北奥法律事務所

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盛岡広域圏など

杜の都・仙台の並木道と、街に緑が少ない盛岡

数年前のGWに、当時の「土日の高速1000円」政策に触発され、1泊2日で秋保温泉を中心に仙台近郊巡りをしたことがあります。その際、新幹線でしか行ったことのない仙台中心部に初めて自動車で入りましたが、盛岡との違いとして、片側2車線以上の幹線道路の多くで、道路脇や中央分離帯内に大きな街路樹が設けられていたことが強く印象に残り、「杜の都」と称される理由が実感できました。

盛岡の場合、都市景観と呼ぶに値する見栄えのよい街路樹となると、盛岡地裁から市役所までの並木くらいしか思い当たらず、当時はまだ存在した旧県立図書館前の杉並木は伐採されてしまいました。

あとは、中央通などで申し訳程度に小木が点在している程度、というのが率直な印象で、ここ数年に新たに作られている片側2車線の道路群(西バイパスなどが典型)でも、街路樹群が設けられることは皆無といってよい悲しさで、仙台と比べて都市景観の貧しさ、さらには市民の関心の低さを感じずにはいられません。

旧図書館前の杉並木については、生え方が雑然とした感じもあり、伐採されたことで、かえって岩手公園(庭園)の景観が楽しめるようになったとの意見も多くあるようですが、郊外などに次々と作られる片側2車線の幹線道路の殺風景ぶりを見ていると、心まで殺伐としてくるような感じは否めません。

都市化して無縁社会化が進行した盛岡では地域住民等の自主的な働きかけは難しくなってきているのかもしれませんが、なるべくなら役所主導ではなく、住民サイドからの動きにこそ期待したいところです。

盛岡に限らず、岩手全域を見渡しても、「中心市街地や幹線道路に緑が溢れた街」というのを見かけないように感じますが、条例制定運動なども考えてよいのではないでしょうか?(少なくとも、岩手弁護士会・公害環境委員会は賛同ですが)

自治体の法務と「まち育て」

以前にも投稿したとおり、私は「判例地方自治」という、行政関係の裁判の判決等を掲載している法律雑誌を購読しているのですが、その今月号を見ていたところ、弘前大の北原啓司教授の連載記事(「まち育てのススメ」)で、「オガール紫波」の経営者である岡崎正信氏が紹介されているのを見つけました。

記事では、これまでは、多額の補助金を投じてまちを一時的に「つくる」ことに力点が置かれていたが、持続可能な「まち育て」の発想に切り替えていくべきだという点が強調され、その例として、補助金に依存せず民間融資による事業を通じて利潤をあげ、それを行政サービスの原資とすると共に、それを民需にも還元させて多大な成功を収めた言われるオガールを紹介しています。

他方で、その逆(莫大な補助金を投じて建設されたのに自治体が黒字経営できず地元には運営コストの赤字ばかり垂れ流す大型公共施設。本文では具体例を示していませんが、投稿に引用されている木下斉氏によれば、青森県のアウガなどがその例とされています)の例も指摘し、結論として、都市計画の価値観を転換すべき(都市計画法を、都市を育てるためのステージに対応させるべき)といったことなどが述べられています。

岡崎さんは、盛岡JCでは私より1年上の先輩で、私が入会した直後の平成17、18年頃には、JCでも熱心に活動されており、当時から、今をときめくオガールの原型のような構想を伺ったこともあります。その頃、まだ世間から脚光を浴びる以前の藻谷浩介氏の講演会?が盛岡JCで開催されたことがあり、岡崎さんもその際の中心メンバーの一人だったとの記憶です。

残念ながら、岡崎さんがオガールの事業に本格的に取り組むようになってからはJCにおいでになる機会も滅多になく、私も幽霊部員状態が続いたこともあって、3年前の岡崎さん達の代の卒業式でご挨拶した以外には、何の接点もない状態が続いていますが、facebookで公私さまざまな投稿を活発にされているため、興味深く拝見しています。

岡崎さんは、昨年頃から岩手では一番の有名人と言っても過言ではないほど雲の上の時の人になっていますが、判例雑誌にまで登場されたので、さすがに驚きました。自治体法務の担当者を主たる購読層とした雑誌ですので、そうした方々に、法務行政の観点・立場から今後のまちづくり(まち育て)へのサポートのあり方を考えて欲しいということで、こうしたテーマも取り上げられているのではないかと思います。

記事では、増田もと岩手県知事の「地方消滅」やそのアンチテーゼとしての山下祐介氏の著作などにも触れており、北東北の人間にとっては興味深い記事なのですが、判例地方自治は盛岡地裁の資料室でも購読しておらず(以前に調べたとき、県民が閲覧できるのは、県庁と岩手大だけだったとの記憶です)、この地域に、判例地方自治を購読している人が私以外にどれだけいるのだろうか(弁護士ではゼロかもしれない)と思わないでもありません。

