北奥法律事務所

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雑談・戯言など

弁護士協同組合の物産販売に関するオリジナル商品と浅智恵

6月の話で恐縮ですが、岩手弁護士会協同組合の総会があり、昨年と同じくタダ飯(弁当)をいただくという志の低い目的のため参加してきました。

昨年も「復興支援やらなイカ~」のタイトルで少し書きましたが、今年も、専務理事をつとめる先生から、「全国の弁護士向けの商品の販売を行うため県内の有力企業などと相談をしたのだけれど上手くいかなかった」とのご報告がありました。

その先生が仰るには、特産品(商品。他県では果物や酒、牛タンなど)を協同組合を通じて販売する場合には、例えば、通常単価で5000円の商品を売るのであれば、組合員価格はそれよりも安い4500円で販売することになっており、しかも、販売に従事する方(購入者が所属する弁護士会の協同組合関係者?)の事務手数料として500円程度を要するので、商品を提供する業者にとっては「5000円の商品を4000円で売る」ことにならざるを得ず、在庫の確保の負担も含めて基本的にはインセンティブがない(ので、相談した業者からも消極的な回答が示された)とのことでした。

ただ、市場で他にも販売する既存の商品だからそのような問題が生じるのでしょうから、新規商品を協同組合の側で開発し、それに「顧客の支持が得られる付加価値」を持たせて販売できれば(要するに高値でも売れる商品が開発できれば)、商売として成り立つはずです。

すなわち、付加価値を付すことができなければ(材料原価ベースなら)3000円でしか売れないはずの物を、特別なアレンジをして5000円の定価として販売することができれば、「協同組合には4000円で販売する」という形でも商品の提供事業者にとって十分に元が取れると思います。

そして、その商品が世間で話題になって人気が出れば、協同組合には4000円で販売し、一般にも業者が自ら5000円で販売できる(協同組合にライセンス料として500円を支払う)ことにすれば、業者にも利益が出て協力できるはずです。

あとは、協同組合がその枠組みを満たすだけの商品を開発できるか次第ということになるでしょうが、以前に投稿した京都弁護士会の「やっこさんは白だな」の二番煎じで考えれば、「弁護士らしら(弁護士っぽさ)を全面に出した商品ネーミングと、そのコンセプトを生かした商品(中身)づくり」について、世間の注目を浴び、購買意欲をそそる商品を作ることができるかにかかっているのではないかと思います。
http://bengo.pro/info/201312121.cfm

例えば、イオンがサンマのパッケージ商品を「鉄道ダンシ」と称する男性キャラの絵を添えて販売しているのに倣い、被災者支援に取り組む「アワビ弁護士、ワカメ弁護士」などのオリジナルキャラを作り、それを生かした新商品などを考えてもよいのかもしれません。

震災に限る必要もないでしょうから、地元の様々な個性・伝承と弁護士らしさを組み合わせて、「座敷わらし弁護士」とか「なんぶ弁護士武将隊」みたいな路線もあってよいはずです。

前者は、あどけない顔立ちの若い女性弁護士が適役のような気もしますが、それでは「岩手まるごとおもてなし隊」とキャラが被ってしまうので、いっそ広島(呉市)のA原先生のような「キモかわいい系」の若い男性弁護士を選抜、育成してもよいのではと思わないでもありません。
http://iwate-omotenashitai.com/about.html

また、「金持ち向けの仕事で儲けているウニ弁、庶民派のシャケ弁、粘り強さが売りのモチ弁、新人のホヤ弁」などを集めて、5人組で「べんごきょうだい」と称し、「わんこ某」とのコラボ企画などを提案してもよいのではと思います(県庁からクレームを受けるかもしれませんが・・)。

或いは、「カッパ無罪!」みたいな商品タイトルでキュウリの漬け物か何かを作り、無罪の代わりに化学調味料などを極力使わない(無添加)とか、激辛とか苦いとか食べるのに一苦労するような味付けをして売り出すのも、インパクトの面からよいかもしれません。

弁護士激増政策が浸透し多くの弁護士が生き残りを賭けて様々な営業活動をしている現状にあっては、弁護士会(協同組合)も思い切った行動に出ることも考えなければならないのではと思っています。

