北奥法律事務所

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万引と弁償を繰り返すお爺さんとカレーメシ

先日、盛岡のランチパスポート期間が終わり、優雅な生活を望むべくもない身は、あっという間にカップラ昼食に墜ちています。

夏の「端境期」にもfacebook上で同じようなことを書いたら、友人に「カレーメシが上手いよ!」と勧められたのですが、その日の晩に接見した「スーパーで万引きをしたお爺さん」から被害弁償(万引品の代金全額)を届けて欲しいと頼まれたので、そのお店に支払に伺ったついでにお店に1個だけ残っていたカレーメシを買って帰りました。

で、12月になっても食べそびれていたので、先日、それなりに美味しくいただきました。

ちなみに、お爺さんは「被害弁償で不起訴になるはずだ」と強く述べていたのですが、前科多数の方で、残念ながら実刑判決で終了しました。過去の事件でも、同じように逮捕→すぐに弁償→でも前科あるので実刑、というパターンが繰り返されていたことを、起訴後の開示記録で知りました。

本件では、前刑出所後に貸室に入居し収入はもちろん家具も満足にないため出費を惜しんで、というのがご本人の言い分で、発覚時に弁償を申し出たもののお店が応じず通報され、前科などに照らして逮捕されるという経過を辿っていますが、ご本人の体調がよくなく、社会復帰できずに天寿を全うすることもあるかもしれません。

こうした事案に対しては、弁護人が不要だと感じる方もおられるようですが、私自身は、国選弁護制度(憲法37条3項後段)の目的は刑事処罰の法的適正に関する担保(審査・確認)であり、そのような理由から、罪に争いがなく示談などが困難な事案などでも弁護士が関与する意義があるものと理解しています。

もちろん、当事者ご本人がそうした法の趣旨・目的を理解しているか、或いは弁護人などに制度を逸脱する無理な要求をしていないかなどということは別問題で、時にはげんなりする思いを余儀なくされながら本人その他の関係者とのコミュニケーションをせざるを得ないこともそれなりにありますが、私がまだ修行が足りないから、そうした機会が訪れるのだろうと前向きに考え、今後もつとめたいと思っています。

妖怪ウォッチの新作映画とガンライザーの異同を踏まえて「あるべき次回作のシナリオ」を論ぜよ

当方では毎冬に映画接待を求める強硬な要求がなされるため、不本意ながら?これまで妖怪ウォッチの映画は全て引率せざるを得ず、今年は大至急の仕事がさほど多くなかったこともあり、公開初日に拝見しました。
http://www.eiga-yokai.jp/index.php

ただ、このシリーズは、毎回「かぞくやともだち(自分と価値観を共有する内輪社会)との意思疎通をだいじにしよう(だから、そんな大切な人々を困らせる悪い奴は倒そう)」以上のメッセージを読み取ることができず、つまらないなどと安易に申すつもりはありませんが、早送りさせて欲しいなぁと感じる面はあります。

今どき、毒気というか、子供から大人社会への風刺や異議申立などを含んだ(かつ、家族向けの売れるエンタメとして仕上がっている)作品というのは、なかなか世には出ないんでしょうかね・・

本作品と同様に「鬼と人との対決」をテーマとする「岩手のヒーロー」ことガンライザーは、鬼=縄文人、人=弥生人という暗喩があり「人が鬼を歴史の彼方に追いやったので、鬼が世界を取り戻すため攻めてくる。両者の血を引くガンライザーが、人と鬼の調和を伴う新たな世界の創造のため、時に迷い苦しみながら闘っている」というメッセージが見え隠れするので、その点では、多少は見応えがあります。

大人の立場からは「身内を守るため相手を撃滅する闘い」ばかり描くのではなく、主人公が異質な他者が自分達と衝突せざるを得ない背景にあるものを見抜いて撲滅以外の解決のあり方を模索するような物語も見せてやっていただければ、と思わないでもありません。

まあ、そんな話は昔だってウルトラセブンくらいで、後は似たような勧善懲悪話ばかりだったじゃないかと言われそうですが。

そもそも、鬼や妖怪=弥生人(現代日本人)との闘争に敗れて歴史に消えた古い縄文人の暗喩という発想は岩手の専売特許ではなく、鬼太郎こと水木しげる氏の出身地である山陰など、縄文文化の歴史が息づくとされる地方では、よく言われていることではないかと思います。

