北奥法律事務所

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その他

盛岡芸妓は桜の舞い散る頃に

4月の話で恐縮ですが、盛岡北ロータリークラブ(RC)の例会で盛岡芸妓の方々に舞踊を披露いただいたことがあります。

盛岡芸妓は、大通商店街が形成される前、盛岡の繁華街が肴町~八幡界隈と本町通界隈に二分されていた明治後期の時代には大いに栄えていたものの、料亭文化の衰退により近年は激減し存続も危ぶまれていたようですが、近年、後継者となる若い芸妓の方々が誕生し、現在は復興と継承の途上にあるようです。
http://www.ccimorioka.or.jp/geigi/

数ヶ月前にも、盛岡北RCの例会に二人の若い芸妓さんがいらしてスピーチをなさったのですが、とりわけ、「冨勇」さんは文芸関係の造詣が深く雄弁で、今後はそうした見識を生かして活動の幅を拡げていくのではないかと期待されます。

当クラブの重鎮の方々が盛岡芸妓の後援会に深く関わっておられるのだそうで、そうしたご縁で今回もいらしていただいたようですが、歴史を遡れば、当クラブが盛岡で二番目にできた=盛岡RCから最初に分かれたロータリークラブであり、本町界隈にお住まいorゆかりのある会員の方が多いことも、ベテラン芸妓さん達と馴染みがあることの背景にあるのかもしれません。

私も正確なところは分かりませんが、盛岡RCが「古き良き盛岡」の最大勢力というべき肴町・八幡界隈の豪商の方々の流れを汲み、盛岡北RCがそれと対を成した本町界隈の豪商の方々の流れを汲んでいる、といった話もあるのかもしれません。

ともあれ、私自身は「旦那衆」の方々が集うような夜のお座敷に参加できる身分ではありませんので、拝見するのは最初で最後かもしれませんが、それだけに貴重な時間を過ごすことができ、何よりでした。

屋内で拝見するのもよいですが、可能なら石割桜や小岩井一本桜のそばに特設ステージを作り、そこで花吹雪を背にして披露していただくような試み(テレビ中継付きで)もあってよいのではと思いました。

そんなわけで一句。

艶やかさ 桜舞い散る頃に咲く

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天下一品・盛岡店の涙の閉店と、その復活を求めて

8月の出来事で恐縮ですが、久しぶりにと思い盛岡市館向町にあるラーメン店・天下一品(盛岡で唯一)に向かったところ、閉店していたことを初めて知りました。

私は修習時代(平成10年)に盛岡でこの味を知り、東京時代は4年ほど月1回の頻度で五反田店に通っていましたので、チェーン店全体で見れば、「天下一品」は人生で一番多く食べたラーメンであることは間違いありません。それだけに、このお店(盛岡店)が人生で一番来店回数の多いお店かもしれないと思っており、ショックもひとしおです。

閉店について丁寧に説明なさっている「天一ファン」の方のサイト(7月に掲示されたという告知)を見つけましたが、復活を求める署名運動などがあれば、身を投じたいと思わずにはいられません。
http://nabi1080.com/cooking/gourmet/55112

8月には後継店舗が営業を開始していましたので入ってみたところ、味自体は私の好みで特に不満はなかったのですが、最初に整理券を取った後、お店側に呼ばれるまでは待合の椅子などで待たなければならない(飲食時の座席に座ることができない)という未経験のシステムで運営されており、混雑時のためか、いささか残念な光景も見られました。

或いは、最近話題の「飲食業界などの人手不足」が影響しているのかもしれませんし、現在は改善・解決しているのかもしれませんが、そうしたことも含め、天一時代を懐かしんで心中落涙せずにはいられませんでした。

先日も「天一まつり」の広告が出ていましたが、そうしたものを見ると、改めて「天一に行けない自分」が惨めに思えてきて、ますます泣きそうになります。

8月にFBでこの件の投稿をした際、他の方から、お店(フランチャイズの加盟店)と本部との間に何らかの紛争があったのだろうかなどと訝るコメントもいただいたのですが、仮に、そのような事態があったのだとすれば、盛岡の弁護士業界には天一ファンは山ほどいるはずですので、「盛岡の天一を救え! 訴訟」と題する大弁護団を結成し、本部と闘い復活を勝ち取るなんて展開を夢想せずにはいられませんでした。

などと書くと、さすがに寝言、戯言の類とお叱りを受けるかもしれませんが、関係者におかれては、そうした「盛岡の熱烈ファン」の思いをお汲み取りの上、ぜひ盛岡の天一の復活に向けてご尽力いただきたいと願っています。

その際に伺ったところでは、近くにある「豪めん館坂店」もいつの間にか閉店していたとのことで、平成17年前後(盛岡での開業直後)にはラーメン食べ歩きを結構していた関係でよくお世話になっていたので、ますます残念に感じます。

平成10年頃には、「豪めん」の場所あたりに「宝介」のお店(本店?)があったことも懐かしい記憶ですが、そうしたことを含め、最近は時代の移り変わりを否応なく突きつける出来事が続いているような気もします。

秋田県・小坂町の「千葉の高濃度焼却灰の搬入埋立問題」に関する日弁連調査③住民訴訟の弁護士費用保険、焼却灰の過疎地埋立ほか

前回の投稿の続き(秋田調査の最終回)です。

1 住民訴訟支援のための弁護士費用保険

前回の投稿で、地元住民が現在(或いは過去に)、「本件で誰かに一矢報いるための手段はないのか」という観点から、廃棄物処理法絡みを中心に、訴訟手続について少し検討してみました。

ただ、そのような訴訟を起こしたいのだとしても、「降って湧いた災難に義憤で立ち向かう」という地域住民(有志)の立場からすれば、これに従事する弁護士の費用は誰も負担したくないでしょうし、(私自身は、その種の訴訟に従事した経験がありませんが)この種の紛争で住民支援に従事する先生方の大半が、そうした実情を理解し、「ゼロではないにせよ時給換算で超不採算」となる金額でやむなく受任しているのが通例ではないかと思います(この種の紛争は、真面目にやるのであれば事実関係から法制度まで膨大な調査、勉強が必要になりますので、採算を確保するのであれば相当な高額になることは必定です)。

そこで、最終処分場や中間処理施設の設置にあたり、適正処理などに関し問題が生じた際に、是正を求める法的手続を希望する地域住民が利用できる弁護士費用保険(保険商品)を作るべきではないかと思います。

そして、その保険契約は、施設側(許可を求める業者)が保険会社と契約し、保険料を施設側が負担とすると共に、そうした保険契約を締結していることを許可の条件の一つとして付け加え、その施設の稼働後、稼働内容に問題があると感じて訴訟提起等を希望する住民が保険会社に保険金利用を申告し、審査を受けるという形をとればよいのではないかと思います。

もちろん、保険会社は住民から申請があれば何でも認めるというのではなく、乱訴防止のため一定の審査をすることが前提になりますし、施設の稼働終了時(或いは埋立終了後の相当な監視期間の終了時)まで問題が生じなければ、保険料の多くが還付されるなど適正処理のインセンティブを高める優遇措置を講じるべきでしょうし、保険商品が複数ある(より住民の権利行使の支援が手厚いものと、そうでないもの)場合、より手厚い保険に加入している方に優良業者としての認証を付するといった考慮もあってよいと思います。

そうした保険制度・保険商品を、日弁連と保険業界が提携して開発し、環境省などに働きかけても良いのでは?と思いました。

もちろん、こうした発想(危険創出のリスクを担っている側が、そのリスクの潜在的被害者のために弁護士費用保険を負担する仕組み)は、廃棄物問題に限らず、有害物質などを扱う事業者(が設置されている地域)一般において応用されてしかるべき事柄だと思います。

そうした観点から弁護士費用保険を育てる観点を、関係各位に検討していただきたいところだと思っています。

また、上記のようなタイプの弁護士費用保険とは別に、住民訴訟一般で利用できるような「住民側が少額の保険料を負担し、訴訟などに相応しい事案で一定の弁護士費用を保険金拠出する保険商品」も、開発、販売して欲しいと思います。とりわけ、住民訴訟の場合、勝訴すれば相当な弁護士費用を行政に請求することも可能であり(地方自治法242条の2第12項)、談合などの巨額賠償が生じる事件では自治体から巨額の弁護士費用を回収する例もありますので、制度としても構築しやすい面があると思います。

そして、そうした動きが、やがては「国に対する住民訴訟(国の公金支出是正訴訟)」の創設に繋がっていけばよいのではというのが、司法手続を適切に利用し行政のあり方を民が是正していくことの必要性を感じている、多くの業界関係者の願いではないかと思います。

2 一般廃棄物(焼却灰)の広域移動(都会の灰が田舎に)という問題

ところで、今回の秋田調査で私が一番関心があったことは、「千葉から焼却灰が持ち込まれていること自体を、秋田の人々(地元民、地元行政、処理業者、県庁)はどのように受け止めているのか、そのこと自体に抵抗感ないし反感はないのか」ということでした。

