北奥法律事務所

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税金の不正使用の予防等に関する弁護士の活用と民主政治

会計検査院が岩手県庁と県内8市町に対し、平成20年から25年にかけて国の補助金で行われた緊急雇用創出事業に法律違反があったとして、約5700万円を国に返還すべきという趣旨の報告をしたとの報道がありました。

主に問題とされたのは、山田町を舞台とする「大雪りばぁねっと」事件と被災県などでコールセンター事業を展開したDIOジャパンの倒産事件の2件で、いずれも県内でも大きく報道されてきた事案です。報道によれば、前者が1300万円強、後者が4300万円強とされています。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20151107_3
http://news.ibc.co.jp/item_25716.html

恐らく、その全額又はかなりの部分について、県や関係市町は国に返還=支払をするのでしょうし、両事件とも事件当事者からの回収については悲観的な見方をせざるを得ないのでしょうから、それらの返還金については、県などが自ら支出した補助金と共に、県民に負担が重くのしかかることになります。

ところで、以前も少し触れましたが、私は大雪事件の関係者(岡田栄悟氏ではありません。仮に「Aさん」といいます。)の方の刑事裁判に途中から国選弁護人として関わり、特殊やむを得ない事情で、大雪事件を巡りA氏が関係する多数の民事紛争の処理(要するに清算を巡る後始末)までも引き受けざるを得なくなり、今も、その対応に追われています。

本件では、大雪の破産管財人、山田町に加え、前代理人との間でも訴訟手続が必要となり、最近は多少は落ち着いてきましたが、去年の初夏から秋にかけての時期は、多数の関連事件のため膨大な労力を投入せざるを得ず、民事事件では相応のご負担をいただいたとはいえ、必要な作業のあまりの多さに「時間給ベースでは、当事務所の開業以来最悪の巨額赤字事件」という有様で、泣きそうな思いで対応してきたというのが率直な実情です(峠は越したと思っていますが、まだ終わりが見えません)。

こう言っては何ですが、何人もの弁護士が登場する中、大雪事件の民事手続で現に関わっている「岩手の弁護士」は私一人ということもあり、会議とか抽象的な意見書の類や丸一日かけて誰も来ない被災地相談会に行くことよりも、こうした事件の適正解決に汗をかくことこそ地元弁護士の役割だという矜持のようなものだけで自分を支えているというのが正直なところです。

詳細は書けませんが、A氏のスタンスは、債権者への適切な配当のため管財人の管理換価に協力するのを基本としつつ、A氏自身が事件の処理や解決のため多額の自己資金の投入を余儀なくされたので、その回収を裁判所の理解を得た相当の範囲内で行いたいというものです(これは、裁判後の記者質問でも繰り返し説明しています)。

この点は裁判所も理解を示しており、「天王山」というべき訴訟では、これに沿った和解勧告もなされているのですが、管財人によれば、一部の債権者の反対があるとのことで、決着が進まない状態が続いています。

当方としては、少なくとも私が関与するようになってからは、それ以前とは一転して、動産の換価や某施設を巡る和解など管財人や山田町の作業が円滑に進むよう様々な形で協力しているだけに、残念に感じています(まだ書けませんが、やむを得ず、「窮鼠猫を噛むかのごとき、次の一手」を検討しています)。

ところで、何のためにこんなことを書いてきたかというと、Aさんは、この事件の中で大きな関わりをしたことと、本人に迂闊な面があったことは確かなのですが、自らの私利私欲を図ったわけではなく(現に、私が関わる以前から、「すっからかん」の状態でした)、詰まるところ、「巨額の税金が使用される事業に関わるには未熟すぎた(ので、留意すべき大事な場面で易きに流されてしまった)」という評価が、最も当てはまるのではないかと感じています。

また、岡田氏に関しても、さほど全体像を把握しているわけではありませんが、幾つかの不幸な偶然で、身の丈をあまりにも超えたカネ(税金)とヒト(部下)を与えられたため、結果的に身を滅ぼすことになったというべきで、少なくとも、初期の段階から「税金を食い物にして私利私欲を図ろう」との判断ではなかった(或いは、独りよがり云々の批判はさておき、本人の主観では、最後まで、一連の出費は彼の思い描いた「被災地支援事業」なるものを実現し継続させるためのものだったのかもしれない)という印象を受けています。

だからこそ、この件では、「使った側」の責任を問うだけでは全く不十分で、第三者の適正な監視、監督を欠いたまま、「公金を適正に使用する資格」を持っていない未熟な人々に高額な税金を渡し、使用させた(或いは、国を含め、その仕組みを作った)人々の責任が強く問われるべきであると共に、再発防止策に関し、事案の経過を踏まえた、より踏み込んだ手法の導入が図られるべきではないかと感じています。

そうした意味では、前者(責任追及)に関しては、住民訴訟が検討されてしかるべきではないかと思われ、そうした動きがないことが、とても残念です。一般論として、その種の住民訴訟は、いわゆる左派系の団体さんが行うことが通例と認識していますが、そうした方々に提訴のお考えがないのであれば、いっそ保守系勢力の方々がなさってはと思わないこともありません。

上記の観点から、地元行政だけを悪者にするのは間違いで、制度の構築等に関する国の責任も視野に入れるべきだと思いますし、その点で、十数年前に我が国を震撼させた大規模不法投棄事件における原状回復に関する国と自治体の費用負担などを巡る議論(とりわけ、私も関与した日弁連シンポの提言)は、参考になる点があるはずです。

また、後者(再発防止)に関しては、端的に、補助金の支給や費消に関して監視、監督する第三者(支給側である行政と受給側の事業者の双方から独立した立場で実務に携わる者)の関与を拡げる仕組みを作るべきだと思います。

具体的には、「一定以上の金額の税金(補助金)を受給して行う企業は、補助金交付の趣旨(その法律の趣旨)に即した支出をするだけの能力があるか、或いは、受給後に、その趣旨に合致する適正な使用等をしているか」について、例えば、弁護士や公認会計士、税理士などに、調査、報告等させる仕組みを作るべきではないかと感じています。

現在の社会では、弁護士の出番は、「第三者委員会」に見られるように、事後的なものばかりが中心となっていますが、食えない弁護士(公認会計士も?)が増えたとされる今こそ、薄給でいいのでそうした仕事をしたいとの供給サイドの要望はかなりあるのではと思われますし、日弁連なども、「行政は被災者に援助せよ」といった意見書も結構ですが、そのような仕組みの導入(と地元弁護士の働き口の創出)にも尽力していただきたいものです。

何より、そうしたものを導入させていくには、結局のところ、その必要性を理解し、人々に訴えていくだけの「政治=民主主義のチカラ」というものが育たなければ、どうしようもないのだと思っています。

民主主義(議会制民主政治)というものが、「公権力に税金を取られること」に対する自主権の獲得を発端として始まったことは、誰もが教科書で学ぶことではないかと思います。

しかし、「取られるかどうか」だけで使い道はどうでもよいというのが民主主義の社会でないことは、言うまでもありません。

「投票するときだけ主権者」という社会では、国民主権・民主政治とは言えないのと同様に、税金の使い道をより良くさせるための仕組みの構築や運用に人々が関わっていくことこそが、本当の民主主義の実現の道なのだということにより多くの方の共感が得られればと、願ってやみません。

