北奥法律事務所

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岩手・北東北など

東北の異端児、郡山の夢と現在(いま)~H21再掲~

先日の日経新聞(プラス1)で、郡山の温泉や安積歴史博物館が取り上げられていました。私は、平成21年に一度だけ、郡山の中心部に行ったことがあり、その際、上記の博物館などを見た感想を、2回に分けて旧HPの日記に掲載したことがあり、折角なので、再掲することにしました(少しだけ表現を修正しています)。

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平成21年7月に東北弁連の定期大会が郡山市のホテルで開催され、東北弁連の公害対策環境保全委員会も実施されることから、岩手枠の委員となっている私も、参加してきました。委員会そのものは、各県の現在のトピックスを簡単に出席者が説明した程度のものですが、他の委員の先生方の出席率が非常によく、私=岩手会ばかりがすっぽかすのも後が怖いことなどから、半ば仕方なく行っているというのが正直なところです。

で、いつもは新幹線で通過するばかりの郡山の街に初めて踏み入れたということで、4時間程度とはいえ、郡山観光に勤しむことにしました。

まず、弁連大会の会場のホテル「ハマツ」から徒歩10分ほど、市役所に面した場所に「開成山公園」という大きな公園と大きな神社があり、そのすぐ近くに、「開成館」という歴史的建造物があったので、そちらを見てきました。恥ずかしながら郡山についてはほとんど知識がなく、郡山にゆかりがある「安積疎水」という言葉だけを聞いていたので、そのことについて知りたいというのが目的でした。

詳細は省略しますが、安積疎水というのは、人口の巨大水路を造り猪苗代湖の湖水を郡山方面に送り込んで水田開発をしたという大規模灌漑施設であり、明治初期に巨費を投じて着工されたのだそうです。開成館をぜひ訪れて見て頂きたいですが、水利の乏しい郡山一帯(安積平野)に大規模開拓を行いたいという当時の人々の切実な要望があり、これが、当時の失業武士対策や富国強兵策等に追われていた大久保利通らを動かして実現にこぎ着けたとのことで、なかなか壮大なドラマがあったのだと初めて知りました。

また、私がこれまで郡山という都市のことをあまり知らなかった理由も、そうしたことと関係があるのだろうと得心できました。私のような多少とも歴史に関心のある東北人にとっては、盛岡、仙台、米沢、会津若松といった武士の時代に拓かれた都市には馴染みがありますが、郡山や青森のような、明治後に開拓された都市には、あまり馴染みがありません(その点は、東北人の根底にある、明治政府へのある種の反発心もあるでしょう)。

ただ、一方で、その都市で現に努力してきた住民からすれば、開拓を推進した明治政府の要人こそが自分達の生みの親なわけで、盛岡などでは到底考えられない「大久保利通や政府から派遣された開拓に尽力した県令等に対する顕彰」が盛んになされていることに、とても東北とは思えないと驚くと共に、感慨深いものがありました。

と、同時に、自らの都市を米国西海岸の主要都市になぞらえて、開拓精神の大切さを強調し市民を鼓舞しようとする開成館の解説パネルの筆者(市役所の関係者でしょうか)の熱い文章を読んでいると、盛岡のような、良くも悪くも歴史の重みが街を沈滞化させていると言えないこともない街の住人からすれば、羨望を禁じ得ない面もありました。

戦後日本が、米国との戦に負けたからこそ得たものがあるように、郡山という都市は、東北が薩長新政府に負けたからこそ得たものという面は否定しがたいように思われます。だからこそ、そうした歴史を郡山だけではなく東北全体の資産として東北人が共有し、複眼的視野をもって開拓精神というものを学んでいく必要があるのではないかと感じさせられました。

開成館の後、後述(次回記載)の「安積歴史博物館」に立ち寄り、そのまま30分くらい歩いて駅まで戻り、駅前の高層ビル「ビックアイ」から展望を楽しんで、帰途に就きました。盛岡と違って街の中心部に水と緑が溢れる公園が点在しており、最近できたらしい「21世紀公園」では子供達が芝生を走ったり遊具を楽しんでいた点や自転車向けの道路整備がなされていた点なども、非常に好ましく感じました。

ただ、駅前はシャッターが目立つなど、ご多分に漏れず郡山も経済的にはそれなりに苦労しているようでもあり、開拓精神を発揮して頑張って欲しいと思わずにはいられませんでした。

ワイナリーの名所群と岩手のワイン処

私は、岩手日報と日経新聞を購読していますが、前者はほぼ毎日欠かさず見ているものの、後者は深夜のまとまった時間にまとめ読みをするスタイルのため積ん読となる一方で、今も半年ほどの新聞が自宅内で山積みになっています。

ただ、日経新聞でも土曜の「NIKKEIプラス1」だけは、「何でもランキング」の名所特集が、ささやかながら観光気分を味わえることもあり、すぐに読むようにしています。昨日は「地産地消 食事もできるワイナリー」が特集され、甲信地方(長野・山梨)などのワイナリーの名所が取り上げられていましたが、残念ながら、東北地方からのランク入りはありませんでした。

なお、ネット上でもこのランキングを見ることができます。
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO79402270X01C14A1000000/

岩手では、花巻市大迫町が戦後間もなく始まったワイン生産地で、近年では、紫波町や葛巻町などもワイン産地として売り出していますが、「食事のできるワイナリー(で、全国規模の集客ができる魅力を備えたもの)」は、県内にはほとんどないのではないかと思います。

この点は、人口規模の違いか、交通の問題(電車等との接続)か、遠方からでも人を呼び込めるブランド力(建物や周辺景観、ワインや料理等の総合力)や経営センスを備えた企業(経営者)が育っていないのか、それ以外に原因があるのか、私には分かりませんが、「地域ブランド」などと運動をするのであれば、こうした(高級温泉旅館などとは違った形で)「地元や遠方のお洒落さん達を呼び込める洋風の施設(ひいては空間)」を作り育てる努力が必要なのではないかと思います。

また、私の知識不足かもしれませんが、盛岡で暮らしていても、地元のワインを美味しくいただくための料理を提供することに力を入れているお店とか、そうしたワイン・料理を家庭で楽しめる惣菜やレシピ等を地元民向けに販売する試みなどというものはほとんど聞いたことがなく、知見のある方々には、そのような地道な取り組みも行っていただきたいものです。

大迫のワイン醸造を始めたのは二戸出身の岩手県の初代民選知事・国分謙吉翁と伺っていますが、例えば、大迫、二戸そして謙吉翁が農場開発を行った滝沢市などが手を取り合って、甲信地方の名店に見劣りしない集客力のある飲食施設などを開発していただければと思っています。

