北奥法律事務所

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岩手・北東北など

大谷選手の選ぶ道と「あれから1200年」

日ハムの大谷翔平選手のメジャーリーグ・エンゼルスへの入団報道については、最も高額な年俸が確実視されたヤンキースを選ばなかったことに対し、ニューヨークの地元紙などからは、「(岩手県奥州市という)人口の少ない田舎町の出身だから大都会を嫌がったのか」などと批判的というか中傷じみた「やっかみ記事」も出ているようです。
http://www.sankei.com/premium/news/171209/prm1712090007-n1.html

こうした記事に対しては、日本のメディア(特に、岩手日報など)は「小なる者の側に立って巨大勢力と戦うのがアテルイ以来、1200年の奥州市(胆江地方)そして岩手の伝統だ、くたばれヤンキース!」などとエールを送っていただきたいものです。

まあ、野球人としての生き方は、ご本人が諸般の事情をもとにお決めになるべきことですから、それこそ、エンゼルスで実績を挙げ、数年後はヤンキースで二刀流→現代のベーブルースと称される、といった展開になれば、それはそれで望ましいことだとは思いますが。

そうなったときは、今度は「1200年前の地元の英雄は残念な結末を遂げたが、現代では田村麻呂と共に京都(天下の中心)で大輪の花を咲かせるハッピーエンドになった」と語られることになるのかもしれません。

ともあれ、学生時代に読んだ「なんと孫六」なども懐かしみつつ、さらなるご活躍を期待しています。

町弁が遠野に来たりてエセ歌人

突然の解散に伴う今回の総選挙では、野党の元首相や代表経験者の方々が無所属で立候補されるとのことですが、いっそ、民主党のシンボルカラーも踏まえて、「REDの会(Retired Extremely Dangerous)」を結成なさってはいかがかと思わないでもありません。

それはさておき、先日は、破産管財人を受任している企業倒産の事件の関係で数ヶ月ぶりに遠野支部(裁判所)に行きましたが、宮守ICまでの単調な山道を抜けて遠野盆地(綾織地区)が山あいに開けてくる光景は、いつ見ても清々しく感じます。

小雨交じりの曇天ではありましたが、青空や紅葉などの彩りがなく山に囲まれた刈り取り前の稲穂の眩しさだけが引き立つ光景も味わいがあるものだと思いました。そんなわけで、毎度の一句。

山里の秋雨照らす黄金いろ

遠野支部には、昨年10月から3~4ヶ月に1回の頻度で通っているのですが、岩手に戻って12年以上になるのに、どういうわけか遠野支部だけはほとんど縁がない状態が続いていました。

そうしたこともあり、昨年10月に赴いた際は、折角だからと鍋倉公園の頂上まで登ったのですが、城下にひろがる遠野市街と澄んだ青空に目を向けつつ、管財事件の当事者となった企業の関係者の方々の様々な事情や心情について思いを馳せる面がありました。

城あとは閑かな遠野の里の秋 喜怒哀楽を空に残して

2月や6月に赴いた際は、遠野支部では5分程度のやりとりをしただけで、仕事の関係ですぐに盛岡に戻ったのですが、せめてものということで、「とおの物語館」と近くを流れる小川の周辺を散策して帰りました。

今日もまた とんぼ帰りの遠野支部 川でキュウリを冷やす間もなく

そんなわけで、遠野に来ると一句(一首)作って帰りたがる習癖があるようですが、肝心の受任事件も仕事自体は大過なく進めることができていますので、歌人としては三流以下の素人でも、法律実務家としては相応の成果をあげて、関係者の方に「貴方に頼んで(貴方に関わってもらって)良かった」と思っていただけるよう努めてまいりたいと思います。

縄文遺跡群が世界遺産になるために必要なこと

先日、世界遺産の推薦に関する国内審査で、仁徳天皇陵を主とする大阪の大規模古墳群が当選し、一戸町の御所野遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」の審査が来年に延期(落選)されたとの報道がありました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20170801_1
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170801-OYT1T50003.html