衆院選岩手1区の公開討論会

1ヶ月以上も前のネタで恐縮ですが、昨年12月に行われた総選挙に先立ち、12月1日に盛岡市でもJC主催の公開討論会があり、以前にも投稿したとおり、現役会員時代、この行事に関わっていたことなどから、参加して拝見してきました。

ただ、今回は急な解散であることのほか、少なくとも岩手1区では選挙戦としての盛り上がりも希薄で、それに付随する政策論争なども低調という印象だったせいか(復活当選を含め、現職が再選されたという選挙前と同じ結果になりましたし)、これまで以上に参加者が少ない(ざっと見た限りでは50人もいなかったように感じました)、残念な設営となっていました。

今回は、これまでと異なり、学者さん(岩手大の政治学の先生)ではなく、JCの理事長らが司会(コーディネーター)を務めていましたが、私の見た限りでは、これまでの学者さんの司会の進行ぶりを堅実に踏襲したものとなっていました。

私としては、自前で進行をするなら、良い意味で素人ならではの進行(大胆な質問とか)を試みるべきではと思っており、これまでどおり「論点ごとの政見発表会」型の運営に終始して候補者の議論を喚起させないような「上品(無難)な進行」に止まっているのは、視る側にとっては退屈なもので、残念に感じています。

ちょうど同じ頃、多くの大物芸能人が行っている年末のディナーショーについて、「その場でしか味わうことができない主宰芸能人との一体感を持てるような得難い経験(イベント)」を様々盛り込むことで、高額な参加費を徴収してもすぐに満員御礼になるというニュースが流れていました。

そのため、公開討論会の設営者(JC)は、芸能人の爪の垢を煎じて飲んでと言ったら怒られるでしょうが、少なくとも、こうした記事に学んで、討論会の趣旨に合致するとの前提を守りつつ、聴衆がお金を払ってでも来たくなるような「ここでしか味わえない得難い政治的経験のできる討論会」の設営を目指すべきではないかと感じました。

例えば、トークショーと言ったら語弊があるかもしれませんが、候補者同士が、ワークショップの類のように司会者の仕切のもとで壇上で一つの目的に向かって互いに何かの作業をする光景を作出し、その中で、「典型論点の公式見解」では出てこないような本音トークを交えた候補者間の議論を演出できれば、壇上があたかも即興の寸劇のような様相を呈し、聴衆にとっても見応えのある姿になるのではなどと思ったりもします。

ともあれ、何度も書いてきたことで、繰り返し書くのも馬鹿馬鹿しいですが、新聞に掲載される各人の政見表明の棒読みと大差ないような議論のない設営しか出来ないのであれば、遅かれ早かれ、人口減少社会ならぬ「そして誰も来なくなった討論会」にしかならず、外ならぬ出席いただく候補者に対して失礼になるのではないかと思います。

私自身は、過去に討論会の設営にも携わり何度か壇上の方々を拝見してきた身として、立場や熟度の差はあれ、選挙という厄介な場に身を投じている候補者の方々にはある種の敬意を感じているつもりです(少なくとも、私は色々な意味で、そうした場に立てる人間ではありませんので)。

ですので、公開討論会における議論というのは、優劣が強く出て誰かに恥をかかせるようなものではなく、互いの主張の不明瞭或いは検討不足と見られるところ(具体策や弊害防止の措置が不十分だといったもの)を指摘し、即興でどこまで具体的なことが言えるか見定め、足らざるところがあれば緊張感を与えてスキルアップを促すような営みとするのが、討論の望ましい姿ではないかと思います。

私がJC内部で一部の方に延々言い続けてきた、「議論のある討論会の設営」というのはそうしたものですが、担い手(設営サイド)の実力不足か胆力不足か盛岡の民度の問題かはさておき、本格的な賛同者がついに現れてくれなかったのが残念なところです。

今回は、これまで以上に集客が芳しくなかったように見えたので、そうした意味でも、「魅せる討論会」を真剣に考えないと、JCには候補者の方々に来ていただく資格がなくなるのではと感じたというのが、過去の分も含めて、JCの討論会に対する一番の印象です。

ともあれ、今年は盛岡市長選や岩手県知事選があり、盛岡市内での公開討論会の開催は必ずあるのでしょうから、真面目に設営に勤しむ現場の若い会員諸君のためにも、私と違って「公開討論会のやり方」について決定権を持つことができる方々は、智恵と蛮勇を発揮していただきたいところです。

もちろん、根本的には、国民一般(公開討論会が想定している聴衆一般)の実質的な政治参加(政治的意思決定や予算など政策資源の配分、政策実施過程への参画など)が進んだり、既存の決定権者の地位が揺らいで権力の交替(広義の革命)が生じるような事態にでもならない限り、政治(権力闘争)自体が盛り上がらないので、その延長線上に存するに過ぎない公開討論会が公衆を惹きつけることなどできるはずがありません。

