北奥法律事務所

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岩手・北東北など

龍泉洞とブルーチーズ

以前、TBSの「世界遺産」で、極上チーズを生んだ羊と洞窟(南仏のコース地方とセヴェンヌ地方)が取り上げられており、拝見する限りでは、ロックフォールという世界で最も著名なブルーチーズ(青カビチーズ)の産地となっていることが、世界遺産として認定された大きな要因のように見受けられました。
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20130922/

そのチーズですが、石灰岩が浸食され網の目のように作られた洞窟にチーズを保管すると、その洞窟にだけ繁殖する菌のおかげで極上のブルーチーズができあがるのだそうです。

で、後で思ったのですが、日本の鍾乳洞も、「石灰岩が浸食され網の目のように作られた洞窟」ですので、例えば、岩手の龍泉洞やその近辺にある幾つかの洞窟で、高級ブルーチーズを製造し、それをブランド化して販売することはできないのでしょうか。

とりわけ、龍泉洞の近辺(北上高地北部)は本州でも有数の乳業が盛んな地域ですし、我が国には高級チーズを国産する文化等があまりない(仏国などから高い代金を払って高級チーズを輸入するのが通例)と理解しています。

最近では、NHKの「プロフェッショナル」で取り上げられた岡山の方のようなケースもあるのでしょうが、岩手でも、そうした試みに挑んでいただける方の出現を期待したいものです。
http://www.nhk.or.jp/professional/2013/1014/

セヴェンヌ地方の羊の大移動と櫃取湿原などの放牧を重ねるなどして、この地域全体のプロデュースも考えていただければ、なお良いのではと思います。

「あまちゃん」と遠距離交際したがる盛岡、奥手な?隣人の八戸

他の弁護士さんのブログでグーグルの検索ランキング(都道府県版を含む)なるものが紹介されていました。昨日の投稿のとおりFB上で「あまちゃん」が話題になっていたので、その点について注目してみたところ「あまちゃん」は「急上昇(全体)」で3位、岩手では1位でした。
http://www.google.co.jp/trends/topcharts
http://www.google.co.jp/trends/topcharts#cid=cities

個人的に興味深く感じたのは、「あまちゃん」の舞台である久慈市は、盛岡ではなく八戸の経済圏であるのに、「あまちゃん」は、青森県のランキングでは全く入っていない点です。青森の3~5位として表示されている項目は岩手県民には馴染みのない話題で、そもそも何なのかすら分かりません。

盛岡駅をはじめ、岩手県内では、久慈から遥か遠く離れた各所で、「あまちゃん」効果にあやかろうと、ポスターその他が散見されますが、先日、八戸を少し訪れた限りでは、「あまちゃん」に触れている(活用ないし便乗しようとしている)印象は受けませんでした。

全国的に見ても、「あまちゃん」は、広域レベルとしては、岩手を舞台にした作品と考える人の方が圧倒的で、この作品と八戸を結びつけようとする動きはほとんどないのではないかと思われます。

そうした意味で、「あまちゃん」(久慈)のすぐ隣人である八戸は、別の県というだけ?の理由で、縁の薄い状態となっているのに対し、遥か遠方にある盛岡等(岩手内陸部)の方が「あまちゃん効果」なるものにあやかろうと、あれこれもがいているという感じもして、地理的に不自然、不合理な感じがしてしまいます。

「あまちゃん効果」なるものを誰がどのように活用し、利益を享受したのか、青森(八戸)の人々は、「あまちゃん」には見向きもしなかったのか、そうでないのか、そうでないのならその原因は何であるか等、久慈を起点にした岩手内陸と八戸との関係なども視野に入れて分析してみると、面白いものが見えてくるかもしれません。

 

ヒッチハイクのIT化による公共交通の補完は可能か

「あまちゃん」効果で今夏の久慈市は観光特需に湧いたそうで、私の周辺でも、妻の友人で東京在住の方が、夜行バスで「あまちゃんバスツアー」なるものに参加され、帰り際に当家に立ち寄っていかれたことがありました。

