)してきました。

柄にもなく参加者の方々に若干挨拶回りをしたところ、若くて活きのいい方が何人かいて、盛岡JCにお入りになってはどうですか、と話したところ、関心を持っていただいたようでした。

ただ、後日、現役会員の方の要請に応じて再度問い合わせたところ、色よいご返事はいただけなかったので(企業オーナーではない勤務者の方には入会のハードルが高いのかもしれません)、なかなか現実は厳しそうです。

私が盛岡JCに入会したときは、現在も本学OB会の中心を担っておられる元理事長さんや役員等で活躍されていた方々が多数おられたのですが(万年ヒラ会員は私だけ・・・)、どういわけか、後の世代では中央大出身の盛岡JC関係者がほとんど聞かなくなり、残念に感じています。

潜在的?には中央大卒の方は盛岡にもウジャウジャいるでしょうが、何人かの同業の方を除き、同世代や若い同窓の方と接点を持つ機会がほとんどないので、引き籠もり気味の当方も他人様のことを言える立場ではありませんが、こうした機会をもっと活かしていただければ幸いです。

ところで、挨拶回りをしていたところ、

刑事事件も色々やってるんですか

と、民事よりも妙に刑事の方に関心を示すご年配の方々が多かったのが不思議に思いました。

最近、お年寄りが暴力沙汰を起こして捕まる案件が多いんですよ。特に、お酒のせいで。

などと余計な一言は間違っても口にすることなく、ヘラヘラ・・・もとい無難な相槌に終始したことは、申すまでもありません。