御所野遺跡は以前から行こうと思いつつ後回しになっており先月にようやく初めて訪れたのですが、環境の良さ(閑寂さ)はさておき、これが世界遺産に選ばれるのかなぁと考えると、率直なところよく分かりません。

ただ、以前も書きましたが、御所野はさておき、日本の縄文文化それ自体は、世界にその価値が理解・伝達されるべきものであり、特に、現時点で日本で登録された古代~中世の世界文化遺産が、京都・奈良・日光・平泉の寺社仏閣群など、弥生期以後に中華文明の強い影響下で生じたものばかりのように感じられ、縄文文化を伝える遺跡で世界遺産とされたものがないことから、その点でも文化遺産として登録を求めること自体は大いに意義のあることだと思います。

それだけに、繰り返しになりますが、「北海道(東部)と北東北」に限定しなければならない理由はなく、「日本列島で成立した縄文文化が世界的に独自の価値があること」というコンセプトに再構成し、他の地域も含めた縄文文化の痕跡が残る遺跡のチャンピオン的な存在を列挙・再構成して世界遺産登録を申請した方がよいのでは?と考えます。

そのように考えれば、三内丸山や大湯環状列石は残るでしょうが、小規模な遺跡群は「関連遺産」扱いでもやむを得ないと思いますし、反面、国宝指定された長野県茅野市の「縄文のビーナス」や「仮面の女神」、或いは亀ヶ岡の遮光器土偶など著名な土器・土偶が発掘された場所などは、小規模でも遺産として申請すべきだ(でもって、現地が貧弱でも発掘された物自体の価値をPRして世界遺産登録を狙う)ということになるのではと思います。

少し調べてみたところ、やはりというか、同じようなことを考える識者の方もおられるようです。

理想論としては、稲作=土木工事により自然を作り替えた弥生文化と異なり、縄文は自然と共に生きる文化というべきでしょうから、アニミズムに基づく自然信仰の文化が残る地域などと連携し、文化・自然の複合遺産的な路線を考えるのも適切なのではと感じる面もあります。

まあ、具体例を挙げろと言われてもすぐに思いつくものではありませんし所詮は素人の戯言ですが、それはさておき、まずは北東北ではなく北奥と改めることから検討していただいても良いのでは、と余計なことを思わないこともありません。

また、この記事によれば、「北海道・北東北」云々の運動は、関連4県の知事らが地域振興目的で始めたもののように見受けられますが、そのような発想では、何年経っても、イコモスはおろか、文化庁からも「縄文文化がどんなに素晴らしくとも、貴方たちに世界遺産は無理」と言われるだけに終わってしまいそうです。

そうした意味でも、一部の関係者だけの運動ではなく、地元民が、真に縄文文化を自分達のルーツとして価値や意義を理解し、自身のメンタリティに取り込むことができるようになるまでは、世界遺産などという栄誉を得ることは半永久的に望めないことなのかもしれません。

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主要地銀も認めた「北東北=北奥」というブランディングと当事務所の魂

4月5日の日経新聞に、北東北の主要3地銀(岩手銀行、青森銀行、秋田銀行)が「北奥 HOKUOU 北東北の味とカタチ」と題する観光小冊子を共同で刊行したとのニュースが出ていました。
http://www.claska.com/news/2017/03/do_hoku-ou.html

主に女性の周遊客の獲得を狙って全国展開しているようで、ネットで調べた限り、タイトルを「北奥」とした理由を見つけることはできませんでしたが、女性観光客にこの地域を「オシャレ」にPRするには「北東北」という言葉ではなく、「北奥」と名付けた方が適切だと判断したものと思われます。