「妖怪ウォッチ」が数年前に社会現象になるほど爆発的にヒットした背景にも、弥生的な同質社会の行き詰まりというか「社会の向こう側」に潜む多様な異界の存在との接触を欲するようなメンタリティが社会内(子供達)に存する(存した)ことの表れとみるべきかもしれません。

そうであればこそ、妖怪ウォッチには、「異質な他者が織りなす世界との接触による現実世界の再構成」というコンセプトがあってよいのではと思いますが、これまでの映画を拝見する限り「自分達の社会の平和を乱す悪い妖怪を倒す」という弥生的世界観ばかりが目に付くように感じ、残念に思います。

そもそも「僕達を苦しめる悪い妖怪や鬼」を描くなら、それに匹敵する「悪い人間」も登場させないと、妖怪達にとって不公平だと思わざるを得ません。

そこで、これまでの映画の一貫したパターンである「主人公ら+善良な妖怪vs悪い妖怪」という構図ではなく、敵側に人間も含め、しかも「敵側にもそれなりの事情があり、その事情の解決も物語の課題に含まれる」という味付けもすれば、大人にも見応えのある作品が作れるのでは、と思ったりします。

例えば、来年に予定される次回作は、こんなストーリーでやってみてはどうでしょう。

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主人公ナツメの住む街で先日当選した若い市長Aは、市内の様々な問題を矢継ぎ早に解決して多くの市民から熱狂的な支持を受け、間もなく国政に進出し将来は国の指導者になるのではと目されていた。

しかし、Aには裏の顔があり、多くの人の心を操り秘密組織や特殊な装置を作って人類を草木などに変え太古の自然と妖怪の世界に戻すことを計画しており、その背後には強大な妖怪BがAに力を与えて協力し、それに賛同する妖怪達も多くいた。

やがて、Aの正体に気づいたナツメは仲間と共にAの野望を砕くため立ち上がり、妖怪達も双方の勢力に分かれて闘うことになった。すると、Aが子供時代は善良な心の持主で、善良な妖怪と心を通わせていたが、悪い人間のエゴでその妖怪が無残な目に遭い、人間に絶望して滅びを望んだこと、その善良な妖怪が人間への恨みの果てに姿を変えたのがBであることが分かった。

激しい闘いの最後にBは倒されて闇の世界に消え、善良な心を取り戻したAが残った。Aは「Bを救わなければ」との思いで、闇の世界に向かおうとする。それを某大物妖怪がサポートを買って出て、Aと一緒にBを救うための旅に出た。

ナツメ達はAやBのような者を再び生み出さないよう人と妖怪が互いに幸せに暮らせる善良な社会を作っていく決意を新たにするのであった・・

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まあ、そんな戯言の類はさておき、今回の主人公が過去に救助されたことがあるとの下りは、あまりにも某作品の「そのまんま」過ぎというか、M監督から抗議が来ないのだろうか?と余計なことを思いました。

以上、あれこれ書きましたが、私の読解力の問題もありそうですので、同じ接待業務に従事された方がおられれば、異なる視点などもご教示いただければ幸いです。

大谷選手の選ぶ道と「あれから1200年」

日ハムの大谷翔平選手のメジャーリーグ・エンゼルスへの入団報道については、最も高額な年俸が確実視されたヤンキースを選ばなかったことに対し、ニューヨークの地元紙などからは、「(岩手県奥州市という)人口の少ない田舎町の出身だから大都会を嫌がったのか」などと批判的というか中傷じみた「やっかみ記事」も出ているようです。
http://www.sankei.com/premium/news/171209/prm1712090007-n1.html

こうした記事に対しては、日本のメディア(特に、岩手日報など)は「小なる者の側に立って巨大勢力と戦うのがアテルイ以来、1200年の奥州市(胆江地方)そして岩手の伝統だ、くたばれヤンキース!」などとエールを送っていただきたいものです。

まあ、野球人としての生き方は、ご本人が諸般の事情をもとにお決めになるべきことですから、それこそ、エンゼルスで実績を挙げ、数年後はヤンキースで二刀流→現代のベーブルースと称される、といった展開になれば、それはそれで望ましいことだとは思いますが。