今も昔も凡百の身には辛いよの法曹界にドロップキック~♪

旧ブログに投稿(平成25年6月)した文章の再掲です。

昔から、個人的な趣味として、気に入った曲をもとに業界など身近なネタを用いた替え歌を作るのが好きで、2年ほど前にも「妖怪ウォッチ」の歌を題材に、「べんごしの せいなのね そうなのね!」などと書いたりしたことがあるのですが(事務局長のクレームにより、残念ながらブログ掲載は断念)、下記の替え歌については旧ブログの掲載時に許可が下りましたので、再掲も大丈夫かと思います。

「平成10年バージョン」は、裁判官・検察官はともかく、弁護士や司法修習生にとってはあまりにも遠い昔の話になってしまいましたが、「平成25年バージョン」は、3年を経た今でも業界的に好転の兆しが見えそうにありません。

*********

私が司法試験受験生であった時代(平成9年まで)は、Mr.Childrenの全盛期でもありましたので、ごくありふれた同時代人の一人として、よく聴いていました。

当時から、たまに替え歌を作りたくなる悪癖があり、修習生の頃には、《everybody goes ~秩序のない現代にドロップキック~》をもとに、法曹界を皮肉った替え歌を作ってみたこともありました。

ただ、それから15年を経て、法曹界とりわけ弁護士業界と修習生の光景は大きく変わり、もっと別の歌詞が付されるべき状況になってしまいました。

というわけで、また、現在の状況に即した新たな替え歌を衝動的に作ってみた次第です。

もちろん、平成10年バージョンも平成25年バージョンも、今も昔も何かとしんどい法曹界をお気楽に笑い飛ばして生き抜きましょうとの観点で、巷間あふれる情報をもとにジョークとして作成しているものに過ぎません。

特定の主義主張を流布するものでも個人・団体を批判・誹謗する意図のものでもありませんので(私自身、単純なアンチ司法改革派では全然ありません)、ご不快の段は純然たる誤解に基づくものとして、ご容赦下さい。

あと、修習生として、法曹三者のありのまま?の姿を垣間見させていただいた平成10年当時はまだしも、現在は、検察官や刑事部の裁判官の方々とは、私生活は言うに及ばず職業上の接点も非常に少ないのが実情なので、さほど気の利いた歌詞が思い浮かばないのが正直なところです。

そうしたこともあり、(特定の主義主張等の目的ではなく)純粋にジョークとしての質の向上という観点から、歌詞(言い回し)の改善・改良をご提案いただければ大歓迎です。

なお、括弧部分はバックコーラスです。

《平成10年バージョン》

複雑に混ん絡がった事件だ
記録の山で ガンバレ 裁判官
法律と判例と良識を武器に
あなたが支える 法の支配

そして you
晩飯も官舎で一人 インスタントフード食べてんだ
ガンバリ屋さん 報われないけど

任検して3年 エースになる chance
地道な調べの甲斐もあって
被疑者の前で上機嫌なポーズ
でも 決裁じゃ 次席にまた叱られて

oh you
それでも夢見てる ムービースター
世間知らずの 自惚れ屋さん
相変わらず 信じてる

everybody goes everybody fights
安息の場のない法曹界に ドロップキック
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる

愛する自由と正義の為に
良かれと思う事はやってきた
悪人のミカタと 周囲に呼ばれても
結構 マジで弁護した この18年間

でも you
被疑者は 釈放後すぐに サイハンジャー
で、逮捕されりゃ 毎度 困ったちゃん
「親に頼んで 弁償してきて」

everybody goes everybody fights
羞恥心のない 当事者に水平チョップ
everybody knows everybody wants そして Yes Yes Yes Yes
必死で 生きてる

Ah 修習生を見て人は こう言う
「あいつらは気楽な 税金ドロボー」
その通りでございます!(多少はガンバってるけど)

everybody goes everybody fights
人を狂わす司法試験に ドロップキック
everybody knows everybody wants
明るい未来って何だっけ?

everybody goes everybody fights
救い難い法曹界に 水平チョップ
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる 必死で生きてる

《平成25年バージョン》

複雑で悲惨な 刑事の事件だ
衆人環視で ガンバレ 裁判官
庶民の視点、感覚、言葉も武器に
あなたが支える 身近な司法

でも you
偏屈なおっちゃんが一人、裁判員で 評議荒らしてんだ
ガンバリ屋さん 報われてますか?