せっかく、そうした雑誌を出すなら、当事務所にも一声かけて欲しかったというか、それはさておき、北東北の主要3行が「北奥」という言葉(概念)に「北東北」の言葉にはない魅力や価値があると感じていることの表れなのでしょうから、一過性のものとせず、「北奥」という言葉を、北東北を象徴する概念として多くの方・企業などに用いていただければと思います。

ところで、私は平成16年に東京を引き払って岩手に戻る際、北東北の社会と人々のために生きる弁護士というコンセプトのもと、それを体現する言葉として「北奥」という企業名(事務所名)を考案し、以来、当事務所のアイデンティティとして掲げています。

もちろん「北東北法律事務所」などはネーミングセンスが悪い(また、北東北の三県全部に店舗展開しているならまだしも、ちっぽけな個人商店に過ぎないのだから、雅称を拝借するに止めておくべきだ)という判断があったことは言うまでもありません(他にも色々と候補名はありましたが、ここで挙げるのは遠慮します)。

もともと、他所で使われていたのを拝借したのではなく、自分なりに思いついた言葉でしたが、全くのオリジナルよりは、多少とも歴史などの重みがある由緒ある言葉を使いたいという欲があり、少し調べてみると、「北奥」という言葉は滅多に見かけないものの、全く使われていないわけではなく、歴史関係の書籍で北東北を一括りに論じようとする際に、稀に使われていることが分かり、それが決め手になっています。

以前にも書いたことがあるかもしれませんが、「東北(地方)」という言葉は、基本的に明治以後に成立した言葉ないし概念と理解しており、それ以前から存在している「奥州(陸奥・出羽)」という概念と比べて、歴史の重みを欠くというか、私自身はあまり好きではありません。

wikiによれば「東北」は幕末頃に使われるようになった言葉で、明治期に西南=勝者たる薩長土肥に対抗・抵抗する「民権(反官)の牙城ないし象徴」といったニュアンスで、この地を表す概念として広まったようです。

しかし、私に言わせれば、東北(奥州)は、明治政府(薩長土肥)の敵役であることが本質(地域のアイデンティティ)ではなく、戊辰戦役は「政見の異同」に過ぎないわけで、東北という言葉に縛られる(「ありき」で考える)のは、「この地が何者であり、どこから来て、どこに行くのか」という本質的な考察を失うことになりかねないと思います。

その上で、私自身は、この地の本質(固有の特徴)は、日本列島(北海道を除く本州)では弥生人(大和国家)の征服が遅れたことで縄文人の文化が最後まで残った地域であり、縄文人の末裔たる蝦夷(奥州人)がアイヌ(北海道人)と大和国家(弥生人)の双方と交流を持ちながら独自の文化・社会を維持していた(が、最終的に平安朝から鎌倉期にかけて大和国家に呑み込まれる形で同化した)という点にこそ求めるべきではないかと考えており、そのような理由から、必ず言われる「辺境性」と共に、異質な文化・民族が交わる結節点(融合点)的性格(地域的な事柄だけでなく、人的役割などを含め)を掘り下げる視点があってよいのではと考えます。

そうした意味では、大和朝廷に名付けられたものとはいえ、奥州という、何か得体の知れぬ異形の存在が潜んでいるかようなニュアンスを含む言葉を私自身は大いに気に入っており、この地域の人々は、もっと大切にしなければならないのでは?と思っています。

だからこそ、大和国家との同化の程度が強く「奥州人」としてのアイデンティティが現代ではほとんど消失している南東北と異なり、同化の程度が低く(遅れて)、抵抗と闘いの歴史や独自性の強い文化を擁している北東北の人々には、そのことへのこだわりを全国・世界に正しく表現して欲しいと思っています。

平成10年頃に「道州制」が盛んに語られていた際は、北東北三県の統合なども話題にされていたと思いますが、人口減少という大きな社会変化に伴い、改めてそうした議論が盛んになってくるかもしれません。