現在は、特需終了後の反動に対する不安が話題になっているそうで、先日、友人が、FB上で「『あまちゃん』で久慈が脚光を浴びたが、一時的な現象に終わるのではないかとの危惧が大きい。検討すべき論点の一つとして、盛岡等と久慈との公共交通網の整備が挙げられるのではないか」と書いているのを見かけました。

ただ、これだけ、個人による車社会が発達し、バス等の公共移動手段の衰退が激しい現代にあっては、結局は税金依存の道が透けて見えるバス云々よりも、個人の車両を公共移動手段として活用させた方が、個人レベルの広域移動手段の整備としては現実的ではないかという感じもします。

例えば、バス等がほとんど来ない場所を起点に移動したい人(バスの時間に乗り遅れる例も含め)が、通りがかりの一般車両の力を借りて移動できる、ヒッチハイク的な移動方法をより有効活用できないかと思っています。

具体的には、次のようなシステムを考えてみました。

①例えば、久慈地域を旅行中の個人(需要者)が、旅の途中(特に、バス等の便が悪い土地)で盛岡に移動したくなったとする。

②その需要者が、公道を歩行中に、携帯のアプリ?でSOSボタンを押す(できれば、久慈方面から盛岡方面、希望乗車人数1名といった程度の情報は提供する。提供情報はある程度、需要者の判断で増減できるものとする)。

③そのボタンを押すと、半径5?㎞圏内の公道を走行中で、そのシステムに事前登録している車両のカーナビに「SOS信号」が出る(発信範囲(半径㎞数)等は、需要者側で一定の調節ができるものとする)。

④その信号をキャッチした車両の運転者が差し支え(家族連れで座席が満杯等)であればスルーして構わないが、上記の条件を満たす(上記圏内を走行中の)複数の車両のうち、対応してもよいと思った運転者が、その需要者を拾ってあげる(誰かが対応した時点で信号は消える)。なお、誰が誰の車両に乗ったかという情報は、アプリの運営法人を通して一定期間、記録される。

⑤あとは、その運転者が、差し支えのない範囲(例えば岩手町までしか行かない車両ならそこまで)で、その需要者を乗せてやり(この点は、ヒッチハイクと同じ感覚)、需要者は、便宜を受けた範囲で、例えば「バス代よりは少し上」程度の金額を、アプリの運営法人に支払う。

⑥アプリの運営法人は、事前登録(③参照)しているその運転者に、その便宜を行った範囲(距離その他)に照らして相当な運賃(例えば、ガソリン代+α程度など)を支払う。なお⑤や⑥の料金は、予めアプリの運営法人が標準(上限)額の算定のための基準を定めておき、それ以上の額の授受はできないものとする(白タク化の防止)。

⑦上記の支払等は絶対ではなく、需要者がSOSボタンの発信の際に無償の乗車希望を発信したり、運転者が運賃を辞退することもでき、それらの選択は当事者の判断、交渉に委ねる(無償乗車の場合、運営法人への課金も発生しない)。

これなら、旅行者の身元も運転者の身元もアプリの運営法人が把握しているので、見知らぬ人を乗せる・乗る不安も一応解消され、バスやタクシー等の長距離移動について運営側又は利用者側にとって高コストになりやすい手段とは違った、低コストでの個人旅行等を実現することができるのではないかと思われますが、いかがでしょう。

ジョークの類と笑われそうですが、かつてヒッチハイク的に何度か見知らぬ方の車両にお世話になったことのある身としては、現代のIT技術も活かした、なかなか面白そうなシステムと考えます。建設的なご意見を頂戴できれば幸いです。

 

里山資本主義と町弁デフレの行方

藻谷浩介ほか「里山資本主義」を読みました。
http://www.kadokawa.co.jp/product/321208000067/

NHK広島取材班との共著なので、中国山地で自然エネルギーや新型建材を通じた林業の復権、耕作放棄地などを活用した高品質の食品産業や里山の資源を活かした過疎地での地域コミュニティの再生の取り組みなどが取材班から紹介され、それらの営みが近未来の日本社会を支えていく姿を、藻谷氏が「デフレの正体」のような歯切れの良さで論じています。

