北奥法律事務所

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その他

ロータリアンとランパス兄さん

少し前の週の金曜日のことですが、11時半の法廷のあと一人で昼食をとることになり、無性に蕎麦が食べたくなったのですが、昨年頃から盛岡でも頻繁に出回るようになった「ランチパスポート」に骨の髄まで依存しているため、市街地で蕎麦が対象となっている数少ない店舗の一つである川徳デパートの「北の蕎麦屋」さんに向かいました。

人気店のせいか行列状態で待っていると、同業のH先生がエスタブリッシュな雰囲気で颯爽と横切っていったので、ああそうかと、隣(ロイヤルホール)で盛岡ロータリークラブの例会が行われることに気づきました。

その瞬間、「面識のある会員の方に見つかったらやだな~」と、北の蕎麦屋を諦めて、並ばずに済む他店に移動することも考えましたが、蕎麦が食べたいとの欲求に勝てず、そのままお店の前で座って待っていました。やはりというか、目の前には、盛岡経済界を代表していそうな顔立ちの紳士の方々が、次々と現れては談笑しながら隣に吸い込まれていくのが見えました。

そうした光景を横目にランパス亡者道を突き進む我が身(ちなみに、その週の利用は4回目)を顧みると、彼我の身分差を感じて悲しくならないでもありませんでしたが、さすがにお店では20分も待った甲斐があり、500円で十二分に美味しくいただきました。

お店前の椅子では存じている方に見つからないようにコソコソ隠れていたつもりでしたが、お世話になっている税理士のS先生に「見ぃつけた!」と言わんばかりの屈託のない笑顔で声を掛けていただきました。残念ながら私が「今日は見なかったことにして下さい」と目力一杯に訴えていたのは伝わらなかったようです。

私も某RCの端くれ会員として水曜には分不相応の食事をいただいていますので、例会だと気づいた瞬間にお店の順番の書き込みを削除し、盛岡RCに4倍のお金(2000円)を払って例会に飛び入り参加(メーキャップ)しようと気軽に決意できる身分になりたいものですが、筋金入りの貧乏性体質のため、その日を迎える前に寿命に追いつかれてしまいそうです。

「魔女のパン屋さん」の盛岡降臨と麺サミットに忘れ去られた南部はっと鍋、そして北東北の粉もん文化

大食い番組ファンやTVチャンピオンのファンの方なら、「魔女」の称号で親しまれた盛岡の主婦・菅原初代さんはご存知だと思いますが、先日の岩手日報で、岩手大学の近くに菅原さんが12月にパン屋さんを開店するとの記事が出ていました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20161118_1

記事の「試作」の文字を見て「試食」の読み違えではと思った人は私だけではないでしょうが、それはさておき、原敬や新渡戸稲造は知らないが菅原さんは知っているという日本国民は多数おられるでしょうから、ご本人もさることながら、盛岡の新名所として多くの方々に盛り上げていただければと思います。

ところで、パンと並ぶ粉食文化と言えば、ラーメン、蕎麦、饂飩などの麺類でしょうが、11月上旬に盛岡で「麺サミット」なるイベントが開催されていました。残念ながら家族が関心を示さず私も首が廻らなかったため食べに行けなかったのですが、「盛岡三大麺」と称される、冷麺・じゃじゃ麺・わんこそばの著名店の店主さん達が地元メディアに多く露出するなど、それなりに盛り上がっていたようです。
http://www.mensummit.jp/

ただ、そうした光景を見て何か物足りないなぁと感じながら街を自転車で横切っていたところ、ある郷土料理の飲食店で「南部はっと鍋」の看板が出ているのに気づきました。

かつて、盛岡市内では「三大麺」だけでなく、南部はっと鍋も加えて「四大麺」と称したり、最近では、これに地元産の小麦を用いた「南部生パスタ」を含めて「五大麺」だと標榜するキャンペーンがありましたが、今では双方とも忘れられつつあるのが現実ではないかと思われます。5年ほど前に、この件に関心を持って調べたことがあり、その際は、「四大麺」を喧伝するサイトは幾つかあったような記憶ですが、今は見る影もありません。
http://kanmado.com/article/14725932.html
http://tabijikan.jp/2014/05/27/2256/

ただ、地元産の食材を用いているだけで料理そのものに他地域にない独自色があるとは思えない「生パスタ」はまだしも、南部はっと鍋については、地元の山海の食材と一緒にいただくものですので、もっと地域内で盛り上げる努力があっても良いのでは?と疑問に感じないでもありません。

とりわけ、南部はっと鍋の誕生について調べてみると、1987年(昭和62年)に岩手生めん協同組合が開発・提案して市内の著名な飲食店に推奨した商品なのだそうで、そのような開発経緯は1986年(昭和61年)に盛岡で第1回麺サミットが開催されたことと、何か関係があるのでは(第1回麺サミットに触発されて地元関係者が開発したのでは?)と推測せざるを得ません。
http://i-namamen.com/profile.html
http://morioka.keizai.biz/headline/2061/

だとすれば、聞くところでは、「盛岡冷麺(特に、ぴょんぴょん舎)」が盛岡で最も著名な(今では東京進出等もなさっている)お店になった端緒が第1回麺サミットにあると言われているのに対し、同じ時期に生まれた「南部はっと鍋」は、「あれから30年」を経て、まるで好対照をなすかのように明暗を分けたわけで、ぜひ、サミットで「南部はっと鍋」の総括や再生を考えて欲しかったように思います。

とりわけ、蕎麦はともかく、盛岡冷麺やじゃじゃ麺は大戦前後の事情により盛岡に移住した朝鮮半島出身の方や大陸から引き揚げた方が創出した食べ物で、北東北の粉食文化の歴史にとっては新参者と言ってよいはずです。

そして、言うまでも無いことですが、北東北は、もともと戦前までは技術的に稲作が難しかった関係で粉食文化の盛んな土地で、いわゆる蕎麦に限らず、はっと、ひっつみ、かっけ(蕎麦・麦)など、地味ながら多様な料理が作られてきた土地であり、その根底には、縄文の粉食文化(木の実をすり潰して食べていたこと)があるのではとも考えられます(盛岡は中華麺でも都道府県所在地統計では消費量全国トップクラスとされ、その背景にも粉食文化の歴史があると見るべきなのでしょう)。

そんな訳ですので、新興勢力を敵視するわけではありませんが、従来勢力にも、伝統スタイルであれ新たな調理法の提案であれ、頑張っていただかないと(或いは、従来勢力も盛り上げるような関係者のご尽力がないと)地域の歴史、文化のあり方という観点に照らしても、寂しいものがあると言わざるを得ません。

そうしたことを通じて、麺に限らずパンを含めた様々な粉食の融合と新たな食文化の発信が、北東北の地から盛んになってくれればと思います。

米国も、なんだかんだ言われながらも二大政党による政権交代の文化が今も続いているように、盛岡の「B級グルメ文化」も、冷麺・じゃじゃ麺(商売熱心な新興勢力=民主党)だけで良しとするのでなく、従来勢力(共和党のラストベルトっぽい面々?)にも光をあてる営みを盛んにしていただけないかと、子供の頃からひっつみ(や金次屋の中華そば)を好んで食べて育った私としては願うばかりです。そんなわけで一句。