その際の「統合された地域の組織のあり方や名称」は、行政の都合で役所を統合するだけといった話ではなく、この地のアイデンティティを掘り下げ、地域の一体化に相応しい統合の哲学や言葉を探して欲しいと思いますが、「北奥」はそれに相応しい概念・言葉というべきで、地銀さん達に限らず地域の方々に広く使っていただきたいと思います。

現在は、当事務所の職員が電話口で事務所名を伝える際に「奥様の奥です」などと話している(しかも、県内の方に向かって・・)のを聞く都度、「せめて、みちのくの奥かムツノクニの奥と言って欲しいんですけど・・」という愚痴ばかりの日々というのが正直なところですが、いつの日か、「北奥州」の輝かしい成立の光景?を見届けることができればと地域の片隅で願っています。

多浪が田老に集うとき、そして二つの「たろう」の誇りと救い

大阪大学や東京大学に「多浪の会」なるサークルが結成され、「多浪」の方々の単なる交流だけでなく、全国の同じ境遇の方を支援する情報提供などにも取り組みたいなどと述べられた記事が掲載されていました。
https://www.j-cast.com/2017/07/28304395.html?p=all

折角なので、岩手県宮古市(田老地区)は、「多浪の聖地(或いは故郷)」を標榜し、この方々の全国大会などを行って欲しいとの誘致活動をなさるべきではないかと思います。

参加者の方々には、震災時に巨大津波に飲み込まれてしまった「防潮堤の長城」に全員で並び、多浪を乗り越える力強い人生の誓いを叫んでいただくと共に、たろう観光ホテルの最上階で「あの映像」を見て「どんな高い人生の津波にも打ち砕かれない多浪の誇り」を新たにしていただくのも良いのではないかと思います。

また、当然のことながら、東大や阪大など優秀な方々の集団であることは間違いないのですから、地元側は田老地区のまちづくりや活性化、全国や世界とのつながりの支援なども含む長期的な関係形成を彼らにお願いすべきではと思います。

それこそ「多浪」が「田老」を助ける中で双方の誇りが取り戻されるという点で、「救いに至る道」とも言えるのかもしれません。

特定のイベントを揶揄したいわけではありませんが、震災から何年も経て、政治家やマスコミなどの「形だけ・かけ声だおれの復興エール」ばかりが目に付く一方で、現実に沿岸被災地と全国・世界の様々な方々が共同した取組をしているなどという報道などに接する機会が減っているだけに、こうした「多少のユニークさも含めて、多くの人々の関心を引きつけ、現地に行きたいと思えるイベント(風化対策)」が求められているのではなどと思わないこともありません。

ちなみに、私は司法試験では2浪していますが、多くの先輩方に「そんなのひよっ子だ」と笑われてしまいそうです。

東京に負けない地方制度の大改革と「方言政党んだんだ」結党を目指して

都民ファーストの会の躍進で「にわか地域政党ブーム」が再燃しそうな気もしますが、これまで「方言や訛りを用いた政党名」は聞いたことがないように思いますので、岩手など過疎県ではそうした蛮勇を振るう方がいてもよいのではないでしょうか。例えば、

①いわでがいづばんの会 ②岩手でいがったの会 ③地域政党んだんだ

なんてどうでしょう。

近年、方言や訛りの文化(ひいては言葉に宿る思想・哲学の多様性)の消滅の危機が叫ばれているだけに、敢えて地域独自の言語の意義や価値を地域のオリジナリティや誇りの象徴として標榜する運動があってもよいのではと思わないこともありません。

まあ、ネット上で「田舎の勘違い泡沫キラキラ政党」と揶揄されて終わってしまうのかもしれませんが・・

もとより、私自身は、零細事務所の維持と家族政党「あたしの都合が第一」の活動に精一杯というのが恥ずかしい現実です。

都知事選の際(1年前)、小池氏には東京から日本の閉塞的な政治文化をぶっ壊すという心意気で頑張っていただければという趣旨のことを、対抗馬たる増田氏へのエールと共に述べた投稿を載せたことがあります。