欲を言えば、JCなどには、国民主権の質の向上という見地から、そうした政治参加の基盤作りも視野に入れた幅広い活動をしていただければと願っています。

衆院選・岩手1区の公開討論会と前回に垣間見た「保元の乱」

突然に決まった衆院選ですが、週明け(12月1日)に盛岡市内で岩手1区の候補者による公開討論会が、JC(青年会議所)の主催で行われます。
http://www.moriokajc.org/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=444

今回は、現役の理事長の方が司会を務める予定と伺っていますので、選挙の意義を理解されている盛岡圏の方々はもちろん、「理事長に恥をかかせない」という見地から、少なくとも盛岡JCの関係者には積極的に参加いただければと思っています。

私は昨年にJCを卒業していますが、前回=平成24年12月の衆院選や昨年の参院選の公開討論会などを担当する委員会に所属していた上、設営のあり方などを巡って何人かの方と議論をしていたこともあり、私にとっては思い入れのあるイベントです(結局、私の希望は今も反映されていませんが)。

以下に引用する文章は、前回総選挙の公開討論会について書いたもの(旧HPの日記欄に掲載したもの)です。今回は、こうした意味での面白さは無いのかもしれませんが、当時ご覧になっていない方は、ご一読いただき、国民主権意識の涵養のきっかけにしていただければ幸いです。

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平成24年12月3日、JCの主催で岩手1区の公開討論会があり、参加してきました。私も末端のスタッフになっていたのですが、事前準備をサボっていたため、「タイムキーパーの補佐の補佐」という名ばかり役職があてがわれつつ、最前列のど真ん中で他のスタッフの方と肩を寄せながら拝見していました。

6年前に知事選の討論会のお手伝いをした際には、「何もしなくてよいから、終了後に機関誌用のレポートを書け」と命じられ、物議を醸さない程度に言いたいことを書いた記憶があり、今回も悲しい性か色々とメモをとったので、書きたいことが無いわけではありません。

が、ここでは1点に絞って書きたいと思います。もちろん、申すまでもありませんが、私個人のお気楽な私見を綴っているもので、JCとは何の関係もありません。

今回の討論会の最大の目玉は、直前に立候補を表明した、生活党改め未来党の達増知事夫人こと達増陽子氏が、初めて?の公衆向けの場で、どのような振る舞いが見られるかという点であったと思います。そこで、同氏(以下、達増知事との混同を避ける趣旨で、「陽子氏」といいます。)の様子に着目していたのですが、開始早々、非常に興味深い光景を目の当たりにしました。

すなわち、冒頭、司会者(岩手大の政治学の先生)から、各候補者に自己紹介が促され、陽子氏が2番手でスピーチをした後、隣に着席した3番手の階猛氏(民主党現職)がスピーチを始めたのですが、その際の陽子氏の階氏への眼差しが、とても対立候補に向けるとは思えない、慈愛溢れる母が我が子を見つめるようなものであったのです。

この点、報道等に基づく一般的な理解として、階氏(議員)は、小沢氏らが民主党を離党した際、悩み抜いた末に苦渋の選択として民主党に残留したため、今回の選挙では、未来党(当県では「岩手小沢党」とでも表現するのが相当とも感じますが)から対立候補を擁立されることになり、陽子氏に白羽の矢が立てられました。

階氏は、達増知事が6年前に衆院議員から知事に転身した際、後釜として達増知事に抜擢され、達増氏後援会の全面支援のもと対立候補に圧勝し当選を続けており、今回の階氏の選択は傍目には生みの親たる達増知事への重大な裏切り行為にも見え、未来党=小沢氏・達増氏陣営がどのような方を「刺客」として送り込むのか、大いに注目されてきました。

そのような中で、未来党が陽子氏を擁立した趣旨は、①階氏の殲滅を目的に必勝の構えをとったのか、②それを企図しつつも他の適材が得られず仕方なくということなのか、③他の意図があるのか、私のような県内の一般庶民レベルで確立した見解は未だ生じていないと思います。

しかし、少なくとも、冒頭の陽子氏の様子からは、①や②の意図、換言すれば階氏への憎悪的なものは微塵も感じられず、ここ数ヶ月間の達増知事が盛んに再合流の期待を述べていた光景と合致する、階氏への愛着(未練?)を強く印象づけるものでした。

ところで、陽子氏自身については、知事夫人が急遽、出馬となったこと自体を批判する言論も散見されるところですが、私自身は、少なくともスピーチの姿勢(口ぶり或いは未来党のスポークスマンとしての振るまい)等に関しては、堂々とした、見事なものだと感じずにはいられませんでした。

少し考えれば、陽子氏は、元議員であり現職知事である達増氏の妻として、何年間も後援会を取り纏め、ご夫君の代わりに様々な演説等もこなしておられたであろうことは容易に思いつきますので(地元報道でも、関係者の説明としてそのように称されています)、そのこと自体は驚くにはあたらないのだと思います。