推しメンを 忘れた街で はっとする

余談ながら、冒頭の菅原さんが世間で活躍なさったり、こうしてお店を開店された背景にも、ご家族など周囲の様々な支えがあったものと思われます。

この仕事を通じて女性のパワーを感じる機会に恵まれる?身としては、「女性活躍」などと政府がキャンペーンするまでもなく、男女とも末永く様々な形で輝くことができる社会のあり方を構築する努力が、現代では特に問われているのだと感じていますが、そんなことを思いつつ、当家のサステナビリティを願って一首。

古女房 はっと気づいた有り難み そばで盛り立て かっけ~姿を

しかし、現実は、あの日が近づくたびに恐怖するのが正直なところです。

誕生日 はっとする頬 ひっつねる 

ちなみに、末尾の写真は、引用のブログでも掲載している、私の実家で作ったひっつみの画像です。

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スーパードクターXvsへっぽこロイヤーZ、そして家政婦ならぬ町弁が見た「リアル御意軍団」の顛末

米倉涼子氏主演の「ドクターX」は、家族の強い希望により、私もシリーズ第1回からほぼ全てビデオ録画して深夜に一緒に拝見しています。

あれこれ申すまでもなく、主人公の一挙手一投足が主役として華がある(キャラが立っている)ため、その点では見応えがありますが、ストーリーという点で言えば、勧善懲悪バリバリというか、「正義と正義の対決」という構成ではないため、後者のような物語を好む私としては、もう勘弁してというのが正直なところです。

熱心なファンの方のコメントによれば、ストーリーではなく様式美を楽しむ作品とのことで、そうした意味では現代の水戸黄門と言って良いのかもしれません。私は幼年期に祖母と一緒に「水戸黄門」や「江戸を斬る」など(TBSの午後8時のシリーズ)を見ており、今も昔もその種の物語を好む女性が多いのだろうかと感じたりもします。

そう考えていると、水戸黄門を見ていた頃(物心つく前後)に「乾いた町の か~たすみぃ~で~」という歌で始まるインパクトの強い時代劇があったのを思い出したので、ネットで調べたところ、杉良太郎氏の主演で同氏の代表作の一つとされる「新五捕物帳」という番組(テーマ曲は「江戸の黒豹」)であることが分かりました。

で、オープニングテーマ映像などを改めて拝聴したところ、「杉サマ」の男の色気全開(しかも勧善懲悪型のハードボイルド時代劇)という感じの番組で、水戸黄門よりこちらの方が「昔版・ドクターX」という感じがします。そう考えると、双方のテーマ曲の雰囲気も、微妙に似ているような感じがしないこともありません(米倉氏も「黒豹」という形容がよく似合います)。

それはさておき、ドクターXというドラマは大病院を舞台にした番組ですが、登場する医師達の醜態を見ていると、いくらなんでも現実の医師や医療とはかけ離れているだろう(現実の医療を批判ないし風刺することを目的とした医療ドラマではなく、番組の本当の意図ないしメッセージは別のところにあるのだろう)と感じるのは、私だけではないだろうと思います。

言い換えれば、この番組が人気があるのは、「医療ドラマ」だからではなく、病院組織を素材にしつつ、大衆(熱烈ファンである女性などの層)のニーズがある別のテーマを描いて(風刺して)いるからではないかと思います。

ありふれたコメントかもしれませんが、視聴者である、自分が帰属する社会(ムラ)の中にいる、少し孤独な「あたし」は現実の中では多少とも不遇な目に遭っていると感じ、心の底で「本当の凄いあたし」の具現化を求め、その気持ちを一匹狼のスーパードクターである(が決して偉くならない)大門医師に投影している、だからこそ、敵役は「残念なあたし」の周囲に現実にいる(と視聴者が感じている)「残念なオトコ共」で構成されているのではないか、要するに、メインターゲットたる視聴者女性が感じている閉塞感を体現する現実の企業その他のムラ社会への風刺やカタルシスなどがテーマになっているのだろうというのが、雑駁とした感想です。

また、杉サマのドラマ=新五捕物帳(主人公の活躍だけでは解決できない当時の社会悪を描くことが多かったようです)との違いとして、視聴者のニーズの違いもさることながら、当時は戦後の混乱期などに生じた多くの庶民の悲惨な出来事の記憶がまだ残っていた時代であるのに対し、今はそうした話は滅多に聞かなくなってきたことも関係していると考えてよいかもしれません。

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ところで、このドラマは男性医師陣の見苦しい「御意」っぷりが名物になっていますが、権力者に群がる腰巾着的な臭いのする方々というものであれば、私もそれらしい光景を見たことがないわけではありません。

東京時代の経験ですが、勤務先のボスが、ある大物政治家の方(当時、ある巨大自治体の首長をなさっていました)と懇意にしており、2度ほど、その方との食事会に参加させていただいたことがあります。

で、2回目の会食のとき、秘書又は自治体の幹部職員(だったか)の方々が沢山いらしていたのですが、その方々の様子が、いささか御意軍団っぽいところがありました。

少し具体的に言うと、その方(A氏)と私がお仕えしたボスは同じ年代で、昔からの仲良しだそうなのですが、お二人ともご高齢で酒量を控えなければならないせいか?、A氏の「部下」の方々(6~7人くらい)が、まだ「駆け出し(に毛が生えた程度)」のキャリアに過ぎない私や兄弁の席に次々にお酒を注ぎにいらして、ちょっとしたヨイショ言動も交えつつ、杯をいくら明けても(或いは、もうこれ以上は勘弁して下さいと何度もお伝えしても)一向に解放してくれず、囲むようにしてお酒(私には分不相応の高級中華料理店でしたので、紹興酒)を延々と注がれ続け、ようやく終わった頃には私も兄弁も、ほぼ泥酔状態で参りましたという感じでした。

このような展開になったのは、前振りとして、ボスやA氏が「自分達は多くは飲めないから、二人に飲ませてやって欲しい」と仰っていたためと記憶していますが、以前からA氏関連の仕事をボスから指示を受けて多少は担当していた兄弁はまだしも、A氏絡みの仕事にはほとんど関わったことのない私にまで揃いも揃って過剰なまでに恭しいへりくだった態度で、率直に言って奇異というか異様に感じました。

そのため「私なんぞにこんな接し方をする理由はないのに敢えてそうするのは、ボスがA氏と懇意にしているからだろうけど、この様子では、この人達は恐らく普段もA氏の腰巾着として振る舞っているのだろう、でも、そんな人ばかり周囲に集めて、A氏は政治家として大丈夫だろうか?」と感じずにはいられない面がありました。

もちろん、下っ端駆け出しに過ぎない私としては、そのような「ヨイショ酒盛り」なんかより、その方々が政治家の秘書や自治体幹部としてA氏や自治体の運営をどのように支え、どのようなことに苦労・苦悩してきたのかという「異業種の先輩実務家としての骨太な話」こそ拝聴したかったわけですが、その方々からは、残念ながらそのような話が聞けるような雰囲気ではない(その際の様子だけで言えば、率直に言って薄っぺらい)との印象がありました。

で、そうした土壌にこそ悪い芽が育つというべきなのか、それから程なくして、A氏自身ではないもののA氏の周辺で大きな問題が発覚し、一大刑事事件に発展しました。事務所で一番下っ端の私は関わる機会はなく、ボスと兄弁、私と入れ替わりで独立した元兄弁(とてつもなく優秀な方で、業界内でも玄人筋に相応の知名度があります)のほか、特捜出身のヤメ検の先生がサポートに入るなどしてA氏自身に不当に累が及ばないよう様々な協議、対応をしていたようで、結論として、A氏は監督責任をとって辞任・引退を余儀なくされたものの、ご自身が不正行為に手を染めていないことを理由に、刑事事件で摘発されることはありませんでした。