そもそも、私自身は、今回の秋田調査の話が今年の6月に廃棄物部会に持ち込まれるまで、一般廃棄物(の焼却灰)が他県に広域処理されているなどという話は全く知らず、てっきり自県内(せいぜい関東・東北などの自圏内)で埋め立てられているものと考えていました(これに対して、産業廃棄物は昔から広域移動の問題があり、日弁連(廃棄物部会)の意見書・決議等でも取り上げています)。

それが、6月の廃棄物部会の会合の際に、千葉で廃棄物処理の問題に取り組んでいる方から「秋田の方から本件の相談を受けている、ぜひ日弁連で取り上げて欲しい」とのお話をいただいた際、恥ずかしながら初めて千葉から秋田に灰が搬送されているという話を知り、それが現行法で何ら規制されていないことに些か驚くと共に、「自圏内の生活ゴミ」たる一般廃棄物は、自圏内処理されなくてよいのか(他圏なかんずく過疎地域に搬送するのは、そこに一定の対価が介在するにせよ、「都会の厄介払い(エゴの押しつけ)」という性格を帯びるのではないか)」と感じずにはいられませんでした。

とりわけ、私の場合、「廃棄物問題への関わり」の原点(他の事件に関わったことがありませんので、現在まで実質的に唯一の実体験)になっているのが、「都会の膨大なゴミ(産廃)がまるごと故郷の山奥に不法投棄され、莫大な撤去費用が被害県に押しつけられた」事件である岩手青森県境不法投棄事件であるだけに、余計に、千葉の焼却灰が秋田に埋め立てられているという話を聞いて、同様の「嫌な感じ」を受けた面があります(それが、長年に亘る「東北と中央政権の不幸な歴史」に繋がる話であることは、申すまでもありません)。

そこで、秋田調査に赴く前に廃棄物の広域移動に関して少しネットで調べてみたところ、環境省が廃棄物(一廃・産廃)の広域移動を調査した報告書を取り纏めているのを発見しました。
http://www.env.go.jp/recycle/report/h27-01/index.html

これによれば、一廃については、「関東→北日本(東北・北海道)」のみ膨大な焼却灰が搬入されていることを示す図太い流れがあり、他のエリアは全く広域移動がないという、ある意味、異様とも言える表示がなされています(但し、よく見ると東京は域外搬出がありません。奥多摩方面に大規模な処分場が建設された影響でしょうか)。他方、産廃の場合、東日本は中部以東は北日本、以西は九州・沖縄という太い流れが示されています。

要するに、現在の社会では、「首都圏の生活ゴミ(一廃)は、首都圏で焼却し、その灰を北日本などに埋め立てている」という実情があり、少なくとも、搬入・搬出の双方の住民などが、そのことについて知らなくて(問題意識を持たなくて)よいのかという点は、強調されてよいのではないかと思います。

もちろん、「廃棄物の広域処理の何が悪いのか。管理型処分場(遮水シート)は安全だ(汚染の外部流出は基本的にない)というのが国の説明じゃないか。現在の「廃棄物処理の市場」を前提とする相当な対価も払っているじゃないか。そもそも、廃棄(消費)の前提となった物自体が、都会で生産されたものではなく地方をはじめ全国・全世界で生産されたものなのだから、廃棄物も生産側に戻してよい=消費地を廃棄地とすべき理由もないじゃないか」といった主張も、一定の説得力がないわけではありません。

これに対し、処分場絡みの紛争に取り組んでいる方々は、「遮水シートは耐用年数や破損などの問題があり、万全では全くない。だからこそ、現在の処理費用も原発の電力料金のように破綻リスクを含まない不当廉価というべきだ(だから、排出者側は十分な責任をとってない)」という主張をしており、私自身、どちらの主張が正しいか軽々に判断できる立場にありません。

今回の秋田調査でも、上記に述べたようなことを住民の方に説明した際、問題意識を共有して下さる方もお見受けしましたが、そのような方は多くはなく、秋田県庁の方と話した際にも、「県議会で、そのような観点からの反発はあったようだ。もちろん、ゴミの搬入自体は県民の一人として嬉しい話では全くないが、業者自身(GF小坂)が現行法上は優良業者と評するに足るもので、地元の産業振興の観点(同和鉱業グループ及びこれに依存する地域住民の雇用の存続)からもやむを得ないのでは」といったコメントをいただいており、こうした感覚は、受入側の認識としては典型的なものではないかと思われます。

ただ、少なくとも、千葉県民は「地元のゴミ(焼却灰)を引き取って貰っている」ことについて何らかの謝意を秋田側に示すべきではないかと思いますし、そうしたことも含めて、資源循環システムの全体像のあるべき姿も視野に入れつつ、社会における物の生産、消費、廃棄のあり方などを、多くの方々に検討いただければというのが、何かと犠牲を強いられやすい「流入圏」側の住民の一人としての願いです。

3 おまけ(隗より始めよ)

私は、家庭都合(兼業主夫業)や資力(最近話題の「弁護士の貧困」に残念ながら当方も無縁ではありません)などの事情から、廃棄物部会の現地調査(全国各地への出張)に参加するのも久方ぶりだったのですが、宿泊先に歯ブラシを持参するのを失念したので、宿の「使い捨てブラシ」を利用し、そのまま持ち帰り、歯磨き粉ともども、最後まで使い切りました(今回のブラシは1回で駄目になるような品質のものでしたが)。

日弁連廃棄物部会が取り組んでいた不法投棄問題などの総括をした平成22年人権大会決議では、「廃棄物の発生抑制」の見地から宿泊施設の使い捨て商品の有料化など(使用抑制)を提言しており(理由第3の1)、そうした観点も含め、私自身の戒め(或いはケチ病)として、なるべく自宅から持参し、失念したときも上記のようにしているのですが、全国の弁護士でそうしたことをきちんと行っている人がどれだけいるのだろうと疑問を感じざるを得ない面もあります。

余談ながら、日弁連(公害環境委員会)の会合のため上京すると、ご自身は地球温暖化防止などと言いつつ、館内はとても寒くて厚着を要する設定温度になっていたり、洋式トイレには「地球温暖化防止のため蓋を閉めよ」と紙が入っているものの、いつも開けっ放しになっていたり(掃除の方がいつもそうしているのでしょうか?だったら、一声かければいいのに・・)、私のように事務所でほとんどエアコンを付けない人間からすれば(事務局エリアからの送風で足りるとしていますが、少し汗ばみます。ですが、それこそが夏というべきでしょう)、残念に感じてしまいます。

上記に限らず、日弁連が社会一般に向けて何らかの意見を出していても、それに即した実践を会員個々に率先して求めるという話を聞いたことがなく、例えば、脱原発を標榜するなら日弁連会館はエアコン禁止(送風のみ)、エレベーターは原則として4階以上の移動のみOK(3フロア分までの移動は階段で歩きなさい)とするなど、「脱電力(浪費)」を率先して会員に強制する姿勢があって然るべきではないかと思います。

震災直後に平成23年4月に東京に行ったときにも似たようなことを思いましたが、日弁連に限らず、夏の東京の建物はどこに行っても岩手より寒い感じで、「おさんぽ怪獣」ことシン・ゴジラに放射能をまき散らして貰わないと「東京(ひいては日本社会)というエゴの塊」は何も変われないのかも知れません。

秋田県・小坂町の「千葉の高濃度焼却灰の搬入埋立問題」に関する日弁連調査①事件と調査の概要

9月上旬に、私が所属している日弁連公害対策環境保全委員会・廃棄物部会の企画で、秋田県小坂町にある廃棄物最終処分場の視察や関係先への聴取を中心とする調査に参加してきました。

この事件は、秋田県小坂町で明治初期から巨大鉱山を営む同和鉱業(現・DOWAホールディングス)の関連会社(グリーンフィル小坂。以下「GF小坂」)が営む廃棄物最終処分場に、1万強Bq/kg(以下「ベクレル」)の焼却灰約40トンが千葉県松戸市から搬入され埋め立てられていたことが判明したため、その対処や再発防止などが問題となったものです。

この処分場は、鉱山の操業停止などに伴い環境関連事業に業態転換を図っている同和鉱業(DOWAグループ)が、平成17年から稼働させ、自社グループの事業で生じた焼却灰(産業廃棄物)のほか、関東圏などの自治体が運営する一般廃棄物(生活ゴミ等)の焼却場(中間処理施設)で生じた焼却灰を受け入れている最終処分場(焼却灰専門の埋立場)です。施設の設置や産廃の処理業は秋田県の許可、一廃の処理業は小坂町と鹿角市により構成される広域事務組合の許可を得て操業しています。
http://www.dowa-eco.co.jp/business/waste/finish/