で、その延長線上で考えれば、陽子氏が階氏に暖かい眼差しを向けている理由も、よく理解できます。

恐らくは、達増氏後援会の全面支援により政治家の世界に飛び込んだ階氏にとって、後援会を取り纏めてきた陽子氏は、政治の世界での母も同然で、陽子氏にとっても、階氏は我が子も同然という関係にあるのではないかと思われます(もちろん、私は内部事情は何も存じませんので、あくまで報道と討論会の光景のみに基づく推測です)。

であるがゆえに、色々と込み入ったご事情があるのだとしても、階氏が小沢氏や達増夫妻の庇護を離れ、「独り立ち」を始めた姿は、陽子氏にとっては、我が子の巣立ちを見るような感慨があり、それが、上記の光景となって現れたのではないかと感じた次第です。

さすがに、その自己紹介シーンの後は、陽子氏が慈母の如き眼差しで階氏を見つめるような光景は見られず、基本的にはキリッと前を見据えてご自身の主張を述べておられたように思います。

階氏に関しては、お二人がマイクを交わす際に笑顔が見られた程度で、基本的にはいつも?の厳しい面持ちを続けていましたが、陽子氏に含むところがあるというのではなく、真っ当な緊張感を保っていたに過ぎないと理解しています。

公式見解で語ることはできないのでしょうが、階氏にとっても、恩義ある方々に弓を引くことに心苦しい思いを重ねておられると推察されます(階氏に関しては、一応は同業ということもあり何度かご挨拶したことがありますが、非常に誠実な方と理解しているつもりです)。

もちろん、お二人とも馴れ合いの選挙戦をしているわけではなく、公式(対外的?)には真剣勝負をなさっているのでしょうから、このような思いを抱きながら親子同然の関係にある者同士が戦を余儀なくされるというのは、保元の乱における源為義らvs源義朝の姿に重なるところがあるのではないかと思わずにはいられませんでした。

周辺の構図という点で考えても、以前ほどの勢いがなく、凋落が噂される本来の主君(小沢氏)への忠節を全うせんとする達増夫妻と、それと袂を分かち天下の権を掌握した者(小沢氏の失速後に政権を担った現・民主党)のもとで生きる道を選んだ階氏という構図は、小沢氏を摂関家の氏の長者たる藤原忠実・頼長に、現・民主党を後白河天皇や信西に置き換えれば、あながち強引とも言えないように思います。

そのように考えていくと、未来党が陽子氏を抜擢したのも、人材難だとか階氏と信頼関係のある人(陽子氏)の方が後腐れがなく将来の再合流がし易いなどといった面白味のない理由(だけ)ではなく、親子対決であることを承知の上で、「どちらかが斃れても、片方が生き残れば、我が一族(階氏を含む広義の達増ファミリー)は残る。だから、敵同士に分かれても悔いなく戦おう」といった悲壮なメッセージを含むものかもしれないなどと、妄想を膨らませることができそうな気もします。

少なくとも、討論会で「小沢首相を期待していたのに民主党に裏切られた」などと、小沢氏への忠誠を熱く語る陽子氏と、小沢氏について何も語らない階氏(時間の制約も大きいとは思いますが)を見ていると、以前、弁護士会の会合などで、階氏が司法系の話題以上に小沢氏への支持を熱く語っていた姿を垣間見ていた私には、時の流れというか、大河ドラマ的な光景を感じずにはいられませんでした。

まあ、自民党その他の勢力を(その後に他の勢力を一掃して天下を掌握した)平氏などに見立てたり、関係者の選挙後の姿を保元・平治の乱に近づけて考えるのは無理があるでしょうから、これをネタに「カノッサの屈辱」のシナリオ作りを目論むことはできないでしょうが、少なくとも、権力闘争に身を投ずる方々の大変さと、その方々が現に血を流さずに済む現代の有り難さを実感せずにはいられない面もあり、それらを感じただけでも意義があったと思われます。

公開討論会自体は、候補者に互いの見解への批判を避けよなどと「討論会」の看板とはおよそかけ離れたルールを設営側が定めているため、政見発表会の域をほとんど出ておらず、「政策論争」なるものがどこまで期待できるかという問題はありますが、上記のような光景を目の当たりにし、候補者の方々にある種の畏敬を感じたり、民主政治なるものへの参加意識を涵養する機会になるとは言えるのだと思います。

ということで、今回はパスした方も、次の機会にはご来場いただければ幸いです。

余談ながら、可能なら、今回、司会をなさった岩手大の丸山先生のような方には、学生さんに命じて、岩手の政治家の方々の後援会組織などを社会学的・政治学的見地から実地研究してレポートを公表していただければ、今回のような出来事が生じた場合に、それをもとに深みのある考察ができるのではないかと思ったりもしました。

紫波・大迫(花巻)・盛岡の辺境部をゆく

先日、休日に紫波署まで仕事で行ったのですが、同行した家族から、紫波町内の船久保洞窟を見たいとの要望があり、終了後、そちらに向かいました。

事前に少しだけは調べていましたが、洞窟の入口は普段は施錠されており、見学希望者は、すぐ近くにお住まいの管理人さん(周辺の所有者)にお願いして見学することになります。