と同時に、そうした営みに積極的にサポートすることが現代社会の弁護士の役割の一つになるべきだとの認識で、そうした場面に必要とされるよう、今回の件も僥倖なのだと感謝し、まずは地道な研鑽を重ねていきたいと思います。

田子の浦にて歌聖と戯るの記

旧ブログで掲載していた、平成25年1月に静岡県富士市にある「ふじのくに田子の浦みなと公園」を訪ねた件について、再掲しました。

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万葉集に登載されている山部赤人の歌は、教科書でも必ず取り上げられていることもあり、これを知らぬ日本人はいないと言っても過言ではないと思います。

田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける

私にはこれを訳すだけの力はありませんので、ネットで検索される代表的な訳を引用すると、次のように述べられています。

大和朝廷の官吏である山部赤人が東国に赴任する際に田子の浦付近から見た雄大な富士の姿に心打たれて、素朴な感動を高らかに詠み上げたものと理解されているようです。

“田子の浦を通過し視界が開けた場所まで出てみると、富士山の高いところには真っ白い雪が積もっていた”

田子の浦は、静岡県富士市の太平洋に面する付近にある海岸であり、その港は、現在は同県有数の工業都市たる富士市の玄関口として、企業の工場や油槽所、港湾関連施設などが立ち並んでおり、詩情を感じることがあまり期待できない状況が何年も続いていました。

私は、ご縁あって何年も前から時折、富士市周辺を訪れているのですが、最初に訪れた際、「ここは山部赤人の歌で有名な田子の浦なので、きっと風光明媚な公園などがあり、先人を顕彰しつつ市民の詩情を育成しているに違いない」と思っていました。が、ガイドブックを見てもそれらしい記載を見つけることができず、大いに残念に思ってきました。

で、今年の元日は時間が出来たので、数年前に入手した「富士市観光マップ」を片手に、山部赤人の歌碑がある場所に向かうことにしました。

歌碑の存在は何年も前から知っていたものの、マップによれば、歌碑は、港湾地帯の隅にひっそりと設けられているように見えることもあって、これまでは優先的に行こうとする意欲が湧かなかったのですが、今年は富士市に点在する史跡巡りツアー(平家越=富士川合戦記念碑など)の一環として、行ってみることにした次第です。

ところが、現地に行ってみると、大変驚かされました。

富士市は、そこ(田子の浦東端の太平洋岸)に、「ふじのくに田子の浦みなと公園」という都市公園を造営しており、土砂の埋立による防潮堤としての活用を兼ねた高台の見晴らしのよい公園として、平成25年の春頃?の完成を目指し、整備を行っていました。

それまで田子の浦港の一角で不遇を託っていた山部赤人の歌碑も、公園の中心部に移設され、付近からカメラを向けると、歌碑の背景には富士と愛鷹山だけが綺麗に収まります。

人の背丈よりも遥かに大きい歌碑は、ストーンサークルの石柱やオベリスクの類を見ているようでもあり、このような視界が開けた場所に設けられるのがよく似合います。

振り返ると、駿河湾全体を見渡すような広大な海岸線に、太平洋の白波が打ち寄せている壮大な光景を目にすることができ、伊豆半島西岸の荒々しい断崖も、手に取るように見ることができます。

波打際がテトラポット群となっている点だけが残念ですが、砂浜の護岸のためやむを得ないのかもしれません。

公園の造営そのものに関しては、観光客が知ることが出来ない、綺麗事だけでない地元の事情もあるのかもしれませんが、率直に言って、この光景は、新富士駅で途中下車しタクシー又はレンタカーで往復するだけの価値はある、なかなかのものだと言えると思います。

そんなわけで、甦りつつある和歌の聖地・田子の浦を素朴に祝って一首。

青空に映ゆる白嶺に白波に 田子の浦から詩情ふたたび

これだけでは物足りないので、蝦夷の末裔の1人として、歌聖への返歌の真似事のつもりで一首。

蝦夷らも うらみを捨つる白雪を 田子に見ゆるはいつの頃から

大意:大和朝廷に祖国を滅ぼされた東国の民=蝦夷(えみし)には、田子の浦から富士を高らかに詠み上げた山部赤人の歌すらも、勝者の凱歌のように感じ、哀しみを深めずにはいられなかったのではなかろうか。

しかし、そんな彼らも、田子の浦から見える白雪を纏った美しい富士の姿を目にすることで、過去のわだかまりを捨て、新しい社会(統一国家・日本)のために己が身を尽くすようになったに違いない。

東国の人々も西国に行き来するようになり、雄大な富士の姿を目にして、そんな思いを共有できるようになったのは、いつの頃からであろうか。

皆さんも、ぜひ一度、訪れて歌聖と戯れてみてはいかがでしょうか。

富士市におかれても、駐車場や子供向けの遊具等だけでなく、気の利いたカフェテリアなどの整備も検討いただければと思います。

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今も日本と世界に問い続ける「原敬」の足跡と思想

昨日は盛岡出身の戦前の大政治家・原敬の命日ということで、菩提寺や生家跡の記念館で追悼行事がなされたとのニュースがありました。
http://news.ibc.co.jp/item_25696.html
http://news.ibc.co.jp/item_25691.html

盛岡北RCの例会でも、地域史などに圧倒的な博識を誇る岩渕真幸さん(岩手日報の関連会社の社長さん)から、原敬の暗殺事件を巡るメディアの対応などをテーマに、当時の社会や報道のあり方などに関する卓話がありました。

途中、話が高度というかマニアックすぎて、日本史には多少の心得がある私でも追いつけない展開になりましたが(余談ながら、前回の「街もりおか」の投稿の際も思ったのですが、盛岡で生まれ育った人はマニアックな話を好む方が多いような気がします)、それはさておき、今の社会を考える上でも興味深い話を多々拝聴できました。

特に印象に残ったのは、「原敬を暗殺した少年は、無期懲役の判決を受けたが(求刑は死刑)、昭和天皇即位等の恩赦により10年強で出獄した。その際、軍国主義の影響か反政友会政治の風潮かは分からないが、暗殺者を美化するような報道が多くあった。そのことは、その後の戦前日本で広がった、浜口首相暗殺未遂事件や5.15事件・2.26事件などのテロリズムの素地になっており、マスコミ関係者などは特に教訓としなければならない」という下りです。

「大物政治家を暗殺した人間が美化される」という話を聞いて、現代日本人がすぐに思い浮かぶのは、韓国や中国における安重根事件の美化という話ではないかと思います。

安重根の「動機」や伊藤博文統監の統治政策について、軽々に論評できる立場ではありませんが、少なくとも、「手段」を美化する思想は、暴力(武力)を紛争解決の主たる手段として放棄したはずの現代世界では、およそ容認されないものだと思います。

それだけに、仮に、中韓の「美化」が手段の美化にまで突き進んでしまうのであれば、それらの国々が戦前日本が辿ったような危うい道になりかねない(ひいては、それが日本にも負の影響を及ぼしかねない)のだという認識は持ってよいのだと思いますし、そうであればこそ、「嫌韓・嫌中」の類ではなく、彼らとの間で「日本には複雑な感情があるが、貴方のことは信頼する」という内実のある関係を、各人が地道に築く努力をすべきなのだろうと思います。