中国山地なので東北の人間には馴染みにくい例のように感じがちですが「標高数百メートルのモコモコした山がどこまでの連なり、小さな谷が複雑に入り組む、雪は降るが豪雪地帯ではなく緩傾斜地が多い。よく言えば玄人好み、ありていに言えば地味すぎて、体験型観光などの新たな観光産業も、多くの場合根付いていない」(123~127頁)という意味では、東北も北上高地をはじめ中国山地とよく似た地域が非常に多くあります。

そうした点では、東北の人々にとって、学ぶところの多い一冊というべきかもしれません。

地方に生きる弁護士としては、「里山資本主義」を実践し、個の知恵と力を活かして地域内で新たな営みをする方が増えることで、必然的に、関係者の利害を法的に調整する必要のある場面が生じてきますので、そのときにお役に立てるようにしておきたいものです。

とりわけ、新たな取り組みであればこそ、従来の実務では見られなかった新たな法的問題が生じてくる可能性がありますので、そうした場面で必要とされるよう、何らかの形で、地域内の「里山資本主義」の営みに、弁護士として接点を持っておければと思っています。

例えば、岩手会の公害環境委員会が、その受け皿として活用できればとは思いますが、原発被害対策がお役御免になったこともあり、また休眠状態に逆戻りしそうな状況です。

10年近く前に日弁連の公害環境委員会に出席した際、「里山を保護せよ」といった活動に関する報告を耳にすることがあったのですが、最近は脱原発などに重心が移っているせいか、里山の話に接する機会もなく、どうしたものやらです。

余談ながら、「日本でデフレと言われているものの正体は、主たる顧客層が減りゆく商品の供給過剰を企業が止められないことによって生じた、ミクロ経済学上の値崩れである」という下り(270頁)については、債務整理や企業倒産など近年の「主たる顧客層」が急減し、これに代わる採算の合う仕事も伸びないのに、人(供給)ばかり増やし続ける町弁業界にとっては、色々と考えずにはいられないものがあります。

尤も、町弁業界の場合、全国で広がる「相談料無料キャンペーン」を別とすれば、値引き競争をしているというより、事務所経営を維持できるだけの採算の合う仕事が激減し、新規受注する仕事の多くが採算割れリスクの高いものばかりという話が多いのかもしれません。

このような話は、数年前の公共工事激減による建設業界の大量倒産時代に多くの業者さんから「倒産に至る経緯」としてよく聞かされた話です。

ともあれ、藻谷氏によれば、デフレ(成熟分野の供給過剰による値崩れ)を解決し企業が生き残るには、需給バランスがまだ崩れていない、コストを価格転嫁できる分野を開拓してシフトしていくことでしか図れないとのことですが、町弁業界はコストを価格転嫁できない仕事を相当程度、避けて通ることができない業界であり「需給バランスが崩れておらず、かつ、採算の合う類型の仕事」を新規開拓せよと言われても、なかなか思いつくものではありません。

少なくとも、震災関連で被災県に新たに生じてきた業務(地元の弁護士に配点される仕事)については、地域固有という意味では、里山資本主義的な感じがしないこともありませんが、採算性という点では、今も総崩れと言っても過言ではない状態が続いているように見えます。

結局のところ、自己の付加価値(能力や信用)を高め、「単価の大きい仕事を任せたいと顧客層に信頼される力」を養うほかないのかもしれませんが、当面は、暗中模索の状態が続きそうです。

岩手県における交通事故の多発地帯

他の弁護士の方のブログで知ったのですが、日本損害保険協会では、都道府県別に交通事故多発交差点マップというものを作成しているそうです。

これによれば、岩手県の場合、1位と3位が奥州市(水沢区と江刺区)、2位が一関市、4位と5位が盛岡市にある交差点となっています。 http://www.sonpo.or.jp/protection/kousaten/kousatenmap24/03/index.html

実際、これまで県内の様々な交通事故のご相談等を受けてきた身の感覚で申せば、盛岡圏に負けず劣らず、県南(特に旧伊達藩域)で生じた事故を担当させていただく機会が多かったような気もします。