この日も、何の事前連絡もなく現地に赴いたところ、運良くお孫さんを発見し、管理人さんを呼んでいただいたので、見学することができました。

洞窟自体は小規模なものですが、最奥の広間は十分な見応えがあり、一見の価値があります。また、小さな蝙蝠が沢山いて、私はしませんでしたが、手にとることも出来る状態でした(軍手を持っていくのが賢明かもしれません)。

個人的には、入口の扉が開く前の光景が、得体の知れぬ何かが封印されていそうな感じがあって、味わい深いものがありました。

紫波町は、オガールで大いに売り出し中ですが、管理人さんご家族に迷惑にならない方法で、こちらの洞窟の活かし方も考えていただいてもよいのではと思いました。

但し、恰幅の良い方には通行困難な狭路部分もありますので、その点は予めご留意下さい(ネットで検索すれば、写真入りで詳細を紹介したサイトも出てきますので、そちらを参照いただくのも良いでしょう)。

その後、可哀想な狸の死骸が横たわっていた折壁峠を抜けて早池峰湖(旧大迫町=現花巻市)に行き、次いで、紅葉まであと少しの早池峰湖から長野峠を経て簗川道路に向かい、砂小沢や根田茂の集落を垣間見て、盛岡市内に戻りました。

これらのルートは、これまで一度も通ったことがなく、山道が続き展望も少ない地味な道のりではありましたが、簗川道路の奥地など、古き良き里山の光景(或いは、ドラマの舞台に出てきそうな閉ざされた雰囲気)を色濃く残しているエリアもありました(その辺りは、盛岡市内でも有数の過疎地=限界集落ではないかと思われます)。

最近では、限界集落は無理に維持しようとせず、ブランディング等に秀でた一部の優良集落を除けば、ソフトランディング的に昔の山林に戻すべきではとも言われているようですが、このエリアに関しては、盛岡中心部からほど近く、簗川ダム付近のエリアは道路が整備されたこともあり、何らかの活かし方、活性策がないのだろうかと思わずにはいられないものがありました。

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ペットの保護施設とペット自身の権利

さきほど、盛岡近郊に「ペットの里」という大規模な敷地を確保したペットの保護施設(養育放棄されたペットを全国規模で保護し里親確保等を図る施設)が開設されたとの記事を知りました。
http://morioka.keizai.biz/headline/1691/

私自身はマンション暮らしでペット飼育には関心も余裕もないこともあり、大したことができるとは思いませんが、小岩井農場のほど近く(小岩井→滝沢分かれのルートの途中)なので、家族接待で小岩井方面に行く機会などに、立ち寄ってみたいと思います。

ところで、この施設のHPを拝見したところ、タリーズ日本の創業者である参議院議員の方など、全国レベルで名がある(と思われる)企業の方々などが評議員として名を連ねておられますが、地元(滝沢市や盛岡広域圏)の企業・団体などは運営その他に関与していないのでしょうか?
http://pets-sato.net/outline/

素人感覚ですが、こうした施設(誤解を恐れずに言えば、広義のテーマパーク)は、地元民(盛岡圏民)にどれだけ愛着を持って受け入れられるかが成功(継続性)のポイントだと思いますので(ハウステンボス云々を引用するまでもなく、すぐ近所の小岩井農場が最たるものでしょう)、地元小中学生の社会科見学とか、地域イベントとの連動とか、色々な形で地元民と関わりを深めていただければと思っていますし、そうしたことを通じて、近い将来には、「るるぶ」などの観光ガイドにも載るような知名度や信用等を確立していただければと感じています。

また、さらに誤解を恐れずに言えば、この施設は、日本国中のペット飼育者が、おぞましいエゴないしやむを得ざる切実な必要から、自分では養育の責任を果たすことができなくなった(現行制度上、大量殺戮するほかない)動物を引き取った施設であり、そのような「全国の消費者が不要だとして排出した物を集めた場所」というおぞましい表現を用いるのであれば、廃棄物ないしリサイクルの施設に類する面があると思います。

なぜこのような感じの悪い言い方をするかと言えば、仮に、この施設が何らかの事情で経営破綻等に陥り、かつ、地元行政その他の支援が困難だと判断された場合を想定すれば、この施設は、一転して、「世界最大のペットの救済施設」から、「世界最大(最悪)のペットの大量殺戮施設」に転落してしまう恐れを秘めていることになるのではないかと思います(そういえば、数年前の秋田の熊牧場事件はどうなったんでしょうね?無事に県内の他の牧場等に引き取って貰ったのか、そうでないのか、存じませんが)。