お名前を出すことはできませんが(思い当たる人がいるという方も私には言わないで下さい)、昭和の政治史で相応の役割を発揮された大物政治家であり、功績や経歴、ご本人のお人柄などに照らしても、政治家としては非常に残念な最期を迎えたことになります。

私自身は、上記の食事会でお会いした「A氏のスタッフ」の方々と再会する機会は全くありませんでしたが、兄弁からは「あの人達は宴会のときはああだったが、昼間の仕事ぶりは全然違うぞ」とか「A氏が辛い思いをしているときにこそ熱心に支えていた」いうような話は聞いていませんので、推して知るべしなのかもしれません。

そうした光景をボスがどのように感じていたのか、一度伺いたかったものの、私にとっても畏れ多いボスだったせいか、そうしたことをお尋ねする機会も得られないまま勤務先を離れて岩手に戻り、今はボスも天に召されてしまいました。

今にして思えば、その食事会で部下の方々がヨイショモードだったのは、その後の展開(事件発覚とボスへの依頼が不可避であること)を見越してのことだったのかもしれませんが、そのことも知る術がありません。

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ところで、私自身は良くも悪くも零細事務所を一人で経営する一匹狼の孤独な弁護士ですので(事務局の助力等は日々享受していますが)、能力云々はさておき、大門医師の生き様を見ていると自分と重なる面を感じることがないわけではありません(メロンはもちろんのこと高額報酬にも今はほとんどご縁がありませんが)。

ですので、徹夜で重い起案をこなした後の早朝の朝日を浴びたときなどに、思わずテーマ曲が口笛に出てくることもないわけではありませんが、私がオープニングのナレーションを真似するとすれば、こんな感じになるでしょうか。

これは一匹狼の弁護士の話である。
 
司法改革で弁護士業界の秩序は崩壊し、
社会正義のやりとりをする法曹界もついに弱肉強食の時代に突入した。

その危機的な法律実務の穴埋めに現れたのが
フリーランス、すなわち、一匹狼の町弁である。

たとえば、この男。 群れに馴染めず、
権威にも、束縛する権力者にもご縁がなく。

司法試験のライセンスと叩き上げのスキルだけが奴の武器だ。
弁護士、小保内義和。またの名を、ロイヤーZ???

・・・ジャンプ漫画の真似なら余所でやってくださいとか、どこで売ってるドリンク剤ですかとか、アンドロイド山田の間違いでしょ、などといったコメントは謹んで遠慮させていただきます。

「義・支援金が家庭を壊す光景」と養育費不払問題の完全解決策としての「給与分割」提唱の辞

先日、弁政連岩手支部の企画で、年に1回ほど行っている岩手の県議会議員さん方と地元弁護士らとの懇談会に参加してきました。

今年は、例年どおり、震災絡み(被災者・被災地が直面する各種の法律問題)がメインテーマとなったほか、法テラス特例法の延長問題、成年後見制度への行政支援の強化(市町村申立やいわゆる市民後見人の育成など)、離婚等に伴い女性・子供が直面している法律問題の紹介(を通じた議会への支援要請)といったことが取り上げられました。

2年ほど前から釜石の「日弁連ひまわり事務所」に赴任している加藤先生から、被災地の弁護士に多く寄せられている相談・依頼の例に関する紹介があったのですが、その中で、「義援金・支援金の受領に関し、直接の受給者=世帯主が受領金を独占するなどして家族内で不和・紛争が生じている」との紹介がありました。

この問題は、私が震災直後の時期(2年ほど)に最も多く相談を受けた類型で、「いっそ不当利得返還請求訴訟をしたらどうですか(弁護士への依頼が費用対効果的に問題があるなら、本人訴訟用の書面作成くらいならやりますよ)」と説明していたこともあっただけに(残念ながら、結局ご依頼は一度もありませんでしたが)、懐かしく感じて、私も珍しく挙手して補足発言をさせていただきました。

改めて感じたのは、この問題は、誤解を恐れずに言えば「以前から不和の種があった不穏な家庭に役所が不公平な態様でお金を渡すことで、油を蒔いて点火させ、その家庭を役所がぶっ壊した」と言っても過言ではないのではということであり、だからこそ、行政は受給者に広くアンケート調査をして「貰って有り難かった人・家庭」もいれば、「そんなカネが配られたことで、かえって悲惨な事態になった人・家庭」もいるのではないかという現実を、きちんと把握、総括し、そうした「現金給付政策」の当否ないしあり方について検討すべき責任があるのではないかと考えます。

ご承知のとおり、現在の給付制度のあり方(世帯主給付)に対しては、世帯主ではなく個人単位にすべき(世帯主給付にしたいなら全員の同意書を要請し、それが得られなければ個人給付にするとか、世帯主を窓口にするにせよ給付の利益は各人が有する旨を制度で明示するなど)といったことを、日弁連など?が提言しています。

そうしたことの当否を明らかにする意味でも、今こそ(すでに時を失した感はありますが)、被災地住民を対象とする大規模調査が行われるべきではないかと声を大にして述べたいです。

ちなみに、今年の2月の弁政連懇談会について触れたブログでも、この件について取り上げていますので、関心のある方はぜひご覧ください。

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ところで、県議さんとの懇談の際、S先生から養育費の不払問題について詳細な報告がなされていたのですが、それを聞いているうちに、いっそ給与についても、年金分割のように「義務者を介さない受給者への直接給付制度(給与分割制度)」を作るべきでは?と思いました。

すなわち、義務者の勤務先が、「養育費の権利者(親権者又は子の名義)」の口座に直接に支払う制度を作れば、給与の全額を受領した義務者による不払という問題は根本的に解決されることになります。

こんな簡単で抜本的なことを誰も言い出さなかったのだろうかと不思議に思ってネット検索してみても、その種の提言を見つけることはできず、FBで少し聞いてみたところ、給与分割ではないものの、日弁連が「国による養育費の立替(と不払者への国からの求償)」の制度を提言していたとの紹介を受けました(私も過去に読んだ記憶があり、すっかり忘れていました)。

ただ、日弁連意見書の理念に反対する考えはないのですが、「立替制度」だと財源をはじめ導入に必要な作業・工程が多そうですので、給与分割方式の方が手っ取り早く導入できそうな気がします。

さらに言えば、国の立替方式は、実質的には国が育児費用を給付する性質を帯びることから、「子を育てるのは誰か」という家族観ひいては憲法観の問題に関わりそうで、その点でも、議論百出=導入できたとしても時間がかかるのではと感じます(議論そのものは盛んになるべきだと思ってますが)。

私が考える「養育費等の支払のための給与分割制度」は次のようなものです。

①まず、子のいる夫婦の協議離婚については、親権者の指定をするのと同様に、原則として養育費の合意が必要とし(紛糾すれば調停・訴訟により解決)、合意した額を、家庭裁判所の認証(これがないと不相当な額になるため。なお、認証作業は裁判所から指定された弁護士が行う等できるものとすれば業界的にはグッド)のもと、離婚届に記載する(調停離婚等ならその届出時に調書等を添えて養育費の額も役所に申告する)