私が司法修習中に大変お世話になったクラスメートで、弁護士業の傍ら世界を股に掛けた市民ランナーとして活躍されている大阪の先生が、韓国のランナー仲間の方と親交を深めている様子をFB上で拝見しており、我々東北人も、こうした営みを学んでいかなければと思っています。

ところで、wikiで原敬について読んでいたところ、原内閣が重点的に取り組んだ政策が、①高等教育の拡充(早慶中央をはじめとする私立大の認可など)、②全国的な鉄道網の拡充、③産業・貿易の拡充、④国防の拡充(対英米協調を前提)と書いてあったのですが、昨日のRCの例会で配布された月刊誌のメイン記事に、これとよく似た話が述べられており、大変驚かされました。

すなわち、今月の「ロータリーの友」の冒頭記事は、途上国の貧困対策への造詣が深く、近著「なぜ貧しい国はなくらならいのか」が日経新聞でも取り上げられていた、大塚啓二郎教授の講演録になっていたのですが、大塚教授は、低所得国に早急な機械化を進めると非熟練労働者を活かす道がなくなり、かえって失業や貧困を悪化させるとした上で、中所得国に伸展させるために政府が果たすべき役割について、①教育支援、②インフラ投資、③銀行など資本部門への投資、④知的資本への投資と模倣(成果の普及)による経済波及という4点を挙げていました。

このうち①と②はほぼ重なり、③も言わんとするところは概ね同じと言ってよいでしょう。民間金融を通じた地方の産業・貿易の拡充として捉えると、現代日本の「地方創生」「稼ぐインフラ」などの話と繋がってきそうです。

そして、④も、当時が軍事力を紛争解決の主たる手段とする帝国主義の時代であるのに対し、現代はそれに代えてグローバル人材が一体化する世界市場で大競争をしながら戦争以外の方法(統一ルールの解釈適用や交渉)で利害対立を闘う時代になっていることに照らせば、時代が違うので焦点を当てる分野が違うだけで、言わんとするところ(国際競争・紛争を勝ち抜く手段の強化)は同じと見ることができると思います。

何より、大正期の日本は、ちょうど低所得国から中所得国への移行期ないし発展期にあったと言ってよく、その点でも、原敬の政策や光と影(政友会の利権誘導政治、藩閥勢力との抗争など)などを踏まえながら大塚教授の講義を考えてみるというのも、深みのある物の見方ができるのではないかと感じました(というわけで、盛岡圏の方でRCに関心のある方は、ぜひ当クラブにご入会下さい)。

ところで、岩渕さんの卓話の冒頭では、「原敬は、現在の盛岡市民にとっては、あまり語られることの少ない、馴染みの薄い存在になってきており、残念である」と述べられていました。

私が9年間在籍した青年会議所を振り替えると、盛岡JCは新渡戸稲造(の武士道)が大好きで、1年か2年に1回、新渡戸博士をテーマとする例会をやっていましたが、原敬や米内光政など先人政治家をテーマとして取り上げた例会などが行われたとの記憶が全くありません。

戊辰の敗戦国出身で決して裕福な育ちではなく、紆余曲折を経た若年期から巧みな知謀と大物の引き立てにより身を興し、「欧米に伍していける強い国家」を構築する各種基盤の構築に邁進し、それを支える新たな権力基盤の構築にも絶大な手腕を発揮した点など、原敬は、「東の大久保利通」と言っても過言ではない、傑出した大政治家だったことは間違いないのだと思います。

だからこそ、両者が、絶頂期かつ志半ばの状態で暗殺により歩みを中断させられたことは、織田信長しかりというか、この国の社会に不思議な力が働いているのかもしれないと感じずにはいられないところがありますし、余計に、前記の「テロリズム礼賛の思想」を根絶することの必要性を感じます。

それだけに、地元で人気がない?(素人受けせず、通好みの存在になっている)点も、大久保利通に似ているのかもしれない、そうした意味では、対立したわけではないものの、同時代人で人気者の新渡戸博士は、いわば盛岡の西郷隆盛のようなものかもしれない、などと苦笑せずにはいられないところがあります。

皆さんも、「古くて新しい原敬という存在」に、よりよい形で接する機会を持っていただければ幸いです。

街もりおかと「わが町を愛する壮年経済人」たちのモノローグ

10月13日のブログで、2年前にタウン誌「街もりおか」に投稿させていただいた文章などを掲載しました。
街もりおかへの投稿(ドラマ「火怨」考)と「記事のバラ売り」

その件で、先日、同誌の「盛岡JC投稿グループ」元締めのSさんに、他の面々の投稿をデジタルで見ることができないのかと頼んだところ、気前よく?これまでのJC執筆陣(約25名)の投稿をPDFファイルで頂戴したので、さきほど、一気に拝読しました。

執筆陣の皆さんは、私と同じく「テーマは盛岡、あとは自由」とSさんから指示を受けて執筆したと思いますが、本当に多種多様で、皆さんの個性や人柄がよく表現されており、大変興味深く拝見できました。

個人的には、和菓子職人のNさんの投稿に掲載されていた、亡くなられたお父さんの言葉(技術は年月をかけて積み重ねるもの、焦らなくともよい、それより志が大切だ、どんな和菓子を作りたいか目標を持って続けることだ)が、同じ職人同士として心に残りました。

それは恐らく、私もNさんと同じく、先達から手取り足取りの指導を受けておらず、現場で足掻きながら、職業人(法律実務家)としての志を心の拠り所にして研鑽をしてきた面が強いので、JC在籍時のNさんの姿勢をよく知っていることも相俟って、特にそのように感じたのだろうと思います。

また、JCで仲良くなったものの、お仕事に関するお話を伺う機会に恵まれなかった方が、各人の本業に関する専門知識を上手に披瀝しつつ盛岡の風土や文化などを論じている文章も、非常に読み応えがありましたし、お名前等は存じているものの、ほとんどご挨拶する機会に恵まれなかった方に関するエピソードなども、その方の顔立ちや若干ながらも在籍時に接した足跡などを思い起こし、そういうことだったのか的なささやかな感動を得ることができたと思います。

申すまでもないことなのでしょうけど、顔や人となりを存じている方の書いた文章は、書き手に対する一定の知識があればこそ、行間の光景が色々と見えてきて、味わい深く楽しめる面があります。

また、書き手が、執筆時に概ね盛岡JCを卒業して間もない40歳前半の方という共通項があるせいか、全員が同じテーマを与えられつつ、各人の辿った道や過去の人生でこだわりを持って取り組んできたこと、職業等を通じて積み重ねた矜持などといったものを踏まえた個性と才知あふれる投稿が満載で、個々の話題は全く異なる内容ばかりなのに、「盛岡」という地理的な概念を超えた、共通するメンタリティが投稿群から浮かび上がっているという点でも、印象に残りました。

旧司法試験時代の格言?で「優秀な答案は、問題文を読まなくとも答案から適切に再現できる」というものを聞いたことがありますが、今回拝見したエッセイ群は、「盛岡というテーマで、各人の前半生を振り返り、地域人又は職業人としての矜持やこだわりについて述べて下さい」という設問に対する論文集という面もあるように思われ、こうした営みが今後も続くと共に、JCの後輩方をはじめ、他の方々にまとまった形で知っていただく機会があってよいのではと感じました。

また、盛岡育ちの方と他の県内出身者の方、東京等の出身の方とでは、投稿の傾向が異なる(三者の内部=同じ共通項を持つ方同士では、割と書きぶりが似る傾向がある)点なども、興味深く感じました。

