川崎市の無差別殺傷事件で、犯行中に自殺したとみられる被疑者(犯人)が長期のひきこもり状態だったとのニュースが取り上げられていますが、私も以前、長期間のひきこもり問題を抱えていた方に関する傷害事件に携わったことがあります。
詳細は差し控えますが(無差別系の事件ではありません)、他者と社会生活上の関係を築くことができない状態が長く続くと、家族など周囲の方を含め、残念な悪循環が様々な形で生まれる一方、破局的な事件が生じるまで第三者が解決に関与しない展開になりがちであることは確かだと思われます。
それだけに、早い段階で本人を「陽の当たる場所、暖かいと感じることができる場所」に連れ出し、その人なりの居場所や生きがいを社会内に見出すことができる程度に心を温める営みが、公的機関など第三者の関与のもとで行われるのが望ましいでしょうが、私の知る限り、そのような制度や営みなどというのは、ほぼ聞いたことがありません。
私が関与した事件でも、行政その他が自宅訪問その他の関与を行ったという話は全くなく、私が関わった後も、第三者の関与・支援という話は、限定的なものに止まりました。
また、私の関与(の原因となった件)を機にご本人を心療内科などの医師に診て貰った方がよいのではとご家族にお願いしましたが、医師からは治療対象ではなく来る必要はないと言われたとのことで、ひきこもり問題には、医療以外のアプローチが必要となる方も多いのかもしれません。
少なくとも私が関与した事件では、就労や人間関係の構築のトレーニングができる通所施設(サービス)のようなものを本人が早期に利用できれば、その後に深刻な対人トラブルを生じさせることもなかったのでは(簡単ではないにせよ、ご本人は、社会適応が全くできないタイプの人ではない)と感じる面はありました。
いわゆる池田小事件を契機に心神喪失者等医療観察法が制定された(と言われる)ように、あまりにも犠牲の大きい今回の件を機に「支援法」に止まらない一定の強制措置も伴う「ひきこもり対策法」制定の動きが生じるかもしれないと感じていますが、幾つかのネット記事などで言及されているように、当事者にとって北風ではなく太陽となりうる施策を図っていただければと思っています。
この仕事の性質上、「その後」に全く関わっていませんので、あの方々は、今、どうなっているのか、どのような思いでこのニュースを眺めているのか、ふと思ったりしました。
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と、FBに書いて投稿したところ、他の方から、秋田県藤里町の取組みをご紹介いただきました。
http://fujisato-shakyo.jp/hikikomori
今回の事件のように暴力性向が進んでしまったように見受けられる方だと、若い頃に適切なフォローができないと現時点での対処に難しい面が伴うとは思いますが、ご本人に社会復帰の意思が十分あるケース(大半はそうだと思いますが)なら、藤里町が行っているような取組で、一定の成果を上げることができそうな気がします。
藤里町の現在も含め、健全な方向で議論や取組が深められることを願っています。
また、問題を抱えた方とのコミュニケーションに奮闘した経験をお持ちの方から、厳しいご意見もいただきましたが、すでに社会現象化して久しい状態を放置してよいのかという問題はあり、とりあえず、ちょっとだけでも太陽のもとに多少無理にでも引っ張り出してくる制度(担い手)は、あってよいのではと思っています。
少なくとも、限られた人間との不自然なコミュニケーションだけが続くのは望ましいことではなく、子供についてしばしば言われるように「家族以外の良識ある多くの他者と接触する機会」を持たせることが望ましいと思います。
言動が不安定で暴力リスクを感じる方をどこかに長期隔離するようなものは、昔に保安処分制度という形で散々議論されたように賛成できるものではありませんが、通所的なものなら、精神科の保護入院制度のように、親族などの希望に応じて、ある程度の(緩やかな?)義務づけはあってもよいのではと思ったりもします。
もちろん、そのためには、なるべく平穏に家から連れ出す必要があり、暴力リスクのある方だと最後は警察云々の出番になるかもしれませんが、可能であれば、民間(地元)の屈強かつ良識ある有志による説得、といったような営みがあれば有り難いのでは、と感じています。
ひきこもり支援(就労対策など)を民間の「善意」に丸投げするようなことになってしまうと、良心的な支援者が本人の職場放棄や社内トラブルなどを抱えて疲弊したり、中には搾取などの問題が生じることもあるでしょうから、担い手支援や公的関与など透明性の確保を図る工夫が必要かとは思いますが、そうしたことも視野に入れて、取り組みや制度が深化するのを願っています。
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余談ながら、川崎市の事件では、被疑者が家庭環境に恵まれず養育先となった家庭で自身が公立小学校、養育先の同世代のお子さんが標的となった小学校に進学したとのことで、そのことが犯行動機に影響している(要は、不遇な少年時代の代償を求める趣旨で、その小学校の通学児童を標的に選んだ)のではないかと推測されるものとなっています。
この仕事をしていると、犯罪行為に及ぶ人の中には、長期に亘り不遇な日々を余儀なくされた方が、まるでその日常ないし人生の代償(いわば、その人にとっての「ハレの日」)を求めるような形で、たまたま社会の隙を見つけたときに犯罪に流されてしまうという光景を垣間見ることがあります(私が刑事弁護人として関わったのは、主として、凶悪な殺傷ではなく窃盗絡みの事件ですが)。
ですので、社会が許容・容認或いは(可能なら)歓迎できる形で、不遇感を余儀なくされる日々を過ごした(過ごしている)方に、人々に迷惑を掛けないまっとうな形での「ハレの日」(一部の成人式のように、人によっては多少の違和感や見苦しさなどがあったとしても、そうしたものへの寛容さを含めて)を提供できるように、社会側に様々な工夫や努力が求められるのではと思っています。