そして、平成23年7月(震災から間もない時期)、環境省が震災に伴う福島第一原発の事故を踏まえて首都圏などの自治体に対し、埋立(搬出)前の一廃の焼却灰の検査を求めたところ、前記のとおり、松戸市がGF小坂に搬出していた焼却灰から1万ベクレルを超える線量が検出された上、それが松戸市から小坂町に連絡された時点で、すでに40トンの焼却灰が現地で埋め立てられており、それらの事態にどのように対処すべきか(掘り返して搬出するのか埋め立てたままにするのか、前者なら松戸に返すのか(返せるのか)、後者なら汚染拡散対策などをどのようにするのかなど)が問題になりました。

結局、発覚後、一旦は千葉県からの焼却灰の搬入が停止され、GF社や小坂町が秋田県に対応を照会し、秋田県は環境省に対応を照会するという「環境省頼み」の展開になった後、環境省が平成28年8月31日に、8000~10万ベクレルの焼却灰の処分などの方法(推奨)に関する通知を出し、そこでは、雨水浸入の防止措置を講じるのなら管理型処分場でも埋立可とし、防止措置のあり方としては、埋立箇所の上部にコンクリートを敷設するような方法でも構わないという趣旨のことが書かれていました。
https://www.env.go.jp/jishin/attach/no110831001.pdf

そこで、秋田県はGF小坂に対し、上記の方法を講じさえすれば埋立済みの焼却灰の撤去(掘り返し)等は不要と回答し、GFも当該措置を講じたことから、問題となった「高濃度焼却灰」はそのまま現地に残され、その後は、GF側と小坂町との協議で、受入焼却灰の線量上限(4000ベクレル)や線量検査、埋立後の防水措置などの方法について協定がされ、それをもとに関東圏からの搬入も再開され、「問題となった焼却灰」の上に新たな焼却灰の埋立もなされている(ので、地表=現在の処分場の地上部から数十m?の奥深くに眠った状態になっている)という状況になっています。

要するに、「環境省通知に基づく汚染拡散防止対策をした」ので、県や自治体、事業者としては問題なし(解決済み)として焼却灰の受入が再開されているというのが現状ということになります。

こうした展開を辿ったことに対し、放射性物質汚染などを危惧する地域住民の一部は、「本件焼却灰の汚染発覚は、埋立後に松戸市から搬入した焼却灰と同じ場所で焼却された灰から1万強ベクレルの線量が検出されたとの通報があったことで判明したものである。よって、埋設された焼却灰そのものについて線量検査がなされたわけではなく、実際の埋立灰には1万を大きく超える線量があるかもしれないという不安がある。それなのに、県や施設側は、現物の線量検査=ボーリング調査(掘削)をすることなく、コンクリートを敷設しただけで足りるとしてしまった(但し、浸出水の線量検査などは従前から行われており、特段の異常値は出ていない模様)。それでは納得できないので、ボーリング調査を求めたい。」などと反発しています。

そして、本年6月頃に、支援者の方を通じて住民団体から日弁連(当部会)に視察調査の要請があり、当部会も震災から数年間に亘って「放射性物質に汚染された廃棄物の処理問題」を中心テーマとして取り組んでいたことから、すぐにこれに応じるとの方針になりました。

かくして、①住民団体、②小坂町役場、③GF小坂(処理業者)、④秋田県庁から事情聴取することと、併せて処分場など現地の関連施設を視察することとし、関係先に要請して実施してきたという次第です。

といっても、私自身は、日々の仕事と生活に精一杯のためか?放射能問題が絡む廃棄物処理の処理についてさほど知見を深めているわけではありませんので、難しい話は他の先生方にお任せして、小坂町が主要な目的地なので、運転手(盛岡駅から出発し、秋田県庁で解散となりました)兼宿泊先の手配係(大湯温泉に初めて泊まりました)というお気楽な役回りとさせていただきました。

部会では、今後は、本件の「決め手」になった環境省通知の内容や本件での関係者(搬出元たる松戸市、受入主たるGF、監督権者たる鹿角組合=小坂町や秋田県)がとってきた対応の是非などについて意見交換を検討しているとのことです。

私自身は、この事件について今年6月に説明を受けるまで、一般廃棄物の焼却灰は地元の(排出=焼却を実施した)自治体ないし都道府県内で埋立がなされているものと思い込んでいましたので、一廃(焼却灰)が首都圏から北東北まで広域移動(広域処理)されているなどという話は今回はじめて知りました。

もちろん、「首都圏の膨大なゴミ(有害性の強いものを含む)が、そのままの状態で山中に大規模不法投棄された」という岩手青森県境不法投棄事件とは異なり、あくまで焼却(中間処理)を実施した上で、現行法・現行実務上は「適法」に搬出・搬入されているものですから、単純に悪者視はできないでしょうけれど、それでも、「都会のゴミが、過疎地たる北東北に持ち込まれている」ことには変わりませんので、受入圏民としては、あまり好ましいこととは思えません。

廃棄物の広域移動については、「災害廃棄物の受入(広域処理)問題」で一時は脚光を浴びましたが、その後は(その前も)全く話題になっていませんので、ネットで少し調べたところ、環境省が廃棄物(一廃・産廃)の広域移動を調査した報告書を取り纏めており、首都圏の焼却灰が東北などに大規模に搬出されていることが分かりました(後日に再度、取り上げます)。
http://www.env.go.jp/recycle/report/h27-01/index.html

そうしたことの当否や、こうした出来事への「反対派(抗議派)」はもちろん、業者側(操業サイド)で働く地元民や、同和鉱業グループという「地域の圧倒的ガリバー企業(の今後の社会での生き残り戦略)」に様々な形で依存し支援せざるを得ない小坂町や秋田県などの難しい立場なども視野に入れつつ、色々なことを考えさせられながら帰途についたという次第です。

余談ながら、解散後に一人さみしく立ち寄った「道の駅協和」でウサギ肉が売っていましたので、土産に買って帰りました。マタギ文化?の関係で販売しているようですが、鶏肉のような味でした。

次回は、本件について「住民が執り得る(執り得た)手段」について幾つか考えましたので、こうした問題に関心のある方はご覧いただければ幸いです。

また、放射性物質に汚染された廃棄物の処理のあり方や、原発敷地からの汚染水対策(最近も話題になっている凍土壁問題)、健康被害対策の問題などに関心のある方は、昨年の日弁連人権大会決議もご覧いただければと思います。

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日本初の女性弁護士の知られざる物語と朝ドラ

今月の日弁連の機関誌「自由と正義」の冒頭で、鳥取出身の「日本の女性弁護士第1号」の方(中田正子弁護士)をNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)の主人公に抜擢して欲しいという鳥取の先生の投稿があり、サブヒロインなどの物語も交えた本格的な「あらすじ案」も載せられていて、なかなか読み応えがありました。

それによれば、その方の通学先の校長が新渡戸稲造博士なのだそうで、岩手弁護士会も支援し、バーターで新渡戸校長の出番を増やして欲しいと交渉しても良いのでは?などと余計なことを思いました(演じるのは誰が相応しいでしょう?丸いメガネが似合うイケメン紳士なら阿部寛氏?或いは「岩手の偉人ならどんとこい」の村上弘明氏?)

その学校で主人公に法律を教えていたのが「民法の神様」こと我妻栄先生で、キャラの位置づけが「五代さま」に近いのだそうです。テレビ化が実現すれば、米沢の生家(我妻先生記念館)に聖地巡礼する人も増えるのかもしれません(添付のとおり、私は平成25年にお邪魔しました)。

そういえば、我妻先生は安倍首相の祖父こと岸信介もと首相の親友とのことで(後年に安保条約改定を巡り対立したエピソードもあります)、若き岸青年の登場シーンも作れば、官邸(或いは官邸寄りと囁かれる?NHKの現会長)のテコ入れも得られるかもしれませんね(と言いつつ、実際の脚本では国家観を巡って二人に大喧嘩をさせたりして・・)。

或いは、大河ドラマ「山河燃ゆ」風に戦前戦後の司法(ひいては人権ないし人間の尊厳)のあり方を巡る様々な対立やエピソードを絡めた群像劇に仕上げていただければ、司法関係者としては見応えのある一作になりそうな気もします。

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本当は怖い?「サツキとメイの家」と縄文圏から吹く風~愛知編③~

愛知旅行編のラストです。毎度ながら大長文ですいません。

もともと、今回の旅行は、数年前に家族が「トトロ」をDVDで繰り返し見ている時間があったので、当時から一度はサツキとメイの家を見に行った方がよいのではという考えがあったからでした。

そして、同施設が保存されている「愛・地球博記念公園」に行き、実際に訪れたところ、幸い事前にコンビニでチケットを購入しなくとも無事に入館でき、最初の15分ほどを建物内、次の15分ほどを敷地周辺を巡る形で、つつがなく観覧を終了できました。