ところで、10月13日の投稿では、「街もりおか」(のようなタウン誌)に掲載された各文章を、「これだけは読みたい」という層のため、ネット上でバラ売りしていただければという趣旨のことを書きましたが、面識等のある方々のこうしたエッセイ集を読むと、改めてその意を強くせずにはいられません。

過去のものは筆者の個別承諾が課題になるかもしれませんが(ネット上の再掲・配信等に関する権利もタウン誌側に帰属するか云々の法律上の論点はさておき)、今どき、昔の知り合いなどをネット検索することは珍しくないと思われ(反対尋問のネタ目的で検索をする弁護士も珍しくありませんが)、タイトルなどが表示されたページを発見して「あの人が、こんな投稿を出してるのか」と驚き、少額の閲覧料を支払ってでも見てみたいというニーズは、相応にあるのではと思います(黒歴史だから後に残すなという執筆者もいるかもしれませんけど)。

また、「街もりおか」は郷土の偉人や埋もれた各種文芸・文化資産などを取り上げた投稿など、学術的価値のある投稿も多く含まれていると思います。可能なら、記事群を体系化するなど「アーカイブス化」して閲覧できるようになれば、なお良いのではと思っています。

ともあれ、そうした作業はすぐにできるものではないそうですので、また1、2年後にでも、JC陣の原稿を同じような形で拝見できればと思いますし、それこそ、少額でも課金して、「地元の茶菓子が報酬」の執筆陣はさておき、将来のアーカイブス構築の原資にでもしていただければと感じています。

ロータリーとリーダーシップ

盛岡北ロータリークラブは毎週水曜日が例会となっており、私はほぼ毎週参加していますが、一度だけ弁護士会の行事と重なったため欠席したことがあります、

その翌週に届いた会報を見たところ「温泉ソムリエ」という若い女性の方が卓話にいらしていたことを知り、よりによってこんなときにと、悲しさを禁じ得ませんでした(笑)。

それはさておき、翌週の例会では、本年度の岩手・宮城地区のガバナー(地区の全RCを代表する立場の方。岩手と宮城で1年交替になっています)である菅原裕典氏の公式訪問がありました。
http://www.ri-d2520.com/governor_message.html

で、先に到着していた菅原ガバナーが入口で各会員に挨拶(名刺交換)をなさっていたのですが、私がご挨拶したところ、開口一番、「小保内さんですね。このクラブで一番若い会員だと聞いています」と仰ったので、大変驚きました。その上、卓話(講演)の際も、私の名前と最近入会したことを挙げて、こうした若い世代にロータリーへの関心や入会意欲を高めて欲しいと仰っていたので、二度びっくりしました。

菅原ガバナーは、所属されている業界では仙台で最大手クラスの企業を一代で築き上げた方だと人づてに聞きましたが、JC在籍時にも時々体験した、「強烈なリーダーシップや気配りの力を持った方が、グイグイと人の心を掴んでいく光景」を直に見せられたような気がして、勉強になりました。

菅原ガバナーによれば、国歌斉唱などをピアノの生演奏(会員の女性の方)で行っているのは、地区内では当クラブと仙台RCだけとのことで、入会半年程度の私が申すのも何ですが、大変居心地のよいクラブでもありますので、盛岡広域圏でRCへの入会を検討されている方は、ぜひ当クラブにお越しいただければ幸いです。

マイノリティとして生きていくということ

ここ1年ほど、LGBT(各種の性的マイノリティ)がメディアに取り上げられる機会が非常に増えたように思います。

3年ほど前、性的マイノリティの方に関する事件を取り扱ったことがあり、その際、依頼主の背景に関する理解を深めるべきと考えて、以下の本を読んだことがあります。併せて、次の投稿をしており。再掲することにしました。

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先日、上川あや「変えてゆく勇気」という岩波新書の本を読みました。

筆者は性同一性障害(MtF)の方であり、まだ、この障害がほとんど社会に認知されていなかった時代に生まれ育ち、様々な辛酸をくぐり抜けた後、区議会議員に立候補して当選し(現在も現職)、性同一性障害性別取扱特例法(特定の条件を満たせば、戸籍上の性別を変更=人格に適合させることができる法律)の制定運動にも携わった方です。

性同一性障害については、人格の一種であって障害と位置づけるのは適切ではないとの見方もあると思われ、本書でも、トランスジェンダーなどの言葉が紹介されており、この障害(人格)について勉強する上で、入門書として大いに参考になります。

ところで、私自身は、性に関しては典型的なマジョリティですが、ささやかな障害(左耳の聴力が皆無で左側からの会話が困難)があるほか、人格に関しては衆と交わることができない変わり者の典型という面があり、様々な場面で、自分がマイノリティだなぁと感じて生きているように思います。

本書は、性同一性障害のような重い問題を背負っていなくとも、何らかの生きにくさを抱えマイノリティ意識を感じて生活している方にとっても大いに共感できる本であり、多くの方にご一読をお勧めしたいと思いました。

また、本書は、性同一性障害性別取扱特例法の制定に関するロビー活動(立法支援運動)を詳しく取り上げているため、何らかの法(法律、条例等)を作るための運動をしたいという方にとっても、大いに参考になるように思われます。

本書では、立法を支援したキーマンとなる政治家として南野千恵子議員(元法務大臣)の尽力が紹介されているほか、議会での折衝などが紹介されており、当時の国会で強い影響力を持っていた、青木幹雄・自民党参院会長との面談のシーンは、その象徴的なものと思われます。

また、大前提として、どうしてその法を作りたいのか、そのことによって誰を(或いは自分を)、どのように救いたいのかといったことについて、切実な必要性や深い思索、それを実現しようとする強固な意思がなければ、これまでの社会通念を変えていくような法の創造などというものは到底できないし、できたとしても様々な苦闘や紆余曲折が必要になるのだということも、当事者ならではの言葉として伝わってくるものがあります。

JCなどに絡んで、「まちづくり」的なことに関わっている方から条例などについて尋ねられることもあったのですが、曲がりなりにも法の運用に携わる身としては、様々な方に、社会を活性化させる正しい法の創造に積極果敢に取り組んでいただきたいと思う反面、上記のような重みにも、よく思いを致していただければと思ったりもします。

街もりおかへの投稿(ドラマ「火怨」考)と「記事のバラ売り」

2年前(平成25年)の6月に、肴町の若大将ことSさんの依頼で、「街もりおか」という雑誌に寄稿させていただいたことがあります。聞くところでは、若い投稿者と読者を増やしたいとの編集長さんの方針で、Sさんが盛岡JCの関係者に声を掛けており、現在もJC関係者が必ず?一人は投稿し続けているのだそうです。

私は、小説やエッセイなどを読む習慣がなく、購読している日経新聞すら積ん読→数ヶ月をまとめて処理という日々になっていますので、残念ながら同誌を購読できる状況にはないのですが、JC関係者など知り合いの方が投稿された際には、それだけでも読んでみたいと思っています。

可能であれば、「街もりおか」も、ネット上に記事のタイトルと出だしの文章を載せて、閲覧料を支払えば、希望する記事を読むことができるような仕組みを作っていただきたいものです。新聞も有料で記事を配信していることを思えば、特段、珍しいものでもないでしょう。