反面、盛岡以北で起きた事故のご相談等を受けた記憶は、これらに比べてかなり少ないとの記憶です。

車社会がより進んでいることによるのか、他の因子も影響しているのか、単なる巡り合わせか、その点はよく分かりません。

ともあれ、弁護士費用保険をご利用いただければ、県南の方に関する事故でも、費用負担のほとんどない形で、当事務所に事件対応をご依頼いただくことが可能になっています。

当職は、被害者側・加害者側双方で多数の交通事故事件を取り扱った経験・実績がありますので、県央部の方々に限らず、他の地域の方々も、ぜひご利用いただければと思っています。

包括外部監査人の狭き門と、その先にある地方自治の道

先日、弁護士会から、岩手県庁の包括外部監査人に関する募集通知が配布されてきました。今回は、この制度について少し書いてみたいと思います。
http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=48069

包括外部監査制度とは、弁護士、公認会計士等が自治体の長の委託により自治体が適法・適正に事務処理をしているか調査し明らかにすることを目的に、平成9年に設けられた制度です(地方自治法252条の36等)。

対象となる自治体が行っている様々な事業のうち、一つの政策テーマを選んで、業務実態や財務・会計について詳細な調査を行い、改善点を提言するのが通例となっています。

例えば、自治体が経営する病院などの事業が適正に行われているか、入札制度や随意契約の実態調査、自治体の出資法人の業務や自治体の監督などがテーマとして取り上げられることが多く、岩手県に関しては、平成25年度は高齢者福祉事業に係る財務事務の執行及び管理の状況、24年度は知事部局の委託契約が取り上げられています。

この制度は、平成の世になって地方分権の流れが進んだ一方で、自治体の不適正な予算執行が問題視される事例が相次ぎ、従来の監査委員による監査だけでは不十分であり、専門性を有する独立した第三者機関が強力な監査を行うべきとの理由で導入されたものです。

包括外部監査は1年ごとに行われており、一般的には、包括外部監査人として選任された者は、数名の補助者(主として弁護士又は公認会計士)と共に自治体の特定の政策ないし部門に関する諸制度の実情を調査し、運用の根拠となる法令その他の諸規定(財務・会計面を含む)や趣旨に反する運用がなされていないか確認し、数百頁もの長大なレポートと100頁ほどの概要版を作成しており、その多くはWeb上でも公開されています。

この制度が上手く機能すれば、自治体=行政組織が、政策運営・法執行の基盤となる様々な法令を遵守しているかを、違法な業務をしていないか(禁止規範の抵触の有無)だけでなく、法の趣旨から能動的に取り組むべき事柄を放置、懈怠していないか(政策的な行為規範の実践の有無)も含めて、独立した外部の専門家が調査し、改善すべき点を検討・公表して首長、地方議会議員や住民(地方自治の主要な担い手)に情報提供し、やがては現実の政策運営に活かされていくという循環が生まれることになります。

いわば、禁止規範(「するな」のルール)と行為規範(「せよ」のルール)の両方の観点(広義のコンプライアンスと言えるのではないかと思います)から、自治体の法や予算の執行のあり方を点検し、自治体の運営の実情だけでなく法令そのものの当否・限界も射程に入れて検討し、よりよい地方自治の姿を探っていく営みの契機とすることこそが、包括外部監査制度の本当の目的と言うべきではないかと思っています。

これは、地方自治の民主的政治過程を強化し実質化する取り組みに他なりませんので、そのような観点から、包括外部監査制度は非常にポテンシャルのある制度ではないかと考えています。

あまり大風呂敷を広げるべきではないかもしれませんが、こうした営みが当たり前になってくれば、震災で話題になった「インチキ?NPO法人に自治体が漫然と補助金を垂れ流し、巨額の税金が無駄になる事態」を未然に防ぐことが期待できることはもちろん、震災復興のため、より意味や価値のある政策が遂行され、ひいては内実を伴う住民参加も促進されていくような地方自治の文化が形成されるのではないかと信じています。

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私は、10年以上前に東京で暮らしていた頃からこの制度に関心があり、当時から、いつかは岩手県庁や県内の基礎自治体の包括外部監査人を務めてみたいと思って、数年ほど、日弁連の研修を受講していました。