そうした文脈で比喩的に言えば、この施設が経営破綻した場合、約15年前に発覚した岩手青森県境不法投棄事件(全国中の産廃が5~10年間に亘り、両県境の山間地に持ち込まれて不法投棄された事件で、質量とも日本最大級と言われた不法投棄事件)の二の舞ということになりかねず、そうしたことを防ぐという見地からも、この施設が設立の趣旨に添って成功を収め経営を全うできることは、地元民にとって利害関係を有する問題だ(そのような観点からも、地元民が、この施設の健全な応援団となるような関係が形成できるのが望ましい)と言えるでしょうし、岩手県にとっても、このような施設を「世界最高のペット救済施設」に育てて行く(盛り立てる)ことが、県境不法投棄事件で膨大な被害を被った岩手にとって、ある意味、「岩手らしいやり方による、全国に対する仕返し」と言えるのではないかとすら思います。

滝沢市も、発足早々、地元の中学で残念な事件が発生していますので、この施設の盛り立て役を買って出ることを通じて「生命とその尊厳を大切にする教育」の名誉挽回をしていただければと思わないでもないですが、余計なお世話というべきでしょうか。

また、私の知る限り、日弁連等が、この種の問題について活動をしているという話は聞いたことがありませんが、法整備であれ運用面であれ、地元の弁護士にお役に立てることがあるならと思わないでもありません(そもそも、日弁連でこの話を扱っている委員会等があるのでしょうか?公害環境委員会に在籍していた際には一度も聞いたことがありませんし、野生動物を原告とする訴訟は知っていますが、これら元ペットを原告=権利享有主体だと主張とする全国一斉殺戮差止訴訟とか「犬猫権」的な改憲論なんて運動をする人は聞いたことがありません。私のような窓際ヒネクレ族にとっては、反自民運動も結構ですが、こうした地道な話の方が、遠回りに見えて本当は近道ではと思ってしまうのですが)。

ともあれ、そうしたくどくど話はさておき、この施設の理念的な価値云々は言うに及ばず、盛岡でもマンション暮らしでおよそペット飼育など縁のない家庭も増えていますので、こうした施設の見学等を通じて、自宅で飼育できない子供が動物と触れあえる場が近郊にあること自体、良いことなのではないかと思っています。

 

盛岡の町家文化と地元弁護士の役割

先日、古い町屋群が保全されている盛岡市鉈屋町で開催された「盛岡町家 旧暦の雛祭り」と、北上川を挟んだ対岸の仙北町で開催された「森とひなまつり 明治橋仙北町界隈」の双方を拝見してきました。

とりあえず、関連HPを貼り付けますので、あまりご存じでない方はこちらをご覧下さい。
http://machijuku.org/event/
http://www.city.morioka.iwate.jp/event/event/028793.html

http://www.morioka-times.com/news/2014/1404/11/14041101.htm
http://www.morioka-times.com/news/2014/1404/09/14040901.htm

鉈屋町の方は、今年で10年目だそうですが、通り沿いの家々に雛飾りが溢れ、規模も大きく人力車や和装の方々のパレードなど、和服姿の女性(年齢層は様々でしたが)を沢山お見かけし、古い街並みを生かした華やかなお祭りとしての雰囲気が良く出ていました。

仙北町の方は、鉈屋町と比べると規模は遙かに小さいですが、「徳清(佐藤家)」と金澤家の2つの文化財的な価値のある邸宅の公開を兼ねており、「雛飾り」の規模も、私が拝見した限りでは全体を通じて金澤家の飾りが最も見応えがありましたので、鉈屋町と仙北町の双方を見ないと勿体ないと思いました。

ところで、私が「ひな祭り」を見に行ったのは今回が初めてだったのですが、私は雛人形の価値などが分かる人間ではありませんので、主たる目的は、これまで拝見したことのない鉈屋町の建物群や徳清倉庫などの内部を見学することと、もう一つの理由がありました。

私が一応の責任者(委員長)をつとめている、岩手弁護士会・公害対策環境保全委員会では、来月、鉈屋町側の主催団体である「盛岡まち並み塾」の事務局長である渡辺敏男氏(建築家)に、「歴史的景観の保全」等に関する講義をお願いすることになっています。そのため、鉈屋町等の町家の文化的価値やその保全活動などが講義のテーマになると予測されるので、予習としてお邪魔したという次第です。

ただ、「まち並み保全」というテーマは、歴史や古い街並みがそれなりに好きな人なら誰でも入っていけそうな感じがする反面、私の知る限り、日弁連(公害環境の委員会)でも取り上げられておらず、建築実務に携わっている方でないとピンと来ない建築規制の細かい話が取り上げられやすいこともあって、弁護士の出番がどこまであるのか(出番を作れるのか)、よく分からないというのが正直なところです。

反面、本丸というべき建築規制の話にこだわらず、その周縁で生じる様々な法律問題に関する御用聞きのような形であれば、平凡な弁護士にも色々と出番が生じる可能性はあるのではとも感じています。