岩手と沖縄の訴訟件数に関する格差から考える

先日、那覇地裁に7月下旬に提訴された事件の訴状を拝見する機会があり、事件番号(平成26年ワ第何号)が550番台になっていました。

これに対し、私が7月上旬に盛岡地裁に提訴した民事訴訟の事件番号が150番弱となっており、事件番号は、私の誤解でなければ、その年の1月1日以後、受理した順に付されますので、それを前提に考えれば、盛岡地裁と那覇地裁とでは、地裁本庁に係属する民事訴訟の件数が、約3倍もの開きがあるということになります。

ちなみに、ネットでざっと見たところ、岩手県の人口は130万強、沖縄県の人口が142万強ということで、ほとんど差がありませんから、単純人口比で言えば、同程度の訴訟件数があってしかるべきだということになるはずです。

人間の社会・経済上の活動が活発さの程度に応じて訴訟件数も変化すると思いますし、東京地裁のように制度的・社会的に訴訟件数が集中し易い大都市であればともかく、岩手と沖縄であれば、共にそのような問題(他県裁判所に訴訟が吸い上げられたり他県から吸い上げたりする訴訟のストロー減少)にはさほど縁がないと思われ、単純に、上記の活発さの差と訴訟件数の差をパラレルに捉え易いのではないかと思われます。

ですので、このような差が出ることに、双方の支部数の差(岩手6、沖縄4)を考慮しても、岩手と沖縄とは、社会・経済上、一定の格差があるのだろうと感じざるを得ないところがあります。

岩手の現在の弁護士数は約100名ですが、沖縄弁護士会のHPによれば、同会の会員数は250名強とのことで、その比較からすれば、沖縄の半分弱程度(上記時点で言えば、200~230件程度)の訴訟件数はあってほしいというのが、地元の弁護士の率直な感想です。

震災直後、被災地相談支援でいらした大阪の先生が「大阪の弁護士は沖縄が大好きで、移住者も多い。沖縄と関西の関係のように、岩手も、大都市圏とのつながりをもっと盛んにすべきでは」と仰っていたのを、何となく思い出しました。

どれほどの数かは分かりませんが、震災後、復興特需の影響?で関西方面から移ってこられた方にお会いしたこともあり、そうしたことも含めた人口増や交流人口増等を促進することについて、もっと様々な取り組みが広まればと願っています。

 

参院選・岩手選挙区結果を過去の投票結果と比較したプチ分析(H25.7.22再掲)

今年は国政選挙や大きな地方選挙などがなく、「国民(住民)の選択」という意味での政治のあり方等に関する議論が盛り上がっていません。

昨年の7月の参院選の開票当夜に、以下の文章を書いて旧HPの日記に載せていたのですが、改めて、岩手県における選挙(政治)の実情を考える機会にしていただければということで再掲しました(一部、表現を修正しています)。

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平成25年7月21日に投開票が行われた参院選ですが、岩手選挙区の結果を過去のそれと比較すると色々と興味深い現象を感じ取ることができます。

選挙結果の見方は人それぞれだとは思いますが、何かの参考にしていただければと思い、少し長いですが、書いてみることにしました。

まず、最初に、岩手日報HPに掲載された今回の選挙結果(得票状況)をざっとご覧下さい(閲覧できなくなったときは、wiki等でご確認下さい)。

大雑把に得票率を見れば、次のように算出されると思います。

平野氏(無所属・40%弱)、田中氏(自民・26%強)、
関根氏(生活・15%弱)、吉田氏(民主・10%強)、
菊池氏(共産・7%強)、高橋氏(幸福・1%強)

次に、これと、wikiに表示されている前回(平成22年)や前々回(平成19年)の同じ岩手選挙区の選挙結果(但し、半数改選の関係で、前回については、立候補者は全員異なります)を比較してみて下さい。

これらを比較すると、最初に目につくのは、自民系の候補者(今回の田中氏(26%)、前回の高橋雪文氏(30%)、前々回の千田勝一郎氏(25%))の得票率が、さほど大きな違いがないという点です。

ちなみに、この中で、高橋雪文氏は県議(盛岡選挙区)を2~3期ほどお務めになっていましたので(千田氏もご出身は岩手ですが出馬までは他県在住で、今回の田中氏と同じく議員秘書をなさっていたとの記憶です)、他のお二人と比べると基礎票があると思われ、その点が、得票率の違いの大きな理由の一つと推測されます。

お三方とも、出馬時の年齢に大きな差がなく(性別も同じ)、小選挙区を中心とする当時の自民党の勢力図にも大きな違いがないため、お三方の得票率の違いは、上記の点など候補者間の多少の違い(変数)を除けば、純粋に、それぞれの年における「岩手の自民党(誤解を恐れずに言えば、鈴木俊一氏を中心とする勢力)の県内における支持率を表したもの」と言えそうな気もします。

そして、ここ10年ほど「岩手の自民党の支持率」が大きく変動したとはあまり感じられない(全国レベルの風を別とすれば、鈴木氏ら県内の自民党議員の方などに、県民の支持が大きく増えるような政策的成果も、大きく減らすような不祥事もなかった)ことに照らせば、毎回の得票率に大きな違いがないということも、ごく自然に納得できます。

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今回の参院選では、当初から「岩手と沖縄以外は、自民候補は盤石」との報道が流れ、岩手県では前代未聞と思われる、安倍首相・石破幹事長・進次郎氏の複数回の波状攻撃が岩手でも繰り広げられましたが、それでも、自民党の得票率という点では、過去の選挙とほとんど変わらない結果となったと言うことができます。

また、「政党の離合集散を経験していない」という点から、同様に共産党系の候補の方を見てみても、5~7%ほどの幅ということで、あまり大きな違いがありません。

今回に関しては、社民党から立候補がなく、同党支持者の票が一定数は流れたと推測されるため、今回選挙での全国的な「共産党躍進」と比べると、自民党と同様、岩手は異なる風が流れていた(共産党に風が吹いたとは言えない)と見るほかないと思われます。

次に、民主系列ですが、得票順に、平野氏・関根氏・吉田氏を全部併せると、合計で約65%の得票率になります。これは、平野氏が、民主党(小沢氏系)候補として圧倒的な勝利を収めた6年前の選挙(得票率62%強)とほとんど同じ比率です。

そのため、6年前の結果と比べれば、自民・共産は、多少は得票率が増えたものの過去の結果と大差はなく、非自民・非共産の勢力が、得票率は若干減りつつも、単に3分割されただけに過ぎない(この勢力の内部で票の取り合いをしただけ)という印象を強く受けます。

要するに、現在の参院選の制度を前提に、過去10~15年ほどの岩手県の政治状況を見る限り、有権者のうち、①自民系が25%程度、②共産系が5%程度、③非自民・非共産系が55%程度(過去の選挙結果からの大凡の推計)の基礎票を持っていて、残りの15%程度の浮動票(無党派層ないし各党支持者内部の流動層)を奪い合っている(政治状況に応じてこの15%の層が揺れ動き、得票率に影響を与えている)が、少なくともこの間のほとんど全部の選挙で、その浮動票は主に非自民・非共産系候補に流れていた、という姿が見えてくるように思われるのです。