が、岩手に戻ってきて少し調べてみると色々な意味でハードルが高く、全くご縁のない状態が続いています。

少し具体的に書くと、岩手県では県庁・市のいずれも公認会計士しか選任例がないようで、岩手県の場合、仙台の公認会計士の方に委託することも多いようです。

また、公認会計士の方が選任された場合には、その方が属する監査法人のメンバーを補助者としており、弁護士を補助者として選任する例は全国的にも極めて稀のようです。

大都市や西日本では、大物の弁護士さん(自治体法務の大家や地元で様々な公職等を歴任した方)が選任され、弁護士や公認会計士を補助者とする例が多々見られます。

これに対し、ざっと調べてみたところ、岩手に限らず東北では弁護士が監査人として選任された例はなく、補助者としても恐らくゼロ件ではないかという印象です(補助者については、ネットで公表されている監査報告書の概要版などから調べることが可能です)。

どういうわけか分かりませんが「包括外部監査人に弁護士が関与する実情」を調べると、はっきりと西高東低の傾向があり、西日本では多くの県や主要市で弁護士が監査人や補助者として登用されているのですが、東日本では、その例がごく僅かとなっています。

私の手元にある平成21年の日弁連研修資料には、都道府県に関し弁護士が選任された例は、西日本では中国・四国を中心に7府県となっていますが、東日本では北海道と山梨県だけに止まっており、ネットで少し調べた限り、弁護士を選任する自治体は増えているものの、現在も西高東低の状況に変化はないようです。

弁護士をしていると行政相手の訴訟の質量についても西高東低を感じることが多いのですが、西国の方が行政と対峙し拮抗しようという文化が強く、東国(特に東北)はその種の訴訟が非常に少ないと感じます。

震災のときにも言われましたが、東北は西国に比べ行政への信頼或いは依存度が高く、結果として民力が行政と対峙等する文化が希薄という印象があり、その点が上記の違いとなって現れているのかもしれません。

単に東西の経済力や人口の違いなのか、明治維新と戊辰戦争以来の東西の歴史が影響しているのかは不明ですが、興味深い現象であることは確かです。

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それはさておき、実際に必要となる監査業務が未経験の弁護士にも十分に耐えうるものであれば、上記の点を敢えて無視し、無謀を承知でチャレンジすることにも惹かれます。

ただ、実際の報告書等をDLして拝見する限り、上記の大物でない限り、いきなり応募というのはちょっとリアリティがなく、補助者の経験を積んだ後でないと適切ではないかなという感じです。

また、上記の点(法の趣旨に合致する事業云々)も行政を支える様々な制度、実務に深い造詣、経験がないと半可通の無責任な評論に陥ってしまいます(実際の報告書も、そうした酷評を受けるものもあるようです)。

というわけで、私自身は、ぜひ県内の自治体の包括外部監査人になる方がおられれば、手弁当ないし赤字仕事でも構いませんので何回か補助者に使っていただきたいと思っています。

そうした話に接する機会のある方は、こういう珍しい?奴もいると伝えていただければ幸いです。

また、弁護士・公認会計士のいずれの方が監査人になるにせよ、補助者として若い弁護士を活用するという文化をもっと育んでいただきたいと思っているところです。

少なくとも、現在のところ、私に限らず「田舎の普通の町弁」の大半は、監査という営みに接する機会はおろか自治体の諸業務に接する機会にも恵まれていないと思われ、それはとても残念なことと言うべきではないかと思います。

とりわけ、上記の「広義のコンプライアンス」の点検のためには、会計の専門家である公認会計士さんだけでは不十分で、弁護士が個々の政策運営(法執行)により高次の法の趣旨が活かされているかを、究極的には憲法なども視野に入れた、法体系の構造や趣旨に遡って検討する機会を設けるべきだと思います。

議員定数不均衡を理由とする定数違憲訴訟などでは「民主政治の過程そのものに歪みを生じさせるような事態は、民主政治の基盤そのものを脅かすもので憲法が容認しないものであるから、司法がその是正に積極的な役割を果たすべき」ということが、違憲判決の根拠として、強く言われてきました。