任検して10年 特捜に行く chance
強硬な調べの甲斐もあって?
次席の前で上機嫌なポーズ
でも 法廷じゃ 調書は皆、却下されて

oh you
それでも夢見てる ムービースター
世相知らずの 自惚れ屋さん
相変わらず 信じてる

everybody goes everybody fights
模範解答のない法曹界に ドロップキック
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる

愛する自由と正義の為に
良かれと思う事はやってきた
口先ばかりと 身内にも言われても
市民の人権には尽くしてきた この60余年間

でも you
ベテランは 経営できず オーリョージャー
で、若手は 仕事すらない
誰も来ない相談会 行ってる

everybody goes everybody fights
会員に冷たい? 日弁連に水平チョップ
everybody knows everybody wants そして Yes Yes Yes Yes
必死で 生きてる

Ah 修習生を見て人は こう言う
「あいつらは不憫な 時代の犠牲者」
同情するなら 金をくれ
(給費に戻せ/就職させろ/任官(検)増やせ/需要をよこせ)

everybody goes everybody fights
ちくはぐな司法改革に ドロップキック
everybody knows everybody wants
明るい未来って何だっけ?

everybody goes everybody fights
光が照ってない法曹界に 水平チョップ
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる 必死で生きてる

なお、申すまでもなく、私自身は二次的著作物としての権利云々を主張するつもりは毛頭ありませんが、原著作物の権利者に保護されるべき法的権利・利益を侵害することのないよう、個人的な楽しみの範囲でご覧下さい(この投稿自体、当落線上でしょうか?著作権法は仕事で関わることがほとんどないので偉そうなことは言えませんが、営利性の無いものは、権利者の合理的意思解釈の範疇(の構成要素としての社会通念)に入るかどうかで決まるとは思いますが・・)

いっそ、本物に歌っていただき(後ろで法服を着た人やバッジを付けた人達が踊ったりして)、この歌詞のコンセプトに即したオムニバス形式の映画(或いは、プロモーションビデオ)でも作っていただければと、妄念逞しうしないこともありません。

天下一品・盛岡店の涙の閉店と、その復活を求めて

8月の出来事で恐縮ですが、久しぶりにと思い盛岡市館向町にあるラーメン店・天下一品(盛岡で唯一)に向かったところ、閉店していたことを初めて知りました。

私は修習時代(平成10年)に盛岡でこの味を知り、東京時代は4年ほど月1回の頻度で五反田店に通っていましたので、チェーン店全体で見れば、「天下一品」は人生で一番多く食べたラーメンであることは間違いありません。それだけに、このお店(盛岡店)が人生で一番来店回数の多いお店かもしれないと思っており、ショックもひとしおです。

閉店について丁寧に説明なさっている「天一ファン」の方のサイト(7月に掲示されたという告知)を見つけましたが、復活を求める署名運動などがあれば、身を投じたいと思わずにはいられません。
http://nabi1080.com/cooking/gourmet/55112

8月には後継店舗が営業を開始していましたので入ってみたところ、味自体は私の好みで特に不満はなかったのですが、最初に整理券を取った後、お店側に呼ばれるまでは待合の椅子などで待たなければならない(飲食時の座席に座ることができない)という未経験のシステムで運営されており、混雑時のためか、いささか残念な光景も見られました。

或いは、最近話題の「飲食業界などの人手不足」が影響しているのかもしれませんし、現在は改善・解決しているのかもしれませんが、そうしたことも含め、天一時代を懐かしんで心中落涙せずにはいられませんでした。

先日も「天一まつり」の広告が出ていましたが、そうしたものを見ると、改めて「天一に行けない自分」が惨めに思えてきて、ますます泣きそうになります。

8月にFBでこの件の投稿をした際、他の方から、お店(フランチャイズの加盟店)と本部との間に何らかの紛争があったのだろうかなどと訝るコメントもいただいたのですが、仮に、そのような事態があったのだとすれば、盛岡の弁護士業界には天一ファンは山ほどいるはずですので、「盛岡の天一を救え! 訴訟」と題する大弁護団を結成し、本部と闘い復活を勝ち取るなんて展開を夢想せずにはいられませんでした。