②その届出を受けた役所が、マイナンバー制度を通じて?義務者の勤務先に通知→勤務先は、義務者の給与から養育費相当額を天引して権利者の指定口座に直接に送金する(但し、分割は義務ではなく、権利者の同意があれば直接送金や供託等の処理も可能とする)、

婚姻費用についても、同意又は審判に基づき定めた額を対象とする給与分割を実施できるものとする(役所に届出→マイナンバー等(社会保険等)を通じて?勤務先への通知)。

これにより養育費等の不払問題は根底から解決するでしょうから、日弁連(子ども関連委員会?)がこれを提唱しないのは怠慢の極みでは?と思わないでもありません。

マイナンバー制度の導入に伴って、離婚等に伴う給与や退職金の分割制度もやろうと思えば確実にできるのではないかと思っているのですが、マイナンバーそのものに否定的?な日弁連に旗振りを期待するのは無理なのかもしれません。

ただ、この制度が実現すれば、高金利引下げと同様にまた一つ弁護士の仕事分野(養育費債権回収)が無くなるわけで、町弁の皆さんますます貧困~♪(ラップ調に)と思わないでもありません。

なお、こうした制度に反対する方(養育費の支払確保の必要を前提としつつ給与分割という方法自体に反対する方)がどのような反論をするかと想定した場合、その根拠として、①給与天引制度が作られると、離婚や別居の事実を無関係の第三者(職場関係者)に知られることになる(情報漏れ等を含むプライバシー問題)と、②天引制度を通じて特定人(養育費等の義務者)の諸情報(勤務先から離婚等の事実・養育費等の額まで)を国が一元的に把握・管理することへの不安(ソフトな情報管理・監視社会への恐怖)の2点が挙げられるのではないかと思っています。

①については、天引ありきでなく、権利者が同意すれば(或いは義務者の申立に正当な理由があるとして裁判所の許可を得ることができれば)天引をせずに自主支払とすることができる(のでプライバシーOK)とした上で、不払等の不誠実事由があれば権利者はいつでも天引の導入を役所に要請できる(申立も簡易な手続でOK)とすれば、きちんと履行する真面目な義務者に不利益を課さずに済む(不誠実な義務者に即時の措置を打てる)ので、それで対処可能と考えます。

これに対し、②については、まさに価値判断の問題で、そうした管理社会的な流れを危惧する(ので住基ネットやマイナンバー等に反対する)方の心情も理解できるだけに、悩ましいところだと思います。

ただ、なんと言っても、「自分では権利主張(確保手段を講じること)が困難な子供の権利・利益を守ること」こそが大鉄則であることは明らかでしょうから、それを前提に、ドラスティックな制度の弊害の緩和なども考えながら、世論の喚起や理解を得る努力を図っていくべきなのでは(少なくとも、当然に支払われるべきものに執行の諸負担を負わせるのは絶対に間違っている)というのが、とりあえずの結論です。

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ところで、今回のブログで取り上げた二つのテーマ(義・支援金の内部紛争と養育費等)は、一見すると無関係のように見えますが、家庭の内部紛争という点では同じです(前者は行政から支給されるもの、後者は家庭内の扶養義務者が支払うべきものという違いはありますが)。

日弁連などは、ともすれば公権力に対し社会的弱者に救済のための公金を拠出せよということばかり強調しがちですが、財政難云々で税金から巨額の拠出を求めることのハードルの高さ(時に不適切さ)が強調される昨今では、それ以上に、「税金に頼らずとも「民」の内部で解決できる仕組み」や民間=家庭の内部の意識等の質を高める仕組み、ひいては法やその担い手(弁護士)がそのことに、どのように関わっていくか(役立つか)という視点を中心に、制度のあり方を考えていただくことも必要ではないかと感じています。

そもそも、「国にあれしてくれ、これしてくれ」とばかり主張するに過ぎないのなら、およそ国民主権の精神に反する(国に何かをしてくれと求めるよりも、自分が国・社会・周囲の人々のため何ができるか、すべきかを考え実践するのが主権者のあるべき姿ではないのか)と思いますし。

余談ながら、今回の弁政連の「県議さん達との懇親会(宴会)」も前回と同様、当家は家族の都合が第一ということで、私は帰宅せざるを得ませんでした。

まあ、当方の営業実績は昨年の今頃と同じく試練の真っ只中ですので、金持ちでもないのに交際費を拠出しなくて済んだと思わないでもありませんが、「私の祖父は県議だったんですよ~」と親近感をアピールして県議さん達を相手にヘコヘコと営業活動に勤しむ・・などという野望?はいつになることやらです。

まあ、上記の発言は、「でも、そのせいで実家の商売は潰れかけたので、政治は御法度というのが家訓なんですけどね」というオチがありますので、県議さん達に話しても嫌な顔をされるだけでしょうけど・・

北東北の秘境・小又峡は一度ならず二度までも

先日、突如思い立って秋田県北秋田市(旧森吉町)の太平湖(小又峡)に行きました。太平湖は、昭和27年に森吉ダムの建設に伴い生じた規模の大きいダム湖ですが、「日本で一番ツキノワグマが多い山(マタギとナメ滝の聖地)」とも言われる森吉山麓の、人里離れた非常に奥深いところにあります。

で、遊覧船でしかアクセスできない場所から片道1時間~2時間ほどナメ滝(滑滝)が連続して姿を現すエリア(小又峡)があり、滝大好き人間の私にとっては昔から行きたい場所の一つでした。

ナメ滝とは、豪雪で磨かれた滑り台状の一枚岩を轟々たる水が流れていくタイプの滝で(ちなみに、華厳の滝のように真っ直ぐに水が落ちるのが「直瀑」)、私の知る限り、日本では秋田・上越・奥秩父のエリアに割と多く存在していると思います(奥秩父の代表的観光名所・西沢渓谷の隣にある東沢というナメ滝・ナメ床が密集する渓谷が、私のトレッキング趣味の原点の一つになっています)。

ただ、それだけに、小又峡は決して「素人ないしお気楽な観光客に優しい場所」ではなく、滝を見に行きたいのであれば、基本的には正午までの船便に乗船する必要がありますし、遊歩道とはいえ靴なども相応のものを履いて来た方が望ましいと言えます。

太平湖には6年ほど前にも一度、来たことがあるのですが、その際は田沢湖と阿仁スキー場のゴンドラを経由したため最終便しか乗船できず、小又峡に近づけずに遊覧船に乗船しただけで終わってしまいました。

そのため、今度こそは小又峡の名瀑群を見に行きたいということで、北回り(鹿角八幡平ICから西南方向に向かうルート)で向かいました。ただ、諸事情により出発が遅れ、12時半の便に辛うじてアクセスできました。

で、出航から20分ほどで南側の波止場に到着しました。人里・道路などが一切見えないことはもちろん、周囲にはかつての材木運搬用の線路跡もあり、秘境ムードたっぷりです。

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そして、木々を鏡のように写す湖面を横目にしつう、いよいよ小又峡に向かって歩き出すと、ほどなく轟音と共に最初のナメ滝が現れます。

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さあ、いよいよ憧れの小又峡に到着!ここから滝巡りだ!と思っていると・・