都議会に限らず、地方自治の統治機構制度が現状のままで良いのかと感じている方は少なくないでしょうから、首都圏に限らず地方でもそうした機運が盛り上がることを期待したいものです。

・・・とFBに書いて投稿したところ、大学時代の先輩から、事務所名を「岩手でいがった法律事務所」にしたらどうか、とコメントをいただきました。

が、職員に

そんたひょんたななばでんわぐぢでへんのやんたべじゃ、
んがおらさそだなほずねえごどやれつったってわがねんだ

と拒否されますので、謹んで遠慮させていただこうと思います。

余談ながら、最近の「ケンミンショー」では、上記のような「地域の方言コーナー」が登場していますが、こうした試みを通じ、地域の言葉を保全し、そこに潜む文化を考える潮流がより盛んになればと思っています。

岩手は東北の中でも「住みよさ」の劣る地域なのか?

東洋経済新報社が行っている全国の各自治体の「住みよさランキング」に関する記事が出ていましたが、北東北なかんずく岩手・盛岡の自治体の順位が南東北(ひいては全国)に比べて残念なものとなっているようです。
http://toyokeizai.net/articles/-/177362

あくまで同社の独自評価であり、同社が有意と考える特定の要素が重視されるなどのバイアスがあるのだと思いますし、素人感覚では東北でダントツ一位になって良いはずの仙台市が上位ランク内に入っておらず(前年(2016)のランキングも含め、かなりの下位のようです)、隣接する名取が1位になっているという奇妙さもあるなど、割り引いて考える必要がありそうな気はします。
http://toyokeizai.net/articles/-/123956

ともあれ、盛岡も長年住んでいれば、学童保育への公的支援が薄いとか(市が児童センターを優先し学童は敵視しているらしい?)、二戸(私の頃)と異なり中学校に給食制度(センター)がなく、仕事のある親(早朝労働)か子(がっかり弁当で、しかも付け合わせ禁止とのこと)のいずれかが泣く羽目になるとか、残念な話を聞くこともありますので、そのことも考慮されたのかもしれません。

よく見ると、北上に比べ、ほとんどの指標が上回っているのに「住居水準充実度」だけが突出して負けており、学童も「北上未満」の典型例らしいので、そうした事情が関係しているのかもしれません(住居水準充実度は、住居スペースや持ち家比率などを指すとのことで、福祉制度は関係ないのかもしれませんが)。

ただ、今のところ大型ダンプが行き交う階段ピラミッドの街という様相を呈している陸前高田が「快適度」全国19位になっているというのも違和感ありますが・・
http://toyokeizai.net/articles/-/177113?page=4

「富裕度」については、他地域に比べて残念な自治体ばかりの東北・北海道管内では健闘している数字ですが、それは県内の富を集める一部の方が市内におられるというだけの話で、この仕事をしていると残念な生活水準・状況の方も多数お見かけしますので、地域全体の住みよさにどれほど関係あるのやらという感じはあります。

私も震災以前にはワークライフバランスはさておき収入面だけは分不相応の額をいただいた恵まれた年がありましたが、今や遠い目で懐かしむほかありません。

数年前、盛岡市役所が「ブランド宣言」なるものをしたという話があり、最近はあまりそうした類の記事を見ることもありませんが(田舎の行政関係者の抽象的なナントカ宣言の類なら今も昔もありますが)、まずは、こうした統計も踏まえて他者と比較しつつ要改善のポイントを探る姿勢を示していただければと思います。

全データが掲載された書籍を拝見していませんが、ネット上の情報から察する限り、二戸など北岩手・東青森=旧糠部地域(私の出身エリア)が全く見当たらず残念に思う反面、ぜひ「おらほの町はAがなくともBがある。町になくとも俺にはある(今、これから生み出してみせる)」などと、各人が全国、世界に向けて独自の存在感を発揮していただければと思います。