などと書くと、さすがに寝言、戯言の類とお叱りを受けるかもしれませんが、関係者におかれては、そうした「盛岡の熱烈ファン」の思いをお汲み取りの上、ぜひ盛岡の天一の復活に向けてご尽力いただきたいと願っています。

その際に伺ったところでは、近くにある「豪めん館坂店」もいつの間にか閉店していたとのことで、平成17年前後(盛岡での開業直後)にはラーメン食べ歩きを結構していた関係でよくお世話になっていたので、ますます残念に感じます。

平成10年頃には、「豪めん」の場所あたりに「宝介」のお店(本店?)があったことも懐かしい記憶ですが、そうしたことを含め、最近は時代の移り変わりを否応なく突きつける出来事が続いているような気もします。

日本初の女性弁護士の知られざる物語と朝ドラ

今月の日弁連の機関誌「自由と正義」の冒頭で、鳥取出身の「日本の女性弁護士第1号」の方(中田正子弁護士)をNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)の主人公に抜擢して欲しいという鳥取の先生の投稿があり、サブヒロインなどの物語も交えた本格的な「あらすじ案」も載せられていて、なかなか読み応えがありました。

それによれば、その方の通学先の校長が新渡戸稲造博士なのだそうで、岩手弁護士会も支援し、バーターで新渡戸校長の出番を増やして欲しいと交渉しても良いのでは?などと余計なことを思いました(演じるのは誰が相応しいでしょう?丸いメガネが似合うイケメン紳士なら阿部寛氏?或いは「岩手の偉人ならどんとこい」の村上弘明氏?)

その学校で主人公に法律を教えていたのが「民法の神様」こと我妻栄先生で、キャラの位置づけが「五代さま」に近いのだそうです。テレビ化が実現すれば、米沢の生家(我妻先生記念館)に聖地巡礼する人も増えるのかもしれません(添付のとおり、私は平成25年にお邪魔しました)。

そういえば、我妻先生は安倍首相の祖父こと岸信介もと首相の親友とのことで(後年に安保条約改定を巡り対立したエピソードもあります)、若き岸青年の登場シーンも作れば、官邸(或いは官邸寄りと囁かれる?NHKの現会長)のテコ入れも得られるかもしれませんね(と言いつつ、実際の脚本では国家観を巡って二人に大喧嘩をさせたりして・・)。

或いは、大河ドラマ「山河燃ゆ」風に戦前戦後の司法(ひいては人権ないし人間の尊厳)のあり方を巡る様々な対立やエピソードを絡めた群像劇に仕上げていただければ、司法関係者としては見応えのある一作になりそうな気もします。

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中央大OBの「大臣」の連続登板記録?の消滅と雑談

新たな内閣(改造を含め)が発足する際、今回は我が校のOBの大臣さんはいるのだろうかと見てしまう中央大出身者は、私だけではないだろうと思います(こうした感覚は東大や早慶のOBの方は無縁でしょうが、他の六大学や「マーチ」などの大学の方はどうなんでしょうね・・)。

で、私の記憶では「箱根駅伝に辛うじてシード校入りする(少なくとも予選会では落ちない)」のと同じ程度の感覚で、どの内閣でも一人くらいは中央大の出身の大臣さんがいたような気がするのですが(先日までは、山形の遠藤大臣がおられました)、今回の第3次安倍第2次改造内閣では、公開情報をざっと見る限り、残念ながら中央大の出身者が一人もおられないようです。

その上、土曜の新聞に載っていた副大臣名簿にも中央大の出身者が一人もいないという惨状になっていました。

唯一?の救いは、政務官(財務省)に真法会の先輩である三木亨議員(参院徳島選挙区)を発見できたことです(政務官の出身校情報を表示した記事を発見できていないため、他にもおられるかもしれませんが)。

三木さんは、私が入学(入室)した時点で大学は卒業されており、私自身は少しご挨拶させていただいた程度でしたが、ネットで表示されている現在のお姿と比べて、もっと髪が長く、スリムな体型(顔立ち)だったような記憶があります(体型云々は、私が言ってもブーメランになりそうですが)。