そして、平野氏が2期目の当選を果たした6年前は、非自民・非共産系が、小沢氏という、諸党派の糾合に関し稀有な才能を持った方の全盛期であった上、順風満帆の状態(候補者が官僚出身の2期目の候補で政党に対する逆風も一切なし)であったことも重なり、非自民・非共産系の候補として最大級の得票率(62%強)を獲得できたのではないかと思われます。

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このような観点から、今一度、今回の選挙に戻りますと、今回の参院選においては、当初から最有力候補の1人と見られていた平野氏が、民主離党後に自民党に支援を求めたものの、自民党岩手支部が独自候補の擁立を重視して、支援を拒否したという報道が流れたことがあったと記憶しています。

もし、この時点で、自民党(岩手支部)が、「平野氏が、自民の基礎票=25%を超える得票をする可能性が相当にある」と予見することができれば、独自候補の擁立を見送り平野氏と手を組む方向で動くことができたのではないかとも思われますし、仮に、自民党側に最盛期の小沢氏のような方がいれば、勝つためには手段は選ばずということで、そのような選択肢をとったのではないかと思われます。

もちろん、選挙のプロの方々ですので、上記のような予測をしつつ「負けてもいいから、独自候補を擁立したい(平野氏と手を組むのは避けたい)」といった、何らかの込み入った理由(内部事情)があったのかもしれず、そうした事情の有無については、そうしたものを発掘することこそメディアの役割ということで、報道関係者にはご尽力いただきたいところです。

また、上記の観点から、三分割された「非自民・非共産」系の票が、3者(平野氏:関根氏:吉田氏)で、大雑把に言って、60:25:15の比率で分かれたことは、旧民主(小沢氏が糾合した勢力)の岩手県内における行く末を考える上で、なかなか興味深い印象を与える数値ではないかと思います。

吉田氏が関根氏に及ばなかったという点は、今もなお、小沢氏(の勢力)を強く支持する方が県内には相当におられるということでしょうし(保守層のうち反TPPの票を集めたという要素もあるのかもしれませんが)、分裂後の民主党(岩手支部)が、全国の選挙結果と同様、基礎票と目される幾つかの労組などの方々以外には、支持の広がりを持つことができていないことが強く印象づけられたように思います。

少なくとも、吉田氏個人は、新人云々という点をさておけば、県外出身のハンディを跳ね返す快活さ(人柄の印象の良さ)、熱心さなどがあったと思われ、ご本人の資質はマイナス要素としては働いていなかったと言うべきだと思います。

そして、平野氏が「非自民・非共産」(55%)及び無党派(15%)のうち、かなりの得票を占めたのは、民主党政権の大臣さん方には珍しく?バッシング報道も無いに等しかった地元出身の復興相として、「派手さはないが、地道に実績を積んだのだろう」という印象を有権者に残したため、県民の多くが、昨今の政治情勢で被災地の復興問題が何かと置き去りにされているように感じている(そのことに対する問題意識が、全県的に共有されている)ことと相俟って、被災県の代表として送り出す上で最も相応しいと考える有権者が多かったというのが、素直な見方ではないかと思われます。

もちろん、報道によれば、鈴木氏の地元である(山田町を含めた)旧岩手2区では、沿岸部も含めて、軒並み、田中氏の方が得票していたので、上記だけでは説明がつかない、南北問題や沿岸・内陸の違いなども、視野に入れなければならないとは思いますが(平野氏の地元である北上市は、数十年の幅で見れば、県北・沿岸の地盤沈下と入れ替わるようにして発展してきた地域だと思いますし)。

ともあれ、上記の分析の見地からすれば、今回、平野氏が集めた「40%弱」という得票率のうち、約15%位が無党派などの浮動票であったと思われ、仮に、この層の投票が全く得られなかったなら、平野氏の得票は25%ほどに止まるため、田中氏に敗北していたはずだと言えることは確かなのではないかと思われます。

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また、今回の選挙は、かつて保革を含めた非自民・非共産系の糾合という偉業を成し遂げた小沢氏の時代の終焉を完全に印象づける結果になったことは確かと思われますが、それと同時に、他の理念・論理・剛腕で岩手の政界を糾合・再編したり、岩手から全国に向けて、新しくより良い政治のあり方を発信できる方の不在もまた、印象づける結果になったと感じます。

無党派層の1人としては、そのような力量を備えた政治家の方が出現して(もちろん、既存の方々がそのように成長することも含め)、新しい政治風景が現れてくれればと願っているところです。

というわけで、今後の参院選であれ、岩手県知事選であれ、岩手県全域を射程に入れて選挙をなさる方にあっては、現在の勢力図を前提とした、上記の各政党ごとの基礎票と、有権者の約15%と思われる浮動票を視野に入れて、自派の足場固めと支持拡大を検討いただくのが賢明ではないかと思った次第です。

また、上記の見地から、市町村毎の得票状況を年度ごとに調査して分析できれば、さらに興味深いものが見えてくるかもしれません。

そうした仕事は、県内の政治学者さんが、ゼミ生を動員してやっていただくべきものだと思うのですが、いかがでしょう。

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ちなみに、毎回の選挙結果の得票率があまり大差がないという姿は、参院選に限らず、衆院選でも見受けられるようです。

この点は、岩手1区のここ10年ほどの得票率をwikiで見れば感じられるところですが、小沢氏の支援で登場してきた達増拓也氏(現知事)と、その後継者の階猛氏(現職)の得票状況を見れば、達増氏が徐々に増やしてきた得票率が、階氏への継承時にピーク(10~11万票=60%強)となり、それが、民主党分裂により、全体の得票率(6割)を維持したまま、真っ二つに割れた(前回選挙での階氏:達増陽子氏の得票比が、概ね35%対25%)という様相を呈しています。

そして、この間、自民(高橋比奈子氏ほか)は、26~30%の得票、社民・共産も約6%ずつの得票となっており、これらを見ると、参院選以上に、政治勢力ごとの得票率が固定化していることが分かります。

そのため、無党派層としては、選挙ごとに、もっと政治勢力間の得票率が変動するような仕組みないし仕掛けをして欲しい、そうでなければ無党派層(浮動層)の存在感が高まらないじゃないかと大いに感じてしまいます。

ちなみに、今回の参院選での盛岡市における各候補者の得票率も見たところ、田中氏(自民)は約25%で国政の岩手1区の自民候補者の得票率と大差なしですが、達増知事が支援する関根氏(生活)が15%強、階氏らが支援する吉田氏(民主)が12%弱であるのに対し、平野氏が40%もの得票率となっています。