起業と難関私立校の不毛の地?東北の今とこれから

facebookで流れる情報をパラパラと見ていたところ、著名起業家として64名の方をピックアップし、出身地と学歴別に整理した記事を見かけました。

ざっと見たところ、東京・阪神・中京の大都市圏が中心なのはやむを得ないとしても、北信越や北九州などが順当に輩出しているのに対し、東北は福島から2名の方が選出されているのみで、北東北(北奥地域)に至っては残念ながらゼロとなっています。
https://hcm-jinjer.com/media/contents/b-contents-6740/

私がその記事を読んで、すぐに思ったのは、このデータと地域の教育環境の格差に何らかの関係があるのだろうか、という点でした。

というのは、少し前に、いわゆる難関私立中学について調べたことがあったのですが、大都市圏に限らず関東圏や西日本などでは小規模県でも各県に有力な私立中学・高校を多数擁しているのに対し、東北地方だけが、そうした学校が地域内に全くと言って良いほど存在しないことが分かり、残念に感じたことがありました(仙台にもその種の学校が今も存在しないのが不思議なのですが、かつて支店経済の典型と言われたことも関係しているのでしょうか)。

そのため、知的総合力を必要とするであろう起業家の輩出に関する一覧表で東北(とりわけ北東北)の出身者がほとんどいない光景を拝見すると、そうした「地域内の優秀な子弟を集めて潜在的な才能に相応しい良質な教育を施し、互いに触発・切磋琢磨させる環境の不在」という格差が、上記の結果に繋がっているのかもしれない、と思わずにはいられない面があります。

ただ、北東北が、昔から「リーダーや新たな産業の創出者を輩出できない、指示待ち人間の供給地」だったかと言えば必ずしもそうではなく、戦争直前の時代には、米内光政を筆頭に大日本帝国を動かす軍産学官文の大物が参集して「日本一の同窓会」と呼ばれた旧制盛岡中学の全盛期(といっても草創期の卒業生かもしれませんが)の例もあったわけで、その後、岩手は一体何をやっていたんだと思わないでもありません。

鹿児島人の有名な愚痴で「維新で優秀な人が皆、東京に行ったから地元に残ってない」という話がありますが、或いは、戦前の東北にもそうした面があったのかもしれません。

もう一つの見方として、一覧表では近畿や北九州などという弥生文化圏が起業家を多く輩出し、東北・北海道や南九州・沖縄といった縄文文化圏が後塵を拝しているように見受けられますので(京都の表示がありませんが、京セラなど著名企業が幾らでもありますので選出漏れでしょう)、そうしたことも関係しているのかと思わないこともありません。

というのは、起業=ビジネスのアイディアだけではない、新たな組織を作る力と捉えれば、弥生人に向いている作業で、個人プレーの縄文人には向かないと考える余地もあるからです(その裏返しとして、文化・芸術系などで北東北や沖縄などが相応の人材を輩出していることも間違いないはずです)。

以前、那覇に出張したとき、琉球王国は、原住民的な縄文系ではなく、平安時代?にやってきた弥生系の民が作ったのではと考えたことがあり、そうしたことも、関係しているのではと思ったりもします。

と、そのようなことを書いてfacebookに投稿したところ「西日本が大阪を中心とする商品経済が浸透していたのに対し、東北はそうした影響が薄く、そのことも(起業文化の未発達に)関係しているのでは」とのコメントをいただきました。

そう言われてみると、震災直後の時期に岩手県内の何人かの企業経営者の方に「原発の風評被害による売上逸失があれば、原発ADRで一定の被害回復ができますよ」と説明した際に、「自分達の商圏は岩手及びその周辺に止まるから風評被害なんて無い」と返答されたことがあったのを思い出しました。