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私自身は「トトロ」ファンではありませんので(子供の頃はナウシカとラピュタは何度も見ましたが、トトロは女の子の見るものという偏見があり、大人になるまで見ませんでした)、淡々と中を拝見していましたが、お父さんの部屋の書棚を見ていると、不思議な光景に気付きました。

書棚には各県の民俗史や通史、考古学業界?関係の雑誌などが積み上がっていたのですが、埼玉県や同県などの市町村の歴史をまとめた本(自治体が編纂、出版しているもの)が並んでいる一角がありました。

で、そのコーナーを見ると、蕨市、大宮市や武蔵野市、武蔵村山市(旧・村山町)といった埼玉又は東京北部の自治体の史書が置いてあり、一般的にはこのエリア(狭義には狭山丘陵)が「トトロ」の舞台=本物の草壁家の所在地と言われていますので、そうしたことを考慮して選定されたものであろうことは、誰にでも分かることだと思います。

が、どういうわけか、その中に「北上市史」という本が含まれているのに気づきました。現在の埼玉県や東京都に「北上市」が存在しないことはもちろん、私の知る限り、このエリアにかつて北上市という自治体があったという話も聞いたことがなく、「北上市」とは、あの北上市、すなわち岩手県北上市しか思い当たりません。

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wikiで検索した限りでも、他に「北上市」という自治体は無いようですし、作品内でも北上市が何らかの関わりを持ったこともないはずですので、この棚の作り手(宮崎吾朗氏でしょうか)が、何らかの事情で東京・埼玉の自治体群の市史に混ぜる形で北上市の市史を差し込んだと考えるのが自然ではないかと思います。

誰がどのような理由でそれを決めたのか、私には分かりませんし、ネットで「サツキとメイの家 お父さんの本棚 北上市史」などと検索しても何の手がかりも見つけられませんでしたので、ここから先は完全に私の想像になりますが、私は、宮崎駿監督又は同氏の思想に共鳴する方が、次のような確固たる理由をもって意図的に北上市史を差し込んだものと考えます。

まず、「トトロ」は日本に昔から存在(居住)する化物(神)を指しているところ、このような異形の神を信奉する観念は、弥生文化(人間中心主義、科学的合理主義)ではなく縄文文化(アニミズム=自然崇拝)に属するものと理解しています。

そして、西から興り古代日本を制圧した大和朝廷は弥生文化を信奉する王朝であり、これと対峙した「蝦夷」の社会は、国家として統合されることなく集落(部族)ごとに集団生活を営むのを原則とするなど縄文文化の痕跡を色濃く残していた社会だと一般的には考えられていると思います。

また、日本書紀などでは大和朝廷に征服される以前の多くの蝦夷らの部族によって形成されていた社会を、総体として「日高見国」と呼んでおり、この日高見国(の本拠地)がどこにあったのかという歴史論争も過去にはあったように聞いたことがありますが、少なくともヤマトタケルの時代であれば、大和朝廷と戦っていた蝦夷の本拠地は、まさに武蔵国のあたりになるのではないかと思います。

このように考えると、あの本棚の制作者はトトロの棲家たる狭山丘陵周辺を「トトロを神として敬ってきた蝦夷のクニ(日高見国)の本拠地」と考え、その思想を表現するため、日高見国の名を継ぐ唯一の自治体である北上市の市史を敢えて本棚に差し込んだのではないかというのが、私なりの想像です。

ちなみに、北上にも、三内丸山や大湯環状列石ほどメジャーではありませんが、樺山遺跡という縄文時代の面影を残すエリアがあり、なかなか良い味わいがあります。
http://www.kitakami-kanko.jp/kanko.php?itemid=193

なお、wikiによれば、トトロの元ネタは宮沢賢治の「どんぐりと山猫」なのだそうで、その線も考えられなくもないのですが、そうであれば、賢治自身とほとんど関わりの無い北上市ではなく花巻市史か盛岡市史を差し込んだはずで、やはり「日高見国」がキーワードではないかと考えます。

もちろん、以上は私の想像に過ぎませんので、本当の理由をズバリご存知の方がおられれば、ぜひご教示いただければ幸いです。

ところで、縄文文化に光を当てた芸術家といえば何と言っても岡本太郎氏が有名ですし、私自身は、宮崎監督の作品群からはアニミズム(縄文的な感性)との親和性を感じ、岡本氏と同じ系譜に属する方ではないかと思っています。

そうした「縄文的な感性」を今に伝える巨匠が現在もいるのか(誰か)と考えると、ちょっと思い当たりません(先日に投稿した「シン・ゴジラ」考で述べた印象からは、庵野監督はこの系譜とは少し違うような気がしています。庵野監督がこの系譜に属する方なのであれば、次回作ではゴジラに変わる現代の異形の怪物を造形していただければと願わないでもありません)。

考えすぎかもしれませんが、縄文文化(アニミズム)の精神を現代に伝える巨匠の不在が続くと、やがては我国における縄文文化(多様性や異形の存在への畏敬)と弥生文化(社会・人民の統合と科学的姿勢)のバランスを危うくし、後者が勝ちすぎた挙げ句、仕舞いには画一的、統制的で驕慢な社会を生み出すことに繋がらないかという危惧がないわけではありません。

「トトロ」に関しては物語の内容をホラー的に解説する都市伝説を拝見することもありますが、上記のような文化的衰退が生じることこそが本当の意味での「恐ろしさ」というべきで、そのような事態にならないよう、現代人としての気概が求められるというべきではないかと思っています。

そんなことを考えつつ、サツキとメイの家の周辺の森を散策しながら一首。

巨匠らの夢に宿りし いにしえの森と風の精 いまはいずこに

その日の午後は、名古屋港水族館に行きました。凄まじい大混雑で、じっくりと生物を見ることができませんでしたが、沢山の魚介類などに混じって、ザラブ星人とケムール人を思わせる方々を発見しました(未見の方のネタバレ防止のため、写真の引用はしませんが、知りたい方は「名古屋港水族館 怖い」などと検索してお調べになって下さい)。

そんなわけで、愛知の旅を無事に終えることができましたが、今回の旅は、これまで述べてきたとおり、最初の東京編も含め、サツキとメイの家(古代)、犬山城(中世)、明治村(近代)、ジブリ展(現代)といった形で、様々な時代を幅広くかつバランスよく感じながら進めることができたように思います。

非日常の体験を通じて様々な時代に思いを馳せつつ現代人としての生き方を考える機会を与えられるということこそ旅の醍醐味でしょうから、同行する家族に感謝しつつ、今後も、こうした経験を享受できるよう、まずは日々の軍資金づくりに地道に勤しみたいと思います。

明治村と江戸東京たてもの園が伝える大日本帝国の光と影、そして水沢三偉人のメッセージ~愛知編②~

愛知旅行編の2日目ですが、本日は丸一日「博物館明治村」で過ごしました。明治村に来たのは初めてですが、かねてから帝国ホテル旧館などを拝見したいと考えていたので、もう一つのメイン目的地「サツキとメイの家」ともども、思い切って行くことにしたものです。明治村は丸一日歩いても足りないほど広大で学ぶものも多く、大いに満足させられました。
http://www.meijimura.com/

私自身、帝国ホテル旧館があることくらいしか事前知識がなかったので、パンフを片手に説明掲示を読みながら歩いていたのですが、石川啄木が東京時代に家族と共に住んだという「本郷喜之床」なる建物が移築されていたのには、少し驚きました。

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当事務所は「啄木新婚の家」の目と鼻の先にあるほか、私自身、大まかに言えば岩手県北(二戸)→函館→東京→盛岡という人生を辿っていますので、啄木とは人生航路が妙に近いものがあります(詩才には恵まれませんでしたが、カネにだらしない人間にもならずに済んだとは思います)。

啄木一家が住んだのはこの建物の二階だそうですが、残念ながら二階は立ち入ることができず、その代わり開け放たれた障子から啄木の等身大パネルが顔を出していました。村内には「啄木くん」が明治の文化?を開設する掲示もあり、盛岡や函館の各種施設での雄姿を含め、まるで生前の放蕩生活のツケを払っているかのように死後も半永久的に働かされている印象を受けないこともありません。

そんな「働き者の啄木くん」の姿に感じながら一句。

愛知まで 歌を詠まんと 出でにけり
とこしえに 出稼ぎせんとや 生まれけむ

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ところで、私は今年の6月に、「江戸東京たてもの園」を拝見したのですが、明治村と「たてもの園」は、共に「主に明治(或いは江戸末期)から大正期の本物の建物群を現地に移設して保存している施設」でありながら、その雰囲気はまるで逆と言って良いほど、対照的ではと感じました。
http://tatemonoen.jp/