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長靴が無いと渡れぬ小又峡 銭はあれども貸す婆もなく

前日の増水で、小又峡の入口の沢に設けられた「入口」と言うべき渡渉用の石が全て沢の流れに埋もれ、長靴がないと渡れない状態になってました・・

私一人だけなら、靴を脱いでスボンもたくし上げ、裸足で渡ろうとしたかもしれませんが、さすがに家族と一緒なので自粛・断念し、ここで引き返しました。遺憾ながら、小又峡の滞在時間は実質5分、次の便までは40分以上も波止場でダラダラと過ごし、やむなく次の便で撤退しました。

レストハウスで乗船のチケットを買う際も係員の方に言われていたので覚悟はしていたのですが、まさかこんな入口すぐの場所とまでは想像もできず、ショックです(まあ、それでも乗船したでしょうけど)。

どうせなら、こういうときこそレストハウスには「長靴を一人ウン千円で貸すよ」などと結構な商売をしていただければ(今の私なら蜘蛛の糸を掴むかのように借ります)と思わないでもありませんでした。

帰りの便では、不安定な天候のせいか、湖畔に虹も姿を現しており、せめてもの慰めになりました。

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この湖は三菱マテリアル(当時の商号・太平鉱業)が付近にある鉱山への電力供給などの目的でダムを建設した関係で、太平湖と名付けられたとのことですが、人造湖ですので、ダムの建設時に幾つかの人里が湖底に消えたことは間違いないかと思います。

山深い場所ですのでマタギなどで生計を営む小さな村々ばかりだったとは思いますが、それでも、湖面を眺めていると、当時の人々の営みがどのようなものであったか、色々と考えずにはいられない面もあります。

例えば、湖面の下に眠る鎮守の社ではマタギの人々が山の恵みを肴に村祭りをしたり、美しい村娘と若いマタギが村人に隠れて逢瀬を重ねるなどということもあったのでしょう。

或いは、そんな二人がダム建設で生じた村の混乱の中で思いを遂げることができず、湖を訪れる人の心に今なお語りかけているなどという秘話が、湖底の深くに眠っているのかもしれません。

太平にまどろむ人の見る夢は 村のやしろで交わす約束

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太平湖・小又峡は、私の感覚では、登山者でない普通の人が行ける場所としては、北東北では「最強」の紅葉の名所の一つだと思っています。お時間のある方は、10月末までの晴天の日に、ぜひ訪ねていただければと思います。

私自身は、小又峡の再々挑戦もさることながら、いつの日かこの近くにある桃洞の滝や安の滝にも訪れることができればと願っています。

余談ながら、「北秋田市」はこんな無個性なネーミングでなく、南アルプス市に対抗して「マタギ市」と名乗れば良かったのではと、訪れるたびに思います。

弁護士協同組合の物産販売に関するオリジナル商品と浅智恵

6月の話で恐縮ですが、岩手弁護士会協同組合の総会があり、昨年と同じくタダ飯(弁当)をいただくという志の低い目的のため参加してきました。

昨年も「復興支援やらなイカ~」のタイトルで少し書きましたが、今年も、専務理事をつとめる先生から、「全国の弁護士向けの商品の販売を行うため県内の有力企業などと相談をしたのだけれど上手くいかなかった」とのご報告がありました。

その先生が仰るには、特産品(商品。他県では果物や酒、牛タンなど)を協同組合を通じて販売する場合には、例えば、通常単価で5000円の商品を売るのであれば、組合員価格はそれよりも安い4500円で販売することになっており、しかも、販売に従事する方(購入者が所属する弁護士会の協同組合関係者?)の事務手数料として500円程度を要するので、商品を提供する業者にとっては「5000円の商品を4000円で売る」ことにならざるを得ず、在庫の確保の負担も含めて基本的にはインセンティブがない(ので、相談した業者からも消極的な回答が示された)とのことでした。

ただ、市場で他にも販売する既存の商品だからそのような問題が生じるのでしょうから、新規商品を協同組合の側で開発し、それに「顧客の支持が得られる付加価値」を持たせて販売できれば(要するに高値でも売れる商品が開発できれば)、商売として成り立つはずです。

すなわち、付加価値を付すことができなければ(材料原価ベースなら)3000円でしか売れないはずの物を、特別なアレンジをして5000円の定価として販売することができれば、「協同組合には4000円で販売する」という形でも商品の提供事業者にとって十分に元が取れると思います。

そして、その商品が世間で話題になって人気が出れば、協同組合には4000円で販売し、一般にも業者が自ら5000円で販売できる(協同組合にライセンス料として500円を支払う)ことにすれば、業者にも利益が出て協力できるはずです。

あとは、協同組合がその枠組みを満たすだけの商品を開発できるか次第ということになるでしょうが、以前に投稿した京都弁護士会の「やっこさんは白だな」の二番煎じで考えれば、「弁護士らしら(弁護士っぽさ)を全面に出した商品ネーミングと、そのコンセプトを生かした商品(中身)づくり」について、世間の注目を浴び、購買意欲をそそる商品を作ることができるかにかかっているのではないかと思います。
http://bengo.pro/info/201312121.cfm

例えば、イオンがサンマのパッケージ商品を「鉄道ダンシ」と称する男性キャラの絵を添えて販売しているのに倣い、被災者支援に取り組む「アワビ弁護士、ワカメ弁護士」などのオリジナルキャラを作り、それを生かした新商品などを考えてもよいのかもしれません。

震災に限る必要もないでしょうから、地元の様々な個性・伝承と弁護士らしさを組み合わせて、「座敷わらし弁護士」とか「なんぶ弁護士武将隊」みたいな路線もあってよいはずです。

前者は、あどけない顔立ちの若い女性弁護士が適役のような気もしますが、それでは「岩手まるごとおもてなし隊」とキャラが被ってしまうので、いっそ広島(呉市)のA原先生のような「キモかわいい系」の若い男性弁護士を選抜、育成してもよいのではと思わないでもありません。
http://iwate-omotenashitai.com/about.html

また、「金持ち向けの仕事で儲けているウニ弁、庶民派のシャケ弁、粘り強さが売りのモチ弁、新人のホヤ弁」などを集めて、5人組で「べんごきょうだい」と称し、「わんこ某」とのコラボ企画などを提案してもよいのではと思います(県庁からクレームを受けるかもしれませんが・・)。

或いは、「カッパ無罪!」みたいな商品タイトルでキュウリの漬け物か何かを作り、無罪の代わりに化学調味料などを極力使わない(無添加)とか、激辛とか苦いとか食べるのに一苦労するような味付けをして売り出すのも、インパクトの面からよいかもしれません。

弁護士激増政策が浸透し多くの弁護士が生き残りを賭けて様々な営業活動をしている現状にあっては、弁護士会(協同組合)も思い切った行動に出ることも考えなければならないのではと思っています。

特攻隊員からの自由主義のバトン

平成25年の夏休みに、松本・安曇野方面に旅行したことがあります(今回の投稿は基本的にその際の旧ブログ投稿の再掲です)。

その際は、大所帯の旅行となったため50分待ちの松本城内入りを断念せざるを得ないなどやむを得ざる制約がありましたが、それでも色々と新しい発見があり、訪ねた甲斐がありました。書きたいことは沢山ありますが、さしあたり1点だけ。

松本城内に入れなかった悔し紛れ?で城に隣接する市立博物館に入ったところ、たまたま特攻隊をテーマとする特別展をやっていました。

恥ずかしながら「きけわだつみのこえ」を読んだこともなく(どこかで見ているのかもしれませんが)、特攻隊の具体的な知識はほとんどない不勉強の身でしたので、初めて知ることが多く、色々と考えさせられました。