例えば、数世代に亘り受け継がれている町家の中には、数十年前に亡くなった方の名義のままになっていて、現役の相続関係者の意思統一が困難であるなどの理由で、相続登記に困難を伴う例があるかもしれません。また、長期間、空き家の状態が続き、近隣の方にとっても防犯、安全面で不安があり、管理や権利関係の処理を速やかに行うことが望まれる例、敷地の利用関係が複雑であるとか境界などに深刻な対立を伴う例など、弁護士がお役に立てる、立つべきケースが幾つもありそうな気がします。

また、今回の徳清倉庫さんのように区画整理などの形で行政との接触(往々にして利用形態に関する干渉や変更要請)を受けることも多いでしょうから、中には行政と見解の相違が生じて法的検討、調整を必要としたり、或いは、利害関係者の多くの方が意思統一できているものの、一部の方の反対があって物事が進まず、早期解決のため弁護士による法的な対応が望まれるという例もあるのではと思われます。

そして、それらの具体的な対処を通じて現行法制の問題点や限界を明らかにできれば、「まち並み塾」のような団体さんと協力して、法律や条例等のあり方について深みのある提言をするということもありうるのかもしれません。

それらの事柄にお役に立つことを通じて、街並みを守っている方々が一致結束して文化的価値を高める営みをすることを下支えするような活動ができれば、「街並み」そのもの(文化的価値云々)について込み入った知識がなくとも、地元の弁護士としての役割を果たすことができるのではないかと思われ、その点も含めて、地域の「宝」の価値の保全や向上に取り組んでおられる方々との協働関係を持つことができればと願っています。

 

岩手教育会館の建替と「歴史まちづくり法」

盛岡城址(岩手公園)の袂にある岩手教育会館(7階建)が、3年後を目処に4階建の建物に生まれ変わるという報道がありました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20140319_3

盛岡では、古くより盛岡城(石垣)から岩手山を望む眺望を誇りとする市民感情があり、景観法(平成16年制定)が作られる遥か以前(昭和59年頃)から、「盛岡城址の石垣の上から岩手山を結んだ線よりも高い位置まで建物を立てるのは禁止」というガイドラインを作成していたそうで、実際、その後に、少し離れた中央通に計画された商業ビルが、市の強力な「行政指導」で高さ制限を受けたという例もあったと聞いています。

ただ、その話については、「盛岡城の石垣(二の丸~本丸)の真正面(岩手山が見える北東面)には、産業会館(サンビル)、教育会館、農林会館の3つの巨大建物がドデンと居座っており、それらのせいで岩手山の眺望がちっとも見えないじゃないか」と思わざるを得ないところがあります。

少し調べてみると、この「岩手山眺望阻害三兄弟」などと言ってみたくなる3つの建物は、いずれも昭和30~40年代に竣工された建物なのだそうで、反対運動的なものがあったかどうかは知りませんが、少なくとも、当時は、法令上の規制は言うに及ばず、行政指導すら無かったのでしょうから、その意味では、非難できる筋合いでもないのだろうと思います(時系列的に見れば、この三兄弟の出現が、上記のガイドラインの登場に一役買っているかもしれませんが)。

他方、上記のガイドラインは、現在、景観法に基づき盛岡市が平成21年に策定した景観計画に引き継がれており、法律上の明確な根拠がありますので、これに沿った形で教育会館が建て替えられることについては、上記の眺望(景観)に価値を感じる者の一人として、率直に歓迎したいと思っています。

折角なので、サンビルと農林会館も、余勢を駆って建替(或いは移転)を検討されてはいかがでしょうかと思ったりもします。ちょうど、岩手山の眺望問題をさほど考えなくてもよさそうな東側の岩手医大が移転することから、そちらに「新・産業農林会館」を、飲食店舗などを交えた複合施設として作っていただいてもよいのではと思わないでもありません。

ところで、教育会館の建替にあたっては、景観等の観点から、もう一つ、指摘しならない事柄があり、このことは、とりわけ盛岡市民の方々には、よく考えていただきたいことだと思っています。

平成20年に、城跡など歴史的な名所・旧跡を残した風景の保全やまちづくりの活用への支援等を目的として、「歴史まちづくり法」という法律が制定されています(正式名称は、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律)。

法律の内容や活用状況は、以下に引用した国交省サイト(パンフレット等)をご覧いただければと思いますが、代表例として金沢城趾とその周辺地域の整備や保全などが掲げられており、金沢市を手本として城下町整備をすべきと思われる盛岡城趾及びその周辺地域についても、この法律の適用を受け、景観の保全や充実化に取り組んでよいのではないかと思われます。
http://www.mlit.go.jp/toshi/rekimachi/toshi_history_tk_000003.html

そして、教育会館の建て替え(新会館の建築)にあたっても、「盛岡城址に隣接する主要建築物」としての教育会館のあり方・位置づけを再検討いただき、デザイン等はもちろん、会館の機能等のあり方も含めて(言うなれば、佐藤可士和氏的な発想で)、石垣等と調和し歴史的な風致の向上を強く支えるような会館を造っていただきたいと思いますし、場合によっては、そのプロセスには、会館の施工主や市役所以外の方(歴史的景観の保全等に知見等のある専門家や住民等)が関与してもよいのではと思ったりもします。