少し具体的に述べると、明治村は、華やかな帝国ホテルを筆頭に、文明開化の象徴である鉄道(運行されているものの一つは、品川・横浜間で活躍していた車両なのだそうです)、郵便、学校や病院、軍事施設など、大日本帝国の威信を感じさせるものを中心に、キリスト教会などを含め明治文化の多様性や開放性を感じさせる様々な施設群があり、掲示されている説明文なども、大久保利通が推進した殖産興業に関するものを含め、明治の先人の「列強に追いつき、追い越せ」の努力を肯定的に描写しているものが中心になっているように思います。

これに対し「たてもの園」は、15年戦争(日中~太平洋戦争=大東亜戦争)や関東大震災を想起させる建物が多く、明治村に比べると、全体として何となく「暗い」雰囲気が随所に漂っているように感じます。

その象徴は何と言っても高橋是清邸であり、「2・26事件」で高橋蔵相が殺害された現場である二階の寝室は、今もそうした霊気ないし冷気を感じさせるものとなっています(携帯で撮影した写真がサイズオーバーとのことで、ご参考までに他の方のブログを貼り付けます)。
http://teitowalk.blog.jp/archives/24604881.html

また、大財閥・三井家の邸宅も移築されていますが、建物の雰囲気は、戦前の華族・財閥の栄華だけでなく戦後の彼らの没落を否応なく感じさせるものとなっており、明治村に比べると、「暗い」感じを強く受けます。

私自身はこの邸宅を歩きながら、幼少期にテレビで視た、横溝正史シリーズの「悪魔が来たりて笛を吹く」の微かな記憶(映像)を思わずにはいられないところがありました(同作品は、敗戦直後の子爵邸で生じた連続殺人事件とその原因たる旧華族のドロドロの人間模様を描いたものです)。

だからこそ、私自身は、「明治村」と「たてもの園」は、戦前の光と影をそれぞれ伝えるために生まれた、一連一体の施設ではないかという印象を抱かずにはいられませんでしたし、そうした「大日本帝国」期の日本の姿を体感できる2つの施設は、現代の日本人にとって、ワンセットで訪れるべきものではないかと強く感じました。

ただ、商売っ気がほとんど感じられない「たてもの園」は言うに及ばず、明治村も「テーマパーク」という見地からすれば、これに類するディズニーや日光江戸村(昨年のGWに初めて行きました)と比べると、入場者数はもちろん、コンテンツの充実度なども、観光客の立場から見ると大いに見劣りすると言わざるを得ません(飛騨牛の牛鍋を当時のままの店舗内で大変美味しくいただきましたが、それだけに知名度やPRの不足を残念に感じます)。

明治村内にも、明治期の和装姿の男性などが申し訳程度?に歩いておられるのを拝見しましたが、ディズニーらでは「キャスト」と呼ばれる仮装者らが園内を余すところなく闊歩し来場者に異世界に来たとの高揚感を盛り上げていることと比べると、せっかく「本物」の建物群を擁しているのに、ソフト面でそれを徹底活用するような試みがあまり見られないのは、残念なことではと感じました。

例えば、江戸村のように様々な明治人を物語風に造形して闊歩させたり、ディズニーのパレードや江戸村の花魁道中に対抗して鹿鳴館風の仮装パレードかバッキンガム宮殿風の壮麗な閲兵式なども考えてもよいのではと思うのですが、どうなのでしょうか(建物内でのパフォーマンスは、本物ゆえの制約があるのかもしれませんが)。

また、ぜんぜん「江戸」になっていない江戸東京たてもの園は言うに及ばず、「明治村」という名称も、集客(特に、海外向け)という点では、とてもセンスがないように感じてしまいます。

「明治」や「昭和」は所詮、日本国内でしか通用しない概念ですし、まして、明治どころか昭和すら遠くなりにけりの現代ですから、いっそ元号ではなく、この空間を象徴するキーワードである「大日本帝国」という言葉を全面に押し出してよいのではと思います。

例えば、明治村に「大日本帝国物語~栄光の明治編~」、たてもの園に「同~鎮魂の昭和編~」などというサブタイトル(キャッチフレーズ)でも付して世界に売り出してはいかがでしょうか。

大日本帝国などと称すると隣国から無用の反発を受けるなどと批判される向きもあるかもしれませんが、戦前の光と影の双方に向き合い、それを学ぶための施設だということを説明できれば特段の問題はないと思いますし、日本の近現代の足跡を世界に理解を求めるという意味でも、何より、未だに「大日本帝国」という存在を消化、清算できていない現代日本人がこれと向き合う契機にするという意味でも、「大日本帝国の光と影を学ぶ場所」というコンセプトを、両施設は全面的に打ち出して良いのではと思います。

その上で、単なる学習施設にすることなく、十分な集客力と感銘力のある学習と娯楽の双方の機能をセンスよく兼ね備えたコンテンツの構築を考えていただきたいところです。そうした意味では、オガール紫波に代表される民営による公共サービスの新たな形(稼ぐインフラ)が模索されていることが、そうした施設の運営のあり方を考える上で、参考になりそうな気がします。

ところで、岩手には「大日本帝国の光と影」を強く感じることができる施設があることを知っている人は、県民といえど多くはありません。

奥州市(旧・水沢市)は、地元で輩出した幕末の蘭学者・高野長英(蛮社の獄で死亡)、後藤新平(明治後期~大正期の政治家で台湾統治や関東大震災の復興政策の従事等が有名)、斎藤実(軍人、政治家。昭和初期の首相で親米軍縮派の巨頭)の3人を「水沢三偉人」として記念館を建てて顕彰しており、3つの記念館を順番に廻ると、幕府がどのようにして終わり、明治日本が何を築こうとし、どうして破綻したのかということが、それなりに分かるものとなっています(私は5年ほど前に一度だけですが訪れたことがあります)。

だからこそ、後藤新平記念館は「明治村」に、斎藤実記念館は「たてもの園」に似ており、特に、高橋是清邸を訪れた岩手人は、斎藤実(内大臣)が高橋蔵相と共に2・26事件で凶弾に倒れたことも想起せずにはいられないのではないかと思います。後藤記念館の「華やかさ」と斎藤記念館の「暗さ」という点でも、両者のパラレルさを感じずにはいられないところがあります。

「たてもの園」のハイライトが高橋是清邸であるように、斎藤記念館も、2・26事件の原因(軍部台頭の背景の一つとなった昭和恐慌と東北の困窮)と顛末を描いたところで終わっています。

そのことを踏まえて、「そのあと」すなわち大戦で国家・国民・海外に生じた惨禍と教訓を現代人に伝える施設等がどれほど存するのかと考えると、靖国神社の遊就館(5年ほど前に拝見しました)や広島・長崎の原爆資料館など(残念ながら未見です)が思いつく程度で、国民や外国人観光客から広く「一生に一度は行くべきだ」と共通認識を得られているような著名なものはあまり存在していないのではないか(少なくとも、「体感」できるものは原爆ドームなど広島・長崎の現存施設くらいでは)と、残念に感じました。

また、「明治の前(幕府の終焉)」という点でも、水沢の高野長英記念館に匹敵する学習施設が国内にどれだけあるのだろうと考えると、私の知識不足かもしれませんが、あまり思いつくものがなく(萩はまだ来訪の機会に恵まれていません)、その点も寂しいような気がします。

大河ドラマ「花燃ゆ」では吉田松陰を指して「維新はこの男から始まった」というキャッチフレーズが使われていましたが、高野長英記念館を一通り廻れば「維新(幕府の終焉)は、本当はこの男から始まった」と思わずにはいられなくなる面はあります。

そうしたことも含め、近現代の光と影や来し方・行く末、教訓などを、現代人が正しく(欲を言えば、広義に「楽しく」)学ぶことができる営みがもっと盛んになされればよいのではという思いを、明治村を拝見しながら新たにした次第です。

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南部人は犬山城に盛岡城の夢を見る~愛知編①~

今年の夏は、愛知県方面に2泊3日で旅行しました。もともと、愛・地球博記念公園の「サツキとメイの家」に一度は行ってみたいと思っていたので、それを軸に、愛知県の幾つかの観光名所を絡めることにしました。

当初の計画では、初日に犬山市にある「博物館明治村」に行く予定でしたが、現地に到着すると、本日休館となっていました・・

そのため、急遽、犬山城に向かいましたが、翌日、明治村は丸一日を要する施設だと思い知った上、初日は午後7時から木曽川の鵜飼見物をする関係で、4時までには犬山城の河畔の宿に到着する必要があったので、結果として、明治村が2日目になったのは天恵というほかありません。

それはさておき、犬山城では、晴天に恵まれ、天守閣(望楼)からの景色も大いに満足することができました。

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犬山城は木曽川を臨む小高い丘の上に造られた平山城で、国宝に指定されている日本最古?の現存天守閣であるほか、江戸期の思想家・荻生徂徠が、三国志の英雄・劉備の終焉の地である蜀の白帝城に似ていると称したことでも有名です。