館内では、安曇野出身の上原良司という学徒動員された慶応の学生さんが大きく取り上げられており、その方の手記(展示されていた文章)が心に強く残りましたが、帰宅後に調べたところ、「きけわだつみのこえ」の冒頭に収録されていて、特攻隊の悲話を象徴する人物の一人として位置づけられているようです。

ここでは書きませんが、彼の手記(とりわけ、下記の石碑でも引用されている象徴的な一節)は今も微塵も色褪せることなく、国民一人一人に渡されたバトンとして、受け止めていかなければならないと思います。

帰宅後に知りましたが、安曇野地区の随一の観光スポット「大王わさび農場」の近くにある公園に彼を偲ぶ石碑があるそうで、旅行中に知ることが出来れば、こちらにも立ち寄りたかったと思いました。
http://www.ikedamachi.net/pages/1_meiyo.html

ところで、毎年8月15日は終戦記念日である以上に、靖国参拝を巡る報道が過熱する日という印象が強くなってしまっているように感じますが、彼を取り上げたあるサイトによれば、上原良司は自分は愛する者のために死ぬので天国に行くから靖国には行かないよ、と語ったのだそうです(知らない方のサイトかと思いきや、平成24年に岩手弁護士会の憲法委員会の企画で講演をされた、いわゆる護憲派の憲法学者の方のサイトでした)。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2009/0810.html

私自身は、身内(直系の尊属)に出征者がいないせいか靖国にはニュートラルなスタンスのつもりですが、靖国を大切にしている方々も、こうした方の存在や思いは知っておいてよいと思いますし、逆の立場を鮮明にされている方々も、当時の若者達が、戦争や当時の社会の誤りを十分に理解しつつ敢えて体制の中で自らが新しい社会を作るための犠牲になることを潔く引き受ける道を選んだことの重みを、考えていただきたいところだと思っています。

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ピアニート公爵vs異議アルルカン軍曹、そして芸術は太古の杜の深くから

家族から、「ピアニート公爵」と称されているピアニスト・森下唯氏の演奏会のため仙台に連れて行けとの出動命令が下ったため、やむなく丸一日を潰して仙台まで行きました。
http://sencla.com/artist/3160
http://www.morishitayui.jp/

本人は、森下氏の演奏が聴ければ後は用なしという感じで、出発も遅くなりましたが、それだけのため仙台に行って帰るのは私が納得できませんので、会場近くの「地底の森ミュージアム」に立ち寄ることにしました。

この施設は、仙台市太白区の長町小学校を建設する際の地盤調査で発見された、2万年前の森のあと(枯木)が膨大な水と土砂で封じ込められたため(缶詰のようなものだそうです)、そのままの状態で保存、発見されたもので、世界的にも唯一といって良いものだそうです。

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施設内では、当時(2万年前)の現地が、北海道の大雪山系にある湿地帯と気候・風土がよく似ているとの紹介があり、その場所を舞台に「旧石器時代の人間が、この地を訪れ、焚き火をして去って行く姿」を撮影したミニ映像が写され、その姿を今に残しているのがこの場所なんです、とスタッフの方の説明を受けることができますので、旧石器時代の日本(人の暮らし)に関心のある方にはぜひ訪れていただきたいところです。

ところで、私は、「日本の文化・社会は、縄文と弥生の混血(基本的に後者が優勢)で、それが現代にも多大な影響を及ぼしている」と感じており、このブログでも度々触れているのですが、縄文以前=旧石器時代(先土器時代)については、私自身の知識・理解の希薄さもさることながら、その時代の精神文化(メンタリティ=当時の人々が何に価値を感じ、敬い、畏れ、時に侮るなど、喜怒哀楽の対象をどのように形成してきたのか)がほとんど知られていない(解明されていない?)こともあり、「その時代の魂、精神が現代まで息づいていること」を全くといって良いほど意識することができていません。

しかし、一般的には、この時代(の日本人)が縄文時代(の日本人)と連続性がある(絶滅や人種の交代などの事情はない)と考えられているでしょうから、日本人のメンタリティというものを考える上で、旧石器時代とは人々にどのような精神性が形成された時代だったのかという視点は、持っておくべきではないかと思います。

そうしたことも考えつつ、公爵こと森下氏の演奏会場に向かい、演奏を拝聴してきたのですが、今回の企画は様々な奏者(プログラム)の組み合わせになっているせいか、演奏曲数はアンコールを含めて4曲のみ、時間も1時間弱という感じでしたので、あっという間に終わりました。

家族が「4月は君の嘘」という漫画・アニメ作品を気に入り、アニメ番組の最終回でのピアノ演奏(ショパンの「バラード第1番」)を自宅で繰り返し聞かせられていたため、その曲の演奏は一番楽しめたと思います。

あと、この公爵さんですが、演奏の合間のトークの際(正面)はさほど風采があがらない方との印象(ニートかはともかく、ちょっとオタクっぽい感じ)を受けたのですが、演奏中(横顔)は表情がガラッと変わり、誰かに似ていると思って思い返したところ、私の純個人的なランキングで「男の色気のある弁護士・堂々の全国1位」であるK野君(52期の盛岡修習仲間)に表情がよく似ている感じ(K野君と堺雅人氏を足して2で割った印象。ちなみに私を含めて3人とも同い年です)がしたので、その点は(K野君をはじめ)一流の人は横顔にも通じるものがあるのだろうと、妙に感心しました。

ところで、3曲目に取り上げられた「ガンバスター幻想曲」は、庵野監督が20年以上も前に制作した「トップをねらえ」というアニメ作品で使われた楽曲群をアレンジしたもので、「公爵」の代表作なのだそうです。

このアニメ作品は、私も15年以上前にビデオで借りて見たことがありますが、制作責任者が「おたく」文化の巨頭である岡田斗司夫氏(ガイナックス社)のせいか、作品中にも若干ながら「おたく」好みの描写もあった(ので、見たことを人様に公言できる作品とは言い難い面もあった)ような気もします。

が、森下氏の会場でのトークやWeb上での発言などを拝見すると、作品の物語に強い感銘を受け、相応の理念と誇りをもって、こうした作品を題材とする二次創作(アレンジ)に真摯に取り組んでおられるものとお見受けしましたので、そうであれば、前回の投稿のように人知れず替え歌づくりを趣味?にしている根暗な私とも通じるところがあるのではないかと、勝手なことを思わないでもありませんでした。

そんなわけで、いっそ、私も対抗して「覆面ブロガー弁護士・異議アルルカン軍曹」などと称して、「妖怪ウォッチ」の替え歌など、実名では投稿できない文章を密かに投稿してみたいなどと思ったりもします(ちなみに、「アルルカン」とは、フランス語で即興喜劇に登場する仮面の道化役者(トリックスター)を指す言葉で、ピカソやセザンヌの絵にも描かれたことがあります)。

ただ、うかうかしていると、私の預かり知らぬところで、お笑い芸人「売れない覆面弁護士こと異議アルルカン軍曹」と称する芸能人が出現しないとも限りませんので?今のうちに商標登録した方が賢明かもしれません。

日本ではまだ見つかっていないかもしれませんが、旧石器時代と言えば、人類が世界中で壁画など芸術的な営みを表現していたことがよく知られており、そうした意味で、芸術の発祥というべき石器時代の太古の森が残されていた「杜の都」仙台・長町の地で行われた演奏会を拝聴したことには、時間と空間、二つの観点から魂の底にあるものに心を向ける契機とするという点で、大いに意義があったのではと思います。