そうなったときは、今度は「1200年前の地元の英雄は残念な結末を遂げたが、現代では田村麻呂と共に京都(天下の中心)で大輪の花を咲かせるハッピーエンドになった」と語られることになるのかもしれません。

ともあれ、学生時代に読んだ「なんと孫六」なども懐かしみつつ、さらなるご活躍を期待しています。

盛岡の新興市街地に棲む「どんぐりの森のトトロ」

私が所属する盛岡北ロータリークラブでは、10年ほど前から盛岡市の子ども科学館の近くの市有地を借りて「どんぐりの森」という植樹事業を営んでいます。
http://d2520mn.cneti.ne.jp/donguri.html

今年の10月に現地視察の会合に参加した際、いつもの如く他の会員の方々とは離れて単独行動で森の奥の藪をウロウロしていたところ、よい子には赤いナントカが現れるというか、赤顔で真っ黒な姿のキジが突如出現し、スタタタターっと駆け抜けていきました。

1年半前の冬にも、実家の放置された畑の跡地でキジが藪にできた小さな空間の奥に去って行く姿を見たことがありますが、何度見てもトトロの光景を思い浮かべてしまいます。

いっそ「どんぐりの森」を拡大してキジ公園のようなものを作ってもよいのではと思わないでもありませんが、それはさておき、キジを見たい盛岡市民の方は、トトロの森、もといドングリの森へGOということでお願いします。

余談ながら私の実家では、かつて狩猟をなさる方(父が経営する会社の従業員さん)が冬になるとキジを毎年お届け下さり、冬期間は必ずキジそばを食べていました。

私自身は、蕎麦はキジ出汁でいただくのが最も美味だと思っていますが、岩手県内でもほとんど提供するお店がなく(私の知る限り「藪川そば」だけですが、何年も前にいただいた際には、実家のそれに比べ、あまり出汁が出ていませんでした)、残念に思っています。

宮崎監督(個の解放)と庵野監督(暴走そして社会への収斂)という「平成の風景」

11月に「シン・ゴジラ」がテレビ放送していたので、1年3ヶ月前に映画館で拝見して以来、久しぶりにチラ見すると共に、映画の鑑賞時に書いた文章を読み返しましたが、今回感じたのは、こうした「大組織に属する人々が巨大な災禍を克服するため力を合わせて闘う物語」は、宮崎監督なら絶対に作らないだろうな、という点でした。

映画評論できるほどの力はありませんが、ジブリ作品は個人が組織などの巨大な力からどれほど自由に生きることができるかがテーマになっているとの印象を受ける作品が多いと感じますし、それは、宮崎監督が「あの戦争」に象徴される滅私奉公(全体主義)を嫌悪・敵視していることが背景にあるのだろうと思います。

これに対し、エヴァンゲリオンも、シン・ゴジラも(「トップをねらえ」も?)、異端児たちが組織の中で自分だけが発揮できる力を生かして巨大な災厄を克服することが重視され、その過程の中で、厄介な自我を抱えた個人が内省を深める面はあるにせよ、組織から個人が解放されることはテーマにはなっていないように思われます(「ナディア」は見たことがないので分かりません)。

陳腐な言い方をすれば、昭和=個性が組織にすり潰されていた右倣えの時代の終わりに個人の解放を説いたのが宮崎監督で、平成=組織から多少は自由になったけれど、「こんなに変な私」の価値が皆に理解されたわけでもなく、かえって身の置き場を無くした時代の中で、「私だけが発揮できる力」を社会に還元して居場所を作る道を示したのが庵野監督、という見方もできるのかもしれません。

そういう意味では、庵野作品のテーマは、平成前期に「ニセ学生マニュアル」や小林よしのり氏との関わりなどで注目された浅羽通明氏の言説に近接するような気もします(当時は大学生でしたので、浅羽氏の本はよく読んでいました)。

それが時代の関心事だったなどと雑な括りをするのは愚かなのでしょうが、ともあれ個人が社会に収斂される物語へのニーズはまだ続くのか、また、次の時代に人々が必要とするテーマはどのようなものか(例えば、「そんな私が現実社会の仕組みや人々の意識を変えていく物語」が、メジャー作品として取り上げられることもあるのだろうか)、などという不毛な問いに縋ろうとするメンタリティが、まだ自分にも残っているのかもしれません。