私は、平成11年の夏に、中国の三峡下り(長江三峡)に行ったことがあり、中国人向けの大型客船に三泊四日の船旅で乗り込んだのですが、その船は白帝城には泊まってくれなかったものの、早朝に白帝城のすぐそばを横切り、朝霧の中かすかに目にしたことを覚えています。そんな訳でとりあえず一句。

本物は朝もやに消ゆ白帝城

ところで、犬山城は羽柴秀吉と徳川家康が激突した「小牧・長久手の戦」(柴田勝家を滅ぼした秀吉が織田宗家の簒奪を完成させ天下取りの基盤を確立させる契機となった、天下分け目の戦い)の舞台の一つになっており、戦の号砲を告げるような役割を担っています(徳川軍に討ち取られた羽柴方の池田恒興が犬山城を占領したのが戦端だそうです)。

そのように考えると、犬山城(秀吉)も、本家・白帝城(劉備)と同様に、一国の支配者となった人物に深い関わりのある城ということで、見た目だけでない共通点もあるように感じます。

さらに言えば、秀吉も劉備も卑賤の身から曲がりなりにも天下人に上り詰め、存命中も人望を集め、死した後も長年に亘り庶民の人気を得てきた点で共通するほか、二代目で国が滅ぼされたことまで重なっています。

余談ながら、「今太閤」と呼ばれ、最近は語録が注目されている田中角栄もと首相も、二代目である真紀子氏が満身創痍で落選・引退した後、跡を継いで政治の世界に身を投ずるお孫さんはおられないようで、何か通じるものを感じずにはいられない面があります。

そんなわけで、眼前にある秀麗な城を含め、人の身には余りあるものを手にすることの怖さを感じながら浮かんできた一首。

古城告ぐ つわものの夢の恐ろしさ 劉備秀吉二代で滅びる

ところで、この日は、犬山城を木曽川を挟んで望む対岸にある、「みづのを」さんという旅館に宿泊しました。宿の方によれば、犬山城を訪れる中国人は増えているものの当館へ宿泊する人は多くないとのことでしたが、私の知る限り、本家・白帝城を望みながら温泉などに浸かれるという宿は当地には存在しないはずで、「白帝城を河上に望む湯」として良識ある中国人の勧誘に力を入れてもよいのではと、露天風呂で犬山城の雄姿を独り占めしながら思いました。
http://www.mizunowo.co.jp/

また、早めに夕食を済ませ、7時に乗船して夜の木曽川鵜飼も拝見し、終了後には10分ほどでしたが船上から8月上旬のみ行われているという本格的な打ち上げ花火も堪能できました。
http://kisogawa-ukai.jp/

私自身は事前にほとんど調べておらず、偶然このような行程になったのですが、犬山城を訪れる方は、8月上旬(但し、特別の理由がない限り宿泊料が跳ね上がる花火大会の日は避ける)に夜の鵜飼見物付きで宿泊すれば、概ね晴天+鵜飼+夜の犬山城の船上見物+終了後の花火という豪華セットを堪能できますので、とても良いのではと思います。

ところで、木曽川から犬山城を見ているうちにふと思ったのですが、盛岡城は、築城当初は北上川が現在の位置ではなく大通三丁目→同一丁目→菜園(城の堀沿い)→中津川・雫石川とと合流という流れになっており、江戸初期に氾濫対策を理由に現在の位置に移動されています(盛岡市民は大半の方がご存知だと思います)。

もし、北上川がその位置を変えることなく、盛岡城本丸などが現在もその姿を留めることができていれば、北上川から望む盛岡城は、犬山城に負けない秀麗な姿であったであろうことは、間違いないところでしょう。

残念ながら、現代では北上川を元の位置に戻すことがあり得ないことはもちろん、盛岡城の本丸も正確な図面がないことなどから復元困難と言われており、盛岡城の本来の雄姿は「夢のまた夢」と考えられています。

それだけに、とりわけ岩手・盛岡の方々は、木曽川に浮かぶ犬山城に在りし日の盛岡城を懐かしみつつ、盛岡が何を得て何を失ったのかといったことなども考えてみるのも、一興ではないかと思います。

この日は、ライトアップされた犬山城と木曽川を月が照らしていましたが、私が三峡を通過した平成11年8月上旬の夜も、終点である西陵峡のあたりでは満月が大渓谷を美しく照らしていました。それに魅せられ、船上で漢詩の真似事を作ったことなどを思い出しました。

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金魚が魅せる奇の華と、ジブリ広告が伝える時代の転換点

半月ほど前の話になりますが、夏休みの一環として、東京・日本橋の「アートアクアリウム」という金魚展と、六本木ヒルズで開催されている「ジブリ展」に行きました。

アートアクアリウムは、特注の巨大な水槽に膨大な数の高価な金魚を泳がせて鑑賞するというもので、今年が10周年であることやテレビで取り上げられたことなどから、大盛況で入場まで1時間近く待たされましたが、それなりに見応えがあり、「金魚が描く美の世界」を鑑賞させていただきました。
http://artaquarium.jp/nihonbashi2016/

今回はじめて知ったのですが、金魚はもともと鮒(フナ)の一種で、中国で突然変異として生じた種を千年以上に亘り継承、繁殖させ、種類を増やしてきたものなのだそうです。

このように、偶然に生まれた「変わり種」の価値を認め、育む文化が盛んになれば、やがては社会に様々な華が咲き誇るというのは、金魚或いは芸術に限らず、社会一般に当てはまることではないかと思います。

wikiでさっと調べたところ、金魚の本場・中国では、文化大革命の時期に、金魚産業が敵視され壊滅的な弾圧を受けたとのことで、そうした光景と文革時代の「共産党中国」の画一性(没個性・文化弾圧)的なメンタリティにも視野を広げると、「奇なるものが花開いた存在」としての金魚に、なおのこと親近感を抱くことができそうな気がします。

私自身、子供の頃より時に周囲から孤立するような「変わり種」の典型で、それが、悪戦苦闘を経て曲がりなりにも自分の個性を生かすことができる仕事につくことができていますので、こうしたイベントが、個性の多様さを大切にすべきというメッセージを伴ってくれればと感じずにはいられないものがあります。

そんなことを思いながら一句。

いろどりは 奇を愛でる世に 咲き誇る

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次に、「ジブリ展」に行きましたが、こちらは、ラピュタのオープニング?に出てきた巨大な飛行艇の模型(部屋一杯を占める規模のサイズのもの)が見応えがあったほか、ジブリ(鈴木敏夫氏ら)が、トトロ以後の映画の宣伝文言にプロ(糸井重里氏)のコピーを採用するようになった経緯などを述べたところが、特に印象に残りました。
http://www.roppongihills.com/tcv/jp/ghibli-expo/

実際、ナウシカやラピュタのポスターに付された宣伝文言(コピー)が、トトロ以後のジブリ作品と比較すると宣伝に関する考え方が非常にかけ離れているというか、ナウシカ・ラピュタの宣伝文言が、今の感覚から見ると非常に古臭く時代遅れのように感じました。

とりわけ、この2作品そのもの(映画の内容)が現代人の感覚から見ても今も色あせない魅力を持っているだけに、宣伝文言との落差が、ある意味、ショッキングにすら感じました。

パンフレットをもとに具体的に書きますと、ナウシカ・ラピュタのメインのコピーは次のようになっています。

風の谷のナウシカ:少女の愛が奇跡を呼んだ。
天空の城ラピュタ:ある日、少女が空から降ってきた・・・

これに対し、「トトロ」以後のコピーは、代表的なものを挙げれば次のようになっています。

となりのトトロ :このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。
魔女の宅急便  :おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。
おもひでぽろぽろ:私はワタシと旅に出る。
紅の豚     :カッコイイとは、こういうことさ。
耳をすませば  :好きなひとができました。
もののけ姫   :生きろ。
千と千尋の神隠し:トンネルのむこうは、不思議の町でした。
風立ちぬ    :生きねば。

前者(トトロ以前)と後者(トトロ以後)で強く感じるのは、後者は、コピーの文言・内容が、主人公又はそれに準ずる者(内心を代弁する何か)が作品の本質(核心的なメッセージ)をモノローグ的に述べ、それを読み手にストレートに伝えたいという姿勢が顕著になっているのに対し、前者にはそうした姿勢を全く感じません。

例えば、「トトロ」なら、サツキとメイが、現在、或いは大人になった姿で、「このへんないきものは・・」などと語りかける光景を誰もが違和感なく感じることができる(何より、「サツキとメイ」自身が誰よりもトトロが今も日本に存在して欲しいと願っている)ことは、間違いないことと思います。

魔女の宅急便も、未熟な少女として魔女修行の旅に出た主人公が、小さな挫折や落ち込みを経験しながら逞しく育っていくという作品(作り手)の核心的なメッセージを主人公のモノローグの形をとって伝えていることは、一見して明らかで、他の作品も、そうした「わかりやすさ」がコピーに強く反映されています。