余談ながら、演奏会のあと、夕方ギリギリに「仙台うみの杜水族館」を初めて訪れて駆け足で拝見し、帰宅時には折角の機会なので、数年ぶりに塩竃市に行き、地元の寿司を美味しくいただいて帰りました。

今も昔も凡百の身には辛いよの法曹界にドロップキック~♪

旧ブログに投稿(平成25年6月)した文章の再掲です。

昔から、個人的な趣味として、気に入った曲をもとに業界など身近なネタを用いた替え歌を作るのが好きで、2年ほど前にも「妖怪ウォッチ」の歌を題材に、「べんごしの せいなのね そうなのね!」などと書いたりしたことがあるのですが(事務局長のクレームにより、残念ながらブログ掲載は断念)、下記の替え歌については旧ブログの掲載時に許可が下りましたので、再掲も大丈夫かと思います。

「平成10年バージョン」は、裁判官・検察官はともかく、弁護士や司法修習生にとってはあまりにも遠い昔の話になってしまいましたが、「平成25年バージョン」は、3年を経た今でも業界的に好転の兆しが見えそうにありません。

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私が司法試験受験生であった時代(平成9年まで)は、Mr.Childrenの全盛期でもありましたので、ごくありふれた同時代人の一人として、よく聴いていました。

当時から、たまに替え歌を作りたくなる悪癖があり、修習生の頃には、《everybody goes ~秩序のない現代にドロップキック~》をもとに、法曹界を皮肉った替え歌を作ってみたこともありました。

ただ、それから15年を経て、法曹界とりわけ弁護士業界と修習生の光景は大きく変わり、もっと別の歌詞が付されるべき状況になってしまいました。

というわけで、また、現在の状況に即した新たな替え歌を衝動的に作ってみた次第です。

もちろん、平成10年バージョンも平成25年バージョンも、今も昔も何かとしんどい法曹界をお気楽に笑い飛ばして生き抜きましょうとの観点で、巷間あふれる情報をもとにジョークとして作成しているものに過ぎません。

特定の主義主張を流布するものでも個人・団体を批判・誹謗する意図のものでもありませんので(私自身、単純なアンチ司法改革派では全然ありません)、ご不快の段は純然たる誤解に基づくものとして、ご容赦下さい。

あと、修習生として、法曹三者のありのまま?の姿を垣間見させていただいた平成10年当時はまだしも、現在は、検察官や刑事部の裁判官の方々とは、私生活は言うに及ばず職業上の接点も非常に少ないのが実情なので、さほど気の利いた歌詞が思い浮かばないのが正直なところです。

そうしたこともあり、(特定の主義主張等の目的ではなく)純粋にジョークとしての質の向上という観点から、歌詞(言い回し)の改善・改良をご提案いただければ大歓迎です。

なお、括弧部分はバックコーラスです。

《平成10年バージョン》

複雑に混ん絡がった事件だ
記録の山で ガンバレ 裁判官
法律と判例と良識を武器に
あなたが支える 法の支配

そして you
晩飯も官舎で一人 インスタントフード食べてんだ
ガンバリ屋さん 報われないけど

任検して3年 エースになる chance
地道な調べの甲斐もあって
被疑者の前で上機嫌なポーズ
でも 決裁じゃ 次席にまた叱られて

oh you
それでも夢見てる ムービースター
世間知らずの 自惚れ屋さん
相変わらず 信じてる

everybody goes everybody fights
安息の場のない法曹界に ドロップキック
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる

愛する自由と正義の為に
良かれと思う事はやってきた
悪人のミカタと 周囲に呼ばれても
結構 マジで弁護した この18年間

でも you
被疑者は 釈放後すぐに サイハンジャー
で、逮捕されりゃ 毎度 困ったちゃん
「親に頼んで 弁償してきて」

everybody goes everybody fights
羞恥心のない 当事者に水平チョップ
everybody knows everybody wants そして Yes Yes Yes Yes
必死で 生きてる

Ah 修習生を見て人は こう言う
「あいつらは気楽な 税金ドロボー」
その通りでございます!(多少はガンバってるけど)

everybody goes everybody fights
人を狂わす司法試験に ドロップキック
everybody knows everybody wants
明るい未来って何だっけ?

everybody goes everybody fights
救い難い法曹界に 水平チョップ
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる 必死で生きてる

《平成25年バージョン》

複雑で悲惨な 刑事の事件だ
衆人環視で ガンバレ 裁判官
庶民の視点、感覚、言葉も武器に
あなたが支える 身近な司法

でも you
偏屈なおっちゃんが一人、裁判員で 評議荒らしてんだ
ガンバリ屋さん 報われてますか?

任検して10年 特捜に行く chance
強硬な調べの甲斐もあって?
次席の前で上機嫌なポーズ
でも 法廷じゃ 調書は皆、却下されて

oh you
それでも夢見てる ムービースター
世相知らずの 自惚れ屋さん
相変わらず 信じてる

everybody goes everybody fights
模範解答のない法曹界に ドロップキック
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる

愛する自由と正義の為に
良かれと思う事はやってきた
口先ばかりと 身内にも言われても
市民の人権には尽くしてきた この60余年間

でも you
ベテランは 経営できず オーリョージャー
で、若手は 仕事すらない
誰も来ない相談会 行ってる

everybody goes everybody fights
会員に冷たい? 日弁連に水平チョップ
everybody knows everybody wants そして Yes Yes Yes Yes
必死で 生きてる

Ah 修習生を見て人は こう言う
「あいつらは不憫な 時代の犠牲者」
同情するなら 金をくれ
(給費に戻せ/就職させろ/任官(検)増やせ/需要をよこせ)

everybody goes everybody fights
ちくはぐな司法改革に ドロップキック
everybody knows everybody wants
明るい未来って何だっけ?

everybody goes everybody fights
光が照ってない法曹界に 水平チョップ
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる 必死で生きてる

なお、申すまでもなく、私自身は二次的著作物としての権利云々を主張するつもりは毛頭ありませんが、原著作物の権利者に保護されるべき法的権利・利益を侵害することのないよう、個人的な楽しみの範囲でご覧下さい(この投稿自体、当落線上でしょうか?著作権法は仕事で関わることがほとんどないので偉そうなことは言えませんが、営利性の無いものは、権利者の合理的意思解釈の範疇(の構成要素としての社会通念)に入るかどうかで決まるとは思いますが・・)

いっそ、本物に歌っていただき(後ろで法服を着た人やバッジを付けた人達が踊ったりして)、この歌詞のコンセプトに即したオムニバス形式の映画(或いは、プロモーションビデオ)でも作っていただければと、妄念逞しうしないこともありません。

盛岡バスセンターの再生(復活)案としての「条件付無料大駐車場との複合施設」と、バスセンターのそもそも論

盛岡の「昭和レトロ」の代表格の一つとされる、盛岡バスセンターが9月30日に営業終了(閉鎖)したことにより、先日から、下記の記事のほか、先日には地元関係者や有志が市役所に意見書を提出するなど、この件に関する報道が地元紙などで多々なされています。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20160930_3