それはさておき、自民党の執行部では、中央大の弁護士OBなら皆ご存知であろう高村副総裁だけでなく、二階幹事長もOB(しかも私と同じ政治学科卒)とのことで、その点は恥ずかしながら今はじめて知りました。

ともあれ、他党の議員さんも含めOBの政界関係者の方々におかれては、他大学の方々に負けずに中央大らしさを発揮しご活躍いただければと願っています。

と、こんな話を書くと、お前もそっちの世界に色気があるのかと誤解を招くかもしれませんが、面識のある方々なら多言を要せずともご存知のとおり、私は、大学2年の真法会の役員選挙(信任投票)の際、同期のA原S太郎センセイと共に「最低得票率で賞」を頂戴した身であり、その種の経験は何度もしていますので、選挙(人気投票)の類にはおよそ適性がないことは身に染みて存じています。

また、政治には手を出すなが実家の家訓である上、最近、政界で存在感を放つ他の同業者の方々と異なり、零細企業のタコ社長(主要労働者)として事務所の存続に汲々とする日々を送っているのが実情です。

他方、プレイヤーとしてではなく距離を置いた場所から観察者として政治(権威と権力を巡る身近な人々のせめぎ合いの世界)を拝見するのは昔から割と好きで、岩手で言えば、岩手大の丸山先生や県立大の齋藤先生のようなポジションの一端を狙うことができないかなぁなどと夢想することがないわけではありません。

が、JCの公開討論会で反対尋問よろしく候補者にギャンギャン吠え立てて「あなたの言ってることはちっとも訳がわからないよ!」などと田原総一朗氏の真似事をしたところで、岩手から出て行けと言われるだけでしょうから、今後もFBやブログなどでボソボソと呟く程度が精一杯というのが分相応なのでしょう。

余談ながら、私と上記のA原(とF女史)は奇しくも同期で最初に司法試験に合格しており、役員選挙のときを思い出して「捨てる神あれば拾う神あり」などと思ったりしたものです。

私は子供の頃から「一般ウケはしないが、ゲテモノ好きの人には呼ばれる」という傾向があり、法曹界が「ゲテモノの世界」かどうかはさておき、今後も妙な高望みはせずその路線で磨きをかけていきたいと思っています。

祭り囃子の向こうから

本日の午後5時頃に、盛岡東警察署に勾留中の方から接見要請がありました。

普段は中央通~内丸を自動車でヒュッと行っているので、何も考えずに7時に行きますと留置係の方に回答したのですが、事務所を出た瞬間に、地元のお祭りに目を背けて生きている我が身の愚かさに気づきました。

盛岡は8月1日から4日まで、夜間はこの通りを自動車で通行することはできず、当事務所から盛岡東署には大迂回が必要になります。

そんなわけで一句。

忘れるな さんさ見ろよと 呼ぶ被疑者
 大渋滞 今日の弁護に さっこらず

さんさ踊りは明日(8月4日)までとなります。
まだ訪れたことのない方は、ぜひ盛岡においで下さい。
http://www.sansaodori.jp/

平成初期の浦島太郎が感じた函館駅の再開発と「ぽつんと感」

都知事選は小池氏の圧勝で幕を閉じ、次にどのような第二幕が展開するのか期待されますが、私の「アゴラ投稿」もしぶとく生き残り、本日現在も、「週間ランキング」で10位以内に止まり、「いいね」も1700個以上も頂戴するという有り難い結果となっております。

それはさておき、以前にも書きましたが、私は函館で高校生活を過ごしており、今年の5月に24年ぶりに函館に行きましたが、函館駅や駅前の空間は、建替等により当時と今とでは激変していました。

何となく、無駄に広くなって函館駅と駅前商店街(棒二森屋をはじめとする大門地区の街並み)との距離が遠くなったような印象を受けたのですが、同じようなことを、先般、岩手を代表する「まちづくり」のエキスパートのOさんが、函館を訪れた際の感想としてFB上で発言されていました。