平野氏を無党派層のシンボルのように捉えるのは間違いだとしても、盛岡市に関して言えば「盛岡を地盤とする達増知事も階氏も負けて、彼らの固定客(所属政党の固い支持基盤)ではない層が存在感を示した」と言うべき面があるようにも思われ、今後の県政の行方を考える上で示唆に富む面があるのかもしれません。

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あと、ここまで書いてから思い出しましたが、「自民系」の得票には公明党支持者の投票が相当数を占めることは明らかでしょうから、正確には、「自公系」と言わなければならないと思います。というわけで、適宜、そのように読み替えていただければ幸いです。

この点に関し、岩手日報を見てもwikiを見ても、「自民候補者の得票数(得票率)のうち、公明票の占める割合」というのが表示されていないように思われ、この点は、残念だ(よくない)と思います。

とりわけ全国的には与党勢力ということもあり、自民系候補がどの程度、得票レベルで公明票に依存しているかを知ること(自公系における内部の可視化)は、公明党に対するスタンス云々に関係なく、他の党の支持者や無党派にとっても、投票行動を決める上で、一つの大きな要素になると考えます。

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とまあ、ここまでダラダラと書いてきましたが、私は、選挙に象徴されるような権力闘争の類には適性が微塵もなく、片隅で書生肌の青臭い政策論(政治システムの理念論)にうつつを抜かす方が性に合っています。

そのため、選挙で勝つための方法なんぞを考えるよりも、上記のとおり、別の選挙制度を導入するなどして無党派=浮動層が影響力を持ちうるような状態を作出して欲しいなぁと感じているというのが正直なところです。

もちろん、政党を嫌悪しているわけではまったくありませんので、得票率が固定化しないという前提で、無党派(浮動層)が、もっと政党側と関わり(良い意味での影響力)を持てる仕組みも考えていただきたいです。

ところで、ここまで、主として公表された各選挙での得票率を基礎として、色々と書いてきましたが、統計情報をよく見ると、岩手日報もwikiも、白票(無効票)の割合(票数)について、一切表示せず、完全に無視しています(日報らが悪いのか、選管が公表していないのか、私には分かりませんが)。

ご承知のとおり、無党派層に投票を呼びかける方の多くが、「嫌なら白票を出して欲しい。それ自体が、既存勢力への抗議票になるから」と語っているわけですが、公表される統計情報の中で白票が無視されたのでは、上記の呼びかけに応じて?、民主政治の発展を願って白票を投じた方の思いが、完全に無視され、裏切られていることになります。

というわけで、選挙結果の統計情報で白票を公表しないのはもってのほかというべきで、ご賛同いただける方は、岩手日報に抗議電話(wikiには抗議メール?)をなさっていただければと思います。

また、過去の選挙の得票数と現在のそれを比較すると、改めて、人口減少を強く感じます。

その他、実際の数字を見ていけば、空理空論で抽象的な政治論などをするよりも、色々と見えてくる面があると思われ、皆さんも何らかの形で実践していただければ幸いです。

北東北は、「日本で最も弁護士が生きづらい地域」になったか

大阪の先生のブログ記事で、北東北三県(と福島)が、「昨年(25年)と5年前(21年)とで地裁が受理した事件数(誤解を恐れずに言えば「弁護士の仕事」)が全国で最も減っており、5年前の1/3~1/4のレベルまで落ち込んでいる」という統計情報が紹介されていました。
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2014/07/03.html

この数字は、地元の人間(弁護士)としても、それなりに得心がいく数字です。もちろん、平成21年当時の特異な状況(過払訴訟特需というべき状況)の終焉が最大の要因だと思いますが、それ以外の民事訴訟(地裁管轄事件)が増えていないことも確かで(急減というのは言い過ぎの感があり、やや減という程度の表現が正しいかもしれません)、他方で弁護士の数は増えていますので、受任件数という点では、それなりに減っていると思います。

また、地裁事件以上に、倒産系(自己破産、管財、再生ほか。個人と企業の双方とも・特に後者)の方が、極端な急減になっていると感じます。これは全国的な話でもありますが、岩手の場合、平成20年前後における倒産事件の「最大母体」であった建設系の会社さん達が復興特需で劇的に回復されているため、全国以上に件数が減っているという面があると思います。

そんな訳で、当時の膨大な需要に対応するため人的・物的体制を整えていた(というか整備を余儀なくされた)当事務所の場合、その代償として、私一人で稼がなければならない運転資金の額が、地元の同世代の弁護士では恐らくトップクラスとなってしまい、震災を境に収益状況が極端な右肩下がりになり、現在は資金繰りに追われる日々という感は否めません。

ただ、当時は不思議なほどご縁が薄かった家事関係(夫婦、男女、親子、後見、相続など)の仕事が増えていますので(時給ベースで採算割れの仕事も多いですが)、それで何とか事務所(雇用)を維持しているという感じです。

それにしても、北東北三県は、統計上、「日本で一番人口減少が激しく、かつ日本で一番、自殺の多い地域」という不名誉な地位を拝受して久しく、言い換えれば、「日本で一番、生きるのが辛く(辛いと目され)、人々や社会に見捨てられる現実に直面している地域」ということになるのではないかと思います。

そうした社会の大きなうねりが、地裁事件の減少という面でも、日本で最も激しい落ち込みを示すという形で反映されていることを感じざるを得ませんし、そのことと、平成20年以前、北東北が長年に亘って「日本有数(最悪?)の弁護士過疎地域」と呼ばれていたことも併せて考えると、目眩がするというか、我々田舎の町弁も、極端に必要とされたり不要になったりと、社会状況の変動の激しさに翻弄されているという思いを禁じざるを得ません。

地元の弁護士会も、日弁連がなさっている様々な運動に関する下請作業も結構ですが、このような、北東北(や原発被害地・福島)が、日本で最も「弁護士が生きるのが辛い場所」になっているのかもしれないという現実から目を背けることなく、自分達の面前で起きている現象に対する健全な解決の実現という事柄に、もっとエネルギーを注いでいただければと思っています。

最近では「稼ぐインフラ」が地元で話題になっているので、弁護士会(の協同組合?)が特産品販売その他で稼いで会員に還元するなんて美味しい話もあってよいかもしれませんが、もともと商売っ気のない方々でしょうし、震災応援消費の時機も逸し、他力本願的な期待はすべきでないのでしょうね・・

「ひっつみ」に関する照会とお願い

ひっつみについて、溶き卵をかけて提供している(選択制=トッピングも含め)お店がないか、ご存じの方はご教示いただければ幸いです。また、ひっつみを提供している飲食店の方(検討中を含め)がおられれば、ぜひ、上記の点をご検討いただきたいものです。

「ひっつみ」と言われてピンと来ない方のために書きますが、ひっつみとは、岩手県央部から青森県東南部(いわゆる南部地方)の郷土料理の一つで、大雑把に言えば、すいとんの豪華版とでもいうような料理です。