他方、ナウシカもラピュタも、上記のコピーは、全くもって主人公等のモノローグという形になっておらず、「少女の愛が奇跡を呼んだ」などと、第三者が、外部的・客観的な目線で作品の内容を語るような文言になっています。

また、「奇跡を呼んだ」などという文言も、作品内容からすれば確かにそのとおりなのでしょうけど、何というか、心に突き刺さるものを感じません。

ナウシカやラピュタは、科学文明(人智で社会を作り替え人間の願望を際限なく叶えることができるという思い上がり)への警鐘や、それと対置する自然(がもたらす価値)への畏敬、礼賛を意識して作られているというのが一般的な理解かと思いますが、そうしたものへの想いも、これらのコピー(「奇跡」「空から降ってきた」)からは、微塵も感じません。

それだけに、悪く言えば、コピーが作品世界を愚弄すらしているのではないかという不快感や違和感すら受けるところがあります(ナウシカもラピュタも主人公の内面世界にさほど踏み込まず、昭和的なスーパーヒーロー像に沿っていますので、作品世界と乖離しているわけではないと評すべき面もあるかもしれませんが)。

そのような感覚を踏まえて上記のパンフレットを読み返すと、トトロ以後は、ジブリの総責任者というべき鈴木敏夫プロデューサーが、糸井重里氏を起用してコピーに強いエネルギーを注ぐようになったのに対し、最初の2作品は、制作部門への従事(狭義のプロデューサー業務)で手一杯で、コピーをはじめとする広告的なことは「ヤマト」や「銀河鉄道999」の広告などに従事していた方々に任せていたという趣旨のことを述べていることが、その答えになるように感じました。

すなわち、ナウシカ・ラピュタは、1970年代(昭和の時代)のアニメの全盛期を担ってきた方々が、その感覚で映画宣伝のあり方を考え、従事しており、第三者の目線で、おおまかな映画の雰囲気やインパクトのあるシーン(少女の奇跡、空から降ってきた)を伝えることが広告のコンセプトになっていたのに対し、トトロ以後は、主人公の内面世界やそれを前提とした作品のメッセージを抽出し、限りなくストレートにそれを伝えることが、広告のコンセプト(現代に相応しい「売れる=消費者の心を揺さぶる」やり方)であると認識され、実践されるようになるという、大転換が生じたのではないかということです。

私自身はナウシカやラピュタを映画館では見ていませんが、ガンダム(もちろん初代)の映画版は映画館で見た記憶がありますので、さきほどネットでガンダムのポスターを調べてみたところ、やはり、ポスターに付されたコピーの内容は、ナウシカ・ラピュタと同じコンセプト(第三者的かつ叙述的で個人の内面世界に立ち入ることはしない内容)で描かれていました。

そう考えると、トトロ以後のコピーを「今どき」と感じ、それ以前のコピーを古臭く時代遅れのものと感じること自体、私自身が、「個人の内面と向き合うべし」という現代人の感覚或いは「ジブリが仕掛けた宣伝戦略」に洗脳?されているという見方も成り立つのかもしれません。

パンフレットには、トトロ以後の宣伝の手法(コピー)について高畑監督が鈴木プロデューサーに対し違和感を述べたり、鈴木氏自身、大衆消費社会向けのプロパガンダ的な手法ではないかと述べている下りもあり、「個人の内面をテーマにする」というトトロ以後のジブリの広告展開が、個人が様々な帰属集団(大家族、地域社会、企業云々)から切り離されてバラバラになり、何らかの拠り所を求めていた現代社会のニーズに適合していた(だからこそ宣伝の仕方によっては危ういプロパガンダになりうる)という面があったことは、確かなのだろうと思います。

裏返せば、昭和の時代にはそのようなニーズが社会内になかった(主流ではなかった)からこそ、トトロ以前の映画では現代とは違ったコンセプトでの宣伝文言が採用されていたのでしょう。

「ジブリ展」そのものは、ゴーギャンの作品世界を意識した最新作の紹介や、ラピュタなどで描かれた「空へと向かう人類の夢」を具現化したジオラマ模型など様々な見所がありますが、そうした「時代」と「広告」の関係を感じたという点が、私にとっての収穫だったように思いました。

現在、ジブリは作品制作を止めつつありますが、以上に述べたことも考えると、或いは、単に宮崎監督らの高齢という問題に止まらない新たな時代の転換点が生じ、そのことも影響しているということなのかもしれません。

先日、大ヒット上映中の「シン・ゴジラ」を拝見しましたが、同作では、「エヴァ」で主人公の内面世界のドロドロを描いた庵野監督が、一転して、日本人・日本社会が個人ではなく組織・集団の力でゴジラという超絶的な力に立ち向かう姿を描いていました。

ひょっとしたら、次の時代のトレンドは、「脱・個人」、ひいては現代社会で様々な既存集団の解体などによりバラバラになった(ように見える)個人の新たな帰属集団への再構築(そうした意味での、新たな社会の創出)といったものになるのかもしれませんし、そうした営みは、すでに着々と始まっているような気もします。

 

ポスト震災時代を代表する日本映画「シン・ゴジラ」が描く「弥生的行政国家ニッポン」の強さと弱さ

前田有一氏の「超・映画批評」での激賞に釣られて、「シン・ゴジラ」を見に行ってきました。私は、平成9年の司法試験の合格発表日=合格を知る直前に新宿の映画館で「エヴァンゲリオン」の最終話を見ましたが、庵野監督の映画を見るのはそれ以来で、何となく特別な感慨があります。
http://movie.maeda-y.com/movie/02100.htm

それはさておき、前評判どおり大変興味深く拝見し、娯楽作品として大いに楽しむと共に色々と考えさせられ、大満足の一作でした。

以下、ネタバレを極力避けつつ、強く印象に残ったことを少し書きます。

1 稲田防衛相vsシン・ゴジラたち

まず、前半の「突然の災禍に右往左往する日本政府の面々の姿」については超映画批評で述べられているとおりですが、その中で、防衛大臣として気丈に総理の決断を求める女性の言動などが、現防衛相たる稲田大臣とイメージが重なると共に、映画の製作時には現実(公開時)の人選まで予測するのは困難でしょうから、ある種、神がかり的なものを感じました。

特に、米軍機が活躍したある場面で、この女性(防衛相)が全く嬉しそうにしていない一幕があったのですが、この瞬間は、安倍首相が心中望んでいるであろう?対米自立路線の後継者と目される稲田大臣の姿が特に思い浮かび、もし同氏が演じられた場合にはどのような表情になるのだろうと想像せずにはいられませんでした。

総理や官房長官の言動なども、どなたをイメージするかはさておき、現実の政治家の方々に近いものを感じたという方もおられるかもしれません。

2 震災をバネにして作られた、最初?の名作

次に、私がこの作品で特に感じたのは、この映画は東日本大震災津波を明らかに意識している、仮にそうでなくとも、あの震災がなければ、これほどのリアリティを感じさせる力作は生まれなかったのではないかということと、同時に、この作品は震災(被災者)を冒涜することなく、むしろ、震災以後、日本国内の「作り手」の全てに与えられた「震災を題材(誤解を恐れずに言えば「ネタ」)とつつ、被災者に顔向けできるだけの質の高いメッセージ性を持った作品を作る」という宿題に、真っ向から取り組んだ作品ではないかという点でした。

この臨場感は映画館でぜひ見ていただきたいのですが、とりわけ前半部分(やラストシーンあたり)で、あのときの災禍の最中や津波が去った後の光景として国内であまた流れた映像を強く意識した場面(報道の伝え方などを含め)が非常に多く出てきます。こうした「デジャヴ感」は、震災に限らず、冒頭で生じる地下道内の自動車事故のシーンは、数年前に我が国で生じた某重大事故を想起させるものがあります。

だからこそ、それら災害への関わりが近かった人ほど、これらの映像を見ていると、心揺さぶられるものがあることは間違いありません。

他方、誤解を恐れずに言えば、私はこれらの映像を見て、よくぞこれを映像化してくれたという奇妙?な感覚を抱かずにはいられないものがありました。

というのは、震災からしばらくした頃から「震災は未曾有の災禍だが、そこから人間は多くのものを学ぶなどしている(学ぶべきでもある)のだから、震災を題材に、現代や人間の様々な課題の解決を大衆に問うような芸術作品や娯楽作品などが作られるべきだと思っていました。

が、私の勉強不足かもしれませんが、「震災を題材にしたメジャーな作品」と呼べるものは、みんなで歌って涙する(した)「花は咲く」くらいのもので、被災者の尊厳を害しない形で震災の災禍を再現しつつ、より高次のテーマを提示するような作品というのは、ほとんど見られなかったのではないかと思います。

それだけに、様々な重要テーマを社会に広く伝えている本作において震災を強く想起させるシーンが繰り返し使われたことは、特別の意義があるのではないかと感じています。

3 「核や放射能の災禍への抗議(と克服)」という主題と庵野監督の集大成

超映画批評では、日本社会の組織の特性やその弱さ、強さの表現こそが本作の重要なテーマであるという趣旨の説明がなされており、大いに首肯するところはあるのですが、他方で、世間で言われるゴジラのテーマは、「核や放射能の災禍への抗議」という点ではないかと思います。