演説きたりて弁骨枯る

日本の民事裁判(法廷)は、事案の争点に即した良質な主張書面を提出することが大事で、法廷で長々と自身の主張を述べることは求められていないのですが、民事訴訟法の本来の原則が口頭重視ということもあり、市民運動的なものが絡む事案やメディアの注目度が高い事案では、当事者(主に原告)が意見陳述を求めることがあります。

通常は当事者ご本人が意見を5~10分ほど述べ、実施されるのも第1回期日(と結審時)くらいというのが、普通の弁護士の感覚と思われます。もちろん、ご家族が非業の死を遂げたケースのように当事者に裁判官に思いの丈を伝えたい強いお気持ちがある事案(そのような心情がもっともだと思えるほどの事情のある事案)では、その種のやりとりがなされることは十分に意義があることだと思います。

が、先日結審した某大型事件(当方は被告)では、原告数が非常に多いせいもあるのか、尋問の期日を除き、ほとんど全部の期日、ご本人(期日ごとに毎回交代)と代理人の一方又は双方が意見陳述を求め、結審の際も代理人が5分ほど陳述なさっていました。

毎回、対岸でじっと聞かなければならない身としては、机上の訴訟記録に視線を向けて「皆さん(特に代理人)には他に主張立証や検討すべき事柄があるのでは」と感じる面もないわけではありませんが、演説自体は訴訟の本質・争点に照らした内容の当否はともかく自信と熱意にあふれた威風堂々としたもので、そうした「多くの人を巻き込んで起こす事件」を担当される弁護士さんにとっては、その種のパフォーマンス能力(や当事者のための舞台づくり)も不可欠なのかもしれません。

それらを毎回認める裁判所も相応のお考えがあってのことでしょうし、こんな法廷(指揮)もあるのかと興味深く感じましたが、この種の訴訟を受任したこと自体が初めてということもあり、謙虚な?姿勢を大切に拝見し続けたというのが正直なところです。

結審の少し前、書記官から「被告もご希望ならどうぞ」との連絡を受けたのですが、「依頼主からそこまでの料金を貰っていません」と、丁重にお断りしました。さすがに「タイムチャージ計算で当事務所はじまって以来の大赤字事件なので、そこまでコキ使われるのは嫌です」とは言いませんでしたが。

で、依頼主(ご担当)へのメールで、その話をお伝えすると共に、

「もし私にも演説して欲しいとのことでしたら、お申し出ください(どうせ演説するなら御社トップの方に・・おっと誰か来たようです)」

と軽妙なトークをかましたのですが、ご担当からは、一言、

「演説→不要です」と、簡潔なコメントをいただきました。

負けたら地域の重要産業に大変な混乱が生じますので、責任重大なのですが、来たるべき判決期日では、当方の希望するご判断をいただき「○○功なりて弁骨枯る」と軽口の一つも叩いて我が身を慰めたいものです。

余談ですが、原告代理人の若い先生は、久保利先生のネクタイに対抗するのだろうかと思わずにはいられない真っ青なスーツをお召しになることが多く、拝見する都度、「海が絡む事件だから、それを勝負服にしたのですか」とお尋ねしたい衝動に駆られるのですが、残念ながら今回も聞きそびれてしまいました(さすがに「ブルー卿と呼ばれることはありませんか?」などと聞くことはできないでしょうけど・・)。

その事件では、岩手の平和のため?経済的に報われない悲哀にもめげずに頑張っているところではありますが、そんな背中を誰かにご覧いただいているのか、幸い、今年は過分な報酬をいただける事案(と数年かかった事件の報酬をようやく頂戴した事案)も幾つかあり、どうにか年越しができそうです。

今回の総選挙の雑感少々

希望の党の失速に象徴されるように、全体として盛り上がりに欠ける印象の否めない今回の総選挙ですが、岩手のノンポリ無党派層としては、今回も、「県内の候補者の方が比例で何人当選できるか=岩手(出身)の国会議員さんが計何人になるか(前々回のように東北他県の候補者の方々を押しのけて計8名も当選するような奇跡?の再現はないのか)」といった程度のことしか、地元での投票行動・結果報道に関する楽しみがありません。