私の高校時代(平成1~3年頃)、函館駅には帰省の際などでお世話になっていましたが、当時=旧駅舎時代は、駅舎の位置は概ね同じなのですが、現在の広場状になっている場所(駅の正面近く)に、タクシーや駐車車両などが大量に陣取っており、その奥(街側に向かって進んだ場所)にバス乗り場群があり、いわば、盛岡駅東口(バス乗り場、タクシー、自家用車駐車場群)をヨコではなくタテに切り替えたような感じでした「函館駅前」でグーグル検索すれば、旧駅舎時代の画像を見ることができます)。

昔は「駅前が広かった」という記憶はなく、駅前のロワジールホテル(旧ハーバービューホテル)の前を歩いて市電まで行くのも、田舎者の身にはホテルの外観が眩しかったせいか、そんなに苦痛ではなかったとの記憶です(距離はほぼ同じなのに、今の方が、遠く感じるような気がしました)。

また、当時は函館駅前に土産物店が多くなく(駅ナカなどというものもありませんし)、同ホテルの1階の土産物店の存在感が大きかった=動線としての役割があったことも指摘できるのではと感じました(今では存在感が非常に下がり、ホテル前の幅広の歩道も通りとしての魅力がないと感じました)。

函館駅の建替(再開発)にあたり、折角、駐車場群を取り除いたのに、創出したスペースの価値を高める営みが全くなされていないという、「まちづくり」のエキスパートの方々がよく仰っていることの典型のような話なのだろうと思います(例えば南池袋公園のような芝生などのある光景を目指しても良かったのではと、素人ながら感じました)。

私が住んでいた頃から、函館駅前(大門商店街)の凋落が叫ばれていましたが、当時とあまり変わらない函館山の麓や、当時よりも遙かに栄えているベイエリア・五稜郭界隈と比べて、大門商店街の市内での存在感の低下はますます進んでいる感は否めず、そのことが、函館駅の「ぽつんと感」を、なお一層、演出しているのかもしれません。

その「座席」が似合う人、似合わない人

東京都の舛添知事の公費使用や政治資金の問題で、岩手の達増知事が「海外出張でファーストクラスを利用している知事」として報道されるという出来事がありました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20160513_3
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20160517_6

弁護士になった直後の平成12年5月頃、勤務先の東京の事務所で関西方面への日帰り出張が3回ほどあったのですが、最初の出張の際に渡された新幹線の切符がグリーン車でした。

2回目の出張からは畏れ多いと辞退したため、それが人生最初で最後?のグリーン車でしたが、このような経験ができたのは、弁護士会の旧報酬規程に「グリーン車」の定めがあったことや依頼主が相応の規模の企業さんだったことが影響していたのだと思います。

10年近く前に仙台である会合に参加した後、新幹線のホームで、その会合に参加されていた国会議員の方がグリーン車に颯爽と乗車されていたのを拝見しました。議員さんは電車には無料で乗車できると聞いたことがあり、それ自体を軽々に批判するつもりはないのですが、同じ会合に出ていた者同士で、かたや税金でグリーン車、かたや自腹で普通車というのも、身分の違いを感じて少し寂しくなりました。

政治家であれ弁護士であれ、受任者にどのような待遇の交通手段を提供するかは発注者(納税者)が決めるべきことでしょうから、私も、グリーン車であれファーストクラスであれ遠慮なく使って下さいと仰っていただけるような依頼主にお目にかかれるよう(それだけ、自分の仕事で大きな成果を上げて依頼主に激賞されるよう)、地道に研鑽を重ねたいと思います。

まあ、田舎の町弁では、そうした「太っ腹なお金持ち」の依頼主との出逢いはあまり期待できないかもしれませんが・・

それはさておき、税金で仕事をなさっている方々の「使い道」のあり方については、報道はもちろんのこと、誰のため、何のために用いるかということも含めて、議論が深まって欲しいと思っています。

(R03.5追記)

先日も、国会議員さんのJR無料パスの目的外使用に関する報道があり、引用の記事を拝見しながら上記の投稿を思い出しました。私が拝見した光景(参加した会合)も、国会議員さんの本来の仕事とは関係のない事柄なので、議論の余地があるのかもしれません。
国会議員特権の「JR無料パス」、公私がグレーな利用実態とは (msn.com)