とりわけ旧南部藩などは(日本海側の秋田・酒田や米供給地の仙台と異なり)全国規模の流通等にあまり組み込まれておらず、盛岡等に招かれた近江商人や北上川の舟運などはありましたが、自ら全国規模の取引をする商人は多くはなかったのでしょから、そうしたことも「全国ないし世界に向けて展開する起業文化」が低調な?ことの背景にあるのかもしれません。

それはさておき、小規模ながら?天下に向かって頑張っておられる地元の方も報道などで相応に拝見していますし、他人様の話以前に、まずは与えられた環境で自身の意欲や才覚を高めるにはどうすればよいか考えるべきでしょうから、様々な取組を拝見しながら地道にできることを積み重ねようとは思います。

天峰山と「知られざる北上高地」

前回の「岩泉での法律相談」の続きですが、岩泉から事務所に戻る途中、岩手山の好展望地として名高い天峰山に立ち寄りました。

恥ずかしながら、修習生時代(平成10年頃)は天峰山の存在自体を知らず、5年ほど前にようやくその存在を知ったものの、岩泉方面に赴く機会自体がほとんどなくなってしまい、今回が初訪問になります。

この日は絶好の晴天日で、真正面の岩手山はもちろん北の八幡平・安比方面から南の南昌山・焼石方面、また、奥(岩手山の西)にある秋田駒ヶ岳・乳頭山なども含めて非常に良好な展望を望むことができました。

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ただ、展望場所の東側は樹林帯となっており、北上高地の風景を望むことはできませんでした。途中の道路からは、展望地のすぐ東にある玉山牧場の広々とした牧場風景が広がり、遠くには早池峰山をはじめ北上高地の山々を目にすることができる場所もあっただけに、少し残念に思いました。

北上高地の特色として、「重畳たる山並みの頂上部分が草原(牧場)になっている光景(が幾つか点在していること)」が挙げられ、南部(106号線以南。遠野周辺など)には寺沢高原・荒川高原・種山が原など、そうした山上の大草原が数多く見られるのですが、北部はあまり多くはなく、観光客が気軽に立ち寄れる場所はくずまき高原牧場、袖山高原、高森高原くらいしか思いつかないのが実情だと思います。

それだけに、国道に面しておりアクセスに強い優位性のある玉山牧場について、観光客(一般人)が気軽に立ち寄って展望を享受できる=山上草原の美しさを感じることができる措置を講じるのが望ましいというべきで、例えば、東側を望む木製の展望塔などを整備しても良いのでは?と思いました。

展望塔に相応の高さを確保すれば、外山ダム湖岩洞湖、北の姫神山なども含めた360度の大展望が得られるのではと感じるだけに、関係者には検討していただきたいところです。

また、既存の展望場所(小さな広場)も、自動車が出入りする際に砂埃が立ちやすいのだそうで、コンクリート舗装するかはさておき、もう少し整備してもよいのではと思いました。

残念ながら事務所に速やかに戻る必要上、直ちに国道(455号線)に戻りましたが、国道沿いには天峰山の入口であることを示す表示などは一切なく、この場所は今も知る人ぞ知るの場所になっています(ですので、冒頭のとおり何年間も知らず、知った後も、どこが入口なのだろうと分からない状態が続いていました)。

それはそれで味わいがあるというべきかもしれませんが、これだけの展望地ですので、その良さを社会に伝える姿勢があっても良いのではと感じます。

玉山牧場は、ネットで調べたところ、くずまき高原牧場(の運営企業である、葛巻町が母体となっている公社)が管理しているのだそうで、それだけに、盛岡市がやる気を見せないのなら、葛巻町側が「北上高地北部の良さを世間にもっと伝えたい」という心意気を発揮していただきたいものです。

余談ながら、時間さえあれば、往路を戻るのではなく大川地区から櫃取湿原に向かいたいとも思っていました。櫃取湿原も修習生時代から行きたい、行きたいと思いながらも未だに足を踏み入れることができておらず(入口だけは2回ほど行っているのですが)、いつになることやらです。