本作でも、この点は、中盤の最重要シーン(ゴジラが大きな災禍を表現する場面)で強く強調されていたのではないかと思いますし、その災禍が、誰のせいで発動したのか、或いは誰に向けられてなされたものであるか、そして、それを発端として日本人・日本社会が甚大な被害を受けたという、あの場面の描き方は、それを引き寄せた日本政府側の対応を含めて、核や放射能の惨禍への抗議を伝えることを目的としたと言われている初作の忠実な再現という点では、真骨頂と言えるシーンではないかと感じました。

また、本作ではあまり踏み込んだ表現はなされていないものの、震災(原発事故)以来、誰もが夢にみてきたであろう「放射線被害の抜本的解決策」という論点も提示され、そうしたことも含め、日本が描く現代版ゴジラとしての面目躍如だと感じました。

恥ずかしながら私自身は初作をはじめゴジラシリーズをほぼ全く見たことがなく、すぐにでもゴジラ初作を借りて見たくなりました。

また、この「ゴジラの大暴れシーン」は、我々の世代なら多くの方が巨神兵をイメージしたでしょうし、ある意味、ゴジラと巨神兵(数年前にTVで放映されていた「巨神兵東京にあらわる」を含め)とエヴァンゲリオンの3つを「だんご三兄弟」のように力技で統合した(一括りにまとめた)名場面だと感じ、それが核の恐怖による支配という現代社会への抗議との見方ができることと相まって、怖さより感動?で目頭が熱くなるものがありました。

4 現代日本が「大久保利通が江藤新平を惨殺して作った国」であること

ところで、本作には、弁護士はもちろん裁判官も検察官も、法務大臣すらも含めて「司法」の関係者が全く登場しません。映画の登場人物は、逃げ惑う大衆を別とすれば、名前があるのは自衛隊などの現業部門から大臣まで、ほぼ全て「行政」の関係者で、立法部門も与党政治家が少しばかり登場する程度になっています。国会議員であろう主人公らも、国民との直接のつながりを感じさせる場面がなく、「官」の一員としての面を色濃くしています。

震災の発生時や直後に現実の司法業界の存在感が希薄だったのと同様、「生の暴力」が出現する場面では出番が生じにくいのかもしれませんが、作品前半は法律(対処法令)に関する話が矢継ぎ早にでてくるだけに、ゴジラ(社会の存立脅かす存在)と総力戦で対決するニッポンという光景に狭義の法律家には出番が与えられていないことには、一抹の寂しさを禁じ得ません。

前田氏の言葉をお借りすれば、この作品の主要テーマが「日本という国家の強靭さ、しぶとさ」であるだけに、改めて、我が国における司法部の存在感のなさを印象づける作品だなぁと感じる面はあります。

ただ、そうした「国家というイメージの中での司法部の存在感のなさ」は今に始まったことではありません。

司馬遼太郎氏の「翔ぶが如く」には、現代日本の礎をなした明治の創生期に日本の政治体制の路線選択を巡って大きな政争があり、「行政官僚が国家の設計図を描いて主導し、国民はそれに従う代わりに行政に保護される」道を重視した大久保利通と、「国民の人権・自由を広く保護し、国民が議会を通じて権利・利益の実現と国の舵取りを図ることで社会を発展させると共に、ルール違反があれば徹底的に取り締まる」道を求めた江藤新平との争いがあり、江藤があまりにも無残な形で大久保に負けて悲惨な殺され方をしたことと、それが我が国における体制選択の大きな岐路であったことが詳細に描かれており、この点は、最近刊行された「逆説の日本史」の最新刊にも若干ながら触れられています。

この政争などで大久保が勝利し現在まで続く強固な官僚制度を構築したことが明治政府の運営を決定づけたことは巷間よく言われていることではないかと思いますし、「ニッポン国家のしぶとさ」をテーマとする本作において司法の出番がないことの根源を考えると、ここに行き着くのではないかと感じます。

その上で、一見すると基本的人権や国民主権などという江藤の理想が実現したようにも見える現代日本においても、「ニッポンを守護するのは行政官僚群による国家堅持の知恵と国民保護の情熱だ」として説得的に描かれていることに、この問題のある種の根の深さを感じずにはいられないところがあります。

余談ながら、大学生が憲法を勉強する際に最初に学ぶことの一つに「司法消極主義と付随的違憲審査制」がありますが、私は、これらの淵源は米国ではなく、司法部の利害を最初に担った江藤新平があまりにも悲惨な負け方、死に方をし、これに伴い戦前社会で司法が行政に仕えるものと位置づけられてきたことが、日本の司法消極主義の根底にあるのではと思っています。

ちなみに、ご存じのとおり、大久保利通も西南戦争の直後に非業の死を遂げるわけですが、その後、彼の遺志を継ぐ人々により「行政国家・大日本帝国」が建設されていったことを考えると、「次のリーダーがすぐに決まるのが強みだな」という作中のセリフも、また違った深みや課題を感じさせてくれる面があるように思います。

5 描かれた「弥生国家ニッポン」と「縄文の道(或いは、サツキとメイ)」の不存在の寂しさ

もう一つ、本作の特徴として感じたのが、ゴジラと向き合う人々の姿勢が、撃滅であれ他の道であれ、ゴジラを人間にとってコントロール可能な(コントロールすべき)存在として認識しており、こうした超絶的な存在を、人間を超越した存在(神)として崇め奉ろうとする(そうした観点から共存の道を図ろうとする)人が誰も出てこなかったという点でした(この点は、ややネタバレになってすいません)。

昔の日本映画なら、「八つ墓村」で登場するヒステリックな老婆のように、新興宗教まがいの扮装で、ゴジラと戦うな、畏れ敬えなどと叫んで大衆に呼びかけるエセ宗教家のような御仁が登場することがあったと思いますし、そうしたパロディ的な話ではなく、真剣にゴジラとの共存の道、或いは、物語の結末とは違う方で、ゴジラから人類が物事を学ぶような道もあり得ると思うのですが、そうした「ゴジラと向き合うもう一つの選択肢」は全く議論などされることがなかったという点は、「尺」(放映時間)の問題もあったのかもしれませんが、正直なところ寂しく感じました。

それと共に、後半部分のゴジラとの対決計画を着々と練り上げ、組織として粛々と遂行していく登場人物達の姿を見ていると、「神(異界の超越的存在)なき世界」を描いているように見え、縄文的(自然界に潜む超越的な存在を畏敬しながらその恩寵に与るという思想)ではなく弥生的(自然界の惨禍を人間の努力で克服し、それを前提に自然の恩恵を受けるという思想)な世界観を強く感じました。

この点は「となりのトトロ」など宮崎駿監督の作品と対比すれば分かりやすいのではと思いますが、「トトロ」では、超越的な存在であるトトロと少女達が親しくなり、子供なりの畏敬を交えてトトロの奇跡を楽しんだり助けられながら共存していく姿が描かれていますが、同じ「異界の存在」でありながら、本作のゴジラと人々との間には、そうした光景ないし端緒は描かれていません。

それだけに、仮に、宮崎監督がゴジラ作品に携わることがあれば、そうした「人とゴジラとの共存」をテーマにした、本作とも全くコンセプトの異なるゴジラ作品を練り上げてくるのではないか、また、それ(人間の超越的存在への向き合い方)こそが、宮崎監督と庵野監督との分水嶺なのかもしれないなどと感じました。

また、超映画批評では石原さとみ氏の熱演について「崩壊一歩手前のおバカ演技をみせる素っ頓狂なキャラクター」と評されていますが、現代ニッポンに「天上」から様々なお達しをしてくる某国を「今どきの神サマ」と考えるのであれば(本作でも、某国の要求が自分勝手だ(が逆らえない)と首相らが愚痴をこぼす場面が頻出します)、さとみ氏がエキセントリックに熱演する女性の役回りは、某国の代理人としてその言葉を伝えると共に、某国と日本政府を仲介し、主人公をはじめ日本の指導者の進む道を決定づける点など、まるで現代の卑弥呼そのものと言うことができます。

そうしたことも含めた「縄文vs弥生」という伝統的な日本文化の観点も交えて本作のディテールを解釈してみるのも、面白いのではないかと思ったりします。

6 おまけ

極私的な感想で恐縮ですが、個人的には、「八重の桜」で山川浩の姉を演じていた市川実日子氏の熱演が印象に残りました。私自身が、目が大きくて細身で気が強くて頭の回転が速く早口で異端児の女性に惹かれる類の人間だからかもしれません。

そうした観点から当方家族の過去と現在を思うと・・・
おっと、コマさんタクシーとおぼろ入道華雄が来たようだ。