以前にも書いたことではありますが、「地元マスコミ」が県単位で区分されている我が国では、岩手に限らず、県内のニュース(TV・新聞)では、他県の候補者に関する報道は皆無と言ってよい反面、県内の他選挙区の候補者に関する報道は自分の選挙区と同等と言ってよい報道がなされるので、自分の選挙区ではなく県内の他候補に投票したいという方は、潜在的には多くいるのではないかと思います。

また、現在は昔と比べて「盛岡に住んで県北や県南に通っている(又はその逆)」という人は多いでしょうから、「居住地ではなく勤務地の人に投票したい」などという方はそれなりにおられるでしょうし、今回の選挙では、とりわけ「自分の選挙区には自分の支持政党が候補を出していない」などと不満を感じている人は少なくないはずです。

ですので、「選挙区は県単位にする(今回であれば、岩手選挙区は当選者3人)」という公約を掲げる候補がいれば、相応に支持を得るのではと思わないこともありません。

各種議員さんの残念なニュースが出るたび、選挙制度や議員資格(待遇など)に関する制度改革の議論がなされることを期待しているのですが、そうした気運が生じてこないことは残念です。

それはさておき、今回も自民圧勝という展開に代わりなさそうですが、鎌倉倒幕を目指した後醍醐天皇らは、幕府の弾圧による度重なる挫折を乗り越えて大願成就を果たして?いますので、どの勢力を支持するかはさておき、本気で現在の政治状況を変えたいとのことでしたら、めげずに頑張っていただきたいものです。

石川知裕・もと衆院議員の捲土重来と奥様のご健闘を願って

今年の4月頃、陸山会事件で一世を風靡した石川知裕・もと衆院議員が、現在携わっているお仕事の関係で盛岡に用事があるとのことで、少しばかり当事務所に立ち寄って行かれました(アポ無しだったので、たまたま在室し来客もなく幸いでした)。

隠すような話でもありませんが、彼は函館ラ・サール高校1学年の同級生で、入学時には(席替えの記憶がないので1年間ずっと?)、私の斜め少し前の席に座っており、相応に仲良くさせていただいていました。

やんちゃ者ではありましたが、当時から「人の心を掴むコーディネーター的なリーダーシップ」には格段に秀でており、同学年の中でも特に豊富な人脈と人望を築いていた方の一人だと認識しています。

1年次の学園祭にはクラスの有志5人くらいでバンド風のパフォーマンスでブルーハーツの替え歌を披露し、「女子校に向かって走る~あの列車に乗って行こう~」と歌って会場を沸かせていたのをよく覚えています。

同期内では2年次の妖怪人間の方が有名ですが、クラスが違ったせいか私は拝見し損ねたようで、ステージ終了後にベラ?の姿(全身緑色ながら割烹着姿だったような・・)でその辺を歩いていたのを見たかもしれないという記憶が微かにある程度です。

入学直後も、すぐに私が座っていた座席の周辺の男ども(6~7人くらい)のまとめ役的な感じになり、担任の先生の指示でクラスの「なんとか委員(係)」を決める際、何かの委員にすぐに立候補すると共に私を含むその面々にも「みんな何か一役やろうぜ」と声を掛け、隅っこで小さくなっていた私も彼のおかげで何かの係をやっていた記憶であり、そうした力を天性に持って生まれた人なのだろうと感じています。

私自身は高校卒業後は彼とは全く接点がなく、彼が初めて国会議員になった(繰り上げ当選)報道を見た際に、大変驚いたのを覚えています。その後も、残念ながらお会いできる機会はなく、陸山会事件で時の人になった際にも、報道でお名前を拝見するのみでした(この業界に身を置く者として、多忙を言い訳にせず、激励の手紙の1つでも出すべきだったのではと忸怩たるものがありますが)。

石川議員が在職中であった平成23年の春か夏頃、彼が小沢一郎氏の秘書として平成10年前後に岩手に居住していたこともあってか、沿岸各地に視察に訪れ、そのついでに被災地支援に取り組む地元弁護士の取り組みを聞きたいということで当事務所にお立ち寄りいただいたことがあり、それが高校卒業以来の再会となりました。