秋田八幡平の勿忘草と地獄谷

先日投稿した八幡平には仕事に関する野暮用で訪れたのですが、ついでに秋田八幡平スキー場で少しだけ滑ってきました(なお、前回述べたとおり、4月末頃の話です)。

リフト1基、2コースだけの小さなスキー場ですが、北東北で一番早い時期から最後まで営業しているため愛好者にはよく知られたスキー場なのだそうで、私も初めて来ましたが、十分楽しめました。

春山ですので雪質はやむを得ないところで、ハイシーズンに来てみたいのですが、八幡平山頂の開通までは安比の2倍以上の時間をかけて来る必要があり、岩手人にはハードルが高いです(泊まりがけでスキーできる身分に戻れるのはいつのことやらです)。

アスピーテラインを頑張って12月下旬頃まで通行可能にしていただければ、岩手方面から訪れる人も増えると思いますが、それはさておき、岩手人はアスピーテラインの開通直後に秋八スキー場で最後のひと滑りを楽しんでシーズンを終えるというのも粋なことなのかもしれません。

ところで、岩手県央部のスキー場の来客用施設(ロッジ類)は某岩山を除いて今どきの設備ばかりなのですが、秋八のロッジは数十年前に建てられたであろう古い施設のままで、いわゆる「昭和レトロの世界」と言えないこともありません。

子供の頃、当時の西岳スキー場や今は無き竜ヶ森スキー場で仕事をしていた方に連れられ、業務終了の時刻まで一人でほったらかしにされて適当に滑るという寂しい日々を過ごしていたのですが、秋八のロッジには岩手県央では感じることのできない、見知らぬ大人達とストーブを囲み暖をとった竜ヶ森や西岳の光景を懐かしむことができそうな面があり、そうした意味でも好ましく思いました。

今は、あの頃より少しは上達したとは思いますが、私に代わってボーゲンに勤しむ新たな初心者の姿に、変わりゆくべきものと変わらないでいて欲しいものをしみじみと感じたりもします。

そんなわけで一首。

春雪に勿忘草を見る山は あどけなき弧を今に伝える

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秋八スキー場から仙北市(田沢湖)経由で帰宅する途中、玉川温泉の地獄谷(自然研究路)に立ち寄りました。残念ながら、日帰り温泉は湯冷めするから嫌だと昔から主張する同行者の方針で今回も入浴はできませんでしたが、火山活動に伴う荒涼とした光景を楽しむことができました。

いわば「遠くのイエローストーンより近くの玉川温泉」といったところですが、間欠泉は北東北にほとんどありませんので、後生掛温泉の泥火山と黒玉子で勘弁して下さい。

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また、源泉から温泉施設に向かって流れる硫黄たっぷりの濁流は「遠くのベイサンズ(シンガポール)より近くの三途川」といった印象です。こちらは舟には乗れませんが昇天しそうな宿泊費を取られることもありません。

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周辺から硫黄が噴出し黄色に染めている光景は「ロード・オブ・ザ・リング」のクライマックス(火山の内部に入るシーン)を思い浮かべますが、悪の指輪を捨てるどころか、ガスの幻覚に襲われ?ご自身の結婚指輪を外す羽目にならないようご注意下さい(幻覚かどうかはともかく、残念な事態に陥った方のご相談は日々お受けしております)。

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ここで、同行者から「黒玉子を食べたい」との希望があり、玉川温泉と同じような雰囲気の後生掛温泉で売っているので、こちらにも当然にあるものと思っていたのですが、残念ながら玉川温泉では製造・販売なさっていませんでした(ので、「騙された」と恨まれました)。

ネットで調べた限り、黒玉子は、箱根の大涌谷と後生掛温泉、岩手側の藤七温泉でしか売っていないようですが、私の知る限り非常に人気のある商品ですので、玉川温泉に限らず、各地の温泉等でぜひ販売を検討いただきたいものです。