例えば、藩校(明義堂・作人館)の写真や図面等が残っているのであれば、その意匠をデザインに取り入れるのが、「教育会館」に相応しいと思わないでもありませんが、いかがでしょう。

残念ながら?、盛岡市は、まだこの法令に基づく「歴史的風致維持向上計画」の認定申請をしていないようですので、ぜひ、地元の各種団体等(某「明るく豊かな社会を作ることを目的とした団体」など)におかれては、そうしたことにも取り組んでいただければ幸いに思いますし、住民一般にも、この点に関心を寄せていただければと思っています。

 

盛岡と2つの福岡の三角関係

先日知ったのですが、福岡市に「旧日本生命九州支店」という文化財があるそうで、その外観は、盛岡市の岩手銀行旧本店と非常によく似ています。
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/51
http://www.iwatebank.co.jp/restroom/legacy/nakano/index2.html

ご存知の方も多いとは思いますが、これらの建物は明治の著名建築家・辰野金吾の設計によるもので、我が国には辰野式と呼ばれる、同種のデザイン(色遣い)の建物が幾つかあります。

それはさておき、同じルーツのよく似た建物を持っている都市同士ということで、この話題を起点に、福岡市と盛岡市が何らかの交流を図ってもよいのではと思いますが、そのような話が過去にあったかは存じておらず、前例がないのでしたら、どなたか考えていただければと思わないでもありません。

とりわけ、両市は、古くは江戸時代初期に、栗山大膳という人物(「軍師官兵衛」で登場する腹心・栗山善助の子)を介して関わりがありますので(黒田官兵衛の現存する唯一の兜が、栗山大膳を経て盛岡南部家に寄贈され、現在は盛岡歴史文化館=盛岡市が所有しているそうです)、そうした話を色々と集めて、両市民の関心を高める工夫をしても良いのではと思います。

私は残念ながらまだ福岡市には行ったことがないのですが、福岡市には、北東北三県のアンテナショップがあるとのことですので、例えば、そうした店舗に、上記のような「福岡市等と共通する話題」を集めたコーナーを常設するなどしてもよいのかもしれません。

ところで、以前も書いたかもしれませんが、盛岡の実質的な創設者というべき南部信直公は、当初は青森県田子町の領主で、その後、岩手県二戸市を舞台とする南部家の跡目争い(秀吉・家康連合軍が絡んだ大戦争)に勝利し、その際、一旦は二戸を本拠とし、その地を「福岡」と名付けた後、浅野長政の勧めで移転し、移転先の地(不来方)を「盛岡」と名付けたと言われています。

福岡市の方は、黒田長政が関ヶ原の勝利で筑前を拝領した際、黒田家の実質的な発祥地である備前(岡山)東部の福岡という街(名称の成立は平安~鎌倉期とのこと。刀剣の名産地だそうです)に因んで名付けたそうですが(wiki情報)、果たして、岩手の方の「福岡・盛岡」の命名の由来に、そちらの福岡が何らかの形で関わっていなかったのだろうかと想像を膨らませてみるのも、歴史の一つの楽しみ方かもしれません(残念ながら?奥州征服軍のメンバーには、黒田父子は含まれていないようですが)。

カーリング日本代表とヤカーリング

岩手限定のネタで恐縮ですが、本州で一番寒いとされている盛岡市(旧・玉山村)の山中にある岩洞湖では、毎年この時期に「すがフェスタ」というイベントをやっており、例えば、ヤカンを湖上(氷上)で転がす「ヤカーリング」なるものをやっているのだそうです(引用記事は去年のものです)。
http://morioka.keizai.biz/headline/1269/ 

私はまだ行ったことがなく、深夜に少しばかりカーリングの五輪中継を拝見したこともあり、今年こそはと思っていたのですが(但し、氷上ガリガリ君はJCで懲りたので遠慮します)、残念ながら、主催者側の高齢化や人手不足により(超過疎地帯です)、今年は不開催になったと、今日の岩手日報に書いてありました。

 

ちなみに、そのすぐ近くの記事には、「カーリング日本代表の苫米地選手(二戸出身)が、カーリングを始め、競技生活を続けてこれたのは、長野五輪の頃に二戸の青年会議所のメンバーが二戸でカーリングの振興を立ち上げ、支えてきたからだ」という趣旨の記載がありました。

 
旧玉山村は、盛岡と合併してから、「玉山牛」がいつの間にか「盛岡牛」になったりして、何となく地域のブランド価値やアイデンティティの維持に苦労しているような感があり(実質的に、吸収合併と見られてもやむを得ないと思います)、それだけに、JCに限らず、盛岡の中心部等の人々に、こうした営みを支えていただくべきではないかと思ったりします。