特に、地元向けのタウン誌については「知り合いの書いたものなら読みたい。少額の対価なら問題なし」という層はそれなりにいるはずで、商売としても、成り立つのではないかと思います。

Sさんはパソコンやシステム関係の超人というのが私の認識ですので、ぜひ、その点についてのご尽力をお願いしたいところです。

というわけで、2年前に載せた文章を再掲しましたので、当時は見ていないという方は、ご覧いただければ幸いです。

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盛岡には、地元在住の作家さんが運営なさっている「街もりおか」という雑誌があるのですが、先日、ひょんなことから寄稿依頼を受けました。

下記に引用したネット記事のとおり、読書好きの中高年層が読み手の、硬派?なタウン誌とのことで、市内のいわゆる教養人の方々が、盛岡をテーマとして様々な寄稿をなさっているようです。
http://morioka.keizai.biz/headline/187/

引用記事によれば、新聞や全戸無償配布誌のように世間に広く流布しているわけでもないようですので「折角なので、書いたものをブログ等に載せてもよいですか」と尋ねたところ、「宣伝になるならOK」と快諾をいただきました。

というわけで、刊行されたばかりの「街もりおか」6月号に、下記の記事が掲載されていますので、私の駄文はさておき、市内でお買い求めの上、他の方々の投稿をぜひご覧になっていただければと思います。

ところで、私の投稿ですが、読む人によっては、「街もりおか」の発行人であり、盛岡を代表する作家でもある高橋克彦氏(大河ドラマ2作品の原作者)に対し挑戦的な物言いをしているように読めないこともありません。この辺は、強大な力を持った方に無謀な戦いを挑むのが二戸人のDNAということで、ご了承いただきたいところです。

ところで、この「街もりおか」ですが、ネットで少し検索した限りでは、雑誌自体のHPは設けられておらず、過去の記事などを閲覧することは困難のように見えます。

私は、数年前、日本の法曹界の黎明期の偉人であり、中央大学の創設者の一人でもある菊池武夫氏(盛岡市加賀野出身)に関する投稿を「街もりおか」で読んだことがあります。

このような記事は、例えば、ネットで冒頭部分を表示しさらに読みたい人が少額の購読料(10円とか50円とか)をネット上で簡単に支払って読むことができる、といった形で運営していただければ、読み手にも作り手にも持続可能なのではないかと思いました。

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~弁護士業務から歴史ドラマを考える~

先日、BSプレミアムで「火怨・北の英雄アテルイ伝」が放送されており、以前に原作を拝読して心揺さぶられた身としては、見逃すわけにはいかないとの思いで視聴した。が、壮大な戦闘シーンだけでなく、ストーリーの骨格部分でも原作とは大きな変更があり、不満の残る脚本となっていた。

私が最も疑問に感じたのは、「静かな暮らしを守る善良な蝦夷達」と「それを虐げる朝廷の官人や征服欲剥き出しの桓武帝」という単純な善と悪の対決の構図に描かれていること、何より、坂上田村麻呂が桓武帝の征服欲の手先として、その命令を遂行する道具になり果てたような人物像となっていた点である。

一般的な評価は言うに及ばず、原作でも、もう一人の主役というべき大人物に描かれていたと記憶するだけに、特に残念に感じた。

私には蝦夷征服の真実の姿を語るだけの能力はないが、「強欲で邪悪な朝廷勢力に主権を奪われ、搾取、虐待された可哀想な蝦夷」という単純な構図が歴史の姿であるかのように示されると、そこには違和感を拭えない。

逆に、当時の社会経済の変動の中で、奥州の大半が大和朝廷の統治を受け入れる何らかの合理的な事情が生じていたのかもしれないし、その状況を生かして現地勢力に介入し支持を獲得した賢明な官人や、大和勢力と交渉し生き抜いた蝦夷も存在したのではないかと思われる。

そうした人々の姿を表現せず単純な善悪の構図で気の毒な被征服民ばかりを描くのは、かえって蝦夷への冒涜になるではないか、また、桓武帝にも朝廷の権力闘争など様々な事情があり、それらを捨象し身勝手な悪の権化のように描いたのでは、滅ぼされた側も浮かばれないのではないかなどと、反発心すら抱いてしまうのである。

人や社会は、やむにやまれぬ事情の積み重ねで善行と悪行をモザイク状に繰り返しながら彷徨う存在であり、実在の人物や歴史を題材とする作品は、その重みを意識して表現していただきたいと感じている。

この点、私は弁護士をしており、職業柄、相手方が理不尽な行為や悪行に及んでいるので当方(依頼主)が救済されるべきだと主張したり、相手方やその代理人たる弁護士から同様の主張を受けることが日常茶飯事である。

しかし、善行も悪行も人生の断片を切り取った一局面に過ぎず、その点をわきまえず相手方を非難する主張にばかり終始したのでは、ジャッジ(裁判官等)の理解を得ることはできない。

関係当事者を巡る様々な事情を調査、俯瞰し、この場面に関しては当方に理があるのだと主張したり、双方に正義(尊重すべき利益)があり、やむなく対決するような紛争では、各人の正義を理解し穏当な着地点を見出せるかを考えて解決策を検討することが、強く要求されている。

歴史ドラマも弁護士業務も、実在の人物について公正な視点で具体的な事実を描くことにより特定のメッセージを発信するという点では、相通じるところがあり、良質な作品に接することで我々の業務にも活かしていければと願っている。

ところで、盛岡は、私の故郷である二戸地方の主(九戸政実公)と北東北の覇権を争った人々が作った都であり、盛岡市民には、戦国の終焉を視野に入れた壮大な都市誕生の物語として、九戸戦役への正しい知識、理解を持っていただきたいと感じている。

それと共に、敗亡の地に生まれ育ち、勝者の都で暮らしている身としては、政実公を美しく描くだけでなく、騙し討ちをしてまで滅ぼした側にも、やむを得ない事情や正義、苦渋の決断があったこと、そして、戦の後には何らかの価値が創出され、勝者も敗者も、それぞれの立場でより良い社会を築くために努力してきたであろう姿もまた、描いていただきたいと思わずにはいられない。

そのことが、現代を生きる二戸人と盛岡人とが、先人の思いを継承しつつ、互いに力を合わせて社会に新たな価値を創出していく原動力になると信じるからである。

盛岡市長選と公約及び施政の検証

2ヶ月前の話で恐縮ですが、8月に盛岡市長選(と市議選)があり、現職の谷藤市長が4選を決めました。

対立候補として出馬された内舘茂さんは、私が盛岡JCに入会した際に元の理事長(当時は「顧問」)としてJCの活動を支えておられましたので、私も新入会員の一人として大変お世話になりました。

それだけに、誠実で温厚なお人柄はよく存じ上げており、政治的・政策的な支持云々の話はさておき、ご健闘を祈念しておりましたので、残念な結果ではありましたが、政治活動であれ企業経営その他の活動であれ、ご経験をご自身や地域のより良い未来に繋げていただければと思っています。

ところで、どちらが当選なさるにせよ、市長選に先だって、現職(谷藤市長)の初当選から現在までの3期の市政を検証し、有意な投票材料として市民に広く伝えるような試みがなされるべきだと思っていました(市長選だけでなく、市議選も同様です)。が、そのような話を聞いたことがなく、その点は残念に感じています。