私も、バスセンターの「味わい」を否定するつもりは微塵もないのですが、車両所有者のため盛岡広域圏内の移動は(自転車等を除き)ほぼ車両のみとなっている=バス利用の機会が無い上、バスセンターの所在地である肴町界隈にも、駐車料金に関する懐と心の貧困のせいか、行きたいお店は多々あるのに長い間ご無沙汰になってしまっています。

ちょうど、2年ほど前?から愛読している「地域活性化を地元の女子高生らが熱く語り合うWeb4コマ漫画」で、中心市街地の活性化に必要なのは無料の大駐車場なのではとの話が出ていましたが、バスセンターも、そうした方向での生かし方も考えてよいのではと思います。
http://minorikou.blog.jp/archives/1061180436.html

もちろん、愛着を持つ方々からは「昭和遺産」などと称される建物の外観やファンの多い1階の店舗群は極力維持した上で、1階のような保存運動とは無縁と思われる2、3階のオフィス群を改め、立体駐車場などにリノベーションしても良いのではと思います。

その上で、「本来は正規料金だが、肴町界隈(河南地区)の商店街(加盟店)で700円以上の利用で1時間、1400円以上の利用で2時間まで無料」とすれば、単身者なら外食+最低限の買い物、家族連れ等の方なら外食+ある程度の買い物を駐車料ゼロで行うことができ、郊外店と条件が同じになりますので、コンテンツ(店舗類)の魅力で勝っている点が多々あるこの界隈が、再び「盛岡で一番の商業地区」として輝きを取り戻すこともあり得るのではと思わないでもありません。

バスセンター自身も、以上を前提に(要するに2、3階のオフィスを無料駐車場を中心に切り替えて)、それを前提に昭和レトロとして人気のある1階を従前のまま生かし、バスセンター機能も取り戻して、「バス利用者に加えて、2階・3階の駐車場利用者も1階のレトロ売店の顧客として取り込む」ことができれば、再生も十分可能ではと思いましたが、どうなんでしょう。

まあ、老朽化や耐震などが問題で閉鎖することになったそうですので、2、3階の床などに立体駐車場化できるだけの重量耐性があるのかという点は大いに問題となるかもしれませんが・・

肴町界隈に必要なのは無料駐車場だという発想は、上記の漫画内での発言を引用するまでもなく多くの方が抱いている発想でしょうし、それと共に、この種の話題でよく言われるように、その実現を嫌がっているのが(郊外の競争相手ではなく)他ならぬ「駐車料という副収入」の喪失を恐れる地元の小規模地主さん達(往々にして、地域には住んでいなかったりする)だということも確かなのだろうとは思います。

ただ、そうであればこそ、敢えて、荒療治をして「虫食いの土地」を真にエリアの価値を高めるために有効活用させる方向に誘導していただく勇気と決断をこそ、考えていただければと思わないでもありません。

バスセンターを巡っては、地元民や建築関係者などから建物自体に文化的価値があるとして、保存・活用を強く求める声がありますし、この建物と共に人生を歩んでこられた地元の方々にとっては、建物が撤去されるのは、辛い出来事であろうとお察しします。

私も、平成5年前後に二戸の中心部にあった美しく個性的な建物群(文化的価値を認められていたもので、子供の頃から馴染みがあったもの)が次々に撤去されてしまった際には、喪失感を強く抱きましたし、その件では今も納得いかない思いがあります。また、平成10年~11年には盛岡地裁配属の司法修習生としてバスセンターから歩いて5分ほどの距離に住んでおり、それなりに身近な存在でもありましたので、多少の郷愁がないわけではありません。

ただ、建物を存続させたいのであれば、税金に依存するのではなく、建物(バスセンター)そのものが、補修費用を維持できるだけの収益を上げるだけの施設たりうることが本則というべきでしょうし、そうした形での具体的な提案や事案の引き取り(ご自身が事業者として経営リスクをとって事に当たること)ができなければ、建替そのものを否定するのは厳しいのではと感じています。

その上で、盛岡市が検討しているという複合施設が、せめて「丸ビル」のように従前の外観や1階の「レトロエリア」を一定程度、復元するのであれば、まだ救いがありますが、それとて、駐車場問題を解決できなければ、引用の漫画に記載されているとおり、「駐車料金が加算される分だけ割高」との烙印を押される中心街の商業施設はマクロ的には郊外施設・店舗との競争には不利でしょうから、いずれは敗者となるのでは?との疑念を抱えざるを得ないように思われます。

ところで、ここまでは、「中心市街地(肴町界隈)の活性化問題」という観点から考えたことをあれこれ書きましたが、これとは別の問題として、バスセンターそのもののあり方を考える必要はあると思います。例えば、

①バスセンター(バスのターミナルないしハブ(中継役)となる施設)が、今の盛岡に必要なのか(バスセンターという存在そのものにどれだけのニーズがあるのか。同規模の他都市などの取り組みはどうか。)、

②必要だとしても、その場所を肴町界隈とする必要があるのか(中心市街地のアクセス重視なら現在の位置で問題ないが、電車との接続を重視する利用者が多いとか、長距離利用が中心となるなら、バスタ新宿のように盛岡駅前(駅西側)に移転しても良いのでは。肴町界隈の方々は嫌がるでしょうが、利用者全体の目線で見たらどうか。)、

③規模や運営形態などのあり方はどうか(現状の方法が採算のとれる方法になっているのか等)、

といった事柄も検討すべきでしょうし、少なくとも、運営を担当されていた企業は、そうしたこと(特に③)を考慮して撤退を決めたのでしょうから、そのことは決して軽視すべきではないと思います。

バスセンターの存続(建物と機能の現状維持)を求める方々も、上記の点を検討の上、現状のまま存続できる提案ができるのか、現在の機能維持が無理であれば転用も含めて建物存続コストを維持できるだけの利活用ができるのかという観点からの提案があれば良かったのではと思いますが、私の知る限りではそうした話を伺うことはできておらず、その点は残念に思います(大清水多賀のときと同様に「事前に知らされておらず、動けるだけの時間がなかった」ということになるのかもしれませんが・・)。

最終的には、バスそのものを生活・業務等の手段として必要とする人にとってのニーズという点を基本に、現在の車社会そのものの当否ないし未来像が問われていることだと思いますし、そうしたことも視野に入れた質の高い議論がなされていくことを期待したいものです。

余談ながら、バスセンターに関する私の思い出話としては、

①修習生だった平成10年の冬に、紫波警察署に勾留中の方に接見に行くため、弁護修習先のI先生と一緒にバスセンターで待ち合わせて乗車するはずが(当時、先生も私も自動車を持っていませんでした)、寝過ごして出発時刻に間に合わず、やむなくタクシーに乗って津志田あたりでようやく追い越し、そこでバスに乗ったこと、

②平成18年頃に、バスセンターの2階か3階で事務所を開いていた某個人事務所(社会通念に照らし問題のある業務を行っていた企業)に対する債権回収のため、判明していた預金口座の差押と一緒に「ダメもと」でバスセンター社への敷金の差押もしたところ、貸主(バスセンター)への賃料もかなり滞納していると貸主から回答があったこと

の2点でしょうか。

①に関しては、やはり交通弱者(車社会に生きていない人)にとってはバスは必要不可欠な存在だということを改めて痛感させられると共に、②は施設としてのバスセンター自体が抱える問題(オフィスエリアは相応に老朽化して魅力のない存在になっており、だからこそ、問題のある借り手も生じていたこと)を示すものではないかと思います。