私の実家では、ひっつみを溶き卵でとじて食べるのですが、どういうわけか、岩手県内のどこのお店に行っても、ひっつみを卵でとじて食べる店に巡り会えません。私は、ひっつみは、絶対に卵とじをした方が、美味しいと確信します。

また、私の実家では、ひっつみは、巨大まな板で透けて見えるほど薄く延ばしてちぎって鍋に入れるのですが、どこのお店に行っても、薄く延ばさずにちぎった状態(やや団子状)で鍋に入れてしまいます。しかし、ひっつみの食感やのど越しは、可能な限り薄く延ばした方が遙かに良く、どうしてどのお店も薄く延ばさないのか、理解できません。

味付けは好みの問題かもしれませんが、この点も、お店で食べたもので実家よりも美味いと感じた記憶がありません。

というわけで、ひっつみに関しては、私の実家に優ると思えるお店をついぞ見つけることができません。ひっつみは南部地方にしかないので、結局、我が実家は「宇宙一ィィィィィのひっつみ」ということになります。

ご参考までに以前に実家で撮影した写真(見た目はイマイチでしょうけど)を添付します。これと「ひっつみ」で検索した画像群とを比べていただければ、「卵とじをしたひっつみと、そうでないもの」との見た目の違い(見た目の良さの点はさておき)が分かると思います。

このような理由から、私は母に、酒屋を閉めて蔵を改装し郷土食レストランでもやったらどうかと何年も前から勧めてきたのですが、やる気なしとのことで、やむなく、妻に私の実家の料理を覚えて貰い、北上川を臨むリバーサイドに郷土料理のレストランを開店して欲しいなどと夢想したりもします。

が、もとより無駄な期待でしょうから、母のレシピを承継する方が実家の方に早く登場して欲しいと願うばかりなのですが、こればかりは、ため息の毎日というほかありません。

2012121513220000

県境不法投棄事件における県民負担と果たされぬ総括

日本最大規模の不法投棄事件と言われた、岩手青森県境不法投棄事件(平成11年発覚)について、ようやく現場の廃棄物の撤去作業が終了したという報道がなされていました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20140326-OYT8T00737.htm

報道によれば、撤去等のため両県併せて708億程度の費用を要した一方、岩手県が回収できたのは8億程度に止まるとされています。

私の記憶では、撤去計画が承認された平成16年頃の時点で、青森県の見積が440億、岩手県の見積が220億程度(大雑把に言えば、青森:岩手が2:1)となっていましたので、岩手県については、最終的な費用は236億円程度になったと思われます。

そして、産廃特措法により、国が費用の6割を補助するはずなので、単純計算で県の負担額は94.4億円となり、上記の回収額を全額、県が補填できるのであれば、最終的な岩手県=県民の負担額は、86.4億円となります。

岩手県の現在の人口が130万弱だそうなので、単純計算で、子供も含む一人あたりの負担額が6646円強、4人家族なら2万6600円ほどの費用負担を、首都圏など全国各地から運ばれてきたゴミの撤去のため、県民が強いられたという計算になります。

もちろん、100億円弱もの巨額の資金があれば、震災復興であれ県北その他の振興や福祉であれ、地域のため相応に有効活用できたはずです。

県境事件は、今やすっかり風化し単なる公共事業のように思われているのかもしれませんが、上記の機会を県民から奪ったものだと県民には受け止めていただきたいと思います。

ところで、この事件の顕著な特徴は、主犯格の2つの産廃処理業者が青森と埼玉で営業する業者であり、被害拡大に関しては、青森県と埼玉県の監督不行届が大きかったのではないかと指摘されている(そのため、岩手県は当初から、被害県だとアピールしていた)点とされています。

結局、現行制度の限界として、この点(青森県と埼玉県の監督責任)を法的な手続により問う機会は得られぬまま、この事件は幕引きを迎えてしまったのですが、果たしてそれでよいのかという点は、皆さんにも考えていただきたいところです。

この点に関し、平成22年の日弁連人権大会では、「A県の許可を受けた業者がB県で不法投棄事件を引き起こした場合、事情に応じてA県もB県が要した撤去費用の一部を負担する制度を設けるべき」という趣旨の提言をしています。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2010/2010_3.html

残念ながら、このような制度は未だ実現していないことはもちろん、公の場で議論の俎上にすら載せられていないでしょうが、少なくとも、岩手県民は、そのような制度がないことによって、上記の負担を強いられているのだという現実は、認識していただきたいところです。

もちろん、岩手以上に高額な負担を余儀なくされた青森県はもちろん、古くから産廃問題に苦しんできた埼玉県にとっても、有り難くない話だとは思いますが、そうした制度の存在が、行政の担当者に緊張感を与え(言うまでもありませんが、そのような形で自治体=住民に生じた負担については、事実関係によっては自治体の担当者や首長などが住民訴訟の形で責任を問われる可能性があります)、結果として早期の監督権の行使=被害の防止に資するという見方はできるのではないかと思います。

撤去完了により事件の幕引きが見えてきたという現状を踏まえ、岩手・青森両県の住民の手で、改めて、事件の総括を考える機会があってもよいのではと感じています。

 

政党の分裂時における政治資金(献金や交付金)の分割のあり方について

平成24年7月に生じた、「小沢氏ら(生活党)が民主党を脱退した際に、同氏と共に脱退した民主党岩手県連の元幹部が、同県連名義で預金されていた県連の政治資金の大半(4500万円)を引き出したため、民主党側が元幹部に賠償請求した事件」で、先日、引出し金の大半(4000万円)を元幹部が民主党岩手県連に引き渡して終了とする和解が成立した旨の報道がありました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20140312-OYT8T01146.htm

この訴訟の第1審・盛岡地裁判決は、民主党側の請求を全面的に認めたのですが、ちょうど、先日に郵送された判例時報(2209号119頁)に、この判決が掲載されていました。

裁判では、元幹部の行為が、県連の役員(資金管理者)としての権限を濫用、逸脱したか否かが争点となり、元幹部側は、「引出金(政治資金)は、小沢氏(判例時報では匿名表示)を支援するため集められたお金なので、小沢氏の脱退により小沢氏側が引渡を受けるべき=権限濫用等にあたらない」と主張しました。

が、裁判所は、当該預金が民主党側に帰属し、民主党と利害が対立する生活党側に利益を図る目的で資金移動をしたのは権限濫用だとして、元幹部側の主張を一蹴しています。

判例時報の解説では、「これ(党の資金が個人ではなく政党に帰属するとの考え)が、政党の離合集合時における資金処理のルールとなるか問題もあり、立法でこの点の法整備が望まれるとの意見もある」としていますが、判決文を見る限り、元幹部=生活党側が、訴訟でこのような観点から、事実関係や法律論を掘り下げて主張をすることはなかったようです。