地方の町弁の身内が亡くなるとき~香典を巡る雑感~

先日、県内の某先生の親御さんが亡くなられたとの知らせが弁護士会からありました。その先生からは2年前の私の父の死去時に香典をいただいていたこともあり、ささやかながら香典をお届けしました。

ただ、私の場合、香典はすべて喪主である兄に渡したので「いただいたものをお返しする」という関係はあまり成り立っていません。さすがに兄に「私の関係で頂戴した香典は返せ」などと文句を言うわけにもいかず、ケチで貧乏な身の上には多少のトホホ感もないわけではありません。

反面、気楽な次男だからこんなことを言えるのだということも、私の実家のような「古い家」では、また真実なのでしょうが・・。

ちなみに、地方ではお身内が亡くなると岩手日報などに死亡広告を載せる方が多いと思いますが、岩手弁護士会の場合、会員(弁護士)についてそうしたものが載ると、問答無用(本人に確認なし)で、全会員にFAXが流れるようです(なお、ご本人が亡くなられた場合は、東北では6県の弁護士全員にFAX送信しています)。

少なくとも、私の父が亡くなったときは、兄の判断で私の名前も新聞の死亡広告に載せたため、私が知らぬ間に流れた弁護士会の通知を通じて、多くの同業の皆様から香典をいただいたのですが、上記の事情(喪主でなく香典をいただく立場ではない)から、私の名前は見なかったことにしていただきたかった(せめて、FAXの前にご一報いただきたかった)というのが正直なところではあります。

もちろん、弁護士会にロクに顔を出さない窓際会員の私にも多くの方々から香典をいただいたこと自体は、大変ありがたく、他の関係でいただいた皆様も含め、今も恐縮しているところではあるのですが・・

個人的には、直にお世話になったリアルな人間関係のある方が亡くなられた場合には、葬儀に出席するなどしなければとは思うのですが、お身内の方の葬儀等については、喪主の方との仕事上など特別な関わりがない限り、互いに気遣いをしなくともよいのでは(そうした文化は、昔はともかく現代では廃れていってよいのでは)と思っています。

さらに言えば、葬儀に多額の費用を投じたり香典などというお金のやりとりをすること自体が、文化として止めてもよいのでは(そんなことに金を使っても、今をときめく?葬儀業者の皆さんが喜ぶだけで、主役というべき遺族関係者にとっては面倒が増えるだけなのでは)というのが、曲がりなりにも葬儀というものを経験した「すれっからしの合理主義者」の率直な本音ではあります。

さらに余計なこと?を言えば、ご収入の多くないご年配の方で、冠婚葬祭の負担が多くて家計がおかしくなったという債務整理絡みのご相談を受けた記憶もあるように思います。

仕事柄、相続に関する紛争についてご相談を受けることは日常的にありますが、時には、葬儀費用を巡る紛争であるとか、葬儀の際に遺族などに口論が生じて紛糾したというお話を伺うこともあります。

そうした場合には香典は喪主に帰属すると判断するのが裁判所の通例であるとか、葬儀費用に赤字が出れば喪主が自己負担せず相続財産から負担する方向で協議することが多いので、そうしたことも斟酌して協議するのが望ましいなどとお伝えすることにしていますが、そもそも、高額な金のやりとりがなければ、そうした問題も起きないのにと感じることも少なくありません。

私自身は長寿には関心はないものの、可能なら意識だけが幽体離脱するようなものも含めて人類の最期まで見届けたいという願望だけはあり、結論として、リアルな関係のある方がすべて亡くなられるまでしぶとく生きて、その代わり、死亡時は往時の私を知る人が誰もいないので、葬儀等は一切せず後始末を担当するどなたかが荼毘に付して終わり、というのが一番望ましいのではと思っています。

まぼろしのT

週末の午後に事務所で一人で書類仕事をしていたところ、ブラインドに影でT字の模様が浮かび上がっているのを見つけました。

非常用進入口の▽シールへの陽の当たり方の関係で、このようなT字が出現する現象が生じたようですが、昨年に物議を醸した末に露と消えた某五輪のエンブレムを彷彿とさせます。

Tの影も五輪と同じように?数分ほどで儚く消えてしまいましたが、当事務所はしぶとく、しっかりと地域に根を張って末永く皆様のお役に立てるよう精進して参りたいと思います。