はっきりとは覚えていませんが、同級生で新聞記者をしている方(岩手支局に赴任経験があり少しだけ話をしたことがありました)がいて、その方から私が岩手で弁護士をしていることを聞いたと、来訪を告げる電話で告げられたような記憶です。

後日、お礼とご挨拶(及びご著書へのサインのおねだり)を兼ねて、その年に日弁連の関係で上京した際、1度、お言葉に甘えて議員会館を表敬訪問させていただいたことがあります。もちろん、議員会館なんて一生に1度も行く機会はないだろうから冥土のみやげにという下心があったことは申すまでもありません。

その後は、都内で行われた彼の結婚披露宴に呼んでいただいたことはあったものの(同期が在京の方を中心に30~40人ほど集まっていました。ご夫婦のスピーチも見事でしたが、小沢氏、鈴木宗男氏、佐藤優氏のスピーチや松山千春氏の歌声など、非常に中身の濃いエンターティナー性に溢れた式でした)、その後は接点もなく現在に至っていたというのが正直なところです。

今回は目的地に赴くついでに久しぶりに顔を見に来たとのことで、少しばかり雑談をした程度でしたが、捲土重来を期して努力を積み重ねている様子は伝わりましたし、高校時代のささやかな思い出に照らしても、然るべき形で多くの方の期待と信頼を集めて相応の舞台に戻ってくるのだろうと確信していますので、遠い岩手の地からではありますが今後も応援を続けていきたいと思います。

1年のときの国語の授業の際、雑談好きで見識の深い担当の先生と彼が何か話をしている途中で、彼のご家族(お父さん?)が町議会議員など政治に関わる仕事をしていて、その関係で彼も政治の世界に思い入れがあるという話をしていたのを聞いた記憶があります。

私も、祖父が1期のみとはいえ岩手県議会議員をしていましたので、彼の話を覚えているのかもしれませんが、反面、私は亡父から祖父が選挙に関わったせいで実家は酷い目にあった、我が家は選挙は御法度だ、という話を何度も聞かされ、私自身、その呪いのせいか?人望が全くなく集団内では常に小さく黙っている「政治家(リーダー)に適性がない人間の典型」というキャラに育ちましたので、政治の世界に挑んで頑張っている石川君には、憧憬という言葉だけでは表現し尽くせない特別な感慨を抱く面があるのかもしれません。

恥ずかしながら私にはオバマ大統領の当選を支えたルース大使のような貢献はできそうにありませんが(日本でも自民党の高村副総裁を地元で支えた中央大の大先輩がおられます)、せめて、自分より才能豊かな方が凄まじい努力をしているのに、それに匹敵する努力をしなければ我が身を嘆く資格もないという受験生時代の気持ちを忘れず、彼の圧倒的な努力に負けずに精進し続けたいと思っています。

今回は、陸山会事件に基づく立候補の制限期間の満了直前の選挙になり残念ですが、奥様も結婚式の際、ご自身のご家庭が辿った数奇な運命を交えつつ「東京地検特捜部が私たちを巡り合わせ、結婚させてくれたのだと(今は前向きに)考えています!」と情熱的なスピーチをなさっていましたので、来る選挙当日をはじめ、今後もご夫婦二人三脚での日本や十勝地方へのご貢献と大願成就を祈念しています。

しぼむ希望と無党派層の自暴自棄

総選挙前に唐突に発足した「希望の党」は、小池代表の描く新たな政治勢力のビジョンが固まっていないせいか、人材不足のためか、はたまた排除云々のやりとりが顰蹙を買ったからか分かりませんが、ともかく失速する一方で、「政治権力の担い手が流動化することで社会が活性化すること」を期待しているノンポリ無党派層としては、残念に感じています。

先日、「ドクターX」の第1回をチラ見しましたが、せっかくご自身がネタにされているのですから、小池氏も「(大連立は)ございません」ではなく「いたしません」と仰っていただいた方が、世間ウケしたのではなどと、下らないことばかり考えてしまいます。
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2017/news2/20171013-OYT1T50113.html?from=ytop_main2