ちなみに、私がJCに在籍していた一時期(平成19~21年)には、岩手県知事マニフェスト検証大会というものがあり(23年は震災で頓挫)、色々と難点はあったのですが、それでも、萌芽として育てる価値があったはずで、その後に継続せず消滅してしまったのは、残念に思います。

他方、私の知る限り、盛岡市は言うに及ばず、岩手県内の市町村の首長選や議会選挙において、公約検証等のイベントがあったという話は聞いたことがありません。

民主党政権の頓挫あたりから、マニ検大会自体が全国的に廃れて死滅したのかと思っていたのですが、ネットで検索したところ、山口県宇部市福岡県福津市で地元のJCの主催により行われているとの記事が出てきました。

サイト内で紹介されている「大会の議事」によれば、盛岡JCが過去に行ったもののような「ご本人と学者さんだけの発表会」と異なり、市民検証なるものも行われたとあり、どのような規模かは存じませんが、好ましく感じました。日本JCは、憲法云々の大きな話をするのも結構ですが、こうした各論レベルの積み重ねや各地JCへの勧奨を大事にしていただければと思っています。

JCが過去に行ってきた討論会の方式が聴衆にとって不満が残るものであるという話は、私だけが述べていることではなく、今回の市長選の討論会をご覧になった盛岡JCのOBの方のブログでもご指摘がありました(私もJCでお世話になった方で、大変発信力のある方です)。

現役会員の皆さんにおかれては、従前の討論会の設営のみで良しとするのでなく、市長選・市議選が終わった現在でも一向に構わないと思いますので、こうした営みを考えていただければと思います。

また、ここでは盛岡市長選のみ取り上げましたが、現職の無投票3選で終了した岩手県知事選についても、同様のことが当てはまることは、申すまでもありません。

稼げない町弁が地方の司法を変える?~裁判を活かす10の覚悟~

今年の7月頃、まちづくりに関する事業を手掛けている木下斉氏の「稼ぐまちが地方を変える」を読みました。

著者は、高校時代から早稲田商店街の活性化事業などに取り組んできた方で、その中で様々な利害対立の渦中に放り込まれて辛酸を嘗めた経験なども踏まえて、「地域の特性はもちろん全国的・世界的な「ピンホールマーケティング」までも視野に入れた魅力あるコンテンツを地域内に揃えることで、小さくとも確実に稼ぎながら地域に再投資し「公」を主導する企業を育てて、そのことを通じて地域づくりの取り組みを再構築すべきだ」という主張と、それを実現していく上での要諦に関する事柄が述べられています。

本書で取り上げられている「まちづくりを成功させる10の鉄則」は、零細事業者たる町弁の事務所経営にも当てはまる点が多く、色々と参考になります。顧客にとって「これ(問題の状況把握と解決の方法)は自分の生活に足らなかったもの」と思わせる強烈な個性(と熱意)が必要だと述べられている点などは、生存競争を迎えた町弁業界にこそ、向けられている言葉というべきでしょう。

本書でも代表例として取り上げられている「オガール紫波」で一躍時の人となった岡崎正信さんは、私も「同時期に盛岡JCに所属していた多数の会員の一人」としてfacebook上で「友達」とさせていただいており、硬軟様々なメッセージ性の強い投稿を日常的になさっているので、興味深く拝見しているのですが、以前から、岡崎さんのFB投稿への木下氏のコメントなどを拝見して同氏の活動に関心を持っていたので、発売後、すぐに購入して一気に読みました。

また、同じくJC繋がりのFB友達で、私をFBに誘因した張本人でもある、肴町のプリンスことS・Mさんから、7月に木下氏の講演会を盛岡で行うとの告知をいただいたので、歌手のコンサートの類は全く行かない私も久々にミーハー根性が刺激され、拝聴してきました。

残念ながら、その際は、少し遅れたところ席がびっしりと埋まっていたので、一番奥の隅にポツンと座らざるを得ず、聴き取り等に難儀した面がややありましたが、それでも、色々と興味深いお話を伺うことができました。

9月に書いておりメモもほとんど取らなかったので勘違いしている面もあるでしょうが、「人口減少は結果としての現象に過ぎないのだから、地域経済の低迷など、原因を形成している個々の事象に目を向けて、それに応じた対策を取るべき」とか「行政の運営で一番大事なことは、破綻しない、させない(夕張市や、巨額赤字=維持の税負担を強いる公共施設を作った各自治体のような愚を犯すことを防止する)ための仕組みを構築することだ」といったお話があったように思います。

また、そうした問題を克服していくため、己の才覚と責任で稼ぐ力を持った民間の経営者やそうした方に理解を持った公務員の方が、地域内で存在感を発揮すべきだという趣旨のエールがあり、参加された方には公民様々な立場の方がおられたようですが、大変好評のまま閉幕したように見えました。

ただ、自治体が法の趣旨に反する違法ないし無益な公金使用をした場合には、住民は、違法行為に関与した者の責任を問うための法的手続(住民監査請求、住民訴訟)を取ることができるわけですが、裁判沙汰はさすがに専門外?のせいか、そこまでの言及はなかったように思います。

とりわけ、住民訴訟などは、従前は、いわゆる市民運動に従事する左派系の関係者の方が行うものが多く(あとは、私怨などが絡んだ本人訴訟も拝見したことがあります)、個人的な印象としては、行政が推進する特定の政策の当否を住民訴訟というツールを通じて争うというケースは、一部の環境系訴訟(脱ダム訴訟など)以外には、ほとんど見られないのではと思われます。

「まちづくり系の訴訟」の前例として私が存じているものを挙げるとすれば、大分県日田市で企画された競輪のサテライト施設の反対運動(住民側代理人の先生が執筆された著作によれば、左右の勢力を問わず地域の諸勢力が結束して取り組んだものだったようです)に絡んだ行政訴訟が挙げられるとは思いますが、これは、国(中央官庁)の許認可の当否が問われた事件で、自治体による公金支出(開発行為)の当否が問われた事件ではありません。

少なくとも、私は、住民側であれ行政側であれ、地方行政等に役立つことができる弁護士になりたいと思って、数年前から「判例地方自治」という自治体絡みの裁判例を集めた雑誌を購読しているのですが、そうした政策の当否を問う訴訟をほとんど見たことがなく、その点は残念に感じています。

木下氏らの活動の中に、自治体が巨額の税金(自費や国の補助金)を投じて豪華な施設を作ったものの、維持費すら稼ぎ出すことができず自治体に重い負の遺産になっているケースを取り上げて警鐘を鳴らす(「墓標」シリーズ)というものがありますが、そうした問題についても、本来であれば住民監査請求や訴訟等が行われて、自治体の政策判断の当否(裁量逸脱の是非)が問われるべきではなかったかと思われます(すでに監査請求等の期間を途過しているのかもしれませんが)。

少なくとも、一般論として裁量違反のハードルが非常に高いことは確かですが、裁判を通じて、事実認定を含めて的を得た形で裁量論争が深められ、それに対し裁判所が法の趣旨を踏まえて緻密な検討をし、真っ当な判示がなされれば、訴訟の結果がどうあれ、対象となった政策分野を巡る行政裁量のあり方について一石を投じる(そのことで、行政を変える契機とする)ことができると言ってよいのではと思われます。