この件では、提訴後まもない時期に、当時の事務所HP(日記)に、下記の投稿をしたことがあります。

要するに、元幹部の引出金が、小沢氏個人の政治活動を支援することを目的として献金等されたものであれば、手続云々はともかく、献金等の趣旨に照らせば生活党側が引き継ぎたいと思うのはごもっともと言えるので、仮に、そうした事情があるのなら、団体役員の権限濫用の成否とか預金の帰属主体などといった私法上の解釈に、政党の分裂時における政治資金の清算のあり方等に関するあるべき姿(公法上の議論)をどこまで斟酌することができるかという意味での「憲法訴訟」になればと期待した投稿でした。

残念ながら、判決を読む限り、元幹部(生活党)側は、預金(政治資金)の出所等に関する具体的な主張はしなかったようですので、そのような議論がなされる前提を欠いたと見るほかないと思われます(それを明らかにすることが生活党側にとって不都合だったのか否か、野次馬的には関心がありますが、判決からは何も読み取れません)。

この問題の本質は、原資が献金であれ税金(政党助成法に基づく交付金)であれ、争いの対象となっているお金(政治資金)が、本来的には争いの当事者(民主党側も元幹部=生活党側も)のものではなく、拠出者のものであり、それが特定の目的のために拠出されたものである以上、政党の分裂にあたっては、分割等の対象となる資金の拠出目的(拠出者たる献金主や納税者の意図)も斟酌した上で、分割等の内容や当否が判断されるべきではないかということではないかと思います。

とりわけ、現在は政党助成法に基づく交付金=税金のウェイトが大きくなっているやにも聞いたことがありますので、なおのこと、一般国民の立場からすれば、この種の議論や法整備が待たれるところではないかと思います。

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(以下、平24年10月12日付・当事務所「日記」の引用)

【民主党分裂に伴う預金持ち出し騒動と代表訴訟】

民主党の分裂時に離党し新党(以下「生活党」といいます)に移籍した議員の方が、同党岩手県連の預金計4500万円を持ち出したため、民主党と生活党とが争っている事件が生じ、先日、盛岡地裁への提訴報道があったことは、多くの方がご存知かと思います。

この種の訴訟の依頼は、一般的には、当該政党の支援者や議員さんと懇意にされている方になされるのが通例なので、私のような無縁社会に生きるノンポリ無党派にはご縁のない話ではありますが、法律論としては非常に興味深い論点を含んでおり、関心を持って報道を拝見しています。

報道の範囲で推測すれば、債務不履行=善管注意義務又は忠実義務違反と不法行為責任の二本立てのように見受けられましたが、原資の性格等を巡る争いや分裂直前の民主党内部の路線争い等の事情が、預金を持ち出した議員(政党役員)の義務や違法性などの解釈にどのように影響するのか、問題となった預金に関する権利の帰属のあり方やそれに関する政党本部と県連との関係、政党内部の紛争を規律する法の不備等の事情が、この種の訴訟の帰趨にどのような形で影響するか、といった事柄が議論の対象とされてよいはずで、私法と公法(なかんずく憲法)とが交錯する高度な論点を含んでいると思います。

ただ、原告=民主党側からすれば、そのような議論を避けて形式論理で違法性等を認めて欲しいと考えていると思われ、どちらかといえば、生活党の側が、どこまで議論を深めることができるか力量を問われる気がします。

その意味では、生活党側では、刑事事件における弘中弁護士のような、政治とカネに関する深い知見を有する第一級の弁護士の方に依頼してはいかがと思わないこともありません(原告代理人である岩手の先生方にとっては、余計なお世話としか言いようがありませんが…)。

ともあれ、政争にご縁のない庶民の立場からすれば、上記のような論点について検討が深められれば、国民に資するところが大きくなるのではないかと期待しています。

ところで、私がこの「持ち出し事件」の報道に最初に接した際に思ったのは、「仮に、残留組(現・民主党岩手県連)の役員の方々が、何らかの理由で訴訟提起を躊躇し続けた場合、その対応に不満を持った一般党員の方が、それに異議を申し立て修正させる法的手段はないのだろうか。或いは、設けなくてよいのだろうか」という点でした。

少し具体的に言えば、株式会社では、一部の役員等が問題を起こして被害を受けた場合に、他の役員(会社の意思決定権者)が役員等に賠償請求をしない状態を続けていると、それに不服のある株主が、会社に代わって当該役員等に対し、会社に賠償するよう求めることができ(代表訴訟)、一般社団・財団法人法にも同様の規定が設けられています。

地方自治体の運営においても、若干変則的な形態ではありますが、これと類似する(責任追及の対象はより広い)制度が設けられています(住民訴訟)。

しかし、私の貧弱な知識の範囲では、(マイナーな法令を別とすれば)このように、「組織・集団の少数者が、あるべき権利行使を怠るリーダー(経営者・多数派)に代わって権利行使をする(させる)」制度は、他に存在しないのではないかと思われます。

例えば、現在、国政(中央官庁の活動)に対しては、住民訴訟のような国民による異議申立制度は存在しないのですが、「行政に対する国民の監視」という観点から、国政でも住民訴訟と同様の制度を設けるべきだと主張する方は少なくありません。

政党に関しても、そのような制度は存在しないと思われますが(「政党法」の制定に関し、議論されているかどうかは存じませんが)、それでよいのかという問題は、これを機会に議論が深められて良いのではと思います。

少なくとも、離党騒動直前の段階では、民主党岩手県連に関しては、より多くの離党者が生じるのではと考えた方も少なくなかったはずですし、現在も、何らかの形での再合流等の可能性が囁かれている(達増知事等が期待している?)ことなどに照らせば、数ヶ月前の時点での可能性の問題として、提訴以外の展開もあり得たように思われます。

そのような展開を辿った場合、それに不満を抱いた一般党員には何ら救済手段がなくてもよいのかという視点は、検討されてよいのではと感じます。

なかんずく、本件で問題となった4500万円を出捐した方が現役の党員で、かつ、「この金員は現・民主党の側で使用すべきもので、生活党が持ち出すのは献金の趣旨に反する」と考えているのであれば、その救済を図る制度の必要性は高いと思われます(なお、報道によれば、生活党側は「本件4500万円は、民由合併時に自由党が寄付したもので、その原資は自由党=(主に)小沢氏への政治献金だ」と主張しているようです)。

逆に、生活党による「4500万円の出捐は、小沢氏の活動を支援したいとの目的でなされたものだ」との主張が真実なのであれば、当該金員を使用すべき実質的資格があるのは自分達だと主張したくなるのは、理解できない話ではありません。