報道をチラ見する限りでは、無党派層の心を揺さぶるようなメッセージが近時はあまり伝わってこないので、パロディくらいしか楽しみがない、という感覚になっているのかもしれませんが。

小沢代表(民主党)が福田首相と大連立構想を目指した際「党内の若手連中に与党内で雑巾掛けの苦労をさせ経験を積ませるため」と仰っていましたが、その後の展開を考えると実現しても良かったのではとも思っており、今回も、9条改憲のような展開ではなく永田町の流動化(ぶっ壊す)に繋がるような形になるのであれば、総選挙後に自希連立という展開もあってよいのではと思わないでもありません。

その頃にはメディアで「そんなの自暴自希だ」と悪口を言い出す人が生じるのかもしれませんが、それ以前に、総選挙前と同様の自民大勝が予測されると共に、自民独占の構図を作ってまで実現しなければならない政治課題が現在の社会に生じているのか疑問もあり、このままではノンポリ無党派層には自暴自棄的な投票行動しかできそうにないように思われ、残念に感じてしまいます。

ちなみに、私は改憲を否定する立場ではありませんが、もし行うのであれば、これまでも何度かブログで書いたとおり、現行憲法が取りこぼしている価値などについて広範な社会的議論を行い、「新しい国づくり」をする気概が社会にみなぎった状態でなされるべきではと考えており、少なくとも現在、安倍首相が提唱しているような「9条に自衛隊を明記するだけの改憲」には反対です

「自衛権」の明記自体には特に抵抗感はありませんが(「隊」は国家行政機構の一部門でしょうから明記は不要ないし不適切だと思います)、現時点では必要性を感じていませんし、どうしても行うのであれば、統治機構など(主に立法・行政部門)の再検討を含む他の大きな改正とセットにして行うべきで、自衛隊だけをクローズアップさせるような改正の仕方は、あたかも「冷戦激化に伴うGHQの方向転換と逆コース」の一環として警察予備隊の創設がなされた光景に類するように思われ、社会に適切ではないメッセージを発することに繋がりかねないように感じています。

町弁が遠野に来たりてエセ歌人

突然の解散に伴う今回の総選挙では、野党の元首相や代表経験者の方々が無所属で立候補されるとのことですが、いっそ、民主党のシンボルカラーも踏まえて、「REDの会(Retired Extremely Dangerous)」を結成なさってはいかがかと思わないでもありません。

それはさておき、先日は、破産管財人を受任している企業倒産の事件の関係で数ヶ月ぶりに遠野支部(裁判所)に行きましたが、宮守ICまでの単調な山道を抜けて遠野盆地(綾織地区)が山あいに開けてくる光景は、いつ見ても清々しく感じます。

小雨交じりの曇天ではありましたが、青空や紅葉などの彩りがなく山に囲まれた刈り取り前の稲穂の眩しさだけが引き立つ光景も味わいがあるものだと思いました。そんなわけで、毎度の一句。

山里の秋雨照らす黄金いろ

遠野支部には、昨年10月から3~4ヶ月に1回の頻度で通っているのですが、岩手に戻って12年以上になるのに、どういうわけか遠野支部だけはほとんど縁がない状態が続いていました。

そうしたこともあり、昨年10月に赴いた際は、折角だからと鍋倉公園の頂上まで登ったのですが、城下にひろがる遠野市街と澄んだ青空に目を向けつつ、管財事件の当事者となった企業の関係者の方々の様々な事情や心情について思いを馳せる面がありました。

城あとは閑かな遠野の里の秋 喜怒哀楽を空に残して

2月や6月に赴いた際は、遠野支部では5分程度のやりとりをしただけで、仕事の関係ですぐに盛岡に戻ったのですが、せめてものということで、「とおの物語館」と近くを流れる小川の周辺を散策して帰りました。

今日もまた とんぼ帰りの遠野支部 川でキュウリを冷やす間もなく

そんなわけで、遠野に来ると一句(一首)作って帰りたがる習癖があるようですが、肝心の受任事件も仕事自体は大過なく進めることができていますので、歌人としては三流以下の素人でも、法律実務家としては相応の成果をあげて、関係者の方に「貴方に頼んで(貴方に関わってもらって)良かった」と思っていただけるよう努めてまいりたいと思います。