私は行政裁量が問題となる訴訟にほとんど関わったことがないので、大したことは申せませんが、私が少しだけ勉強している環境訴訟は行政裁量の当否が争われやすい分野であり、北村喜宣先生の「環境法」や越智敏裕先生の「環境訴訟法」などで行政裁量の争い方や最高裁の考え方などを論じた部分などが参考になるはずです。

また、先ほど述べたように、これまで、住民訴訟等に従事するのは、特定の政治的傾向を有する一部の運動家の方に限られていたという現実があるように思われ、木下氏らの文脈に合致した意味での「まちづくりに絡む公費濫用の予防や是正に関わる訴訟」に取り組む弁護士(や支援者)というのは、ほとんど聞いたことがないように思います。

そうであればこそ、合格者激増という「稼げない時代」を迎えた町弁業界にとっては、行政裁量との硬軟様々な関わりという問題は、今後、手掛けていきたいと考える弁護士が増えてくる分野であることは確かで、とりわけ、行政庁の任期付職員になるなどして裁量のボーダーラインを肌で感じる機会に恵まれた方などは、任期後に町弁として復帰した際、こうした訴訟を手掛けたい(いわば、ヤメ検が大物刑事弁護人になるように?古巣を相手に裁量論争を挑みたい)と希望するのかもしれません。

さらに言えば、そうした営みが活性化されてくれば、包括外部監査制度や内部職員としての従事(事業開始・執行段階からの関与)をはじめ、弁護士が地方行政(ひいては国家行政も)の内部で手掛けることが法律上(制度趣旨の面から)期待されている分野が広がり、そうした営みを通じて、法の支配の理念に合致し、かつ「税金の無益な浪費をさせない(本当に活性化させることにだけ使わせる)」など経営マインドにも合致するような行政の構築にも繋げることができるのではと期待したいところです。

ところで、本書の末尾は、「まちを変える10の覚悟」というキャッチフレーズ(とミニ解説)で締めくくられていますが、ここで取り上げられている言葉は、我が業界の需給の当事者にも、大いに当てはまる面があるように思います。

そんなわけで、これを拝借して、「裁判・司法を本当に役立つものにするための10の覚悟」とでも題して、少し、考えたことを書いてみたいと思います。こちらはありふれたことしか書いていないかもしれませんし、ここで書いたような理想どおりにいかない現実もありますが、元ネタ(本書の該当部分)と対比して参考にしていただければ幸いです。

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①弁護士や裁判(司法)に頼らない

裁判(法的手続)という営みは、弁護士や裁判所だけが行う仕事ではない。依頼者・当事者自身に、紛争の正しい姿や重要な事実、救済・解決の必要性を、裁判所(や代理人たる弁護士等)に真摯に伝える姿勢が必要。そのような姿勢に欠けると、結局、司法の側から熱意ある支援は得られない。

まして、個々の「紛争」の解決に関し弁護士や裁判所が実際に果たせる役割はごく限られている。紛争の原因・背景にあって司法が救済の役割を果たすことができるわけではない、当事者やそれを取り巻く環境にある様々な人的・物的問題とも、紛争解決への取り組みを通じてご自身が正面から向き合う姿勢を持つべき。

②自ら「適正」な労働力や資金を出す

司法(弁護士等)により良い仕事をさせるには、その事案・業務に相応しい人的、物的コストを負担する姿勢が必要。当事者が適正なコストを負担しない場合ほど、裁判等の進行や結果が「尻すぼみ」の結果になりやすい。

③「活動」ではなく「事業」としてやる

裁判は、余技のような「活動」でないことはもちろん、単に「弁護士に料金を払ってサービスの提供と結果を待つだけの営み」ではない。紛争の当事者=主体は自分自身であり、自らの活きるか死ぬかの闘い、人生の重大な岐路という認識を持って主体的に取り組むべき紛争が幾らでもある。

④論理的に考える

裁判の当事者は、自身の価値観に基づくバイアスのかかった主張や自身に都合の良い結論(願望)ありきの発想に陥りがち。そうした方に限って、判断の依って立つ基盤を崩されると過度に弱気になる例もある。

自分の立場的な価値観ありきで物を考えず、紛争を取り巻く様々な事実経過や原理原則、事案の特殊性や関係者の適正な利害などを論理的かつバランスよく考える姿勢が、当事者にも求められる。

⑤リスクを負う覚悟を持つ

裁判などの闘争の渦中に身を置かず、リスクとリターンのないところで願望や不満ばかり述べても何も変わらない。裁判等をしなければ事態の好転は望めない事案で、かつそれが相応しいタイミングであるにもかかわらず、面談した弁護士に不満や願望を述べるばかりで前に進もうとしない(闘おうとしない)方は珍しくない。

⑥「みんな病」から脱却する

裁判闘争を嫌がり、話し合いで解決したい(すべきだ)と強く希望する方は少なくないが、そうしたケースに限って、「関係者みんなの話し合い」では何も進まない(進めることができない)状況に陥っていることが通例である。法の力を借りて実現すべき適正な要望(解決方法)があるなら、たった一人でも闘う姿勢を示し自ら智恵と汗をかくことで、紛争の適切な解決のあり方について、他の関係者にも認識を共有させることができる。

⑦「楽しさ」と利益の両立を

裁判は、正義と悪の対決ではなく、正義と正義(エゴとエゴ、自我と自我)の衝突と調整が基本であり、長期戦が通常。だからこそ、適正な利益を実現するための智恵や熱意だけでなく、質の高い裁判闘争を通じて争点が整理され、紛争が適切に解決されていく過程を楽しむ姿勢があった方が、結果として得るものが大きい。

⑧「知識を入れて、事案を練って、主張立証を絞る」

より良く裁判を闘うには、法律はもちろん、その紛争の解決に必要な様々な分野の知識、理解を得て、それを前提に、事案の内容を適切に分析し、その上で、贅肉だらけの冗長な訴訟活動をするのでなく、可能な限り必要最小限のポイントを突いた主張立証で、裁判官の支持(と相手の納得)を得るよう努力するのが基本。

⑨裁判で学んだことを、次の人生、社会に生かす姿勢を

裁判は人生の岐路になりうるし学ぶところも多いが、あくまで人生の一つの過程に過ぎない。現在の法制度の限界や改正のあるべき姿を世に伝えることも含め、そこで学んだことや解決によって得た利益を次の人生ひいては社会全体に生かす姿勢を持っていただきたい。

⑩10年後を見通せ

裁判と戦争はよく似ており、望外の(過大な)利益を得るなど勝ちすぎると、後で反作用が生じることが少なくないと言われ、そうした観点から、勝訴する側が敢えて譲歩した和解を希望するのも珍しくない。そうした解決方法に限らず、裁判が終局してから10年後に、ご自身やその他の関係者が、裁判で行われた議論や生じた結論に恥じることのない、何より、笑顔で暮らすことができるような将来を見据えて、裁判という闘いの場に臨んでいただきたい。

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最後になりますが、前記の木下氏講演会では、本書の購入者にはあまり有り難くない話?ですが、参加者に本書が1冊ずつ配布されていました。

私は、自分が読んだ本を持参してサインしていただきたかったのですが、愚かにも忘れてしまったので、やむなく、当日配布された本にサインしていただきました(ので、結果的に、本書が配布されて助かりました)。

というわけで、私の手元には本書が2冊あり、サインをいただいたものは有り難く事務所に鎮座させますので、私の手垢と折り目がついたもう1冊を欲しいという方がおられれば、ご遠慮なくご来所下さい。