そのことは、先日刊行された泉徳治・元最高裁判事の著作でも、熱く語られています。

このような観点から、様々な形で形骸化や不祥事に関する監督機能の欠如等が叫ばれて久しい地方自治(地方民主政治)こそ、地方の政治過程に十分な役割、プレゼンス(影響力)を発揮できずにいる住民の力を高めるため、政治部門(行政・議会・首長)と相対峙し総体として地方における国民主権を支える担い手である、司法部門(地方のために活動する法律家)の役割、存在感を高めていく営みが、より必要ではないかと思っています。

定数不均衡になぞらえて言えば、地方では、地縁や党派・団体などを通じて影響力を行使する有力者的な住民が少なからずおり、そのような方は、そうでない無党派的な一般住民に比べ、1人で地方自治の数票を持っているようなものだと思います。

包括外部監査制度に限らず、地方自治のウェイトの中で、そうした実情に伴う弊害を是正し、一般住民の役割を高めるという意味での真の一人一票を実現するような仕組み作りは、地方自治制度において求められていることだと思います。

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また、現在の監査報告書は数百頁もの膨大なレポートが作成されているのですが、それほどの頁数が必要なのか(研究者等を別とすれば、どれほどの人が読むのだろう)と思わずにはいられません。

もっと頁数(従事内容)を絞り、ピンポイント的に特定の事業を取り上げ、執行状況の法適合性や経済的合理性などを分かりやすく検討し、住民に問題提起をするようなレポートを提出する形に変更しても良いのではと感じています。

欲を言えば、地元の学生さんや政策に関心のある住民グループなどが、そのレポートを叩き台に、政策テーマについて提言や参加を求めるような営みが生まれるような展開になればと思います。

私の知る限り、これまで作成された包括外部監査人の報告書は、自治体の法執行に多少の改善を生じさせたという報道はあるものの、住民等の意識を喚起するような効果を生じさせたという話は聞いたことがなく、その点は残念に思っています。

包括外部監査人の報告書は、住民(納税者)のための自治体(納税先)の仕事ぶりに関する情報の配当として行うものだと思いますので、より多くの人が関心を持って見ようと思えるための工夫など、現在の監査実務に関する改善の視点も持って頂きたいと思っています。

まあ、愚痴ばかり言っても仕方ありませんので、捲土重来?を期し、また過去の研修資料やDLした報告書例などを少しずつ勉強しようと思います。

八戸支部の出張と根城南部氏

珍しく青森地裁八戸支部に提訴した事件があり、訴状陳述のため行ってきました。

帰りはバスに乗り遅れて流しのタクシーに乗ったのですが、どこから来たかと聞かれて盛岡と答えたところ、郷土史に並々ならぬ思い入れをお持ちの運転手さんで、10分ほど「甲斐(鎌倉期)から始まり遠野(江戸期)に終わる根城南部氏の盛衰と、南部家跡目争いと九戸戦役を中心とする桃山時代の北東北の一大騒乱の物語」をノンストップで熱く語っておられました。

「すいません、二戸の人間なのでその話の大半は知ってるんです」という言葉が何度も頭の中をよぎりましたが、言い出せるはずもなく、やむなく延々と相づちを打っていたことは、申すまでもありません。

ところで、我が国の裁判所の大半は、城跡付近に好んで建てられていますが、八戸支部は、江戸期の八戸を統治した八戸南部氏(盛岡南部氏の兄弟筋)の居城跡ではなく、根城南部氏(鎌倉~桃山期に統治)の居城跡の近くに建てられています。

誰が、どのような理由でそのような選択をしたのか分かりませんが、二戸の人間が盛岡南部氏ではなく九戸氏をもって領主と仰ぐのと近い感覚があるのかもしれないなどと、興味深く感じました。

根城跡は現在、本丸等がある程度、復元されていますが、桃山期の遺構を考証して再現したのだそうで、九戸城と同時代の遺構を再現したということができます。

九戸城の再現は難しいでしょうし、すべきとも思いませんが、根城跡を訪れ風景に接することで、在りし日の九戸城や、そこに生き天下の大軍と戦った人々の姿を、多少なりとも感じることができるのかもしれません。
http://www.hachinohe.ed.jp/haku/hiroba.html