仮に、本件持ち出し事件が生じない(引き出すことができなかった)状態で離党等がなされたケースを想定すれば、当該出捐を行った元?党員や生活党に移籍した元党員の側としては、「出捐(献金?)の趣旨に反する事態が生じた以上、返還(又は生活等に引渡)すべきだ」と請求したいと思いますし、そうしたことを実現する制度の当否が議論されるべきだと思います。

こうした論点は、「比例代表で当選した議員が、離党し他党に移籍した場合の議員資格の維持の当否」といった論点(平成8年の司法試験で出題されています)と類似すると思われ、その論点に関する議論が参考になるかもしれません。

さらに言えば、仮に、持ち出しの対象になった金員の原資が、政党助成法に基づく交付金であった場合、出捐者=納税者たる国民一般(或いは同法の所管の官庁)のコントロールを及ぼさなくてよいのか、という論点も生じると思います。

もちろん、この場合、政党の自治との衝突という別の視点が生じますので、余計に議論がややこしくなると思いますが、少なくとも、「金を出す者が口を出せない」ことの当否は議論されるべきかと思います。

長々と思いついたことを書きましたが、田舎でノンポリの町弁をしていると、こうした憲法や統治機構などに関する論点を実践的に勉強する機会がなく、その点は大いに残念に思います。

日弁連の憲法委員会などでは、秘密保全法問題など国策等に反対する運動に邁進するのも結構ですが、こうした制度のあり方などについて、価値中立的な立場で議論を深める活動もしていただき、その成果を、国民に資する形で会員に還元していただきたいと思わずにはいられません。

 

廃れゆく第三者検証と田舎弁護士

「大雪りばぁねっと」事件では、岩手県が山田町に多額の補助金(税金)を支出した(のに回収不能となった)関係で、補助金の支出に関わった県の対応に違法不当な面がなかったか検証する趣旨の委員会が行われ、先日、報告書が出されましたが、「県の対応は一概に不適切とまでは言い難い」等の検証結果に対し、県議会では検証不十分との批判の声があがったというの報道がなされています。http://www.nhk.or.jp/lnews/morioka/6045634511.html?t=1393991536424 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20140304-OYT8T01513.htm

「第三者検証」については、平成11年頃に発覚した岩手青森県境不法投棄事件の際、当時の増田知事の指示で県の対応を検証する第三者委員会が設けられており、これは、「第三者検証」としては初期に作成されたもの(恐らく、第三者検証がその後に流行するきっかけとなったものの一つ)と思われます。

その際は地元の大ベテランの弁護士の方が委員長となり、我が国の環境系の行政法学者の第一人者の一人である北村喜宣教授が委員の一人として大鉈を振るったとも聞いており、この事件では岩手県は被害者という色合いが強いものでありながら最後の時期の県の対応には権限行使(許可処分)について違法な点があったと断言するという点で、画期的と目された検証報告書が提出されています。

その後も岩手県では、競馬場問題など幾つかの県の政策課題で第三者検証委員会が行われていますが、私の知る限り、報道で大きく取り上げられたとか県政に相当な影響を及ぼしたという話は聞いたことはありません。

私は、県境事件の検証報告書のほか、その後に公表された幾つかの報告書も見ていますが、県境事件に比べると、あまり踏み込んだ検討をしていないという印象を受けた記憶があります(釜石の鵜住居センターの報告書はまだ拝見していませんが、相当に膨大なものだと聞いており、地元の気鋭の弁護士さんも関わっているため、例外に属するのかもしれません)。

全国的に見ても「第三者検証」が期待はずれと言われることも少なくないようで、現在は「第三者検証」ブームの廃れ?に伴い、検証に関する取組も、徐々に低調になっているように思われます。

今回の「りばぁねっとへの補助金の検証」では、過半数が県職員で、外部者は県内の大学の先生お二人だけとのことですが、その布陣に止まったのも、低調な潮流の流れの一環と理解した方が賢明なのかもしれません。

ちなみに、山田町による検証報告書(こちらも地元のベテランの弁護士の方が委員をされています)もネットで概要版が公表されていますが、実務家としては、「補助金受領者の対応の検証」や「行政対応の検証」を目的とするのであれば、個人名は伏せるにせよ、受領者や関係職員等の具体的な作為・不作為を抽出し、それらに関わる法令・規則等も明らかにして、前者が後者に抵触しないかについて具体的に論及するような内容にした方がよいのではと思わないでもありませんでした(それがないと、何となく、行政の政策や執行のあり方に関する抽象的な見解に述べているに過ぎないように見えてしまいます)。http://www.town.yamada.iwate.jp/osirase/daisansha-iinkai/houkoku-gaiyou.pdf

もちろん、関係者の法的責任の有無の解明を目的とするか否かという前提の問題はありますし、私自身、検証のあるべき姿についてさほど心得があるわけでもありませんので、個々の作業に関し偉そうなことを言うつもりはありませんが(なお、通常は検証結果をもとに職員に対する懲戒等の処分をするはずなので、少なくとも、行政の担当者の作為・不作為(法適用等)が関係法令に合致したものと言えるかについて具体的な検討をする内容でなければ、やる意味がないのではと思いますが、その点の実情はどうなのでしょうか)。

ところで、弁護士会には「弁政連」という政治家の方への陳情等を目的とした別働隊のような団体があり、私も、名ばかり(昼飯穀潰し要員)ですが入っています。

岩手では「日弁連の偉い方々が掲げている憲法や人権云々の大きな話(集団的自衛権反対など)について、岩手の代議士や県議に陳情せよ」との指令?に基づき、年に1回くらい、議員さん達と懇談会をして、そうした話をしています。

ただ、そうした事柄もいいのですが、個人的には、個々の弁護士にも議員さん達一人一人にもさほどの影響力がない上記のような「大きすぎる話」ばかりでなく、陳情する側もされる側も一定以上の影響力を直ちに行使できる地元固有の事柄に、もっと力を注いだ方がよいのではないかと思わざるを得ないところがあります。

例えば、県議さんに対し、「県内で起こった、税金(県税)の使い道に関する大きな事件・問題の検証については、県職員や学者さんばかりに任せるのではなく、事実の調査や分析等に研鑽を積んだ(又は積む意欲のある)地元の若い弁護士に機会を与えて欲しい。(りばぁ事件のニュースで)県の幹部の方に、『県議自身が、検証委員は県職員で良いと選んだのだから、報告書を見て検証委員が県職員だから身内に甘くてダメだなんでいうのは間違っている』と言われるくらいなら、その方がマシではないですか」といった陳情をしてもよいのでは、と思わないでもありません。

とはいうものの、私が余計なことを口にしても皆さんに嫌な顔をされるだけなのだろうなぁと思って、会議・会合の類では毎度ながら貝になってしまうのがお恥ずかしい現実です。