琉球王国と北奥政権の栄光と挫折、そして再起するものたち

以前の日記でご紹介した、JCC出版部「絵で解る琉球王国~歴史と人物~」という本について、琉球と北奥という2つの地域について考えたことを交えて、お伝えしたいと思います。
http://www.jcc-okinawa.net/books/

7月の那覇出張の際、夜の食事場所に困って国際通りを彷徨った挙げ句に、店先で案内をしていた民族衣装姿の美人女性の姿に惹かれて?、「首里天楼」という琉球舞踊を観覧できるお店に入りました。
http://www.suitenrou.com/

引用した運営企業のサイトでお分かりのとおり、店内が琉球王国時代の出来事や人物を描いた壁画で埋め尽くされていたのですが、会計の際、この本がカウンターに置いてあり、「今、沖縄で一番売れている本」といった宣伝文句が述べられていたので、ホンマかいなと思いつつ、琉球王国について少し勉強して見たいということで、深く考えずに購入しました。

本書は、琉球王国の歴史や文化に関するトピックを、素人向けに解りやすく絵柄付きで解説した本ですが、よく見ると、出版元が、このお店(首里天楼)の経営企業となっており、冒頭部分や同社のサイトで、沖縄(琉球)の歴史と文化の意義を伝えていくことが自社の理念であり、飲食店経営も出版事業も当該目的の達成のため行っているものである、という趣旨のことが述べられていました。

これを読んで、北奥(北東北)地域も、沖縄と同じく中央政府と異なる独自の歴史、文化を育み、「蝦夷の末裔」としての誇りを持って生きるべき「クニ」でありながら、そのような姿勢で、人々の心に広く訴えるような親しみやすい手法(飲食店であれ、一般向け書籍の出版であれ)で事業展開をしている企業が、当地に果たしてどれだけ存在するのだろうかと、感じずにはいられないものがありました。

伝統芸能舞踊付きの居酒屋なら、さんさであれ鬼剣舞であれ岩手でも幾らでもできそうですし(秋田では「なまはげ居酒屋」を都心などでやってますから、河童や座敷わらしが飛び入りしても良いでしょうし)、私自身は、以前から、「北東北の玄関」たる盛岡駅の付近に、そうした商業施設を作るべきではないかと思っています。

それこそ、三県の様々な郷土芸能などを集めて演目等を月替わりなどにすれば、毎月のように新幹線で訪れるリピーターも獲得できるかもしれませんし、郷土芸能に限定せず、「九戸政実武将隊のディナーショー」とかもあって良いと思います。いっそ、AKBに倣って、年末年始に月替わりの12チームの総選挙を行って、その結果をもとに入替をするなどというのも話題性があって良いと思います。

県内などで同種事業を営む(或いは、その志がある)方は、ぜひ、この会社さんにお話しを伺うなどして、岩手でも実践していただければと思っています。

ところで、本書を拝見して思ったのは、沖縄=縄文系の血が多く残っているというイメージが強いのですが、本書のイラストで載せられている歴代の琉球王の顔立ちが、必ずしも縄文系(彫りの深い濃い顔)ではなく、弥生系を思わせる平板な顔立ちの方も少なくないという点で、特に、琉球の基本原理というべき「万国清梁の鐘」を掲げた第一尚氏の尚泰久王や、第二尚氏の創始者・尚円王の絵は、弥生人そのものという感じがします。

そこで、自宅に戻ってからwikiなどで少し調べたところ、琉球王国の成立(第一尚氏による琉球統一)は1429年(足利義持~義教期)で、それに先立つ10世紀から12世紀頃(平安期)に農耕に従事する人々(弥生人)が沖縄に移住し、その後、ほどなく三山時代(3つの国家に分かれた時代)が生じ、琉球王国に統一されたという記載がありました。

それを読んで思ったのは、琉球(沖縄)に国家という概念をもたらし社会の規模(単位)を拡げたのは、平安期に九州から移住した弥生人たちで、その移住が無かったら、地元民というべき縄文系の琉球人は、北奥の蝦夷たちのように、国家を持たずに暮らしていたのかもしれない、言い換えれば、国家を作り組織(人々のまとまり)の単位を大きくしていく気質は、縄文系には乏しく弥生系にこそ富んでいるということなのかもしれないと思いました。

この本の登場人物達の肖像画は、出版企業の関係者の方が独自に描いたもののようで、その元ネタ(昔から伝わる肖像画など)があるのか分かりませんが、ざっと見た印象として、歴代の王族は弥生系のすっきりした顔立ちの方が多く、家臣の方が、沖縄っぽい縄文系の濃い顔立ちの方が多いような印象も受けました。

そうしたことも、弥生と縄文の関係や特質などを考える上で、参考になるかもしれません。

ところで、私が中学生くらいの頃、大河ドラマで、1年を半分に分けて、奥州藤原氏の興亡などを描いた「炎立つ」と、琉球王国が島津氏の侵攻を受けた時代を描いた「琉球の風」を連続して放送したことがありました。

恥ずかしながら、当時は沖縄に関心が薄く、受験期ということもあり、琉球の風はほとんど視なかったのですが、今にして思えば、どちらも、弥生人の子孫(の本流)が作った大和国家とは別の政体を我が国の辺境(但し、見方によっては東アジアの要というべき地)に作ったもので、しかも、北奥政権(安倍氏・清原氏から奥州藤原氏まで)も琉球王国も、土着勢力(縄文の血が濃い人々)と移住した弥生系人種とが混血ないし一体化する形で作られた勢力であること、双方とも、最初は勢力分立(安倍氏と清原氏、三山時代など)から始まり、やがて統一国家が形成されたことなど、類似点が多いことに気付かされます。

敢えて違いを言えば、奥州藤原氏の成立には大和政権が深く関わっているのに対し、琉球王国の成立には全く?関与していないこと、前者には他国との緊張関係は全くない(渤海やオホーツク方面との交易はあったようですが)のに対し、後者は中華帝国との強い関わり(大和政権との二重服属)が必要になった(反面、大和政権からの侵略には江戸幕府の成立まで無縁で済んだ)ことという点が、挙げられるかもしれません。

こうした違いを踏まえつつ、2つの政体が共に「大和政権に侵略される姿と時代に翻弄された人々の様々な想い」を描いたという点で、炎立つと琉球の風を同じ年に制作、放送した意義は大いにあったのだと想いますし、改めて、時間があれば琉球の風を視てみたいと思っています。

あと、余談ですが、私が訪れた那覇の居酒屋さんは、たかが2件とはいえ、いずれも日本酒が無く、泡盛や焼酎などしか提供していませんでした。私は、刺身などのお供には、日本酒(なるべく、端麗辛口の冷えた大吟醸。典型は南部美人です)が最適と感じており、その点は大いに残念に感じました。

ぜひ、岩手の酒造メーカーさん達も、「縄文つながり」などと称して積極的に沖縄に売り込んでいただければと思いますし、達増知事におかれても、ちょうど、知事さん同士が反自民路線?で共闘できる関係にもあるでしょうから、そうした観点も交えて、日本酒に限らず、首里城の修復に使用するための漆を浄法寺から調達して持参いただくなどして、岩手と沖縄の繋がりを深めるようご尽力いただければと思います。