個人的には、可能なら、岩手県に絡んで作成された過去数年ないし十数年の第三者検証委員会報告書を全部集めて、法律家の立場から、それらの精度を検証するような(いわば第三者検証ランキングのような)レポートを、意欲のある弁護士が作成して公表してもよいのではと思わないでもありませんし、私もそうした試みに関わってみたいという気持ちがないわけではありません(まあ、岩手弁護士会については、以前に身内で起きた大事件の検証もしていないじゃないかと言われそうな気もしますが)。

ただ、私自身、今や業界不況の真っ直中のせいか、事務所の運転資金のための労働と兼業主夫業で精一杯というお寒い現実があり、大言壮語を吐く資格が微塵もない有様で、ただただ嘆くほかありません。

少なくとも、「第三者検証なんて何の意味もないね、やっぱり警察に捕まえて貰うしかないじゃないか」という形で世論がまとまるのであれば、民主主義を標榜する社会としては寂しい限りというほかなく、関係者の奮起と国民・住民一般の後押しを期待したいところです。

追記(3/6)

この投稿をfacebookで紹介したところ、「友達の友達」である学者の先生から、預り金の信託に関する判例(最判H14.1.17及び最判H15.6.12)の紹介がありました。

私自身、十分に咀嚼できていませんが、例えば、自治体(金員交付者)がNPO法人(金員受領者)と信託契約を締結し、交付金を他の財産と区別して管理させる(特定の口座に預金させ目的外の預金払戻等もさせない)ことを徹底しておけば、仮に、法人が倒産しても、その交付金(預金)が特定され保全されていれば、破産の効果(総債権者による差押)が及ばず(信託法23条?)、取戻権のように全額を自治体が返還請求できるということもありうるかもしれません(後者の判決の補足意見参照)。ただ、信託は残念ながらご縁がなくほとんど勉強もしていませんので、まだ思いつきレベルです。

まあ、今回(りばぁ事件)は、自治体側の監視等の不行届が著しそうなので、そのような話をする前提すら欠いているということになるかもしれませんが、少なくとも、自治体が補助金を交付する例に限らず、預り金なども含め、返還の可能性を伴う高額な前払金を交付する場合には、信託的手法の活用も意識すべきことになるのかもしれません。

 

五戸と菊駒へのいざない

少し前の話ですが、父の葬祭の最中に今度は青森県五戸町に在住の母方の伯父が亡くなったとの知らせを受け、私も一度は葬儀に出席すべきということで、先日、通夜に出席してきました。

私の母も五戸町の出身で、小学3、4年頃までは、半年に1回以上の頻度で母の実家を訪問し、当時は大家族であった実家の方々に可愛がっていただきました。

当時は、私は自分の生家(父方)にあまり居心地の良さを感じていなかったせいか、不思議なほど母の実家の方が、楽しかった思い出ばかりとの記憶があり、また、どういうわけか、子ども向けのテレビ番組について、母の実家で視聴した記憶だけが残っている(自宅で見た記憶がほとんどない)という不思議な感覚があります。

具体的に言えば、「ウルトラマン80」、「ザ・ウルトラマン(アニメ)」は五戸で見た記憶しかなく、ガンダムも五戸で見たときの記憶の方が鮮明に覚えているという有様です(黒い三連星の回だったせいかもしれませんが)。

幼少時、自宅のテレビは父が野球中継、祖母が時代劇(水戸黄門等)と横溝正史シリーズで占領していた記憶しかなく(後者は私も一緒に見ていましたが)、そうしたことも影響しているのかもしれません。

それはさておき、通夜の際には、予定時刻より少し前に到着したので、五戸の中心街などを少し自動車で散策しました。

私の場合、小学校高学年に達した頃には、母が私達兄弟を連れて実家に帰ることがなくなり(兄が中学に達したことが関係しているのか、その辺はよく分かりません)、それ以後、五戸に行く機会が全くなくなり、7、8年前に、青森地裁に一度だけ自動車で行った帰りに、高名な馬肉店(尾形)で馬刺を買って帰るため五戸を少し垣間見たという程度です。

が、改めて五戸の中心街を廻ると、私の子供の頃の風景がかなり残っており、また、二戸をはじめ岩手の主な市町村では薄れてしまった独特の香気というか、昭和の風情や気品を色濃く残しているものがありました。

五戸の中心部は斜面に沿って形成されており、最下部に五戸川と後記の菊駒酒造があります。岩手には、傾斜地に古い街並みが形成されている町自体が全くと言ってよいほど存在しない上(敢えて言えば花巻駅前付近くらいでしょうか)、県北などでは二戸のように旧街道沿いに一直線の街並みになっている場所が多く、斜面に密集するような形で中心部(旧市街)が形成され、今も一定程度は保全されている町は、北東北でも珍しい部類に入ると思います。

そうした意味では、古い街並みが好きな方にとっては、歩いて楽しい場所であると思います。中心部だけでなく、川原町を中心とする五戸川のエリアも独特の風情があります。

ところで、二戸に南部美人があるように、五戸には「菊駒」という日本酒(銘柄)を製造している長い歴史のある企業(現在は、菊駒酒造という会社名)があります。 http://www.kikukoma.com/

私の実家は酒類卸をしている関係で、成人後(司法修習の際や受験生時代の合宿時)に実家から日本酒を送って貰うことがあったのですが、その際は、二戸の酒である南部美人と、五戸の酒である菊駒の2つを送って貰っていました。

南部美人は、今やすっかりメジャーになったのでご存知の方も多いとは思いますが、飲みやすい酒で、とりわけ大吟醸は刺身や上品な和食と非常に相性がよく、日本酒に苦手意識のある女性の方なども安心して飲める酒だと思います(修習生の際には、クラスの方々への社交道具として、大いに重宝しました)。

他方、菊駒は、私の感覚では南部美人よりも重く力強い酒で、日本酒が心底好きな人に向いており、酒肴も、刺身などあっさりした上品なものではなく、塩辛や酒盗のような味の濃いものと非常に相性がよいと思います。修習生の際にも、そうした理由で自分は南部美人よりも菊駒の方が好きだと仰る男性もいました。

いわば、双方は個性が全く異なる好対照をなす酒であり、飲み比べながら双方とも大いに味わっていただきたい銘酒同士と言えると思います。

ただ、青森の方はご存知かも知れませんが、ここ十数年は順風満帆そのものの南部美人とは逆に、菊駒は、その間、協力関係にあった八戸のメーカーと紛争が生じるなど苦難の道を歩んできました。

私は経営者の方を存じているのですが、現在はその問題も終息し、長い歴史のある酒造家を継いだ若い真面目な社長さんを中心に、懸命に酒造りを続けておられます。

そんなわけで、二戸及び南部美人だけでなく、五戸及び菊駒も大いに贔屓にしていただければというのが、2つの街にルーツを持ち、2つの銘酒に浅からぬ縁を持って生きてきた私からの皆さんへのお願いです。